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第二章 謀略の坂

最終回 謀略の坂①

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「平山様」

 乙吉が百人町の別宅に忍んで現れたのは、遠くで昼四つの鐘が鳴った頃だった。
 朝餉の後に自室で書見をしていた清記が、ふっと庭に目をやると乙吉が控えていたのだ。
 気付くまで、完全に気配を消していた。その手並みは見事としか言いようがなく、気付いたのも、乙吉が気付かせたからだろう。梅岳に仕えているのも納得である。

「梅岳様からの連絡か?」
「はっ。本日、梅岳様は弁分町べんぶんまちにある料亭〔秀松ひでしょう〕での宴に出られます。表向きには出来ぬ会合でございます故、供廻りはごく僅か。その帰りに、襲わせる算段にしております」
「梅岳様の護衛は?」
「駕籠舁きを除いて四名。刺客は九名でございます」
「その情報は、西辻一党にも流れるように手筈しているのだな?」
「左様にございます。護衛の数と道筋に至るまで」
「それで、何処で襲われる手筈だかわかるのか?」
「内通者の報告によりますと、襲撃は合ヶ坂ごうがざかかと」

 合ケ坂は、小高い丘へ続く一本道だ。周囲には町屋はあるが、田畠の方が多い。襲撃には最適な場所である。その坂を登り切れば、梅岳の下屋敷だった。梅岳は下屋敷に逃げ込もうとし、西辻は逃げ込む前に討ち取る。そのような構図になるだろう。

「平山様、穴水様におかれましては、これから合ケ坂にございます町屋の一つに潜んでもらいます。そこで波多野様がお待ちになっております」
「委細承知。それで、主税介には?」
「もう既に向かっております。ここへ来る途中に伝えましたので」

 清記は、ただ頷いた。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 指定された場所は、〔瓜久うりきゅう〕という名の漬物屋だった。
 時刻は昼九つだというのに、店は既に暖簾が下ろされ、戸板で締め切られている。中にも店の者らしき人影は無く、薄暗い中で待っていたのは波多野と二名の手下、そして主税介だった。

「お待ちしておりました」

 薄暗い店内で丁寧に頭を下げる波多野を尻目に、主税介は一瞥をくれただけだった。
 仕方のない事だが、漬物の発酵臭が鼻に突いた。苦手ではないのだが、いつまでも留め置かれたい場所ではない。
 そう思った清記の心情を知ってか知らずか、波多野が何処か申し訳なさそうに口を開いた。

「この店は、私の縁者でございまして。心配はご無用でございます」

 別に心配ではなかった。梅岳が差配しているのだ。万が一にもぬかりはない。

「それで、店の者は?」
「梅岳様が料亭にお招きしております。奉公人も含めて」
「なるほど。犬山様は太っ腹だ」

 我ながら中々の太鼓持ちだと思いながら、清記は大小を引き抜き式台に腰掛けた。

「この店に、逐一報せが入ります。平山様のご出馬も、私めがお伝えします」
「つまり、あなたが指図役でございますね」
「身分低き又者またものでございますが、平山様・穴水様にご異論がなければ」
「私は構いませぬよ」

 清記は座ったままの主税介に目をやると、主税介は首を縦にした。

「ご配慮感謝いたします。それではこれにお着換えください」

 と、黒装束と頭巾、それに白い襷が渡された。白い襷は、同士討ちを避ける為だと、波多野が言った。梅岳の護衛には、白い襷をした者は討つなと伝えているらしい。
 着替えた後、暫く別間にて待たされた。人の出入りは、気配で感じる。梅岳が秀松に入るのは、昼七つ。今がどれくらいかわからないが、今頃は三の丸の屋敷を出て、弁分町に向かっている頃ではないか。

「兄上」

 清記と同じく、黒装束姿の主税介が入って来た。

「西辻一党の一部が、合ケ坂に入ったようですよ。二手に分かれ、半数は秀松に張り付いているようで」
「そうか」
「一町ほど先にある、平子屋ひらこやという醤油屋に潜んでいるみたいですね」
「その平子屋というのも、西辻の協力者か?」
「波多野殿によると、犬山様に遺恨があるとか。まぁ軽輩の身から成り上がったお人ですから、我々のように遺恨の一つや二つは抱えているのでしょう」

 主税介の声色には、どこか皮肉めいたものが込められていた。先日の呼び出しの際に、主税介は梅岳から手厳しい扱いを受け、嫡男である自分との差を、露骨に見せつけられている。その事が、腹に据えかねているのかもしれない。

「それで、これが西辻です」

 主税介は、手に持っていた人相書きを清記の前に差し出した。
 長身で馬面。目と目が離れていて、三白眼。一度見れば、忘れられない異相をしていた。

「刺客は顔を隠すでしょうから、一目ではわかりませんね。兎に角、斬るしかない」
「西辻一人を斬って終えたかったが」
「また、甘い事を……」

 そう言って、主税介が立ち上がる。清記は、何も応えなかった。甘い事は、自覚している。主税介を指摘されても、それを変えようという気も無い。人斬りではなく、人を活かす人間になりたいのだ。現実では出来なくても、せめてそうありたいとは志向したい。

「それともう一つ……」

 立ち上がろうとした主税介が、途中で腰を下ろして口を開いた。

「西辻の同志に、小関忠五郎殿がおられるようですよ」
「何だと?」

 清記は、思わず声を挙げていた。一刀流小関道場の師範代たる男が、斯様な軽挙に加わっているとは、思いもしなかった。

「小関忠五郎は中々の手練れだそうですね」
「中々ではない。凄腕だ」
「奥寺様のご令嬢も、小関道場に通っておられるとか」
「それが何だ」
「いえ、兄上は小関殿とはやりにくいでしょうから、私が請け負いますよ」
「やめろ。小関忠五郎は私でも勝てぬかもしれぬ相手だ」
「だからですよ、兄上。犬山様へ私の力を認めていただくよい機会にもなりますしね」
「それほど、私に勝ちたいか?」
「ええ、当然です。兄上には、弟の気持ちはわかりませんよ」

 冷ややかな笑みを残し、主税介は部屋を出て行った。
 一人になった清記は、深い溜息を吐いた。西辻一党に、小関忠五郎が加わっている。例え主税介が忠五郎を斬ったとしても、志月や平次にどんな顔をして会えばいいというのか。

(早々に西辻を斬って退かせる他に術はないか)

 しかし、それは困難な事であろう。相手は志を立て、決死の覚悟で挑んできている。指図役が討たれたといえ、簡単に退くとは思えない。
 難しい勝負になる。清記は、二度目の溜息を吐いた。
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