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囲われサブリナは、今日も幸せ 後編

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「クリス様、擽ったいです」
「サブリナが、意地悪を言う」
「違います!クリス様が、頭を首元に擦りつけてくるから、擽ったいのです!事実を申したまでのこと。意地悪では、ございません!」

 サブリナを膝の上にのせ、大型犬のように擦りつくクリストファーは、暫く会えなかった寂しさを埋めているだけだ。そのことに不満を言われるなど、心外でしかない。

「慣れてもらわないと、結婚してから大変だよ?」
「け、け、結婚!」
「そうだよ。四年後、サブリナが十六歳になったら私と一緒に住むんだ」

 今、広大な敷地の一部に、サブリナとクリストファーの新居が建て始められている。大きさは、小振り。サブリナとクリストファーだけの楽園で、連れて行く人材は、老執事シルベスターと一人のメイドだけ。食事は、全て本宅から運ばれる。一応、ミョルニールたっての希望で、彼の泊まる部屋も用意された。多分、度々泊まることになるだろう。

「楽しみだね」
「は、はい」

 両手で顔を隠してしまったサブリナの表情は見えないが、声に嬉しさがのせられている。母を亡くし、家族が減る体験しかしていないサブリナは、家族が増えることを何よりも楽しみにしているのだ。
 その前に、クリストファーは、万全の体制を整えるために、今回の一件で判明した不安要素を全て取り除く気でいる。

 この騒動の後始末は、思った以上に厄介なものだった。何せ、炭酸水以外にも、教会で配られた炊き出し、孤児院がバザーに出していた焼き菓子、そしてプルメリアの支援で新規開店されたパン屋等にも、同様の手口で違法薬物が混入されていたからだ。
 
 教会としては、一部の関係者が起こした不始末として捜査に全面協力しているが、その範囲が大きすぎて全容が掴めていない。洗脳された人間は、更に他の人間を洗脳し、ねずみ算式に増えていた。末端まで調べきれるか、今の時点では、何も分からない。

 ただ、薬を絶たれた事で、ルシエルのように現実に目覚める者も出てくるだろう。夢から覚めて、幸せかどうかは、分からないが………。

 

 それ以上に問題なのは、父カイザーが、息子クリストファーの婚約者であるサブリナに会いたがっているということだ。表面上は、今回の騒動を解決に導いた彼女の貢献を表彰する為。
 だが、裏では、サブリナを側妃候補に入れようと画策しているらしい。まだ十二歳の幼気な少女をだ。そこには、クリストファーに力をもたせ過ぎたくない思惑と、近頃反抗的な宰相への牽制があるのだろう。サブリナを人質に取られれば、ミョルニールは、どんな悪事であろうと手を染めるだろう。

『そろそろ、挿げ替え時か……』

 別に賢王でなくていい。ただ、サブリナが心穏やかに過ごせれば。そして、その傍に、自分と彼女の愛する者達がいれば、あとは、好きにやれと思っている。その目的のために、カイザーは、邪魔者でしかなくなった。





 クリストファーは、サブリナとの時間を割いてまでカイザー王排除に動き出した。先ずは、挿げ替える頭がいる。烏合の衆をまとめ、国民のために働くなどと、自分は、そんな面倒な役回り、やる気もない。ならば、適任者に丸投げするしかない。

「こんばんは、兄上」
「窓から入ってくるのは、泥棒と刺客だけかと思っていたが、まさか、お前も入ってくるとはな」

 以前、礼儀作法の見本としてクリストファーに追いかけ回されたアレクサンダーは、久しぶりに会う弟に苦笑した。
 山のように大きなクリストファーと、細身の体に母親似の小さな顔が乗っているアレクサンダー。パッと見ただけでも正反対の二人は、得意分野も正反対だ。
 アレクサンダーは、幼少期より王になるための教育をソラリスから受けている。挿げ替える頭としては、かなり上等な部類に入る。


「こんな夜更けに、何の用だ?」
「そろそろ兄上も、王太子に飽きてきたかと。兄思いの弟は、その道筋を整えに来たというわけですよ」 

 クリストファーの丁寧なようで微妙に違う妙な口調と冷ややかな笑みに、アレクサンダーは得体のしれない恐ろしさを感じた。目の前の男が、幼き頃、自分の指を掴んだ赤子と同じだと考えてはいけない。喉がカラカラに渇いてきたが、アレクサンダーは、努めて冷静に話すことに決めた。


「父上は、まだご存命だぞ……」
「人間、ある日突然何が起こるか分からないですよ。コケて頭を打って死ぬ……とか?」
「クリストファー、何をするつもりだ」
「何も……。ただ、兄上が、王になったら、俺とカンタンテ公爵家には手出ししないで頂きたい。それを守っていただけるのなら、生きてる間くらいは支えて差し上げても良いですよ」

 アレクサンダーは、震える手を握りしめた。眼の前に立つ男は、人ではなく、得体のしれない何かだ。平気で人の命を狩り、その手で無垢な婚約者を抱きしめる。その事に疑問も持たず、敵となれば、今この瞬間にでもアレクサンダーを亡き者にするだろう。

 自分が王となった時に、敵対して最も困るのは、クリストファーだ。誰の言うことも聞かない男を御すことは不可能。ならば、向こうからの申し出を受けたほうが賢い。しかも、自分は、血の繋がった兄。殺される確率は、他の者より低いだろう……。
 アレクサンダーは、薄々父であるカイザーに危険が及ぶのであろうと想像した。 
 しかし、顎を小さく引き、同意を示した。カイザーは、既に臣下の信頼を失っている。このまま居座れば、いずれ国は滅びるだろう。

「では、良い夢を」

 それだけ言うと、クリストファーは、部屋を出ていった。
 アレクサンダーは、その後も、彼が出ていった窓をいつまでも見つめていた。



「カイザー様、湯浴みの用意が出来ました」
「うむ」

 今一番のお気に入りである側妃の元で、昼日中だというのに湯浴みに興じる。この後、サブリナを連れてクリストファーが謁見にやってくるからだ。身だしなみを整える前に、多少乱れたことをしても、さしたる問題はない。

