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第四章 末路
第二回 謀殺(後編)
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目が覚めた雷蔵の横には、女の湿った肌の温もりがあった。
鼻腔を突く、酒と白粉と女の臭い。嗅ぎ慣れぬその香りに、雷蔵はそうだったと、眠る前の事を思い出した。
城下、吉原町。その妓楼である。
昨夜、菰田町を離れた雷蔵は、その足で妓楼へ上り女を買った。人を斬り、滾った血を鎮める為である。意図したわけではないが、足は自然と吉原町に向いていた。
妓楼の名は、不夜楼という。建物は立派で、集う客も上等な着物を着ている。だが、女の代金が安いのか高いのか雷蔵には判らない。相場というものを知らないのだ。妓楼はこれで二度目。そして、女を抱くのは三度目になる。
初めての女は、〔ゆふ〕という、三十手前の女中だった。百姓の生まれで、一度嫁に行って子を産んだが、姑と反りが合わず実家に戻された。寡黙で滅多に笑わないが、生真面目に働く所を見込まれ百姓家から平山家に奉公するようになった。
元服した夜、寝所にゆふが現れ抱かれた。〔抱かれた〕という形容以外に言葉がないほど、その熟れた身体に雷蔵は漂うしか出来なかった。誰が、そうするように命じたのかは、判らなかった。ただ、父が仕向けたとは思えない。
ゆふで女を知り、女色に惑うという意味が判った。いつでも抱きたい、そんな衝動に突き動かされるのだ。
だが翌日からのゆふは、いつもの寡黙な表情で働いていた。ゆふの顔を見れば、あの夜の事を思い出し怒張していまう。しかし、ゆふはそれをおくびにも出さない。きっと、あの夜は、一度だけの事と決めていたのだろう。
雷蔵には、それが理不尽に思えた。そして卑怯だとも。一夜の契りを、一方的に無かった事にするなど。しかし、どうする事も出来ない。手籠めにする、そんな妄想すら浮かんだが、それでは宝如寺の賊と同じ畜生となってしまう。
(女など、知らねばよかった)
そんな後悔さえ湧いた。だが、突き動かされる衝動は抑え難く、雷蔵は適当な用事を作って村を発ち、この不夜楼へ飛び込んだ。
最初に選んだのは、ゆふのような女だった。歳や背格好は似ているが、ゆふのような慎ましさはなく、笑い声や喋り方に下卑た印象を覚えた。それでも、雷蔵は抱いた。何度も抱いた。最後はあからさまに嫌がられたが、構わず続け、叱られてしまった。暫く使い物にならなくなったという。仕方なく、雷蔵は女の言い値で銭を渡した。
(病かもしれぬ)
或いは、色情狂か。女への衝動が湧く度に、雷蔵の気持ちは沈んだ。
「あら、若様。もうお目覚めですか?」
女が、布団から身を起こして言った。
今回の女は、若い女だった。だと言っても、自分よりは年上だろう。この女は、自分で選んだ。夕雲という、源氏名が気に入ったからだ。
「すみません、起こしてしまって」
「そんな事はないですよ。若様のお陰で、ぐっすり眠れましたから」
そう言って、夕雲は八重歯を見せて笑った。妓楼でが普通の女だという評価らしいが、雷蔵には、肌の白い横顔が綺麗な女に見えた。ただそれだけに、薄幸な印象を際立っていて、そこが客に受けないのかもしれない。
その夕顔を、昨夜は二度抱いた。それで、血の滾りが収まったのだ。朝まで買い取っていたので、後は静かに眠らせていた。
「若様は、何をされているのですか?」
夕雲が、身体を寄せてきた。肩に手を回すと、抱いた時に感じた、か弱い細さが胸を突いた。
「……いや、何もしていないな」
「嘘。何もしないで、此処には来れやしないですよ」
「確かにそうだ。強いて言えば、父の見習いでしょうか。でも、何もしていないのと同じですよ」
「そう、まだ半人前なんですね」
「そうですね。半人前の見習い修行中です」
「見習い修行は楽しい?」
「どうでしょうか。楽しい、と感じた事はないですね。むしろ、嫌だという気持ちの方が強い。今は慣れましたが、辞めろと言われたら辞める」
すると、夕雲が、
「うちと同じですね」
と、言った。
「同じ?」
「ええ。楽しいとは思わない。嫌だけど、もう慣れた。でも辞めろと言われたら辞める」
「……」
「でも、若様は嫌じゃない。優しくしてくれるから」
「そうでしょうか。私は優しくはないですよ。むしろ、私が死んだら地獄行きですね」
「若様が地獄なら、みんな地獄に行かなきゃいけなくなる」
「それが、そうでもないのですよ。私は閻魔様に目を付けられていまして」
「でもいいじゃない」
「どうして?」
「死んだ後だから。うちは、今が地獄……」
