異・雨月

筑前助広

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第二回 淫夢

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 夢を見た。
 楊三郎と、初めて契りを結んだ夜の夢だった。
 布団から身を起こした睦之介は、全身に嫌な寝汗を感じた。
(何というものを見たのだ)
 夢だというのに、あの時の楊三郎の表情や吐息、肌の温もりまでもが、この身体に生々しく蘇ってくる。
 場所は、城下の西にそびえる一貴山いきさん。その中腹に打ち捨てられた廃屋だった。
 この日、睦之介は楊三郎に連れ立たされ、山頂にある不動尊を参拝していた。五日後に控えた御前試合の勝利を願う願掛けである。
 楊三郎は神仏への崇敬の念が篤い。睦之介はそれほどでもないが、足腰の鍛錬とばかりに同行したのだ。
 事件は、その帰りに起こった。
 山道を下っていると、獣臭を漂わす荒くれた二人の男に行く手を塞がれた。
 浪人である。月代と髭は伸び散らかし、羊羹色に垢染みた着流しを纏っていた。
 この二人が、追剥ぎだとは雰囲気で悟り、息を飲んだ。後で知った事だが、この追剥ぎは、〔一貴山の太郎次郎〕と呼ばれる賞金首だった。
「銭、着物、刀。全てを置いて消えろ」
 一人が言った。もう一人は、黄色い歯を剥き出して薄ら笑みを浮かべている。
「手荒な真似は望まん。素直に渡せばそれでいい」
 凄味のある脅し文句に、睦之介の肌が泡立った。荒稽古で有名な丹下流を学んでいるとは言え、悪党が放つ殺気は、道場で感じるそれとは比較にならなかったのだ。
 横目で楊三郎を一瞥する。さしもの美男子も、その表情は無様に引き攣っていた。
(どうするか)
 情けないが、頭には逃げる事しかなかった。相手は何度も実戦を経験している悪党である。勝ち目が見えず、逃げる他に術はない。ただ、どうしたら逃げ切れるのか。
 しかし、驚いた事が次の瞬間に起きた。
 楊三郎が、先に抜いたのだ。賊も手向かうとは思っていなかったのか、大いに笑って抜き払った。
「ここで逃げたら、剣を磨く意味がありません」
 楊三郎がそう言った。睦之介も腹を決めて一刀を抜いた。そう決められたのは、今になっても不思議に思う。おそらく、楊三郎に引けを取りたくないという気持ちがあったのだろう。
 闘争は無我夢中だった。どう避けて、どう防いで、どう斬ったかは覚えていない。ただ、身体が自然と動き、気が付くと一貴山の太郎次郎の骸が二つ転がっていた。
「こんなものか」
 人を初めて斬った。恐怖は感じたが、斬ってしまえば何という事もない。しかし、口火を切った楊三郎は違った。顔は蒼白になり、袴の色が湿って濃ものになっていたのだ。睦之介は、敢えて見ない振りをした。



 それから近くの小川で返り血を流していると、俄かに雨が降りだした。
 睦之介は廃屋を見つけ、未だ気が抜けている楊三郎の手を引いて駆け込んだ。
 樵が使う小屋だったのだろう。土間に囲炉裏、そして窓が一つだけある小さなものだった。
 暫く雨宿りを決め込んだが、次第に薄暗くなり、雨足は強くなる一方だったので、この日の下山は諦めた。
 その夜である。
 それぞれに雑魚寝していると、人の気配が近付くのを感じた。
 目を開けると、そこには楊三郎の顔があった。色白で、切れ長の目と豊かな頬持つ。唇が男にしては赤く、下唇だけが些か厚い。
 言葉はいらなかった。
 どちらからともなく唇が重なり舌を絡めると、楊三郎は雲雀ひばりのような声で鳴いた。
 全身が痺れるような快感だった。必死に動き、その瞬間が訪れた時は思わず背筋が伸びた程である。楊三郎の手並みは慣れたもので、おそらく自分以外の男とも関係を持った事があるのだと察した。
 十四歳で女を知った。相手は住み込みの、十歳も年上の女中だった。女は嫌いではなく、そこそこに溺れたが、楊三郎の身体は女以上のものがあった。
 睦之介は、夢中になっていた。男とか女とか、何故お前が? とか、そうしたものも考えなかった。ただ、楊三郎の名を呼びながら責め立てた。楊三郎も恥らいながらも、それに応じた。
 おそらく、初めて人を斬った恐怖からの解放が、淫らな情交にさせたのであろう。それとも、今まで親友だった関係の中で、知らず知らず抑えていた感情の爆発か。
 目が覚めると、楊三郎は腕の中で寝息を立てていた。
(愛おしい)
 今まで友だった男が。不思議な感覚だった。
 睦之介は視線を窓に向けた。雨だというのに、月が出ていた。思えば、この時から全てが始まった。それを思い出させた、淫夢だった。
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