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第五章 男と見込んで
第三回 助っ人②
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伏の案内で、幾つかの山を登り谷を越えると、集落と呼ばれる彼らの居住地に辿り着いた。
渓流の側。簡易的な吊り橋が掛かっていて、それを渡ると、集落である。
位置としては内住郡の八木連山のどこかだろうが、正確にはわからない。そもそも、夜須藩なのかも疑わしい。それほど、山人の世界は山の深部にあり、世間とは隔絶されている。此処に来るまでにも、余りの険しさと深さに方向感覚が狂ったほどだ。深山幽谷とはまさにこの事で、伏達がいなければ、到底たどり着けない場所であろう。
集落の中心には、簡単な小屋が二つ並び、それを囲むように竹で骨組みされた天幕が幾つも並んでいた。
天幕に住んでいるのは、移動を考えての為だ。岩衆である伏たちは、季節によって移動して居住地を変える。
その集落は、一見して平穏に見えた。男は獣皮を鞣し、女は竹細工に励む。手伝いをする子どももいれば、やんちゃに遊ぶ者もいる。中には、清記の側に寄ってくる子どももいた。物珍しいのだろう。清記は、その子どもの頭を撫でてやった。
「穏やかな様子じゃないか」
「そうだろ? だから守らなきゃいけないのさ」
牧歌的な光景だった。これを揺るがす者がいるのだろう。そうであるならば、何とか手を貸してやりたいとは思う。
「清記」
歩いていると、声を掛けられた。声の方へ目を向けると、猪を解体していた男達の中から、痩せた禿頭の男が進み出た。
「雉之助殿」
清記は、その名を呼んだ。
伏の父親であり、次の長老になるのでは? と、目されている、男衆のまとめ役である。五年前、村で暴れていた伏を迎えに現れたのも、雉之助だった。
しかし、以前に比べて随分と痩せた気がする。老いのせいかと思ったが、顔色の悪さを見れば、それだけではなさそうだ。
「久し振りだな、清記。一端の面構えになった気がするぞ」
「江戸で鍛えられました」
「そうか。此処に来たという事は、伏に話を聞いたという事だな?」
清記は頷いた。
「そうか。長老が、お前を待っているよ」
長老の名前は、遠野実平という。長老だけが武士風の姓名を名乗るのは、山人の風習らしい。その理由まではわからないが、長老を継げば、武士風の名乗りに変えるという。
そして、この集落は遠野の名を冠して、遠野集落とも呼ばれている。
「久し振りですね、実平殿にお会いするのは」
「多少老いたが、相変わらずだ」
実平と初めて会ったのは、十歳になるかどうかの頃だった。父に連れられて挨拶したのだが、その頃の実平は、既に老いを見せていた。
「此処からは一人だ」
実平は、集落の中心にある高床の小屋にいる。その小屋への梯子の前で、伏が言った。
清記は頷き、梯子を登った。
実平は、毛皮の敷物の上に座していた。
髪は既に白く、日に焼けた肌には皺が目立つようになっている。それでも、長老の印である浅葱色の勾玉の鮮やかさは、昔と変わらない。
「よく来たな、里の者よ」
「御無沙汰しております」
「男の顔になった。以前に会った時は若造だったが」
「今も若造ですよ」
清記は、深々と頭を下げた。武士と山人には身分の上下は無い。そう清記は思っている。
「悌蔵殿はご健勝か?」
「ええ。しかし、最近は腰が痛い、肩が痛いなどぼやいております」
「ふふ。お互い歳だからの」
父と実平の関係はわからない。訊いた事もないが、口調の端々には親しみを覚えなくもない。
「して、清記よ。身内の恥を晒すようだが、おぬしの力を貸して欲しい思い、伏を遣わした」
