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第二章 謀略の坂

第二回 奸臣の貌②

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 通されたのは、十畳ほどの広間だった。
 茶と茶菓が出され、程なく廊下を歩む音が聞こえると、着流し姿の男が部屋に入ってきた。
 犬山梅岳。笑顔だった。深い皺が、更に深くなっている。清記が平伏すると、隣の主税介も続いて頭を下げた。

「よう来たな、二人共。面を上げよ」
「はっ……」

 清記に続き、主税介が顔を上げた。日に焼けている。いつか読んだ、甫庵太閤記ほあん たいこうきの挿絵にあった、太閤秀吉に似ている。思えば、秀吉も梅岳も、軽輩の身分から出世していた。猿と鼠を掛け合わせたような面貌は、成り上がりが多いのかもしれない。

「誰にも尾行つけられずに来れたかの?」
「その心配はご無用にございます」

 清記が答えると、梅岳は満足そうに頷いた。
 梅岳と会う事が知れると、まずい事が起こるのか? 思い当たる節は無いが、そこに陰謀が発する不穏な緊張を、清記は覚えた。

「悌蔵の倅か。久し振りだのう」
「最後にお会いしたのが、雪が残る頃でございました」
「そうだった。あれは儂の領地を荒らした賊どもの討伐した時だったの」
「過分なお言葉、痛み入ります。父に代わって、責務を果たしたまでのこと」
「ふむ。よい心掛けじゃ。横におるのが弟かのう?」
「お初にお目にかかります。穴水主税介と申します」

 主税介の声色には、怯えも緊張も見て取れなかった。ここ一番の度胸はある男だ。それに対し、梅岳は深く頷いた。

「おぬしも、剣は使えるようだのう」
「父には劣りますが、兄ほどは使えます」
「ほう」

 梅岳が嬉々として、膝を叩いた。

「兄には勝るとも劣りません」
「これは、面白い。兄に似ず言うのう。なぁ、清記や」
「誠に申し訳ございません。口さがない弟でございまして」

 主税介が軽く目を伏せたが、その唇は綻んでいた。自分という存在を、印象付けたい。そんな意図が、主税介にはあるのかもしれない。

「で、実際はどうなのじゃ、清記。弟の腕前は?」
「使えます」
「そうかのう。色男じゃが、頼りのう見えるぞ」

 梅岳が主税介を繁々と見つめるが、主税介に動じる気配はない。この糞度胸だけは、本当に見習いたい。

「犬山様。顔の善し悪しで腕前は決まりませんよ」
「そうかの。しかし、おぬしが言うのなら安心じゃ。その剣の腕を見込んで、ちと頼みがある」
「御手先役としてのお役目でしょうか?」
「左様。だが、これは儂の身から出た錆でもあるので、特別に報酬を用意している」

 御手先役に報酬は無い。故に、平山家は始末屋としての家業を許されているのだ。

「他に今回は細かい指示もあるしの。まぁ、まずは読んでみよ」

 と、梅岳は懐から一通の書状を取り出し、清記と主税介の前に差し出した。

「三日前に、長屋門に張り付けられておった」

 斬奸状。その書状には、達筆な文字で記されている。梅岳は、何かと黒い噂も多い男だ。豪商との癒着から、身内贔屓の人事と賄賂。己の権勢の為に謀略の限りを尽くし、利永の風流狂いを諫める事なく、逆に焚きつけているとも。他にも、不正や非違を犯しているであろう。でなければ、下士から執政にまで成り上がれない。実力と野心を兼ね揃えた、巨悪。まさに、奸臣の鏡。斬奸状を送られるのも、不思議ではない。

「遠慮せずに、早う読め」

 そう言われたので、清記は斬奸状を開いた。
 それは、文字通りの檄文だった。予想通りの内容で、梅岳の黒い噂が書き連ねられている。そして、梅岳を討つ事こそが世直しだとも。主税介も一読し、息を呑んでいる。

「まぁ、察しの通り罵詈雑言の嵐。執政の苦労も知らず、あれこれと書いたものよ」
「差出人の名がございませんね」
「名乗れるはずもなかろう。もし、名を記しておれば、その勇気に免じて登用してやったものを」
「それで、この手紙の送り主を探し出して斬ればよろしいのでしょうか?」

