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第一章 闇の誓約

第四回 城下にて②

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 翌日、悌蔵が登城した後に、清記は別宅を出た。向かった先は、日当町ひなたまちにある宗助長屋そうすけながや。廉平の棲家である。
 城下の中でも、程々に貧しい町人が暮す地区で、廉平はそこで楊枝職人という身分として暮らしている。それは市井の情報をより早く得る為で、目尾組の忍びはこのように市中に分散して暮らしているという。こうした話は、廉平が〔ここだけの話〕として知らせてくれた事だ。同じ夜須藩士と言えど、忍びである目尾組の内情は全くと言えるほど知らない。

「こりゃ、清記様。こんなむさ苦しい所にようおいでなさいました」

 廉平は、仕事台に向かって楊枝を拵えているところだった。
 清記は上り框に腰掛けると、廉平が立ち上がって奥へと導いた。

「すまんな、仕事中に」
「へへ。仕事も何も、手慰みみてぇなもんでさ」
「手慰み程度で作れる代物ではないよ。私も父も、お前が作った楊枝しか使わぬよ」
「そりゃありがてぇ。村にもまたお持ちしやすぜ」

 廉平が作る房楊枝は質がいいと評判で、とある商家に言い値で卸しているという。

「それで、今回はあっしに何か御用で?」
「ああ。どうやら私は命を狙われているようでな」

 そう言っても、廉平の表情は変わらない。それは命が狙われても当然の身分である事を知っているのだ。

「刺客など日常茶飯事だと言いたいが、今回はやや事情が変わる。どうも私が死んでは、執政様の顔が潰れるらしい」
「ほう、犬山様のお顔がですかい」

 清記は貞助に、悌蔵から聞いたあらましを説明した。

「なるほど。そりゃ、犬山様の為にも死なれませんねぇ」
「もとより死ぬつもりはないが、今回ばかりは特にな」
「それで、悌蔵様は他に何か?」
「何も語らんよ。そもそも、息子が窮地でも『このぐらいの切所を切り抜けんでどうする』と、見て見ぬ振りをする人だ。今回は犬山様の命だというので、渋々教えてくれたが」
「ひゃぁ、悌蔵様は厳しゅうございますや。せめて、相手の素性ぐらい教えてくださってもいいでしょうに」
「ふふ。父はそこまで優しいお人ではないのでな。それに何もわからぬからこそ、お前を訪ねたわけさ」
「あっしに調べさせようという魂胆でございやすね」
「厚かましいとは思うが、調べようにも、私にはそんな力も伝手も無い。なに、無償タダとは言わぬ」

 と、清記は懐から小判を五枚取り出して差し出した。
 平山家の金は、ある程度自由にする事を清記は許されている。この五両も、城下で何かあるかもしれぬと、持ち出したものだった。

「へぇ、こりゃどうも」
「軍資金を含めてだ。足りぬのなら、用意しよう」
「あ、いえ十分でございやす。して、清記様。最近、身近で変わった事がございやせんか? 清記様のお命を狙っておられるなら、既に何かしらの動きを見せているかもしれやせんぜ」
「ああ、そう言えば」

 と、清記は小竹宿でのお役目以降、時折感じる不快な気配と、先日に実際に抜き合った鳩羽色の着流しを纏った、深編笠の男について話した。

「鳩羽色ねぇ。まぁ清記様でも斬れねぇぐれぇの玉なら、そいつで間違ぇねぇように思えます。それと、小竹宿で踏んだ杉崎殺しの仕事ヤマの直後に現れたと言うなら、杉崎殺しに起因するものじゃねぇでしょう」
「予断は出来ぬがな」
「まぁ、地場ところ首領おかしら破落戸ごろつきなんかにも聞いてみやす。こういうのは〔蛇の道は蛇〕と言いましてね」
「何かわかれば、百人町の別宅に来てくれ。今日は建花寺村へ戻るが、明日の晩には城下に戻るつもりだ。色々迷惑をかけてすまぬが」

 清記が頭を下げると、廉平が恐縮して頭を上げるように言った。
 廉平は命を預け合う相棒であり、数少ない友の一人だと思っている。しかし、冷静に考えれば、清記は大組の上士で、廉平は目尾組の下士に過ぎない。そこには歴然とした身分差があるのだ。そして、夜須藩は武士の序列については厳しい家風でもある。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 廉平が百人町の別宅に現れたのは、三日後の夜の事だった。
 この日も、清記は奥寺家の稽古に出ていた。今日は大和も参加したからか、家人達も大変な熱の入れようで、たまたま屋敷にいた志月も、ふらっと見に来たほどだった。しかし、その志月を大和が誘うと、

「お断りいたします」

 と、取り付く島もなく奥に引っ込んでしまったのだが。
 そうした日の夜に、廉平が現れた。
 疲れた身体を熱い風呂でほぐし、夜風でその火照りを冷ましていると、闇の中から浮かび上がる影があったのだ。

「早かったな」

 清記が庭に向かって言うと、その影がすうっと近付き、そして着流し姿の廉平が現れた。

「そりゃ、あっしにかかりゃこんなもんで。軍資金も、たんまりとございましたし」
「それで?」
「裏のもんが集まる賭場で聞いた話ですがね、どうやら深江藩から妙な一団が来たようで、よくよく調べると、その者らが清記様を狙っているとか」
「深江藩だと」

