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第五章 寂滅の秋(とき)

第六回 介入

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 首席家老・添田甲斐の名で、登城の命令を受けた。
 使者は執政府付きの使い番で、何の為の呼び出しかまでは言わなかった。おそらく、御手先役としての新たなお役目を言い渡されるのだろう。利景は今病床にあるという事は、関係ないようだ。
 城下への道筋を辿りながら、清記は新たなお役目について思考を巡らせていた。
 亡き父・悌蔵からは、

「やめろやめろ。次のお役目をどうこう考えても、何の役にも立たん」

 と、常々言われてきたが、何歳になってもこの癖は治らない。生来、考え込む性質たちなのだ。

(岩城殿の件かもしれぬ)

 夜須勤王党が壊滅した今、藩内の火種と言えば、利景亡き後に兵部を藩主に担ぎ上げようとする一派の存在ぐらいだ。
 清記は、密書に記された叛徒の名前を思い出した。岩城が、逸死隊に暗殺されて十日。公式では病死とされて息子が継いだが、叛徒の面々には何のお咎めも無い。今後の為に皆殺しにするべきと思うが、果たしてその命が下されるかどうか。

(判らんな……)

 そもそも、兵部が岩城を消した理由が読めない。岩城は犬山派の中でも大物で、利景の後釜を目指すのであれば、これ以上の味方はいないはずだ。かと言って、常寿丸の相続に賛成しているとは思えない。一見して利景に忠義を尽くしているようにも見えるが、それを信じるほど子供ではないし、犬山の家名が疑わせるところがある。

(老練だな、兵部は)

 こうした幻惑は、流石としか言いようがない。いずれ常寿丸の後見を巡って、兵部と帯刀が争う事になる。その時、帯刀は兵部の政治的才幹に抗し切れるかどうか。
 城下に入った。
 妙国寺の門前に市が立っているからか、人通りはいつもより多い。今日は毎月十日に開催される、妙国市なのだ。また、その賑わいに触発されてか、河川湊かせんみなとから荷を積んだ舟が掘割を頻繁に往来し、城下全体からの活気を強く感じる。
 初夏に、町奉行が交代していた。宇美津奉行をしていた羽合掃部はわい かもんが、新たに補任されたのだ。
 橘民部の叛乱を阻止した功による昇進だが、今の活気を見ると、宇美津で示した民政の手腕を買われての事なのかもしれない。
 三郎助に聞かされた噂によれば、寝る間も無く働いているという。橘民部の件で、警務に長けた男と思われているが、この男の本領は民政にある。これからどのような施政をしていくのか、清記は興味深く見守っていた。

「これは、平山殿」

 大手門の前で、野太い声に呼び止められた。振り向くと、許斐亘このみ わたるが笑みを向けて石段を登ってきていた。

「久し振りだな。相変わらずの体躯じゃないか」

 と、清記は一つ肩を叩いた。感触は、岩だった。許斐が照れるように鼻先を指で掻いた。

「平山殿もお元気そうで」

 許斐は大組格の上士で、熊のような男だった。刀槍の腕前も中々で、夜須藩随一の豪傑だと清記も一目置いている。

「先日、ご子息には世話になり申した」

 堂島丑之助どうじま うしのすけの件だろう。許斐は堂島を待ち構えていたが、結局現れず空振りに終わっている。

「なんの。あれが愚息のお役目だ」
「噂通り、ご子息を厳しく育てているようですな」
「こうした育て方しか出来ないのだよ」
「平山殿らしい。それより一つ訊きたい事がありましてな」

 大手門を潜り、歩きながら許斐が言った。内密な話なのか、声を潜めている。

「堂島を仕留めたのは、御別家様が率いる山筒隊だとか」
「ああ。見事な腕前だった」
「これからは鉄砲の時代なのでしょうな」
「それは戦国の御世からだろう。ただ、まだ刀槍の働き場はある」
「そう思いたいものです」

 許斐は、清陰流の武芸者でもある。清記もそうだが、鉄砲について良い感情は抱いていない。

「山筒隊について、どう思う?」

 清記は、何となく訊いてみた。許斐は軽く笑っただけで、頭を下げた。兵部について触れたくはないのだろう。今は、藩内の情勢は微妙な緊張状態にあるのだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 二の丸表書院に通された。
 驚く事に、利景が待っていた。病床にあると思っていたが、面会できるまでに回復したのだろう。ただ、顔色は相変わらず悪く青白い。着物の上からだが、身体も細くなったように見える。
 他には、兵部・帯刀・添田・相賀という、夜須藩を動かしている面々が待っていた。ここまでの面子が揃う事は、そうはない。それに加え、御手先である自分。何か大きな事件が起きたという事は、想像に容易い。