「私はあなた方を善き友人、善き隣人と思っております。故にお困りならば、喜んで協力いたします。ですから、まず何があったのか、お話をしてくださいませんか」
「そうか。雉之助も伏もお前に何も言わなかったのだな」
と、実平はポツポツと語り出した。
実平には数名の息子がいたが、最初の子は椋助と言った。
椋助は実平に似て勇気があり、荒々しくも逞しい男に成長した。武芸の腕も立ち、一振りの山刀で熊を仕留め、時には集落を荒らしに来た山賊も打ち倒した事もあったという。
椋助は実力と勇気を兼ね備えていたが、一方で野心家でもあった。実平の後を継いで、長老たらんと欲したのだ。
しかし、山人には厳しい掟がある。その中の一つに、長老の跡目を子や孫に継がせる事を禁じたものがあった。
実平は掟に則り、反対した。それだけではなく、集落の全員が掟に背くと、痛烈に非難した。
それでも、椋助は平然としていた。ある程度の非難は予想していただろうし、支持する仲間もいたそうだった。椋助は掟に縛られず、能力がある者が上に立つべきだと、何度も訴えた。
しかし、実平は譲らなかった。ここで譲れば、一族全員が集落を追放される恐れがあるからだ。
そして実平は、次の長老に兎乃丸という青年を指名した。兎乃丸も椋助に劣らぬ、逞しい男だった。
次の長老候補が兎乃丸に決まると、状況が一変した。今まで椋助に従ってきた子分や愛する女までも、兎乃丸に靡いたのだ。
その事で椋助は山人というものに絶望したのか、兎乃丸を殺害し集落を飛び出してしまった。
「椋助が遠野実経と名を変え、里の者として生きているという噂は聞いていた。その噂から二十年近く、何の話も聞かなかった。もう、どこぞで死んだのだと思い定めていた」
「生きていたのですね」
実平が頷いた。
「そうだ。それも、椋助は……いや実経は、賊の親玉に成り下がっておったわ」
実平は、吐き捨てるように言った。山人から賊になる者はいる。それは山人にとって、最も恥ずべき行為であり、身内から賊を生んでしまった事が、実平には許せないのだろう。
「山を降りてから、どこぞの武家に仕えたそうだが、素行の悪さから家を追い出されたらしい。それから破落戸のような生活を続け、賊にまで身を落としたという事だろう。その実経が戻ってくる。三日前、各地を放浪する風衆が、慌てて報せてきてくれたのだ」
「復讐ですか」
「この集集落を奪う為だろう。上州では、幾つかの山人の集落を襲ったそうだ。三十は下らぬ数でな。そこで自分は〔山人の王〕になるとも、ほざいていたそうだ」
「山人の王とは、また」
「我らは、人別帳外の者。何があろうと、里に影響がない限りは、藩庁は知らぬ存ぜぬだ。だが、実経の狙いはそこだろう。藩庁が動かぬ事を利用して、山人を支配する気だ」
「それで、私に実経を斬れと」
実平が、深く頷いた。
「山人の事だ。里の者を巻き込むわけにはいかぬと思ったが、実経は里で剣術を学び、直心影流というものを極めたという。弓矢にかけて負けぬとは思うが、剣となっては我らでは太刀打ち出来ぬ」
そう言うと、実平は布の袋を差し出した。
「勿論、ただでとは言わん。報酬も準備しておる」
「いえ、それは受け取れません」
と、清記は布袋を一瞥した。
「山人の事は我々の範疇にございませんが、この内住に山賊が侵入する事を見過ごすわけにはいきませぬ」
「だとて、代官所は動かぬだろう。悌蔵殿も」
父は動かない。きっと話しても、
「山人の事は放っておけ」
などと言うだろう。お互いに見知っていて、それでいて干渉しなければいい、と思っているのだ。
「ええ、残念ながらそうでしょう。ですから、これは私個人として動くつもりです」
父にも任せたと言われている。任せたのなら、自分の決断を信じる他にない。
