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第五章 男と見込んで

最終回 男と見込んで①

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 集落ムレへと続く吊り橋が見えてきた。

「あれを渡ればすぐだ」

 一行を先導する伏は、こちらを振り返って指差した。
 それを聞いて、陣内があからさまな安堵の表情を浮かべた。廉平も東馬も、陣内ほどではないが自然と笑みがこぼれている。
 かやの森から山に分け入って、一日と半日以上。明るいうちは、殆どを歩き通しであり、その行程は大変厳しいものだった。普段から剣術で足腰を鍛えている陣内や東馬ですら何度か足を取られそうになり、目尾組の廉平に至っては、

「山野を歩く術は我々以上だ」

 と、感嘆していたほどだった。
 これで鬼のような行軍が終わる。皆の表情に喜色が浮かんだのを読み取った伏が、鼻を鳴らした。

「山人の足ならば、一日もかからん距離だ。そして、我々は夜でも歩く」

 その言葉に皆は顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。
 集落ムレでは、実経率いる賊達を迎え撃つ準備を既に終えていた。
 女や子供・老人などの避難を終え、至る所に仕掛けた罠も完成している。

「こういう世界があったとはな」

 集落ムレに入ると東馬がそう言い、陣内が頷いた。この二人にとって山人の集落ムレは、まったく縁のない珍しいものだった。それは無理もない事だと思う。多くの里の者にとって、集落ムレというものは死ぬまで関わる事がない場所であり、特に城下に住む東馬にとっては異界にしか映らないだろう。

「今度は、平穏な時に行きたいものですな、東馬殿」

 陣内が隣りを歩く東馬に話しかけた。廉平を含めた三人は、ここまでの道中で随分と打ち解けている。

「ああ、その通り。山人の娘は美人が多いと聞いた。そっちもじっくり見聞したいものだ」
「確かに」

 集落ムレに残ったのは、戦う男衆と偽装の為に残った妻ばかりだ。若い女は、顔に煤を塗って今頃は洞穴の中である。

「しかし、俺はあの伏って女でもいいぞ」
「確かに目鼻立ちは、はっきりとしていますね」
「女丈夫だが、そこがいいな」

 すると、伏が振り向きざまに拳を放った。東馬がそれを片手で掴む。掌を拳で打つ凄まじい音が鳴ったが、東馬は平然としていた。

「やるじゃないか、あんた」
「俺は清記に勝った男だぜ? 今はわからんがね」
「へぇ、それは興味深い。あたしをモノに出来る男は、あたしより強い男ではないと駄目なのさ」
「因果なものだ。俺の近くにも似たような女がいるよ」

 不意に、伏の身体が視界から消えたと思ったら、身を屈めて東馬の足を蹴りで払おうとしたようだ。しかし、東馬はひょいっと跳躍して風のように躱した。

「何をしている」

 声がした方へ目を向けると、雉之助が男衆を引き連れて、こちらへ向かってきていた。

「あたしは何もしてないよ。じゃれ合っただけさ」
「本当か? 客人に無礼な真似はするなよ」
「はいはい」

 伏が退いたので、東馬も肩を竦めてみせた。

「清記、やっと来たのか。待っていたぞ」
「ああ。それに、少ないが助っ人も連れてきた」
「助っ人か。話には聞いている」

 雉之助が一瞬だけ渋い顔をした。山人は里の者を信用していない。その気持ちはわかるが、相手の人数を考えれば、味方は多い方がいい。それは雉之助も理解していて、許可は得ている。

「我々の為に、助太刀してくださると聞いた。改めて長老オサから礼があるだろうが、俺からも礼を言う」

 雉之助が頭を下げると、清記が一人ずつ紹介した。
 東馬の番になると、雉之助が真剣な面持ちになって向かい合った。

「あんたかい、俺の娘と小競り合いをしていたのは」
「娘? すると、あなたが伏さんの……」

 雉之助がこくりと頷くと、東馬があからさまにバツの悪そうな表情を浮かべた。

「若いの、うちの娘に手を出すとは良い度胸だな」
「それは当然ですよ、義父上ちちうえ殿。伏殿は美人ですし、気立てがよい上に、勝気の性格が何とも愛らしい。里にはいませんよ、こんな素晴らしい女性は」
「お前、女を見る目あるな」

 東馬のおべんちゃらに、雉之助はすっきり気を良くしたようだ。当の伏は白々しい目を向けている。
 こうした距離を詰める東馬の呼吸は、流石と言わざる得ない。天性の陽気な性質は、陰気な自分には真似できないものだ。

「一つだけ注意しておくけど、山人の暮らしを珍しがって勝手に歩き回るんじゃないよ」
「何故?」

 伏の一言に、陣内が訊いた。

「あちこち罠だらけだからさ」

 その時、背後で悲鳴が聞こえた。振り返ると、廉平がぽっかりと開いた穴の前で尻餅をついていた。

「だから言ったじゃないのさ」
「ひゃぁ、こいつは危なねぇ……」

 廉平が青ざめた顔をしいている。何しろ、穴の底には糞を塗りたくった竹槍が、待ち構えていたからだ。流石は山人の罠だ。目尾組である廉平すら、気付かなかった。
 腰を抜かした廉平に伏が歩み寄り、力いっぱいに引き起してやった。