 悦に入るカイザーは、ベロリと舌なめずりをした。サブリナは、母親に生き写しと聞いている。その昔、ミョルニールと連れ立ってパーティーに来たのを一度だけ見たが、輝くような美しさを放っていた。カイザーに召し上げられぬよう、早くに幼なじみのミョルニールと婚約を結び、結婚直後まで留学をしていたらしい。
 ミョルニールが、宰相を目指したのも、軽々しく嫁を奪われないだけの実績と地盤を確保するためなのだろう。すっかり忘れていたが、今回の騒動で、あの美貌と類まれな頭脳が手に入るのなら、息子の婚約者だろうと知ったことではない。

「カイザー様、お飲み物を」

 側妃に出された発泡酒は、ピリリとした辛さの中に、果実の甘みもあり、大変飲みやすかった。

「もう一杯」
「はい」

 コポコポコポコポ

 グラスに注がれる薄ピンク色の液体。湯に浸かったまま、カイザーは、キラキラ輝く酒を美しいと思った。

 ゴクゴクゴク

 三口で飲み干すと、再び杯を重ねる。気づけば、ボトルを一本飲み干していた。

「はは……飲みすぎたか……」

 グラリと揺れる体を、誰かがしっかりと支えてくれた。そして、成人男性が3人掛かりでないと持ち上がらないカイザーの体を軽々ベッドへ運ぶ。

「お疲れなのです。暫し、お休みになられたほうが」

 耳元で囁くのは、側妃ではない。
低く、静かな、男の囁き声が頭に響く。

「ごあんしんを。あとのことは、すべておまかせください」

 朦朧とする意識の中で、カイザーは、不思議な幸福感を覚え、赤子のような安心した微笑みを浮かべ眠りに落ちた。

『他愛も無い』

 寝息を立てるカイザーを見下ろし、クリストファーは、濡れた腕を側妃の差し出す布で拭いた。既に、この後宮は、クリストファーが掌握している。 決して洗脳したのではない。彼女達は、皆、自分の意志とは無関係にカイザーに召し上げられた被害者だ。プルメリアのような強かな女は、珍しい。親兄弟を人質に、愛する者から引き離され、憎む男の子を宿す。女性として、命を削るような地獄の日々。
 そこから解放してくれると言うのなら、悪魔の手だって取る。 

「荷物をまとめておけ。直ぐに、自由の身だ」
「ありがたき幸せ。この御恩は、一生忘れません」
「忘れろ。ここでのことは、全てな」

『全て』

 その意味を理解し、側妃は、深く頷く。この外界から遮断された場所で、カイザーは、突然病気となるのだ。そして、遺言書を直筆で作成し、全権をアレクサンダーへと移譲する。引退後は、気候の良い場所で療養生活……という筋書きをクリストファーが作り上げるのだ。
 プルメリアより奪った洗脳の技術は、薬とやり方さえ分かれば、恐ろしい程単純なものだった。

『まぁ、多少薬の量を間違えて死期が早まったとしても、悲しむ者すらいない男だ。実験気分でやれば良い』

 プルメリアが、もし最初からカイザー自身に洗脳を行い、影の王として君臨していれば、クリストファーすら手が出せなかっただろう。
 しかし、死なれてしまっては元も子もないことから、薬の投与に消極的だった。手加減をし過ぎ、自分への好意を底上げするくらいにしか効力を発揮できなかったのだ。
 クリストファーなら、そんな生半可なことはしない。今後も、この技術を、サブリナとの穏やかな生活のために、いくらでも使うつもりだ。その辺りの常識や人間性は、持ち合わせていないのだから。

「ここを出たら、なるべく遠くに逃げろ。俺に、殺されたくなかったらな」
「………はぃ」

 クリストファーの威圧に、側妃は、怯えた表情で後退りした。そして、弾かれたようにクルリと身を翻すと、部屋から走り出ていった。背後から、大きな手が追ってくるような錯覚に陥ったのだ。その認識は、間違いではない。あと数秒この場に留まっていれば、問答無用で頭と体が離れていただろう。
 残されたのは、穏やかな表情で眠り続ける男とクリストファーのみ。こうして、カイザー王治世三十年の歴史は、呆気なく閉じられた。



 ルシエルは、今日も神にサブリナの幸せを祈っていた。手足は枯れ木のように細くなり、水分を失った皮膚が、ポロポロと剥がれ落ちている。土人形のように、そのまま崩れ落ちてしまうのではないか?見張りをしている兵士ですら、彼女の信仰にも似た主への思いに、密かに感銘を受けていた。あと数日、そのまま放置すれば、きっと事切れていたことだろう。
 しかし、祈りの姿勢のまま気を失ったルシエルが再び目を開けた時、目に映ったのは、愛してやまないサブリナの顔だった。

「ルシエル、死ぬことは許しません」

 責める口調で告げるサブリナは、最後に見た時よりも随分と痩せていた。幼い頃から、彼女に食事を運んでくれていたのはルシエルだった。それが、シルベスターに代わった事で、食事の度にルシエルを思い出すのだ。どんなにクリストファーが励まそうとも、だんだんと食が細くなり、軽い体重が益々軽くなった。なのに、クリストファーに頼まないのだ。ルシエルを助けてくれと。それどころか、必要以上に明るく振る舞うサブリナに、流石のクリストファーも、白旗を上げた。愛する人の傍に、不可抗力とはいえ一度裏切った者を側に置くのは許せない。
 しかし、ルシエルを完全に失えば、サブリナは、いつの日か、微笑むことを忘れるだろう。

「さぁ、食事を摂るのです」

 サブリナは、サイドテーブルの上に置かれた深皿から一匙のスープを掬い上げた。そして、見せつけるように飲んだ。そのスプーンを使って、もう一度スープを掬うと、ルシエルの乾いた唇まで運ぶ。

