だいきらい!

七海みなも

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だいきらい!

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大好きな兄と2人、ソファに凭れてテレビを観ていると。
けほ——と、乾いた咳が聞こえてきた。
隣を見れば双子の兄—— 初芽はじめが、バツが悪そうに目を逸らす。
「初芽、風邪?」
「いや、喉がイガイガしただけ。風邪じゃねぇ」
「ほんとに? 隠してない? お薬飲む?」
「隠すって何だよ、ほんとに平気だって。薬も要らねえから」
「……後で悪くなったら、お部屋分けられちゃうよ? 一緒に寝られないよ? 俺、寂しいのやだよ。初芽は寂しくないの?」
「んぐ……っ」
矢継ぎ早に捲し立てれば、渋っ面は観念したように肩を落とし、
「……うがいして来る」
力無くソファを立った。
「ちゃんとうがい薬使ってね! お水だけじゃ駄目だよ!」
彼らしくない丸まった背中にそう投げれば、へいへい、と低い返事が返って来る。律儀である。その律儀さを、何故予防に使えないのか。
俺はお気に入りであるうさぎのぬいぐるみを抱き寄せ、溜息をついた。
——俺たち双子は、風邪が嫌いだ。大嫌いだ。
身体が辛いとか、薬が苦手だとか、そんな理由ではない。
「もうあんなのヤだよぅ……」
初芽の座っていた場所へ向かって、ぽすりと身体を横たえる。
苦い記憶は、今でも容易に思い出せる。
あれは小学校に上がって少し経った頃。梅雨の初めの事だった。

***

お気に入りのぬいぐるみと一緒に潜り込んだ2段ベッドの下段。ひとつの毛布に青と紫、2つの枕。見慣れた光景である。
「上段と下段、どちらを誰が使うかは、2人で話し合って決めてね」
そう母に言われた俺と初芽は、どちらからともなく顔を合わせると、ひとつ頷いた。
母の言いつけに対してではない。
「ひとつのベッドを2人で使えば良い」
という、俺たちが出した答えに対して、である。
以来、俺はお気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱えて、初芽は2人分の枕を抱えて、下段に潜るのが当たり前になったのだ。
いつも通り川の字の真ん中で寝ていた俺は、初めて感じる熱さに眼を覚ました。
「んぅ……う?」
半分こした毛布の中が妙に暑い。寝ぼけ眼で見上げたカーテンの向こうは未だ暗い。夜明け前だ。
変な時間に眼を覚ましてしまったと思いつつ、知らない暑さを逃がそうと、もそもそ寝返りを打った瞬間、
「ん……、ふたば……?」
寝起き特有の嗄れた声が俺を呼んだ。
「ごめんね、起こしちゃった?」
「いや、いい……」
「……初芽?」
彼らしくない、歯切れの悪い話し方に違和感を覚える。
いくら寝起きとはいえ、常ならこんな返しはしないはず。
闇に慣れつつある眼をそろりと初芽へ向ける。見遣った先には、暗闇でも判る程上気した頬。真っ赤に染まった柔いそれに驚き、俺は慌てておでこ同士をくっつけた。
「は、初芽!おでこ熱いよ!」
「う……、あたまいてぇ……」

「!」
大事件だ!


起き抜けにも拘わらず、てきぱきと処置をしていく母の後ろで、俺はぬいぐるみを抱え見守るしか出来なかった。
ぐったりとベッドに沈む初芽への心配と心細さ、そして何も出来ない自分の不甲斐なさに涙が溢れて止まらない。
「ふたば、なくな。すぐよくなるから、いまはちかよるなよ」
「ふぇ……ッ、ひっ……ぅ……、て、ぎゅってするのもだめ?」
「だめだ、ふたばにうつしたくねぇ。なおるまでここにくんなよ」
「んにゅ……でもぉ……」
「でも、じゃないの。風邪が治ったらまた遊べるから、今は駄目よ」
「あぅ……」
正論である。何も言い返せない俺は、大人しく従うより他にない。
去り際。初芽はぼんやりした眼で、それでも優しく笑って手を振ってくれた。
だから俺も一生懸命、手を振り返す。
初めて見る彼の弱々しい姿に、泣いて嘆きたいけど、我慢。だって今一番辛いのは俺じゃなくて初芽なんだから。
本当は近くで励まし、役立ちたいけれど。
「初芽、またね」
「……おぅ、またな」
ぱたん、と閉じられた扉は確かにいつも見ているそれなのに。
今は冷たく重厚な異物に見える。

***

リビングのソファーに座り、ぼんやりとテレビを眺める。
普段なら食い入るように観る番組が、今日は頭に入って来ない。
どうしてもテレビの右側に気が行ってしまう。
開きっぱなしの扉を出て左——階段を上がった突き当たり——子供部屋へ意識が行ってしまうのだ。
「初芽……元気になったかな……」
彼が発熱してから2日。未だ回復の報は無い。
お部屋、行きたい。
ちょっとだけでも良いから、初芽に会いたい。
「んぅ~……っ」
こんこんと湧き出て来る水源のように、胸の奥から強い願望が溢れて来る。
でも、駄目。今は駄目。
そう自分に言い聞かせ、お気に入りのぬいぐるみを抱え込む。
もふもふの兎に顔を埋めると、仄かに初芽の匂いがする。意識しなければ直ぐに消えてしまいそうなそれは、寂寞感を煽るに十分である。
「こんな近くに居るのに……」
一分とかからず会える距離に居るというのに。
ひとつ屋根の下にいるからこそ、彼を強く意識してしまうのだ。