「そうか。やってくれるか」
だが、賊の数は多くて三十人以上。実平が言うには、山人の男衆も一緒に戦うというが、かなり厳しい戦いになるだろう。
実平が雉之助と伏、そして男衆を小屋に呼び、清記も戦いに参加する事を告げた。
「おお」
男衆に喜色が浮かぶ。山人の間でも、平山家が建花寺流で身を立てている事は有名なのだ。一方の雉之助は深く頷き、伏は当然と言う表情だった
「実平殿。実経はいつ此処へ?」
「わからん。あやつが居た頃とは、この集落の場所は変わっておる。探すにしても、里の者となった実経が、容易に辿り着けるとは思えんし、賊は大所帯だ」
「では、案内役を用意するかもしれませんね。別の集落一つ襲って」
「それは考えられる」
「私が思うに、撃退するだけでは足りません。実平殿の前で悪いのですが、実経は斬らねばならない男です。生かせば、必ず禍根を残します」
「では、どうしたらいいんだい?」
伏が身を乗り出した。清記はやや俯き、暫く沈思した。
相手は耐えず移動している。ならば、こちらから打って出るという事は難しい。移動中の賊を捕捉次第、攻撃を仕掛ける。しかも離れたところから攻撃出来る、弓を使って。これがいいかもしれないが、全滅出来なければ賊は警戒するだろうし、実経も手を講じてくるだろう。
一度で決めたい。一度で実経を斬り、賊を殲滅する。
「何か名案はあるのか?」
更に、雉之助が訊いた。
「名案かどうかはわかりませぬが、これが効果的である事は間違いありません。ただ、集落が荒らされるのは覚悟しなければならん」
「それは構わん。集落は幾らでも作れる。長老もそう思うでしょう?」
雉之助の言葉に、実平は黙って頷いた。細かいところは任せる。そんなつもりなのかもしれない。
「そうですか。私は、此処に賊を誘き寄せ、鏖殺するべきと考えています」
「皆殺しか? そう簡単に言ってくれるがねぇ」
伏が口を挟んだ。清記がひと睨みすると、伏は肩を竦めた。
確かにそうだ。言うは易し。しかし、そこまでの強い意志がなければ、打ち勝つ事は出来ない。手を出したら死ぬ。賊にそう思わせねばならないのだ。
「集落全体に、幾つかの罠を仕掛けます。奴らが集落に侵入したら、外へと逃がさぬようにするもの。そして、殺傷能力が高い罠で賊を仕留めるもの。山人は里の者では気付かない、巧妙なものを簡単に作れると聞きました。その力を活かす時かと」
皆が頷く。猪用の罠を大きくする、それだけでも十分だという声も挙がった。
「それと、弓だ。禽獣に比べれば、人間を狙う事など容易かろう。ましては、相手は里の者だ。それで援護して欲しい」
男衆がどっと沸いた。彼らの自尊心を刺激するような言い方を敢えてしたのだが、それが効果的だったのだろう。実経ら賊達に最も有効なものは、彼らの戦う意思なのだ。
「待て、清記。あたしらは弓だけかい? 斬り合いにだって参加するよ」
伏の言葉に、男衆が黙った。そして、それに追従するように、口々に同意の言葉を並べている。
この遠野集落では、雉之助の指導力と伏の腕っぷしが認められた存在という事がありありと伝わってくる。
「それは私が引き受ける。武士は刀、山人は弓。お互い得意な得物で戦うべきだ」
「確かにな。清記の剣に比べりゃ、俺達なんざ赤子も同然。それに、鹿や猪を仕留める俺達の弓だ。人間なんざ、どうって事はない」
雉之助の一言で、伏や男衆が頷いた。どうやら異存は無さそうだ。
「ただ問題は、女や子供だ。戦えぬ者を巻き込めない」
「あたしは戦うぞ」
伏が膝を叩いた。清記は咄嗟に
「女丈夫は別だ」
と、言うと笑いが起こり、伏はぶすくれて腕を組んだ。
「実平殿。何処か避難する場所はございませぬか?」
「ふむ。それなら、手頃な岩窟が北にある」