 深江藩は夜須藩の隣藩で、下野では夜須藩に次いで大きな藩である。外様である松永家が代々領し、夜須藩とは隣藩の宿命からか良好な関係とは言えない。

「あっ、いや政事絡みじゃございやせん」
「ならば、どうして深江藩なのだ」
「へへ。どうも、今回の黒幕が深江藩の書物問屋の明義屋忠吉みょうぎや ちゅうきちという男でしてねぇ。その賭場の用心棒に、ちょいと銭を掴ませて聞いたんですが、意趣返しに来たみたいで。その用心棒、明義屋に声を掛けられたようですぜ」
「意趣返しか。しかし、明義屋とは、聞かぬ名だな……」

 名は聞かないが、何処かで恨みを買ったのだろう。深江藩でも働いた事はあるし、意趣返しと聞くと、大いに納得出来た。

「へぇ、しかし深江では中々の分限者ですよ。あとこれはここだけの話でございやすが、明義屋は夜須藩うちにも銭を貸しているようですぜ」
「大名貸か」

 廉平が頷く。
 夜須藩の財政は、健全とは言い難い。享保の大飢饉の痛手からの立ち直りも未だ出来ておらず、その上に風流狂いの藩主・利永の浪費が足を引っ張っているのだ。

「その明義屋が、何と御自ら夜須に出張っているようですねぇ」
「ほう、それほど私を殺したいのか。見当はつかぬが、自ら乗り込んでくるとは見上げた根性ではないか」

 すると、廉平は血相を変えてかぶりを振った。

「そうは言っておれませんぜ。明義屋は幾人かの浪人や始末屋を雇い込んでいるらしく、それが中々の使い手揃いだとか」

 清記の脳裏に、鳩羽色の着流しを纏った浪人の姿が過った。あの男は、もしかすると明義屋の刺客なのかもしれない。

「明義屋自身は、大した事はないと思いますがね。町人でございますし、華奢で色が白く、まるで色子のようでしてね」
「人を外見で判断は出来んよ。それで、問題はこれからどうするかだ。その明義屋は今は何処に?」
秀松ひでしょう
「これはまた、難儀な場所にねぐらを構えたものだ」

 秀松は、城下の弁分町にある料亭である。分限者御用達の名店で、夜須二十六万石を代表する格式を有すると名高い。それ故に警備も厳重で、時として表沙汰にしたくはない要人の宿所になる事もある。

「引き連れた浪人も一緒か?」
「いや、これは流石に目立つと分散させているようですね。何人かは身近に置いているようですが。……どうしやす、清記様。秀松に忍び込みますかい?」
「まさか。この件は、私事に過ぎぬ。大事にはしたくはないのだ」
「なら、どうするつもりで?」
「そうさな。一つ、策が思い付いた。回りくどいかもしれぬが、周りに迷惑は及ばぬだろう」

 それから一刻ほど、清記は廉平と手筈について、入念に言葉を交わした。
 そして、

「ここまで仕込みゃ十分でございましょう」

 と、言った廉平の腹が盛大に鳴った。

「こりゃ、お恥ずかしいこって」
「何か用意させよう。私も腹が減ったところだ」

 清記は、そう言って立ち上がり治作を呼んだ。

「おお、ご友人が来てらっしゃったのですか。それは気付きませんだ」
「ふふ。この男は廉平と言ってね。玄関から入る真似は滅多にしないのだよ」
「それはそれは」

 廉平が挨拶とばかりに頭を下げると、治作がにんまりと笑んだ。

「治作、酒と何か肴になりそうなものを用意してくれないか」
「そりゃもう。茄子を塩で揉んだやつがあります」
「それと、握り飯もだ」
「へぇ、すぐに」

 と、下がろうとした治作を、清記は何か思い出した風に呼び止めた。

「ああ、言い忘れてた。廉平、この治作は、お前の先達せんだつだ」
「へっ?」

 驚いた廉平に、治作が顔を向けた。

「俺が別宅にいない時、治作か女房のふゆに言付けておけば、伝わるようにしておく」

 目を白黒させる廉平に向かって、治作が口を開いた。

「儂と女房は、お前さんと同業にございますよ。悌蔵様の耳目となって働いておりましたが、寄る年波には勝てず……。お役目を退いて、何処にも行き手の無い儂らに、悌蔵様が手を差し伸べてくれたのです」

 これは、別宅で暮すようになって、初めて知った事だった。治作とふゆの夫婦は長年仕えた下男・下女だと聞かされていたが、実は目尾組の忍びだったのだ。だが、それを聞かされても、清記は驚かなかった。むしろ、納得した。父が二人を信頼し、特別扱いしているのは、命を預け合った仲であるからだ。

「なるほど、そうなんですかい」
「お二方を見ておりますと、昔を思い出しますよ。夜な夜な現れては、あれやこれと密議を交わしたものです」

 すると、廉平が薄ら笑みを浮かべて、顔を近付けた。

「清記様、あっしも待っておりやすぜ」
「何を?」
「もし、あっしが働けなくなった時は、平山家に引き取ってくださいましよ」
「お互いに生き残れたらの話だがな」
「そいつは、違ぇねぇ」

 廉平が膝を叩き、二人の忍びがらしくない大きな声で笑い、清記も思わず釣られていた。

〔第四回 了〕
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