「平山、よく来た」

 まず、添田が口を開いた。些か疲れているのだろう、陽に焼けた顔の皺が深く感じる。

「由々しき事態が起きた」

 やはり、そうか。そう思い、清記は頷いた。

「外国船が蝦夷地を侵した。略奪目的だったらしいが、蝦夷奉行だった稲生紀伊いのう きいが首を獲られた上、奉行所が焼かれた。つまり、幕府が夷狄に敗れた事になる」
本当まことですか、それは」
「そうだ。情けない話だが」

 ただ、驚きはしなかった。この国は、長く泰平だった。武士とは言え、人を斬った事のない者ばかり。一方、外国では日夜戦争を繰り返しているという。両者が戦えば、結果は火を見るよりも明らかだ。

「それを受けてか、京都がまた騒がしくなってきている。特に若い公家は胡乱うろんな輩と結び付き、〔攘夷〕と声高に叫び出したそうだ。橘民部の叛乱で息を潜めた勤王派が息を吹き返したやもしれぬ。勤王派にとって、蝦夷地といえ祖国を踏みにじられるのだからな。この動きは看過は出来ぬ」
「それで、私が赴くのは北ですか? 西ですか?」
「違う」

 利景が口を挟んだ。

「北は黒河藩を中心にした、東北諸藩に任せるそうだ。京都へは兵部を京都留守居として派遣する。兵部は幕府とも朝廷とも私的な繋がりがあるからな。それを使わない手は無い」

 清記は兵部の顔を見た。涼しい顔で頷いている。山筒隊や逸死隊を連れて行くのだろう。

「では、私は?」
深江藩ふかえはんに潜入して欲しい」

 予想外の答えに、清記は言葉が出なかった。
 深江藩は夜須藩の隣藩で、高師藩と挟まれたように位置する外様である。
 藩主は、松永弾正忠まつながだんじょうちゅう久臣ひさおみ。一万三千石の小藩であるが、松永家は謀略に優れ叛臣として名が知れた、かの松永弾正久秀の一門である。それを譜代の夜須藩栄生家二十六万石と、高師藩牧野家十二万石で挟んだのは神君の絶妙な配置であり、警戒の表れだと言われている。
 ただ、何故深江藩なのか。その疑問がすぐに湧いた。世情がきな臭いものになっても、深江藩の動きは静かなものだった。かつての松永家を思えば「静かすぎる」と感じるものだが、今の藩主は江戸生まれの江戸育ち、旗本の青山家から入った軟弱な青瓢箪だ。藩内にも大物の勤王家はいないと思っていた。

「勤王党が結成された。盟主は室谷慶堂むろや けいどう。深江藩の学者で、幕府への批判を声高に叫んでいる」
「室谷……聞かぬ名ですね」
「本人は無名でも、かの大楠公の子孫になる。直系かどうかは判らぬがな」
「その男を斬るのですか?」
「そうだ。これ以上の勢力伸張は看過出来ぬ相手は何と言っても勤王の大家だ。その名を甘く見る事は出来ぬ」
「深江藩は動かぬのですか?」

 そう訊くと、利景が頷いた。

「いや、むしろ深江藩から助力を要請されたのだ。こちらが勤王党の取り締まりを幾度か要請したらな、『そう急かすならば、貴藩がどうにかしてくれ』と」
「なんとも、自ら内政干渉を依頼するとは。情けないと言うべきか、上手いと言うべきか」
「こうした手練手管てれんてくだは、松永家にとっては朝飯前だろうよ」

 利景は、協力者として松永外記まつなが げきという家老の名を告げた。この外記という男が、深江藩を一人で裁量し、かつ小賢しい文句で助力を要請したという。

「平山」

 帯刀から名を呼ばれた。

「この件には、黒河藩も一枚噛んでいる。奴らが室谷の勤王心を煽り、唆したようだ。夜須うちの勤王党を動かしたように。まぁ、黒河藩としては蝦夷地への出征で深江藩どころではなくなるだろうがな。今頃、歯噛みして悔しがっているはずだな、あの野心家は」

 帯刀が一笑すると、今度は兵部が、

「万が一、深江藩が勤王に藩論が統一された場合は大事だぞ。伊達と松永。これほど見事な臭い組み合わせはない。そうは思わぬか?」

 と、清記に問い掛けた。

「左様ですな。戦国の御世ならば、天下も窺えそうな組み合わせではないかと」
「ただ、どちらも背信乱逆はいしんらんぎゃくがお家芸。長く続く関係とは思えぬがね」

 確かに。ただ、お前もその背信乱逆の一派ではないかと、腹の中で清記は問い掛けていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 二の丸表書院を出ると、八十太夫が控えていた。
 兵部を待っているのだろう。八十太夫は軽く会釈したが、清記は頷いただけで、その前を通り過ぎた。兵部と同様、好んで付き合いたい男ではない。
 長い廊下で、羽合掃部と出くわした。どうやら、羽合も別件で呼び出されたそうだ。顔を合わせるのは、宇美津以来である。