 と、口を挟んだ主税介を、梅岳が一睨みした。

「そう思うだろうが、あらず。それは、二流の手だの」
「二流……」
「送り主は、西辻源馬にしつじ げんま吉田蔵太郎よしだ くらたろうと名を変え、佐與郡さよぐん小正村おばさむらで寺小屋の師匠をしておる。元は讃州の浪人で、二年前、桃園帝ももぞのていをはじめ若い公卿に尊王論を焚きつけたとして、重追放になった竹内式部の弟子の一人じゃ。そして、その西辻に唆された馬鹿が十名ばかし。全てではないが、この三日で調べ上げた限りじゃ」

 斬奸状には、宛名など書いてはいなかった。だというのに、三日で差出人と組する一党を調べ上げるとは。梅岳が持つ諜報力に感嘆するばかりであるし、何より怖い男なのだと心から思う。

「儂は、夜須藩を率いる執政。言わば、一国の宰相じゃ。今、儂が倒れるわけにはいかんし、この件を長引かせ時間を掛けたくもない。故に、こうした真似は一度きりで仕舞いにしてもらいたいわけじゃが、どうしたらいいだろうの?」
「……」

 主税介が黙ったので、梅岳の目が清記に向いた。試すような視線。それだけで、肌が粟立つ。

「清記、答えてみよ」
「敢えて襲わせるのでございますか?」
「ほう」
「相手が万全の体勢で襲わせ、一度で陰謀を挫かせる。悔いも余力も残さぬよう、徹底的に」
「何故、そう思う?」
「世直しを目論む者は、総じて夢見がちでございます。世を糺したという結果ではなく、その行為自体に憧憬を抱くもの。ならば、悔いを残さぬよう、全力でぶつからせ、その上で始末をすれば一度で終わるかと」
「同意見じゃ。夢想家の戯言に付き合う暇は無いが、受けて立つの事も執政たる務めだのう」

 我ながら流石に言い過ぎかと思ったが、梅岳は本当に襲わせるつもりだった。この肝の据わりようは、並みではない。潜ってきた修羅場の数が違うのだ。

「主税介よ。御手先役には、頭に必要だ。刀を奮うだけではない。現場の状況に応じての判断が必要なのじゃ。いいか、兄を素直に見習え。対抗心を抱くのは大いに結構だが、学ぶべき点は学べ」
「はっ……」

 主税介が目を伏せる。横顔だけでは、感情は読み取れない。

「して今回のお前達の役割だが、襲われた儂を救出し、返り討ちにしてもらいたい。手下は逃がしても構わぬが、西辻だけは必ず討て。でなければ、儂が命を張る意味がない」
「わかりました。しかし救出という事は、我々は護衛をしないという事ですか」
「左様。おぬしの剣名は、建花寺流として藩内で知られておるからの。それに、弟まで加わっていれば襲って来ぬやもしれん」

 それで、尾行されるなという念押しをされたのか。清記は一人頷き、続く梅岳の説明に耳を傾けた。

「それと、頭巾で顔は隠してもらうぞ。お前達が儂の命で動いたという事を、なるべく知られとうはない」

 清記と主税介がやる事は、本当に襲われた梅岳を救出し、西辻を討つだけだった。相手の探索や、襲われる為の下準備の一切は全て梅岳が準備するという。兎に角、梅岳からの呼び出しを待てばいいらしい。

「先程も申したが、御手先役の役目でもあるが、儂個人を狙ったものでもあるので、報酬は用意する」

 梅岳は一つ笑みを浮かべると、清記の前に切餅を一つ差し出した。報酬は五十両。まずは、半金の二十五両という事か。始末屋稼業の相場より、やや高い。特に事前の探索も無いので、余計にそう感じるのかもしれない。

「儂からの繋ぎを紹介しておこう」

 梅岳が、一つ手を叩くと障子が開いた。
 庭に、男が一人控えていた。中間の恰好なりをしている。歳は自分よりやや上。顔も体型も特徴が無い。どこにでもいる、言葉では形容し難い普通の顔だった。