階段へ続く廊下を見つめていても、淋しさが募るだけ。子供部屋への出入りを禁じられた俺は、看病すらまともに出来ないのだ。客間へ引っ込み本でも読むかと顔を上げた瞬間、
「!」
軽快な足音が2階から降りて来た。初芽の様子を見に行った母だ。
理解すると同時に、俺は大急ぎで廊下へ飛び出した。
「お母さん!」
「あら二葉ふたば、どうしたの?」
「初芽、元気になった?」
「んー、良くなって来たけど、もうちょっとかしらね」
「……そう……」
想像していた通りの返事に、俺は視線をぬいぐるみへ落とした。
もふもふの兎も、心なしかしょんぼりしているように見える。
いつまでも母を引き留めてはいけないと、客間へ行こうとしたその時、
「二葉。これから初芽のお粥を作るんだけど……卵割るの手伝ってくれる?」
「い、いいの!?」
「お手伝いだけね。まだ子供部屋には入っちゃ駄目よ?」
それでも良いかしら、と小首を傾げて伺う母に、俺は必死で頷いた。まだ会えなくても良い。初芽の為に何かしたかった。
卵を割るだけの簡単な作業であっても、ひとり悶々としているよりずっと良い。
俺は母に手招かれるまま、キッチンへ向かった。

***

おっかなびっくり割った卵で作った、卵粥。ふわふわ卵と出汁の香りが食欲をそそる。味見もばっちりだ。自画自賛になりそうだが、美味しいお粥が出来たと思う。
子供部屋に入れない俺は、小さく開けた扉の隙間から、ゆるりそろりと中を覗いた。
お外に居るから良いよね、とは言い訳である。解っているが、一目でいいから初芽の姿を見たかった。
ひとつ叶うともうひとつ、と欲張ってしまうのは人間の性である。
ベッド脇に腰を下ろした母が、横になっているのであろう初芽の顔を覗き込んで言った。
「初芽、お粥食べられそう?」

「ん、くえる」
「そう、良かった。今日のお粥はね、二葉も一緒に作ってくれたのよ」
「ふたばが……?」
初芽の声が僅かに明るさを増した。
たったそれだけの変化が、ひどく嬉しく感じる。
発熱した夜と違い、初芽は自力で起き上がると子供用の小さなお椀を受け取った。順調に回復しているようだ。
ハリネズミがプリントされたレンゲで掬ったお粥が、初芽の口に消えていく。初めて作った卵粥が消費されて行く光景は、妙な緊張感を生み、どきどきと胸が鳴る。
普段よりゆっくりと食事を進める彼の顔が、ふわりと綻ぶ。
「うまい」
「!」
柔らかくて温かい、大好きな初芽の笑顔だ。
嬉しい、

嬉しい。

嬉しい!
沢山の種類の嬉しいが胸から溢れて、全身を満たしてゆく。
表現できない感情に振り回される心を持て余した俺は、その場にぺたりと座り込み、うさぎのぬいぐるみをぎゅうぎゅう抱き締めた。
「んふふ……っ」
美味しいって。美味しいって笑ってくれた!
久し振りに見られた彼の笑顔か、それとも自分が手伝ったお粥を褒められた事か。
多分、両方。
溢れ溺れてしまいそうな『嬉しい』の奔流は、きっと両方から来るんだ。
ほわほわと熱くなった頬を抑えながら、再び部屋を覗き込むと——
——ぱち、と初芽と視線が絡んだ。
扉の隙間から見える初芽の顔は、ひどく優しく穏やかで。
俺を見つめる薄い唇が、
『ありがと』
と形を作った。

***

それから3日過ぎた朝。初芽が回復したと母から聞いた。
大急ぎで朝食を済ませてリビングから飛び出すと、風呂上りなのか、髪を湿らせた初芽が廊下の向こうから走って来る。
階段の方へ向けていた身体を、慌ててそちらに捻った途端、俺は力強く抱き締められた。
「んッ……ぅ、はじめ、元気になった?」
「おう、もう大丈夫だ。大丈夫、だから……」
「……?」
歯切れが悪い。短くもはっきり答える彼らしくないと眉を顰めるが、直ぐに理解した。
ゆっくりと、しかし確実に強まる腕の囲いが答えだろう。俺は彼の首元に顔を埋めながら、その背を両手で抱いた。
肩に感じる湿りはきっと、気のせいなんかじゃない。
俺にはお気に入りのぬいぐるみがいたけれど、彼は独り、病魔と戦っていたのだ。
寂しくないなんて、心細くないなんて、嘘だ。
久し振りのむぎゅむぎゅは少し力強くて苦しいけれど。石鹸の匂いに混じり漂って来る彼の香りと温もりに、俺は充足の息をついた。
こんなに大好きで大切な人と離れなきゃいけないなんて——。

風邪なんか大っ嫌い!
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