「噂で耳にしましたが、何かと忙しそうで」

 清記から声を掛けたると、羽合は怜悧を具現化した冷たい顔に微かな微笑みを見せた。

「色々と着手すべき事案が多過ぎましてね。ですから、こうした呼び出しは困るのですが致し方ありませぬ」
「お互い様ですな」
「平山殿もですか」

 清記は頷いて応えた。それだけで、この男は全てを察する敏さがある。
 三十を少し越えたばかりの秀才を、清記は嫌いではなかった。無駄口を叩かず、功を誇る事も無い。
 ただ武辺者を見下す所があり、特に許斐亘を筆頭とした武官の面々とは不仲だ。帯刀も、その能力を買ってはいるが、

「あれは殿の石田治部」

 と、毛嫌いしている。ただ、今回の町奉行補任を薦めたのは帯刀らしく、その点ではただ嫌っているだけではないようだ。

「ところで、例の件ですが」
「私は構わぬ。後は本人の意思だ」

 雷蔵を、町奉行所で修行させるという話が出ていた。特に警吏の役人として、力を貸して欲しいという。言い出したのは羽合で、清記はその話に賛成だった。

「では私からご子息に話をしましょう」
「お頼みします。愚息に、官吏が何たるか叩き込んで下され」

 羽合と別れると、今度は郡総代奉行の猪俣八衛門、寺社奉行の徳富勘蔵とくとみ かんぞうと行違った。これから何の会議が行われるか聞かされていないが、重要な事が話し合われるのかもしれない。

(或いは……)

 不吉な予想が浮かんだが、清記はすぐに打ち消した。誰にでも訪れる〔その日〕を迎える時まで、極力考えたくはない。
 二の丸を出た所で、清記は小さな老人の姿を見掛けた。
 四人の供侍を連れ、片足を引きずるように歩いている。見掛けるのは、久し振りだった。頭髪も蓄えた顎髭も真っ白になっている。

(何故、登城など)

 老人は、犬山梅岳。兵部の養父であり、夜須藩史上、最大の権力を有した男がいたのだ。
 梅岳は、利景との暗闘の末に失脚した経緯がある。今は兵部に家督を譲って隠棲しており、登城する用件などあるようには思えない。

(殿様に呼ばれたか……)

 血を流してまで争った宿敵すら、出席するのだ。そうすると、いよいよ会議は大掛かりなものになる。

「久しいのう、平山の」

 梅岳に背を向けようとした時、清記は声を掛けられた。黙礼する。四人の供侍を待たせた梅岳が、猿のような笑みを見せた。
 久し振りに聞く、喉が鳴るような声。それは、思い出したくない記憶を呼び起こすものだった。

「どうだ、忙しく励んでおるか」
「ええ、お陰様で」

 清記は、したたかな嫌悪感を何とか堪え返事をした。

「ふふ。それは結構……ではないのう。貴様が繁盛しているという事は、夜須も多難なのだろう」
「お恥ずかしい限り。藩内が落ち着かぬのも、私の力不足でございます」
「なに、貴様は刀に過ぎん。使い手の問題だろうよ」

 梅岳は、御手先役の事を当然知っている。かつては、父も自分も梅岳に使われていたのだ。

「隠居して倅に家督を譲り、花鳥風月を愛でる生活をしていても、色々と耳に入ってくるものでの。宇美津の件しかり、真崎の件しかり」
「……」
「先日、うちの岩城がられたわ」

 清記は、何も答えず目を伏せた。際どい話題には、目だけで相槌を打つ。政事というものに付き合うようになって身についた癖だった。

「あれは、野心家でのう。兵部を唆し、もう一旗挙げようと躍起になっておった。何度か注意はしたのじゃが」
「残念でございます」
「下手人は、まだ捕縛されていないのであろう?」
「そのようで」

 捕まりようが無い。手を掛けたのは、犬山一派なのだ。

「さて、今からお殿様とお会いせねばならん。儂を退けたというのに、今度は呼び出しとは人使いが荒いお方だ」

 梅岳がその場を去ると、清記はすぐに踵を返した。
 主要な藩閣だけでなく、かつての政敵すら呼び出す。そこで話し合われる事の予想は、核心に変わった。
 しかし、清記はそれ以上の思考を止めた。まずは、深江藩。与えられたお役目を成し遂げる事が肝要なのだ。
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