乙吉おときちという。まぁ、お前にとっての廉平みたいなものだな」

 そう言って笑った梅岳が、清記の顔を見て更に噴き出した。

「なんだ、その顔は。ほう、儂が廉平の名を出して驚いているのかの?」
「ええ」
「まぁ、儂もそれなりに情報網というものがあるという事だの。おぬしが畦利に小遣いを渡し、色々とさせている事も耳に入っておるぞ」

 すると、梅岳は扇子で口を隠した。

「さて、穴水よ。清記と二人にしてくれんかの」

 一応の話が終わると、梅岳が主税介に向かってそう告げた。

「かしこまりました」

 主税介が、淡々とした所作で一礼して辞去した。
 梅岳は、何かと主税介に厳しい態度を見せている。何か気に障ったのか、或いは何か意図があるのか。この男の腹が読めない。

「おぬしも苦労するのう」

 梅岳が嘆息して言うと、茶を啜った。

「は?」
「弟の事じゃ。おぬしへの対抗心が手に取るようにわかるわ」
「不躾な愚弟の振る舞い、誠に申し訳ございませぬ」

 と、頭を下げる清記を、梅岳が止めた。

「なぁに、よいて。儂はあやつの気持ちがわかるのよ」
「愚弟の気持ちがでございますか」
「おうよ。何を隠そう、儂は次男坊での。頭と度胸には自信はあったが、部屋住みの身分ではどうにもならん。兄が何とも使えぬ男だったから、余計に忌々しくてのう。歯痒くて荒れたものよ」
「取って代わったのでございますか」
「まさか。いや、何度も取って代わりたいとは思ったが、兄は優しくての。儂はそんな兄が好きだったのよ。そんな時に、犬山家へ婿養子の話が出た。天恵だと思ったの。これで、兄と争わなくて済むと」

 初めて聞く話だった。梅岳が婿養子だという事も、清記は知らなかった。

「だからか、儂はついつい兄を贔屓してしまう。悪い癖とは思うがの」
「……」
「悌蔵殿が頭を抱えておるわ。優秀な息子が二人いて、どちらを後継者にしようとな。兄は何かと甘く、御手先役という役目に疑問を抱いておる。弟は素質はあるが、経験が浅く危うい。そして、他家に養子に出している。先日、碁を打ちながら、泣き言を漏らしておったわ」

 父が、泣き言を。おおよそ演技だろが、それでも驚きだった。

「私が頼りないばかりに、犬山様にいらぬご心配を……。何とお詫びしたらいいか」

 何とか声を絞り出すと、梅岳が膝行して清記の肩に手を置いた。

「儂はおぬしを買っておる。まぁ、平山家の跡目相続に執政とは言え介入は出来ぬが、それだけは忘れるでないぞ」

 と、梅岳が不敵にわらう。そのかお。清記は、背筋に冷たいものを感じた。この貌で、多くの者を取り込み、欺き、潰してきたのだ。そして、自分はどうなる。取り込まれるのか。欺かれるのか。潰されるのか。

「それとな」

 肩に回った梅岳の手が清記の首へ回り、猿と鼠を掛け合わせたような顔に寄せられた。

「奥寺家にも、よう出入りしているようじゃのう」
「ええ。剣術指南をしております」

 清記は、平静を装って答えた。これは立ち合いだ。真剣を持っていないだけで、梅岳と言葉で立ち合っているのだ。ならば、心気を乱した方が負ける。

「ふむ。儂と悌蔵殿は、長年お殿様を支えてきた盟友でねぇ。おぬしとも、そうありたい思っておる」
「それが、何か」
「奥寺家で善からぬ話を耳に挟んだら、儂に報せよ。何でもいい。小さな事でも構わぬぞ」
「それは、まさか」
「ん?」
「いえ……」
「申してみよ」

 清記は、居住まいを正した。この怪物には、虚言は通用しない。

「先程申された陰謀の裏に、奥寺様がいるとお考えでしょうか?」

 すると、梅岳は破顔して軽く肩を叩き、むくっと立ち上がった。

「それを踏まえて、報告いたせ」

 清記は、短く返事をして平伏した。それ以外の選択肢が無かったのだ。

〔第二回 了〕
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