 ポトリ

 雫が口の中に落ちた。舌先が、薄味の旨味を感じる。もう、体内の水分は全てなくなったと思っていた。そんなルシエルの瞳から、涙が流れた。

「私は四年後には、クリス様と結婚します。新居には、シルベスターと貴女以外連れて行く気は、なくってよ。だから、早く体を治しなさい!」

 精一杯語気を強めて命令を下すサブリナの目も、涙で潤んでいる。血よりも濃い二人の関係は、ミリアム王家の悪魔の剣でも切れるものではなかったらしい。隣の部屋でサブリナ達の会話を聞き、クリストファーは、

『サブリナから食事を与えてもらえるなら、病気になるのも手か……』

と、またもや、お門違いの事を考えていた。



 王位に就いたばかりのアレクサンダーの評判は、まずまずのものであった。恐怖政治で押さえつけた先王とは違い、臣下の意見に耳を傾ける穏健派。特に、側妃として娘を召し上げられていた貴族達からは、後宮の解体などを通して一定の支持を得ている。  母ソラリスの後ろ盾もあり、政権の移行は、問題なく行われた。
 そして、国民の間に戦争のない新たな時代への期待感が膨らみ始めた頃、ひっそりと先王カイザーの死が公表された。形だけの喪を一年終えると、王都を中心に様々な改革が打ち出されていった。貧民街だけでなく、国民全体に清潔で安全な飲水を提供するための水道が整備され、その工事に多くの生活困窮者が雇用された。カイザーの後宮運営と戦争好きに回されていた無駄金が無くなったことで、経済、医療と教育にも力を入れることが可能となる。金が回りだすと、潤いを求めて文化も賑わいを見せ始めた。
 国民が、口々にアレクサンダー王を褒め称えるようになるが、その影に、先王時代から宰相を務めるミョルニール・カンタンテの(サブリナから託された)助言があることは知られていない。





 そして、賑わう王都の片隅で、もう一つの大きな波が来る予兆が出始めていた。

『婚約破棄される練習をしていたら、何やかんやで婚約者と国を救っちゃた、テヘッ♡』

 どこかで聞いたことのあるような題名の付いた本が、孤児院で制作され始めたのだ。その内容は、妖精の血を引く公爵令嬢が、魔女によって書かれた本『平民の聖女が、なんやかんやで王太子妃になっちゃった、テヘッ♡』に隠された陰謀に気づき、未然に防ぐ冒険活劇。
 冒頭は、純真無垢な主人公が、魔女の書いた本の内容を信じ込み、婚約破棄される練習に勤しむコミカルなシーンから始まる。その後、少々彼女を好きすぎる(ヤンデレ)婚約者と二人で協力し、探偵さながらの推理を働かせ、魔女に囚われた子供達まで助け出し、この国を救う話だ。内容は子供向け童話で、文字の勉強にも役立てられるように簡単な単語を選んで書かれている。

「あ、ここ、また間違えてる!」  

 手書きで作成されているため、完成前には、必ず年長者のチェックが入った。そして、必ずと言っていいほど、訂正が入る。

「ごめんなさい」
「私達を助けてくださった方の名前を間違えるなんて、言語道断なんだからね!」

 難しい言葉で怒られても、今一つピンとこない。
 しかし、自分が大失敗してしまった事は理解できているので、目から涙がポロポロと溢れた。この孤児院で初めて習う文字は、自分の名前ではない。

『サブリナ・カンタンテ』

 彼らを救った一人の公爵令嬢の名だ。何故か、『サブリミ』と間違える子供が多く、その訂正に運営を任されるシスターも困り顔だ。

「これは、絶対間違えてはいけないお名前よ。この孤児院を支えてくださっている大恩人なのですから」

 朝夕、食事の前には、サブリナの名を呟き、祈りを捧げる。何度も、何度も、根気よく教えるしか近道はないのだ。
 だが、当のサブリナは、このことを知らない。この孤児院に多額の寄付をサブリナ名義でしているのは、実は、クリストファーだ。子供達を保護すると約束した彼は、新たに一つの孤児院を建て、洗脳されていた子供達を一箇所に集めた。
 ここで再教育し直し、恩人であるサブリナに仕える人材へと育てるためだ。いつまでも、シルベスターやルシエルも生きてはいない。彼らの代わりになれるのは、サブリナに対して、神への信仰にも近い崇拝を持つ者だけだ。壁にかけられたサブリナの姿絵は、聖母のような微笑みを浮かべ、優しく子供達を見下ろしていた。

 その後、この本は、学校や他の孤児院へ、文字を覚えるための教本として配布された。奇想天外な内容と、少女が大人顔負けの活躍をすることが子供達の心を掴んだ。勉強嫌いな生徒まで、コツコツ写本をして自宅に持って帰るので、教本としてこぞって採用する学校が増えた。

 こうして、子供達を中心に人気を博し始めると、大人達の中からも本を求める声が出始めた。忙しい彼らは写本する時間などない。出版社に問い合わせがくるようになるが、登場人物に実在の公爵令嬢と同じ名前が使われているため、簡単に手が出せなかった。
 
 そんな時、

『本、交換します』

露天が並ぶ下町に、そう書かれた旗を掲げる小さなテントが現れた。



「嫁が欲しがってたから、助かったよ」
「まいどあり」

 最後の一冊を手に走り去っていく男を、孤児院の中でもリーダー格のルルとララが見送った。よく似た面立ちの二人だが、兄妹ではない。先に孤児院の前に捨てられ、シスターにルルと名前づけてもらった男の子が、新たに捨てられた赤子にララと名前をつけたのだ。

「ルル兄、そろそろ片付けよう」
「ララは、座ってろ。俺が、やるから」

 体も大きく、頭も良いルルは、孤児院の女の子の憧れだ。回収された本を箱に詰めるルルを、頬を赤らめてチラチラ見ている。

「ララ、今日は、何冊集まった?」
「え?あ、えっと、五十冊。持ってきた分が、全部なくなったもん」
「んー、まだまだ回収しきれてなさそうだな」

 このテントでは、クリストファーの支援を受ける孤児院の子供達が、自分達が写本したものと、『平民の聖女が、なんやかんやで王太子妃になっちゃった、テヘッ♡』を交換している。他の本とは交換出来ないため、噂を聞いた者は、自宅の本棚を必死に探し始めた。そして、ホコリを被った装丁ばかり美しい、しかし内容の薄い本を見つけることが出来た者は、喜び勇んで交換所へと走ってくる。
 そうして集められたものは、孤児院経由でカンタンテ公爵家へと献上され、焼却処分された。毎回持ってきた分が全て交換されるので、まだまだ王都に眠る本が存在するのだろう。