「では、そこへ。ですが、全員とはいきません。少なくとも数名の女は必要でしょう」
「何故じゃな?」
「女の姿が見えないとなると、相手は警戒するでしょうから。ただ、戦闘が始まれば、真っ先に逃げてもらいます」
「なるほど」
「なので、安全に逃がす算段も必要です。誰か考えてくれる者はいませぬか?」
そう問うと、すぐに手が挙がった。また、集落に残る女は、ここにいる者の妻という事になった。伏も手を挙げたが、彼女には一隊を率いてもらうつもりだった。
「明日から準備を始めましょう、実平殿。万が一、我々が敗れた場合には建花寺村へと逃れる手配もしておきます。幾ら山人が里の者の範疇になかろうと、平山家の御曹司が死ねば、父も無関係とは言えませぬからな」
全員が頷いた。
「ですが最も肝要な事は、実経を此処に引き込む事。これが出来なければ、次の手を考えなければなりません」
「それは儂に任せておけ」
実平が、細い目を見開いた。
「実経が何処にいるかもわからんが、この下州に入ればすぐに掴めるよう、他の集落に連絡を出しておく。その時に誘き出せるような手を含めてな」
話し合いは暫く続き、小屋を出たのは日が暮れかかった頃だ。
山賊は三十人。罠と山人の弓があったとして、残りを斬るのはかなりの骨だ。
(助っ人を頼むか……)
そう言って、浮かぶ顔は少ない。何せ、この泰平で人を斬った者など少ないのだ。
飯が出来たと、女の声が聞こえた。雉之助の妻だ。今日は此処で泊まる事になっている。
〔第三回 了〕
渓流の側。簡易的な吊り橋が掛かっていて、それを渡ると、集落である。
位置としては内住郡の八木連山のどこかだろうが、正確にはわからない。そもそも、夜須藩なのかも疑わしい。それほど、山人の世界は山の深部にあり、世間とは隔絶されている。此処に来るまでにも、余りの険しさと深さに方向感覚が狂ったほどだ。深山幽谷とはまさにこの事で、伏達がいなければ、到底たどり着けない場所であろう。
集落の中心には、簡単な小屋が二つ並び、それを囲むように竹で骨組みされた天幕が幾つも並んでいた。
天幕に住んでいるのは、移動を考えての為だ。岩衆である伏たちは、季節によって移動して居住地を変える。
その集落は、一見して平穏に見えた。男は獣皮を鞣し、女は竹細工に励む。手伝いをする子どももいれば、やんちゃに遊ぶ者もいる。中には、清記の側に寄ってくる子どももいた。物珍しいのだろう。清記は、その子どもの頭を撫でてやった。
「穏やかな様子じゃないか」
「そうだろ? だから守らなきゃいけないのさ」
牧歌的な光景だった。これを揺るがす者がいるのだろう。そうであるならば、何とか手を貸してやりたいとは思う。
「清記」
歩いていると、声を掛けられた。声の方へ目を向けると、猪を解体していた男達の中から、痩せた禿頭の男が進み出た。
「雉之助殿」
清記は、その名を呼んだ。
伏の父親であり、次の長老になるのでは? と、目されている、男衆のまとめ役である。五年前、村で暴れていた伏を迎えに現れたのも、雉之助だった。
しかし、以前に比べて随分と痩せた気がする。老いのせいかと思ったが、顔色の悪さを見れば、それだけではなさそうだ。
「久し振りだな、清記。一端の面構えになった気がするぞ」
「江戸で鍛えられました」
「そうか。此処に来たという事は、伏に話を聞いたという事だな?」
清記は頷いた。
「そうか。長老が、お前を待っているよ」
長老の名前は、遠野実平という。長老だけが武士風の姓名を名乗るのは、山人の風習らしい。その理由まではわからないが、長老を継げば、武士風の名乗りに変えるという。
そして、この集落は遠野の名を冠して、遠野集落とも呼ばれている。
「久し振りですね、実平殿にお会いするのは」