「もう無闇に歩き回るじゃないよ。お前達も危険だが、罠だって仕掛け直さなきゃいけないんだからね」

 伏に言われ、廉平は頭を掻いた。
 それから清記達は、実平に面会した。実平は助っ人として連れてきた三人を見て頷くと、深々と頭を下げた。そして起居する為の小屋を一つ与えられた。
 廉平は、

「早速ですが、あっしは物見に行ってきやす」

 と、道案内に雉之助が選んだ山人と共に偵察に出た。昨日、実経がいよいよ下野に入ったという報せを受けての事だった。
 その夜は用意された小屋で、伏の手料理が振る舞われた。本当は雉之助が宴を開こうと言ったが、事が終わるまではと断ったのだ。
 山菜で炊いた飯に、塩を塗して焼かれた獣肉が出された。飯も肉も、ほおの木の葉に乗せられている。

「どうだい? 山人の飯は。旨いだろう?」

 伏が腕を組んだまま訊いた。

「山菜にしても、獣肉にしても、これが何なのか何一つわからん。だが、絶品だ」

 答えたのは東馬だった。肉は切り分けられて出されたので、これが何なのかわからない。鶏とも鹿とも猪とも違う。思い浮かぶものはあったが、清記は敢えて口に出さなかった。

「へぇ。あんた見所があるね。働き次第では、あんたを山人にしてやってもいいよ」
「おお、そいつは嬉しいね。なんなら、お前さんを妻にしたいのだがね」

 すると伏は、柄にもなく頬を赤らめ、

「それはあたしに勝ったらだよ」

 と嘯き、東馬は膝を叩いて笑った。
 東馬は酒も飲んでいないのに、妙に陽気だった。そして、飯の食い方は性格に似合わず上品である。そこ辺りは、名門の御曹司という所だろう。その横では、獣肉好きの陣内が無心で肉を頬張っている。口の周りを脂でてからせて、器用に小さな骨を吐き出している。

「おい、陣内。旨そうな喰いっぷりだな」
「いやはや。東馬殿、私はこれに目が無くて」
「酒がありゃ最高なのだがな」
「ええ」

 全てを平らげた陣内は、名残惜しそうに指についた脂を舐めている。東馬がその様子に笑い、清記も釣られていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 翌朝、廉平が若者を連れて戻って来た。

集落ムレが一つ襲われた。伴清友ばん きよとも様の集落ムレだ」

 全員が集まった実平の小屋で、廉平に付き従った若者が言った。

「それで集落ムレの皆は?」

 雉之助が訊いた。

「息があったのは二人。でも、すぐに……」
「皆殺しにしやがったか」

 若者の話によれば、遠野の集落ムレへ案内するように命じたらしいが、その要求を拒むと問答無用で襲われたという。

「それで、賊については何かわかったか?」
「賊の数は三十三」

 今度は廉平が答えた。

「禍々しい気配を感じましたんで、あっし一人で後を追いやした。何処で野営しているかも掴んでおりやす」
「流石だな。他には?」

 話し合いを主導しているのは、雉之助だった。伏も口を出す事もあるが、長老オサである実平は任せたかのように、黙って聞いている。

「飛び道具は持っておりやせん。刀や槍だけでさ。ただ、殺しに慣れておりやすね」

 殺しに慣れている。その言葉に動揺が走ったが、雉之助が片手を挙げて鎮めた。

「恐れる事はない。こちらには名うての剣客がいる。それに我らの弓は、誰にも避けられぬぞ」

 清記は頷き、地図を広げた。集落ムレの見取り図だ。そこには罠の場所や、抜け道、それぞれの持ち場が書き込まれている。
 その地図に碁石を置いて説明した。味方は白で、敵は黒。自分達は集落ムレの広場で、賊を待ち受けるように待機し、山人は到る所に潜ませるつもりだった。

「とりあえず、俺達は斬って斬って斬りまくればいいわけだな」

 東馬は嬉々として呟いた。どうも、この状況を楽しみにしている風もある。一方の陣内は、やや緊張気味だった。それがどうも清記の心に引っ掛かる。

「問題は、ここからです。賊らをどうやって集落ムレに引き込むか。以前も申し上げましたが、囮を立てるという手が一番効果的です。ただ……」
「人選は、我々に任せてもらおう」

 と、実平が割って入った。既に人選は終え、合図を出すだけらしい。

「囮は危険です。命は無きものと思わねばなりません。私か廉平が適任かと思いますが」
「いいのだ、我々が引き受ける。廉平殿。賊の居場所を教えていただけるかな?」
「へぇ、わかりやした」

 実平はそれ以上は言おうとはせず、雉之助も伏も目を伏せたままなので、清記は口を噤んだ。
 それからも、話し合いは暫く続いた。散会になった後、廉平だけが実平と雉之助に残された。賊の居場所を教えるのだろう。
 東馬は外で刀を振ると言って出掛けたが、陣内は小屋に帰って暫く寝ると言った。
 清記は罠の見取り図を片手に集落ムレの周囲を見て回って、戻る事にした。罠の数は、大小合わせて数える事が出来ないほど多い。

「よう」

 小屋の前で東馬に、声を掛けられた。ちょうど刀を収めたところだった。

「どうだ、一手」

 と、刀の柄をぽんと叩いた。

「遠慮します。東馬殿とは本気になりそうですから」
「へっ、違いないな。賊退治なんてそっちのけになりそうだ」

 小屋の戸を開けると、陣内が背を向けて横になっていた。

(陣内……)

 その肩が微かに震えているのを見て、清記は誘った事に後悔を覚えた。
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