「あんな本、誰が書いたんだよ」
「本当よ!サブリナ様への冒涜だわ」
「俺らが、なんとかしないとな」
「えぇ、そのためなら、何千冊でも写本するわ!」

 前の孤児院では、ご飯すら十分に与えられず、朝から晩まで炭酸水の瓶を洗わされていた。その頃の事は、思い出そうにも霞がかかったようにボヤけている。
 しかし、今の孤児院へ来てからは、顔色もよく、皆モリモリご飯も食べられるようになった。そんな幸せをもたらしてくれたサブリナを、侮辱する本など中身も見たくはないが、野放しにするわけにもいかない。

「ララ、最後の一冊になるまで集めるぞ」
「ルル兄、私、今日も帰ってから写本するわ」
「おう」

 夕暮れ時に、片付けたテントを手押し車に乗せ、二人は熱く語らいながら帰路についた。





「まだ、こんなに残っているのか」

 回収された本をビリビリに破き、火に焚べるシルベスターは、苦虫を噛み潰したような顔をした。その鋭い眼光と険しい横顔は、いつもの温和なイメージからかけ離れている。
 彼には、あまり知られていない過去があった。父親は某伯爵、母は平民のメイド。女好きな貴族にありがちな婚外子として生まれた。母のお腹にいるうちに、屋敷から追い出された彼は、母が亡くなった後、七歳で孤児院に引き取られた。そこに至るまでの生活を多く語ることはないが、病気の母親の面倒を見ながら、悪事に手を染めたことも一度や二度ではなかったようだ。

「お名前は?」

 孤児院暮らしの初日、シスターに名前を聞かれた時、彼は、嫌な顔をした。男に騙され捨てられた母は、それでも男を憎みきれず、息子に似た名前を付けていたのだ。その名を呼ぶ時の母は、妙に女の顔をしていた。

「馬鹿でも糞でも勝手に呼べば良いだろ」
「じゃぁ、貴方は、シルベスター。私の弟の名よ」

 のちに、シスターの弟が、貴族の馬車に轢かれ、既に亡くなっていたことを知った。そんな名前を贈ってくれたシスターに報いようと、幼いながらに一生懸命考えた。
 母は、貴族の家でメイドを出来るくらい裕福な家の出身だったらしく、遺品の中に何冊か古びた本が入っていた。それをよく読み聞かせしてくれていた事を思い出したシルベスターは、記憶と本の内容を突き合わせる事で文字を覚えた。

「シスター、こんなのを書いてみたんだ」

 有り合わせの材料で作った小さな絵本は、思いの外面白く、シスターを喜ばせた。

「シルベスター、貴方、天才だわ!」

 彼女は、自分の少ない蓄えの中から筆記用具と紙を買ってくれた。それで勉強を続けろという意味だったのだろうが、彼は、それを元に、また絵本を作った。
 前回より質の良い材料だった為、市場で売ると、意外に良い値段で売れた。味をしめたシルベスターは、せっせと絵本を作っては、孤児院にお金を入れた。貧しいながらも、皆で助け合い、細やかな幸せを感じる日々。
 しかし、十歳になった時、正妻が跡継ぎを産めなかったらしく、突然引き取りに来た伯爵家に無理矢理屋敷に連れて行かれた。





 シルベスターが十八歳になった頃、何者かに不正を暴露され、某伯爵は、爵位まで失った。  

「おめでとう。見事な没落だったよ」

 元平民の貴族から元貴族の平民になったシルベスターに握手を求めてきたのは、カンタンテ公爵家の跡取り息子だった。学園内で浮いた存在のシルベスターを、親友と呼んで肩を組むような変わり者だった。

「折角自由になれた君には申し訳ないけど、我が家に勧誘しようかと思ってね」

 どうやら、彼は、シルベスターが伯爵家の情報を告発した本人だと知っていたようだ。

「無論、君が絵本を売って寄付を続けている孤児院への援助は惜しまないつもりでいるよ」

 どこまで調べられたのか分からない。
 しかし、下手に逆らっても手練手管で絡め取られそうだ。シルベスターは、苦笑しながら彼の手を取り、カンタンテ公爵家の一員となった。

 あれから、半世紀以上経った。親友であった前当主とその妻は、残念ながら、領地に帰る途中土砂崩れにあい、サブリナが生まれる数年前に亡くなってしまった。早くに家督を継いだミョルニールを支えるために、陰日向と働き続け、疲れ果てると、

「なぜ、私だけが働かされているんだ。早く迎えに来い」

と友の墓前で愚痴ることもあった。
 しかし、ミョルニールからサブリナを託され、人生が変わった。

「私にしてくれたように、娘を守ってほしい」

 その言葉の中に、自分への信頼を見たシルベスターは、全身全霊でサブリナを守り、育てることを誓った。

 こうして、読書狂のサブリナに仕えるようになったのは、彼にとっては、運命だったのかもしれない。子供向けの本をすぐに読み終わってしまった彼女のために、再び筆を執った。完全記憶を持つサブリナは、一冊の本を繰り返し読んだりしない。そんな彼女が何度も読み返す本は、シルベスター作の絵本だけだった。
 
 今回、サブリナを主人公とする本を書くことになって、彼は、今までの知識のすべてを盛り込むことにした。

 冒険を盛り込んだ、子供達に分かりやすい内容

 妖精など、あくまでも物語なのだと思わせる非現実的要素

 自分達と同じ子供が大人をやり込める痛快さ

 誰でも読める、難しすぎない単語

 教材として使用可能な正しい文体

 どれも完璧に仕上げた本が、子供受けすることは最初から分かっていた。
シルベスターは、本を破る手を止めて、じっと手元を見た。

「こんな本に、私の書いたものが、負けるはずないでしょう」

 あえて題名を似せたのは、プリメリアの書いた本を、魔女が書いたものとして作中に登場させたから。人間とは不思議なもので、似たものは、より鮮烈なイメージが残っている方を覚えている傾向にある。本の最初に一度しか出てこない題名と大好きな絵本の題名、どちらが記憶に残るかは、考えなくても分かるだろう。幾重にも趣向と罠を凝らした名作は、大ベストセラーとして、長く親しまれる本となった。



