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最終章 狼の贄

第一回 秋暑、午後の日①

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 一日に一度、昼餉の後に建花寺村をゆっくりと見て回る。それが、清記の日課になりつつあった。
 巡察というほど仰々しいものではないが、半刻で終わる事もあれば一刻ほどじっくり時を掛ける事もある。
 この日は秋とは思えない陽気で、まるで季節が巻き戻ったのではないかと錯覚しそうなほど晴れていた。

「代官様、こんにちは」

 家人が住まう武家地を抜けて村の中央へ至ると、寺子屋の帰りと思われる子供たちとすれ違った。清記は片手を挙げると、

「代官様ではなく、名前で呼んでおくれ」

 と、笑顔で告げ、一番小さな小僧の頭に手を置いた。
 この夏に、清記は父・悌蔵の隠居に伴って家督を継いだ。晴れて清記は内住郡代官、そして御手先役となったのだ。代官様と呼ばれるが、それは顔が見えない統治者のようで、清記は嫌だった。内住郡代官ではあるが、同じ地に生きる民として共に生きたいという思いがある。

「清記様、今日は朝から暑うございますね」

 次に声を掛けてきたのは、店先で水撒きをしていた旅籠の下足番である。かなりの老齢で、頭髪は既に抜け落ち、親指程度の髷を侘しく結っている。

「まるで夏だな、これでは」
「へぇ。左様にございます。こんな季節に暑気に当たったら笑えませんよ」
「くれぐれも無理をしない事だ」

 会話をそれで切り上げ、清記は再び歩き出した。
 建花寺村は広い。今まで見えなかったところまで見えるようになった。責任感がそう思わせるのかわからないが、家督を継ぐと村の見え方も変わった。
 この村は、内住郡内の十五ヶ村千五百余石の村政を司る要地である。代官所たる陣屋を中心に、家人が住まう長屋があり、建花寺流の看板が掛けられた剣術道場、そして小さいが居酒屋・一膳飯屋・旅籠・鍛冶屋・古着屋・よろず屋と商店が軒を連ね、それを囲むように百姓屋が広がっている。
 代官所が置かれた村にしては、それなりに発展している。旅人や行商、江戸へと上がる武士が立ち寄る事も多く、銭を落としてくれるのだ。これは、江戸への街道が近くを通ってる恩恵である。しかし、清記はもっと村を発展させたいと考えていた。
 寺小屋を増やす。今の規模では村全体の子供を見る事が出来ないのだ。次に医者を招いて、療養所も設けたい。医者の給金は平山家が支払い、内住郡の民なら費用は掛からないような仕組みに出来ないかとも考えている。
 建花寺村が上手くいけば、これは郡内全体に広げていきたい。内住郡を幾つかの区画に分け、中心となる村を定める。そして、その村から整備をしていく。下役を常駐させて、指図をさせるのだ。
 やりたい事は山の様にある。実現するかどうかは別にしても、色々と見習い時代に考えていた。ただ、それに対してどう動くべきかがわからない。民政や商業について、清記はずぶの素人である。その辺りは学ぶつもりであるし、陣内に口利きをしてもらい、穂波郡代官の藤河雅楽に教えを乞う予定にしていた。

(内住郡を豊かにする。その為には建花寺村を大きくする事が肝要だ)

 父や先祖達の治政を否定する気は毛頭ないが、清記は内住郡代官の職責を全うし結果を藩庁に認めてもらう事で、御手先役に掛かる費用を自弁から支給へと変えてもらおうと考えている。
 御手先役を全うするには、それなりの費用が掛かる。人を使うのにも、情報を聞き出すのにも銭を使い、それが重なると当然として嵩む。その代わりに、殺しを銭で請け負う始末屋稼業をしているのだが、それが清記は心底嫌いだった。
 先日も、夜須藩の御用商人・大角屋徳五郎から請け負った仕事ヤマで、人を一人斬っていた。
 相手は隣藩である深江藩の商人で、かつては盗賊をしていた男だった。どの筋から依頼されたものか知る由もないが、徳五郎曰く

「この世に生きていちゃいけない男」

 なのだそうだ。もとより御手先役と違って、徳五郎が持ってくる仕事ヤマは悪人を殺すものが多い。本当に悪人なのかどうかは知らないが、徳五郎自身が殺しの標的マトは悪人と決めているようだ。ただ全てがそうではない。その場合は、

「どうも、これは義理で受けなきゃならない筋の仕事ヤマでしてねぇ」

 と、言葉を濁す。
 だから、清記は始末屋稼業というものが嫌だった。御手先役とは違い、これは自分がしなくてもいい殺しだと思ってしまう。
 ただ、今回の報酬は多少の色が付いていた。徳五郎はご祝儀代わりだと言っていたが、今の台所事情ではありがたかった。
 通りにを抜けると、村の入り口となる木戸門に行き当たった。
 此処では平山家の家人が、八角棒を手に門番役をしている。日がな一日立っておかなくてはならないし、かと言って変事には即応しなければならないので気も抜けない。清記は何度かしてみたが、大変疲れるものだった。
 門番役の家人に軽く声を変け、清記は村を出た。
 建花寺村の周りは、田畠である。そこでは、百姓達が忙しそうに米の収穫に勤しんでいる。大人だけではなく、寺小屋が終わった子供も駆り出されている。しかし子供はすぐに遊ぼうとし、その都度に雷が落ちていた。

「無理もあるまい」

 清記は独り言ちに呟いた。
 もうすぐ年貢の徴収がある。勿論、忙しいのは百姓だけではない。代官所下役達も、毎日遅くまで残って筆仕事をしている。
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