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第五章 寂滅の秋(とき)

第二十二回 前夜祭(後編)

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 鏑木と仙吉が去ると、帯刀は声を挙げて廉平と木下を呼んだ。

「そちらの御仁が、木下殿かな」
「お初にお目にかかります。添田家執事、木下弥兵衛と申します」

 木下が、堅苦しく挨拶をした。帯刀は無頼を気取ってはいるが、一門衆の筆頭。古武士然とした木下が、輪をかけてそうなるのも無理はない。

「お初ではないよ」
「左様でございますか」
「そうさ」

 そうは言っても、木下は驚いた風もない。

「俺がまだ若造の頃だったか。陰陽師をしている友人と江戸の谷中を歩いていてなぁ。そこで、あんたが複数の破落戸ごろつきを斬り伏せる姿を見た事がある。あの剣捌きったぁ、本当に凄かった」

 暫く木下は考える表情を見せた後、

「お恥ずかしい限りでございます」

 と、答えた。何か思い当たる節があったのだろう。

「夜須でも指折りの使い手が、添田の執事になったのは驚いたよ。あんた程の人が、陪臣になるのだとね。望めば一剣を以て出世出来たろうに」
「帯刀様。私は伊川郷士なのでございます。御家に弓を引き、数多の御一門衆を討ったとされる、伊川氏の旧臣。夜須では出世は望めず、仮に出世などしてしまえば、伊川侍とやっかみを受けます」
「痛烈な皮肉だね。栄生家の俺にそれを言うとは」

 帯刀が肩を竦め軽く笑った。

「申し訳ございませぬ。しかし、一度は言うてみたかったのです」
「構わんよ。あんたの剣に、若造だった俺は惚れたんだ。俺に皮肉を浴びせる資格はある。だが、何で俺達に加わるつもりになった? 今頃、仇討ちなんざ流行らねぇよ」
「甲斐様が、私を拾って下さいましたので。良い主君を得て、私の人生は変わりました」
「なるほどな」
「顧みる者などございませぬ。死ぬ覚悟など、とうに出来ておりますれば」

 帯刀が、じっと木下を見つめた。木下は目を伏せている。

「いいぜ。何より、平山の推薦だ。断るつもりはない」

 それから、四人で話を詰めた。ただ城内に斬り込むだけでなく、綿密な計画がある事を帯刀は明かした。そして他にも、命を賭してもよいと思っている存在がいる事も。また、それぞれに準備・調達などの役目も分担された。だが、清記は何も言われなかった。始末をつけるものが多いと判断されたのだ。内住郡代官職の事。三郎助をはじめ家人・奉公人の事。そして雷蔵の事。改めて思えば、やる事が山積している。

「利重を討つ」

 話が終わり、清記が言った。初めて、呼び捨てにした。全員が頷いた。

「喉元に喰らいついてもだ」

 そして清記は、素直な気持ちを打ち明けた。侵された病の事も、巻き込みたくはない雷蔵の事も。死病については、廉平は涙を流した。木下は目を伏せたままで、帯刀だけが、呪いだ祟りだと言って笑った。それに廉平は腹を立てたが、清記も笑って止めた。どうせ死ぬ身。思いっきり暴れられると。腹の底を全て語ったが、利重を斬る事が利景の遺命という事は語らなかった。
 庫裏を出たのは、空も白み始めた頃だった。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 筆が思いの他、進んでいる。居室に籠って文机に向かい合っても、苦にならない。
 それは利重を討つという大事が、いよいよ形になってきたからであろう。体調云々と斟酌する段階でもない。
 清記がまず手を付けたのは、内住郡代官として頭の中にある全てを、書き出す事だった。
 内住の現状、村々の課題、注意すべき者、場所。その全てを、清記は帳面に纏める事にしたのだ。
 睡眠は、一日に二刻ほど。居室を出るのは、厠と日課の見廻りぐらいなもので、三郎助は体調を憂慮し何度も止めたが、清記は雷蔵の為だと説明した。

「いつ死ぬか判らぬのだ」

 そう言うと、三郎助も納得したのか、何も言わなくなった。
 雷蔵の為ではない。民百姓の為だ。自分の後任がどうなるか判らないが、誰になるにしろ、民百姓の穏やかな生活を変えてはいけない。自分がいなくなる、その事実以外は。
 三日で、その全てを書き終えた。およそ三冊分の分量になった。その夜は湯に浸かり、丸一日寝込んだ。
 目が覚めると、今度は全員の処遇について考えた。雷蔵は羽合と共に雄勝藩へ。その中に貞助も加えようとは思っている。あの男には、雷蔵を助けてもらいたい。それに添田に託された命でもある。薊は雷蔵が決める事だが、出来れば解放させてやりたい。元は我らを脅かそうとした忍びでも、平山家と運命を共にする理由もない。
 代官所に関しては、考えた所でどうしようもない。磯田や下役達がいる限り、内住郡が大きく乱れる事はないはずだが、自分のせいで移動になれば後は代官の能力次第になる。勿論、そうした混乱が起きない為に、知り得る限りの事を帳面に書き残しているが、最後は藩庁がどうするかであろう。
 問題は、三郎助だ。あの者には、平山家の始末を任せようと思っている。若幽や宇治原をはじめ、家人や奉公人の行く末を任せられる者は、彼を於いて他にはいないのだ。しかし、その為には三郎助に企てを打ち明けねばならないが、それでは無関係な三郎助も巻き込んでしまう事になる。それだけは避けたい。故に、清記は何も言わず消えようと決めていた。三郎助ならば、残された始末を粛々とこなすはずだ。