「サブリナ、どうかな?」
「素敵です!素敵過ぎます、クリス様!」

 サブリナとクリストファーの結婚まで、まだまだ時間があると言うのに、気の早いクリストファーの差配で、新居が建ってしまった。入居は結婚後だが、今日は、サブリナに内部を見てもらい、変更希望箇所があれば伝えてもらう約束だ。

 しかし、壁一面の本棚を見た瞬間からサブリナの気持ちは舞い上がり、床から足が浮いてしまっているような気分になっていた。

「ここの全ての棚に本を並べて良いのですか?」
「その為の棚だからね」

 逆に、本以外の何を置くのか聞きたいが、サブリナの喜びように、クリストファーは彼女の観察を優先することにした。

 扉を開けるたびに、感嘆の溜息をつく婚約者。 

 カーテンの刺繍一つ一つに、眼を見張る婚約者。

 見方を変えれば、囲い込むための鳥籠に、自ら飛び込んでくる愛おしい小鳥。

 壁に背を預け、腕組みをしてサブリナを見つめるクリストファーの瞳が、ほんの少しの悲しさを見せた。 
 
 もし、彼女が特殊な能力を持たずに生まれてきていたら、もっと自由な世界を見せてやることが出来ただろうか?

 いや、クリストファーは、間違いなく囲い込み、一生、外に出さなかっただろう。自分のような恐ろしい男の妻になる事が、世間一般では、幸福ではなく地獄であることをサブリナは知らない。そして、一生気づかせてはならない。クリストファーの仄暗い決意とは裏腹に、

「クリス様!二階のお部屋も、とっても可愛いですわ」

階段の上からクリストファーを見下ろすサブリナは、世界で一番幸せな少女だった。



「サブリナ、そろそろ『お茶会』にしよう」

 クリストファーが声をかけると、サブリナは、2階から足取り軽く下りてきた。ここには、台所がない。飲み物も、一声かければルシエルが母屋から持ってくる。まだまだやせ細ったままだが、最近では、サブリナのお茶会にも参加するようになっていた。

 大好きなクリストファーに、家族同然のシルベスターとルシエルに囲まれ、今日も、サブリナは満面の笑顔を浮かべる。仕事でなかなか屋敷に居られないミョルニールは、このお茶会に参加できないのを心底悔しがっていた。

 しかし、今日以降、更に悔しがることだろう。

「今日は、お客さんをお招きしているんだ」

 クリストファーがパンパンと手を打つと、カルガモのように一列に並んだ子供達がトコトコと行進してきた。先頭は、年長者のルルとララ。その後ろを、年功序列で十六歳から三歳の子供が総勢二十人以上並んでいた。皆、一様に胸を張り、興奮のあまり顔を真っ赤にしている。


 サブリナは、生まれてから今日まで、限られた人間としか接触したことがない。それなのに、突然多くの子供が登場したことで、息を止めてしまった。

「大丈夫だよ、サブリナ。ゆっくり息をして」
「すぅ………はぁ……」
「そうそう、上手だよ」

 クリストファーに抱き上げられ、サブリナは、必死に自分を落ち着かせようと深呼吸をした。子供達も、子供達で、崇拝するサブリナ様が混乱する様子に、自分達も混乱している。不安を少しでも和らげようと、隣の者と手を繋ぎ、唇を噛み締めていた。クリストファーに背中をトントンしてもらい、少し落ち着きを取り戻したサブリナは、自分以上に緊張している子供達に気付く。

「あ……クリス様、下ろしてください」

 赤子のように、あやされている姿を見られたことに、急に恥ずかしさを覚えた。

「気にしなくていいのに」
「私が、気にするのです!」

 足をバタバタ動かし、クリストファーの拘束から逃げ出すと、サブリナは、公爵令嬢として相応しい見事なカーテシーをしてみせた。

「わぁ………てんしだぁ」

 一番小さな男の子が、素直な感想を思わず口から溢すと、隣にいた女の子が、ゴツンと拳で殴った。サブリナ様に直接言葉をかけることは許されていない。

「この子達は、君の孤児院から来たんだよ」
「私の?」
「そう。彼らは、君の家族になれるかな?」
「家族?」
「何が起きても決してサブリナを裏切らない、永遠なる味方」

 サブリナが驚いた表情で子供達を見ると、全員が真っ赤な顔をして激しく頷いている。

『家族』

 その言葉は、サブリナだけでなく、彼らも心から欲するものなのだ。血が繋がらなくとも、支えて、助け、癒やし、共に歩む仲間。

「少しずつ慣れればいい。今日は、顔見せのために全員連れてきたけど、今後は、少人数で来させるよ。庭の草抜きや、本の整理とかからやらせればいいんじゃないかな?」

 クリストファーの言葉に、サブリナは、控えめに頷いた。まだ、いつものメンバー以外が側に居ることに慣れるとは思えない。

 しかし、一生会えないのも嫌だなと思った。





「あ、また、みてる」
「こら、気づかないふりをして」

 カンタンテ公爵家の庭で草むしりをするのは、ララと年少の子供達。ここに来るのは、お茶会参加を含めて三回目だ。まだ難しい仕事は出来ないだろうと、シルベスターから草むしりを命じられ、

「この辺りをお願いします」

と連れてこられたのは、サブリナの部屋からよく見える一角だった。

「お嬢様、そんなに気になるのでしたら、一階に下りられてみては?」

 カーテンの隙間から庭を覗くサブリナに、シルベスターは、紅茶を入れながら提案をしてみる。

「いきなりは、無理ですわ」
「では、その窓から、手を振ってみるというのは?」
「もっと、無理ですわ」
「いっそ、カーテンを全開にされては?」
「ルシエル、じいやが、私に、意地悪をいうのよ」