「多少老いたが、相変わらずだ」
実平と初めて会ったのは、十歳になるかどうかの頃だった。父に連れられて挨拶したのだが、その頃の実平は、既に老いを見せていた。
「此処からは一人だ」
実平は、集落の中心にある高床の小屋にいる。その小屋への梯子の前で、伏が言った。
清記は頷き、梯子を登った。
実平は、毛皮の敷物の上に座していた。
髪は既に白く、日に焼けた肌には皺が目立つようになっている。それでも、長老の印である浅葱色の勾玉の鮮やかさは、昔と変わらない。
「よく来たな、里の者よ」
「御無沙汰しております」
「男の顔になった。以前に会った時は若造だったが」
「今も若造ですよ」
清記は、深々と頭を下げた。武士と山人には身分の上下は無い。そう清記は思っている。
「悌蔵殿はご健勝か?」
「ええ。しかし、最近は腰が痛い、肩が痛いなどぼやいております」
「ふふ。お互い歳だからの」
父と実平の関係はわからない。訊いた事もないが、口調の端々には親しみを覚えなくもない。
「して、清記よ。身内の恥を晒すようだが、おぬしの力を貸して欲しい思い、伏を遣わした」
「私はあなた方を善き友人、善き隣人と思っております。故にお困りならば、喜んで協力いたします。ですから、まず何があったのか、お話をしてくださいませんか」
「そうか。雉之助も伏もお前に何も言わなかったのだな」
と、実平はポツポツと語り出した。
実平には数名の息子がいたが、最初の子は椋助と言った。
椋助は実平に似て勇気があり、荒々しくも逞しい男に成長した。武芸の腕も立ち、一振りの山刀で熊を仕留め、時には集落を荒らしに来た山賊も打ち倒した事もあったという。
椋助は実力と勇気を兼ね備えていたが、一方で野心家でもあった。実平の後を継いで、長老たらんと欲したのだ。
しかし、山人には厳しい掟がある。その中の一つに、長老の跡目を子や孫に継がせる事を禁じたものがあった。
実平は掟に則り、反対した。それだけではなく、集落の全員が掟に背くと、痛烈に非難した。
それでも、椋助は平然としていた。ある程度の非難は予想していただろうし、支持する仲間もいたそうだった。椋助は掟に縛られず、能力がある者が上に立つべきだと、何度も訴えた。
しかし、実平は譲らなかった。ここで譲れば、一族全員が集落を追放される恐れがあるからだ。
そして実平は、次の長老に兎乃丸という青年を指名した。兎乃丸も椋助に劣らぬ、逞しい男だった。
次の長老候補が兎乃丸に決まると、状況が一変した。今まで椋助に従ってきた子分や愛する女までも、兎乃丸に靡いたのだ。
その事で椋助は山人というものに絶望したのか、兎乃丸を殺害し集落を飛び出してしまった。
「椋助が遠野実経と名を変え、里の者として生きているという噂は聞いていた。その噂から二十年近く、何の話も聞かなかった。もう、どこぞで死んだのだと思い定めていた」
「生きていたのですね」
実平が頷いた。
「そうだ。それも、椋助は……いや実経は、賊の親玉に成り下がっておったわ」
実平は、吐き捨てるように言った。山人から賊になる者はいる。それは山人にとって、最も恥ずべき行為であり、身内から賊を生んでしまった事が、実平には許せないのだろう。
「山を降りてから、どこぞの武家に仕えたそうだが、素行の悪さから家を追い出されたらしい。それから破落戸のような生活を続け、賊にまで身を落としたという事だろう。その実経が戻ってくる。三日前、各地を放浪する風衆が、慌てて報せてきてくれたのだ」
「復讐ですか」
「この集集落を奪う為だろう。上州では、幾つかの山人の集落を襲ったそうだ。三十は下らぬ数でな。そこで自分は〔山人の王〕になるとも、ほざいていたそうだ」
「山人の王とは、また」