(しかし、恨まれるだろうな……)

 自分だったらと思うと、胸が痛くなる。利重を討つ。その大事を打ち明けてもらえなかった事に、深く傷付くに違いない。何せ、兄弟のように育ったのだ。
 雷蔵が、忙しく働いていた。姿を見せぬと思ったら、代官所で寝起きしているという。秋のこの時期は、百姓だけでなく代官所も忙しいのだ。毎朝出仕する下役の表情もどこか疲れているし、磯田は下役の上げた書類を確認し、かつ雷蔵の仕事も見なければならないので、目の下に大きなクマを作っている。

(すまぬな……)

 屋敷の居室から代官所棟を眺めながら、清記は思った。
 このような繁忙期に代行させている事は心苦しいが、いずれは活きる経験となるはずだ。
 そうしている間にも、夜須城討ち入りの準備は、着々と進んでいた。どうやら城内には内通者を潜ませていて、あっと驚くような仕掛けを準備しているそうだ。そうした報告は、廉平が変装して知らせて来てくれた。その余りにも完璧な術に、雷蔵や貞助すら気付かなかった。

「面白いな……」

 そう思わず呟いたのは、夜半に二度目の連絡が来た時だった。
 何と帯刀は、利重に面会を求める旨を予め知らせるというのだ。不意打ちでは、警戒して会わない。しかし、会いたいと言えば必ず会う。そういう性格だと、読んだらしい。確かに、不意打ちのように訪れれば、警戒して出てこない。それどころか本丸にも辿り着けないはずだ。

「その案に賛成だと伝えてくれ」

 必ず利重は斬らねばならない。最初で最後の機会だ。そう思う一方で、死に花を咲かせる祭りのようにも思えてくるから不思議だった。愉しさや期待のようなものすら覚える。

「清記様。ちょいとお耳に入れたい事がございやして」

 廉平の声が、一段と低いものになった。

「皆藤左馬を城下で見掛けました」
「何?」

 皆藤左馬。あの平山孫一の事だ。あの男は犬山家に仕官したが、暫くの間姿を消していた。

「城下の外れの料亭で、江上八十太夫と密会しておりやした」
「その情報は有り難いが、あの男は危険だ。お前も一度殺されかけたであろう」
「へへ。大丈夫でございやす。今のあっしは、誰も見破られませんぜ。事実、皆藤の側におりやしたが、気付きもしやがりませんでした」

 廉平が自信たっぷりに言った。確かに、廉平の変装は神業と呼んで過言ではない。しかし、とも思う一方で、死を覚悟した男の強さのようにも感じる。

「くれぐれも用心せよ。大事の前なのだ。皆藤という駒の一つに関わっている時ではないのだぞ」
「へい。肝に命じやす」
「一応、帯刀様や木下殿にも伝えておけ。あの男は、恐るべき使い手だ」
「勿論でございやす。あっしらの義挙を知れば、まず阻止に動くのは皆藤でしょうから」
「帯刀様の暗殺にも気を配れよ。利重がせずとも、八十太夫が動く事もありえる」
「へい」

 そうして消えようとした廉平を、清記は呼び止めた。

「大事な事を忘れていた。皆藤は念真流を使う。これも伝えておいてくれ」
「へい……って、念真流でございやすか? 清記様の〔やっとう〕の御流派の」

 流石の廉平もその事に驚いたのか、第一声には地の声が出ていた。

「そうだ。奴の本名は平山孫一。平山家の傍流を自称しているが、詳細は判らぬ。どちらにせよ、その事は頭に入れておけ」
「わかりやした。それで、清記様。念真流を破る手ってのは無いんでですかね?」
「ある。それは念真流を使う事だ」
「へへ。そいつは大層な自信で」
「愉しいな、廉平。そう思えるのは、私は初めてという気がする」
「長く清記様とお付き合いさせていただきやしたが、嬉々とした清記様は初めてな気がしやす」
「そうか?」
「いつも、顰めっつらでしたからねぇ」
「最後ぐらい、笑って仕事をするか? 廉平」
「へい。お供しやすぜ、彼岸まで」

 そう言うと、廉平は軽く笑って闇に消えた。
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