 サブリナは、ルシエルの腰に抱きつくと、お腹のあたりにグリグリと顔を押し付けた。

「サブリナお嬢様、御髪が乱れます」
「そんなの、ルシエルが直してくれたらいいじゃない」

 他人と関わることへの不安が、サブリナを消極的にしてしまう。でも、気になって、何度も覗き見をしてしまうのだ。

「今日来ている中に、ララという娘がいます。彼女は、今日が最後なのです。せめて、その子だけでも、声を掛けてやって下さいませんか?」

 サブリナの髪をブラッシングしながら、珍しくルシエルがお願いをしてきた。

「え?どこかへ、行ってしまうの?」
「彼女は、とても美しい字を書くことと、手先が器用なことが認められ、王都内にある仕立て屋へ就職が決まったのです」

 孤児院も、大きくなった子供をいつまでも置いておくことは出来ない。子供達の世話係として残る者もいるが、その殆どが住み込みで働く場所を見つけて出ていかなくてはならない。ララ以外にも、ルルが、クリストファーの口添えで騎士見習いになることが決まっている。

「それなら……すこしだけ……話してみようかしら……」

 全員とは無理でも、一人だけならなんとかなりそうな気がしてきた。





「あぁ、サブリナ様」

 ララは、サブリナを目にした瞬間床に跪き、両手を組んでお祈りを始めた。

「シ、シルベスター、彼女は、どうしたのかしら?」
「お嬢様、お気になさらず」

 気にするなと言われても、どうしたら良いのか分からずオロオロしている間に、ララは、一通りの祈りを終えたのか、立ち上がり一礼をした。

「先ずは、質問を。ハイかイイエで答えるよう、申し付けております」

 思っていた『交流』と違ったサブリナは、尋問のようなスタイルに戸惑いながらも、気になっていたことを聞くことにした。

「はじめまして。私は、サブリナ・カンタンテです。貴女は、ララで良いのかしら」
「ハイ!!!!!」

 ララのあまりの勢いに、サブリナは、少し体が後ろに反ってしまう。

「草むしりをありがとう。辛くはない?」
「イイエ!!!!」
「小さな子達は、とても貴女を慕っているようだけど、離れるのは寂しくない?」
「………」

 返事をしなくても分かる。ララは、唇を噛み、泣くのを必死に堪えている。

「そうよね。離れて寂しくないわけないのに、失礼な質問をしてしまったわ」
「イイエ」
「貴女は、とても頑張りやで、お世話上手だと聞いたわ。これからも、貴女らしく生きてね」
「ハイ!!!!」

 一際大きな返事をしたララに、シルベスターが軽く頷いた。すると、ララは、ポケットからボロボロの紙を取り出して、そーっと広げた。最後に、手紙に書いた内容を読み上げる許可を貰っていたのだ。何度も書き直し、クリストファーとシルベスター、更にはルシエルの検閲も受け、問題なしとされたものだ。

 ゴクッとつばを飲んでから、ララは、大きな声で読み上げ始めた。



 親愛なるサブリナ・カンタンテ公爵令嬢様

 はじめまして、私は、ララと申します。

 私達を助けてくださって、ありがとうございます。

 毎日、とてもご飯が美味しいです。

 小さな子達も、モリモリ食べて、大きくなって、いつか、サブリナ様のお役に立てるようにと頑張っています。

 私の夢は、サブリナ様にお洋服を作ることです。

 四年後、サブリナ様が着られるウェディングドレスを一針でも縫えるよう、精一杯努力します。

 そして、いつか、全てのお洋服を作らせて頂けるように、王都一の縫い子になります。

 ですので、その暁には、どうか、カンタンテ公爵家に雇い入れて貰えないでしょうか?

 それを心の支えに、死ぬ気でがんばります。

 どうかよろしくお願いいたします。

 ララより



 読み終えたララの顔は、涙でグチャグチャだった。物凄い熱量を向けられ、何故ここまで好かれているのかイマイチ理解できていないサブリナは、腰が引けている。
 しかし、周りを見ると、シルベスターもルシエルも、満足げに頷いていた。

「よ、よろしくてよ」

 よく考えれば、自分に人選権があるとは思えないのだが、サブリナは、泣き続けるララを慰める為に、そう返事をした。

 すると、

「有り難き幸せ!!!」

床に頭を打ち付けんばかりにララに土下座をされて、サブリナは、とっさにシルベスターの後ろに隠れた。

 一方のララは、無表情なルシエルによって、小脇に抱えられて部屋から連れ出されていった。

「ねぇ、じいや」
「はい、お嬢様」
「世の中の子供は、皆、あんな感じなのかしら?」

 若干恐怖を感じるサブリナに、

「多かれ少なかれ、孤児院の子達は、あんな感じです」

と真顔で答えた。

「ちょっと、怖いかも……」
「直ぐに、慣れます」

 全く慣れる気がしない、サブリナだった。

 その後、あの事件の被害者でもあった彼らが全員巣立った後、その役割を終えた孤児院は、ひっそりと閉鎖された。
 しかし、そう遠くない未来に、卒業生全員が、それぞれに得意分野を伸ばし、カンタンテ公爵家へと戻ってくる。

 最年少で騎士団長まで登りつめたルル。

 貴族がこぞって縫い子として指名をしたララ。

その他にも、パティシエ、髪結い、庭師等、皆がサブリナを喜ばせたい一心で努力した結果、名を馳せる程の腕前を持っていた。それぞれの子に、それぞれの物語があるのだが、それをサブリナが知ることはなかった。





 サブリナが十四歳になった年、学園から入学を催促する通達が何度となくカンタンテ公爵家に届いた。第五王子の婚約者にして、カンタンテ公爵の一人娘。貴族の務めとして、学園に通うべきだというのが、学園側の主張だ。

 貴族令嬢は、通常家庭教師を自宅へと招き、勉強以外にも礼儀作法等を学ぶ。なので、十四歳から十六歳の間は、学園で社交を学び、人脈を作ることが目的とされている。たとえサブリナが国立図書館の全ての書籍を暗記し、それを使いこなすだけの能力があったとしても、それは通学を拒否する理由にはならないらしい。