「我らは、人別帳外の者。何があろうと、里に影響がない限りは、藩庁は知らぬ存ぜぬだ。だが、実経の狙いはそこだろう。藩庁が動かぬ事を利用して、山人を支配する気だ」
「それで、私に実経を斬れと」
実平が、深く頷いた。
「山人の事だ。里の者を巻き込むわけにはいかぬと思ったが、実経は里で剣術を学び、直心影流というものを極めたという。弓矢にかけて負けぬとは思うが、剣となっては我らでは太刀打ち出来ぬ」
そう言うと、実平は布の袋を差し出した。
「勿論、ただでとは言わん。報酬も準備しておる」
「いえ、それは受け取れません」
と、清記は布袋を一瞥した。
「山人の事は我々の範疇にございませんが、この内住に山賊が侵入する事を見過ごすわけにはいきませぬ」
「だとて、代官所は動かぬだろう。悌蔵殿も」
父は動かない。きっと話しても、
「山人の事は放っておけ」
などと言うだろう。お互いに見知っていて、それでいて干渉しなければいい、と思っているのだ。
「ええ、残念ながらそうでしょう。ですから、これは私個人として動くつもりです」
父にも任せたと言われている。任せたのなら、自分の決断を信じる他にない。
「そうか。やってくれるか」
だが、賊の数は多くて三十人以上。実平が言うには、山人の男衆も一緒に戦うというが、かなり厳しい戦いになるだろう。
実平が雉之助と伏、そして男衆を小屋に呼び、清記も戦いに参加する事を告げた。
「おお」
男衆に喜色が浮かぶ。山人の間でも、平山家が建花寺流で身を立てている事は有名なのだ。一方の雉之助は深く頷き、伏は当然と言う表情だった
「実平殿。実経はいつ此処へ?」
「わからん。あやつが居た頃とは、この集落の場所は変わっておる。探すにしても、里の者となった実経が、容易に辿り着けるとは思えんし、賊は大所帯だ」
「では、案内役を用意するかもしれませんね。別の集落一つ襲って」
「それは考えられる」
「私が思うに、撃退するだけでは足りません。実平殿の前で悪いのですが、実経は斬らねばならない男です。生かせば、必ず禍根を残します」
「では、どうしたらいいんだい?」
伏が身を乗り出した。清記はやや俯き、暫く沈思した。
相手は耐えず移動している。ならば、こちらから打って出るという事は難しい。移動中の賊を捕捉次第、攻撃を仕掛ける。しかも離れたところから攻撃出来る、弓を使って。これがいいかもしれないが、全滅出来なければ賊は警戒するだろうし、実経も手を講じてくるだろう。
一度で決めたい。一度で実経を斬り、賊を殲滅する。
「何か名案はあるのか?」
更に、雉之助が訊いた。
「名案かどうかはわかりませぬが、これが効果的である事は間違いありません。ただ、集落が荒らされるのは覚悟しなければならん」
「それは構わん。集落は幾らでも作れる。長老もそう思うでしょう?」
雉之助の言葉に、実平は黙って頷いた。細かいところは任せる。そんなつもりなのかもしれない。
「そうですか。私は、此処に賊を誘き寄せ、鏖殺するべきと考えています」
「皆殺しか? そう簡単に言ってくれるがねぇ」
伏が口を挟んだ。清記がひと睨みすると、伏は肩を竦めた。
確かにそうだ。言うは易し。しかし、そこまでの強い意志がなければ、打ち勝つ事は出来ない。手を出したら死ぬ。賊にそう思わせねばならないのだ。
「集落全体に、幾つかの罠を仕掛けます。奴らが集落に侵入したら、外へと逃がさぬようにするもの。そして、殺傷能力が高い罠で賊を仕留めるもの。山人は里の者では気付かない、巧妙なものを簡単に作れると聞きました。その力を活かす時かと」
皆が頷く。猪用の罠を大きくする、それだけでも十分だという声も挙がった。
「それと、弓だ。禽獣に比べれば、人間を狙う事など容易かろう。ましては、相手は里の者だ。それで援護して欲しい」