「クリス様、私、どうしたら…」

 落ち込むサブリナを膝の上に置き、クリストファーは、柔らかさの増した彼女の体を優しく抱きしめた。

「サブリナ、安心して。私が、どうにかするから」
「どうにか?そんなこと、可能なのですか?」
「私は、この国の第五王子だよ?」

 ニッコリと微笑むクリストファーに、サブリナは、心配げな表情を浮かべる。

「私のせいで、クリス様のお立場が悪くなったりしませんか?」
「いざとなったら、領地へ二人で逃げればいい」
「え?」
「城壁でグルッと囲んで、誰も入れないようにするんだよ」
「ふ、ふふふふ、ご冗談を」

 クリストファーは、いたって真面目だ。誰も超えられない壁を建設すれば、クリストファーは、サブリナを独り占めできる。ただ、そんな大事にして、サブリナの心を悩ませることもしたくはない。

「まぁ、一日だけまって。上の人と話してくるから」

 クリストファーがウィンクをしておどけたように笑うから、王子として、学園長に直談判でもしてくれるのかと思っていた。
 しかし、その後クリストファーが向かったのは、この国の一番上の人の執務室だった。





「と言うわけだから、よろしく頼む」「昔も言ったと思うが、お前のソレは、人にものを頼む態度ではないぞ」

 自分を見下ろし、胸を張る弟に、アレクサンダーは、大きな溜息をついた。父であるカイザーの死に、クリストファーが関わっている事は、薄々感じている。
 しかし、彼が動かなければ、国がなくなっていたのも事実。たかが小娘一人、学園に通わなくても問題ない。逆に、クリストファーに暴れられたら国が乱れる。

「分かった、分かった。言いたいことが、それだけなら帰れ」

 面倒事は避けたいアレクサンダーは、眼の前の仕事を片付けながら生返事をした。
 不承不承なのが伝わったのだろう。クリストファーの目が据わった。

「そうだ、この前お義父様が提案した街道修繕の効率化と建築構造の見直し案」
「あぁ、あれは、素晴らしいものだった」
「考えたの、俺の婚約者だから」

 アレクサンダーは、にわかには信じられなかった。建築経費を半分に抑え、街道沿いの雇用にも言及し、構造強化にまで触れた報告書だった。ミョルニールが妙にニヤニヤしながら手渡してきたので、特に記憶に残っている。

「それ以外にも、お義父様が出した提案書には、大抵彼女が関わっている」
「そんな重要情報を私に教えていいのか?」
「無論、他言無用だ。喋った瞬間、頭と体が離れることは、覚悟してくれ」

 どうりで、人払いを強要したはずだ。アレクサンダーは、納得がいくと、天才(サブリナ)を手中に収めるには、化け物(クリストファー)の言うことを聞くしかないことを悟った。

「最善を尽くそう」
「最初から、そう言え」

 鼻を鳴らし、不服感を隠しもせず、クリストファーは部屋から出ていった。その尊大な態度に、

『アレは、一生変わらないな』

と諦めの境地に立つ。
 ただ、荒れているだけの幼少期と比べれば遥かに扱いやすく、サブリナさえ幸せでいれば、他の事は、どうでも良さそうだ。

「あんなのを飼いならすサブリナ嬢に、いつか会ってみたいものだ」

 アレクサンダーは、サブリナと言うクリストファーに取っての安全弁が、この国に居てくれた事を心から感謝した。
 


 その後、アレクサンダーから学園長へ、妥協案が提示された。貴族同士の交流を希望する学園に対し、それ以上の成果を見せることで、特例を認めさせると言うものだ。

「いくら良い教授陣を自宅に招いて学習したからと言って、学園での素晴らしい授業内容を上回る勉強が出来るとは思いません!」

 己の能力を過信する古参の教師からは反発を受けた。

「ならば、それぞれがテストを作り、彼女に解かせれば良い。それで、満点を取れたら、問題なかろう」

 アレクサンダーから直々に命令を下されてしまった学園長は、胃をキリキリ痛めながら、調整に必死だ。

「分かりました!そこまで仰るのなら、内容は、我らに一任して頂きます!」

 老害になりつつある教師達は、自分達のプライドの為、学園で教える以上の内容で、出来得る限り難しい問題を作った。しかも、必ず自分達が試験監督として側で見ている前で解けと言う、圧迫面接のような形での試験だ。自宅まで乗り込んでいこうとする無礼さに、流石の学園長も待ったを掛けようとした。
 しかし、それを聞いたサブリナが、

「クリス様も、ご一緒なら、構いません」

と受け入れた為、カンタンテ公爵家での自宅試験が行われることになった。





「そんな…」

 サラサラと筆を動かすサブリナの横で、愕然とした表情を浮かべる教師陣。しかも、自分達の出題内容が既に古いものであり、新たに発見された定理等まで事細かに書き記されていく事で、駄目だしをされている状態になった。

「立っているのも大変そうでございますね。宜しけれは、お茶でも、どうぞ」

 シルベスターが嫌味とばかりに、テーブルと椅子を用意し始めた。侮辱されたと怒るよりも、己の無能さを曝け出した羞恥のほうが強い。逃げ帰りたい所だが、

「ほら、お前たちも、飲め」

先にティータイムを楽しみ始めたクリストファーが、じっと自分達を見つめている。

「お……お許しを」

 顔色が紙よりも白くなった面々は、涙目で同席することを固辞した。

「ふん、つまらんな」

 彼らに興味をなくしたクリストファーは、サブリナに目を移した。黙々と淡々と筆を進める彼女は美しい。

「流石、私のサブリナだ」

 悦に入るクリストファーと、同意を示し頷くシルベスターとルシエル。教師陣は、サブリナに感謝したほうが良い。クリストファーが彼女に夢中だからこそ、彼らは無事に帰宅できるのだから。

 その後、完璧な回答と不出来な問題に対する指摘を携え、教師陣は、フラフラしながら帰っていった。

「まったく、この国の行く末を心配いたしますわ!」

 背が伸び、見た目だけは大人びた雰囲気を醸し出しているサブリナだが、純粋培養で育てられているからか、未だに子供じみたところが残っている。
 教師達を完膚なきまでに知の暴力で滅多打ちにした上に、ミョルニール経由でアレクサンダーへ教育改革の立案書まで提出したのだ。今回試験に携わった教師の何人かは、更迭されるだろう。
 
 その後、学園側から卒業証書が送られてきた。裏を返せば、学園に来ないで欲しいという歎願のようなものだ。さもなければ、生徒達の前で、彼女に教授されるのは自分達になるのだから。



 クリストファーとサブリナが出会ってから八年の月日が流れた。
 そして、今日、サブリナは、十六歳になる。クリストファーが、待ちに待った結婚式当日でもあった。

「サブリナ、綺麗だ」
「クリス様も、素敵ですわ」

 この日の為に、特注で作られたウェディングドレスは、作成した工房からデザインの版権を買わせて欲しいと懇願された物だ。図案は、サブリナの好みを知り尽くすルシエルと卓越した絵画センスのあるシルベスターによって作られたものだった。
 薄い布を何重にも重ねる、軽く柔らかな動きを出すのにボリュームのあるスカート。そこには、繊細な刺繍が施されている。腕や首は、露出しないよう覆われているものの、ほっそりとした彼女の体にピタッとフィットしており、可憐さが際立っている。
 他にも、糸目を付けず集められた最高の素材を前にした職人達が奮起し、渾身の作品を作り出した。
 無論、版権の一般向け商品への使用許可など下りるわけはなく、永久にカンタンテ公爵家の宝物庫に保管されることになる。

「さぁ、皆の元へ行こう」
「はい」

 新居のドアを開けると、庭には孤児院の子供達の手による可愛らしい飾り付けがされていた。派手さはないが、愛がこもっている。
 新郎新婦を祝うために集まったのは、父親に老執事、メイド、そして、孤児院の子供達。サブリナの世界に住むことを許されている限られた人達だ。

「おめでとう、サブリナ。今日から新居に移るんだね。お父さんも泊まっていいかい?」

 新婚夫婦の家に居候する気満々のミョルニール。

「お嬢様、これは、新しく描き下ろした本で御座います。どうぞ、夜のお供に」

 読書狂のサブリナに夜ふかし必至の自作本を手渡し、初夜を妨害しようと画策するシルベスター。

「サブリナお嬢様、今夜のお夜食は、何時にお持ちすればよろしいでしょうか?」

 夫婦の寝室に、当然のごとく侵入しようと試みるルシエル。

「サブリナ様、私の作ったウェディングドレスは、お気に召しましたでしょうか?」

 他の熟練職人を抑え、若手ながら刺繍を一手に任され、ドヤ顔のララ。

「僕達が育てた花で作ったブーケも、素敵でしょう?」
「あたちだって、がんばったもん、えーん」

 褒めて欲しくて、大騒ぎする子供達。横を見れば、愛してやまないクリストファーが居る。彼ら以外の何者も、彼女は必要としていない。だからこそ、決してここは牢獄でも鳥籠でもなく、彼女の楽園なのだ。

「サブリナ、幸せかい?」
「えぇ、とーっても幸せですわ」

こうして、囲われサブリナは、今日も幸せだった。





エピローグ


「サブリナが、やっと私の奥さんになった」

 サブリナを膝の上に乗せ、幸せを噛みしめるクリストファーに、サブリナも自ら体を寄せて、伝わる体温に愛しさをつのらせていた。

「サブリナ、お願いがあるのだけれど」
「クリス様のお願いなら、なんでもききますわ」
「ふふふ、そういうのは、軽々しく言っては駄目だよ。何をされるか分からないんだから」

 サワサワとクリストファーの手が、サブリナの脇を撫でる。擽ったいような、でも、何か違う感触にサブリナは身をよじる。

「クリスって呼んで」
「え?」
「あと、敬語もなし」
「それは…」

 困った顔のサブリナに、クリストファーは、柔らかく微笑む。

「私の為に、淑女たろうとしてくれるのは嬉しいんだよ。だけど、ずっと一緒に過ごすのに、このままじゃサブリナが疲れてしまう」
「クリス様…」
「違うでしょ?」
「クリス…」

 鼻先をくっつけ、二人は、笑った。

「それならば、クリスも、自然に振る舞わないと」
「どこか、可笑しい?」
「だって、本当は、『俺』って言うんでしょ?」

 気づかれていたとは思っていなかったクリストファーは、不安げな表情を浮かべた。サブリナに嫌われたら、生きていけない。これは、言葉の綾ではなく、事実なのだ。

「もう、そんな顔しないで」

 サブリナは、庇護欲をそそられる彼の頬にチュッとキスをした。いつもとは逆に、自分が彼を安心させてあげたかったからだ。
 クリストファーが『王室の悪魔』と呼ばれていることは、『平民の聖女が、なんやかんやで王太子妃になっちゃった、テヘッ♡』を読んで、なんとなく事実なのだろうと感じていた。
 八歳で初めて会った日、父の緊張感は計り知れなく、何度も『いざとなったら遠くに逃げればいい』と口にしていた。どのような恐ろしい目にあうのかと、恐れ慄いていたことを覚えている。
 そうなると、あの本に出てくるクズなクリフトファーは、本来の彼の姿を映し出していたのだろう。
 それでも、サブリナにとって、クリストファーは唯一の愛しい旦那様。どんなときも側にいて、彼女を支え続けたのは、紛れもなく彼なのだ。

 全てを受け入れてもらえたと感じたクリフトファーは、途端に天にも昇る心地になった。

「私達、たかが言葉遣いで壊れる仲じゃないと思うの」
「あ…やっぱり、サブリナは、強いな」

 互いが居ないと不幸になってしまう二人。一つでもボタンをかけ違えていたら、今はなかった。
 ハッピーだけど、エンドは付かない。いつか、家族が三人、四人と増えていくのだが、もうしばらく、二人だけの『囲い囲われ生活』は続くようだ。

Fin

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