男衆がどっと沸いた。彼らの自尊心を刺激するような言い方を敢えてしたのだが、それが効果的だったのだろう。実経ら賊達に最も有効なものは、彼らの戦う意思なのだ。
「待て、清記。あたしらは弓だけかい? 斬り合いにだって参加するよ」
伏の言葉に、男衆が黙った。そして、それに追従するように、口々に同意の言葉を並べている。
この遠野集落では、雉之助の指導力と伏の腕っぷしが認められた存在という事がありありと伝わってくる。
「それは私が引き受ける。武士は刀、山人は弓。お互い得意な得物で戦うべきだ」
「確かにな。清記の剣に比べりゃ、俺達なんざ赤子も同然。それに、鹿や猪を仕留める俺達の弓だ。人間なんざ、どうって事はない」
雉之助の一言で、伏や男衆が頷いた。どうやら異存は無さそうだ。
「ただ問題は、女や子供だ。戦えぬ者を巻き込めない」
「あたしは戦うぞ」
伏が膝を叩いた。清記は咄嗟に
「女丈夫は別だ」
と、言うと笑いが起こり、伏はぶすくれて腕を組んだ。
「実平殿。何処か避難する場所はございませぬか?」
「ふむ。それなら、手頃な岩窟が北にある」
「では、そこへ。ですが、全員とはいきません。少なくとも数名の女は必要でしょう」
「何故じゃな?」
「女の姿が見えないとなると、相手は警戒するでしょうから。ただ、戦闘が始まれば、真っ先に逃げてもらいます」
「なるほど」
「なので、安全に逃がす算段も必要です。誰か考えてくれる者はいませぬか?」
そう問うと、すぐに手が挙がった。また、集落に残る女は、ここにいる者の妻という事になった。伏も手を挙げたが、彼女には一隊を率いてもらうつもりだった。
「明日から準備を始めましょう、実平殿。万が一、我々が敗れた場合には建花寺村へと逃れる手配もしておきます。幾ら山人が里の者の範疇になかろうと、平山家の御曹司が死ねば、父も無関係とは言えませぬからな」
全員が頷いた。
「ですが最も肝要な事は、実経を此処に引き込む事。これが出来なければ、次の手を考えなければなりません」
「それは儂に任せておけ」
実平が、細い目を見開いた。
「実経が何処にいるかもわからんが、この下州に入ればすぐに掴めるよう、他の集落に連絡を出しておく。その時に誘き出せるような手を含めてな」
話し合いは暫く続き、小屋を出たのは日が暮れかかった頃だ。
山賊は三十人。罠と山人の弓があったとして、残りを斬るのはかなりの骨だ。
(助っ人を頼むか……)
そう言って、浮かぶ顔は少ない。何せ、この泰平で人を斬った者など少ないのだ。
飯が出来たと、女の声が聞こえた。雉之助の妻だ。今日は此処で泊まる事になっている。
〔第三回 了〕
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光秀の女婿・津田信澄は大坂城・千貫櫓にあり、共謀しているのではないかと嫌疑をかけられ――?
人が最後に望んだものは、望んだ景色は、見えたものは、見たかったものは一体なんだったのか。
生まれてすぐに謀叛人の子供の烙印を押された織田信長の甥・津田信澄。
明智光秀の息女として生まれながら、見目麗しく賢い妹への劣等感から自信が持てない京(きょう)。
若いふたりが夫婦として出会い、そして手を取り合うに至るまでの物語。
商い幼女と猫侍
和紗かをる
歴史・時代
黒船来航から少しの時代。動物狂いでお家断絶になった侍、渡会正嗣と伊勢屋の次女ふたみはあるきっかけから協力して犬、猫、鶏と一緒になって世を守る。世直しドタバタ活劇。綺羅星の様な偉人ひしめく幕末の日本で、二人がひっそりと織り成す物語です。
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