それ以上、何も言えなかった。内住郡にも貧農はいる。その厳しい生活は知ってはいるが、自分はそれを上から見ているに過ぎない。本当に餓えた事などなく、おおよそ貧しさ故に売られた夕雲が、生きながら堕とされた苦界を、測り知る事など到底出来ない。
「うちは、山に住んでいたの」
「山に?」
「そう、山人よ」
「……」
山人とは、定住せずに山野を回遊し、人別帳にも記載がない漂泊の民である。平山家が治める内住郡にも山人が多く、父は深い付き合いをしている。
「それがどうして?」
「借金よ。お父っちゃん、山人の癖に里人の博打に手を出しちゃって。博打は御法度なの、山人にとって」
「それで……」
「よくある話だけど、山人の女郎はうちだけみたい」
雷蔵は、細い肩を強く抱きしめた。
夕雲が胸に顔を埋める。そこには、愛欲より悲しさしかなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
不夜楼を出た雷蔵は、同じ吉原町にある湯屋に寄った。
そこで、僅かな酒気と夕雲の肌の匂いを洗い流していると、
「菰田町がえらい騒ぎになっているらしいぞ」
との、声が聞こえた。
目を向けると、町人の若い男二人が会話をしていた。
「騒ぎ?」
「おう。首が晒されているって話さ」
「首? 人間様のかい?」
「そうよ。でなきゃ、片付けられてお終いさ」
「穏やかじゃないねぇ」
「何でも、殺されたのは真崎っていうお侍でよ、その人の弟子達が押し掛けているらしいぜ」
弟子というと、尚武塾の連中だろう。
(行ってみるか)
見てみたい気がした。自分が為した行為が、どのような影響を与えたのか。
それから雷蔵は、菰田町へ歩いた。その四つ角で群衆が見えた。
怒号が聞こえた。騒然としている。尚武塾の塾生と思われる若い武士達が騒いでいるのだ。しきりに首を返せと叫び、それを町奉行所の役人が必死に制している。
雷蔵は群衆の中に入った。真崎の首が、昨夜のままぶら下がっている。
「これは何です?」
雷蔵は、傍で見ていた職人風の男に声を掛けた。
「何でも真崎ってお武家さんが、藩の偉いお役人と通じていたらしく、仲間に裏切り者ってんで始末されたそうです」
「なるほど」
全てが計画通りになっている。これから噂が広まり、斬奸状の内容が真実となるだろう。
自分に真崎殺しを命じた黒幕が、どんな意図を持っていたかは知らない。しかし、この状況を見るにまずは成功と判断するのではないか。
「見事なもんだな」
耳元で声がした。視線を移すと、すぐ後ろで小忠太が首を眺めていた。
小忠太は、大小を佩いた着流し姿をしている。昨夜、廉平に武士になりたがっていると聞いたからか、どうもその姿が滑稽に見えてしまう。
「小忠太殿ですか」
「子供の手伝いと聞いた時は気が進まなかったが、気に入ったよ。見事だ」
「私は言われた事を言われた通りに進めただけです」
「雷蔵さんは、謙遜も過ぎると厭味だって事を学ぶべきだな」
「事実ですから」
すると、小忠太は鼻を鳴らした。どうやら、小忠太は自分が気に入らないようだ。
「妓楼も『言われた事』か?」
小忠太が、嫌らしく嗤う。挑発だろう。怒りが湧かないわけではないが、それを相手にしてやる義理もない。雷蔵は小忠太に頭を下げ、その場を離れた。
鼻腔を突く、酒と白粉と女の臭い。嗅ぎ慣れぬその香りに、雷蔵はそうだったと、眠る前の事を思い出した。
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昨夜、菰田町を離れた雷蔵は、その足で妓楼へ上り女を買った。人を斬り、滾った血を鎮める為である。意図したわけではないが、足は自然と吉原町に向いていた。
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ゆふで女を知り、女色に惑うという意味が判った。いつでも抱きたい、そんな衝動に突き動かされるのだ。
だが翌日からのゆふは、いつもの寡黙な表情で働いていた。ゆふの顔を見れば、あの夜の事を思い出し怒張していまう。しかし、ゆふはそれをおくびにも出さない。きっと、あの夜は、一度だけの事と決めていたのだろう。
雷蔵には、それが理不尽に思えた。そして卑怯だとも。一夜の契りを、一方的に無かった事にするなど。しかし、どうする事も出来ない。手籠めにする、そんな妄想すら浮かんだが、それでは宝如寺の賊と同じ畜生となってしまう。
(女など、知らねばよかった)
そんな後悔さえ湧いた。だが、突き動かされる衝動は抑え難く、雷蔵は適当な用事を作って村を発ち、この不夜楼へ飛び込んだ。
最初に選んだのは、ゆふのような女だった。歳や背格好は似ているが、ゆふのような慎ましさはなく、笑い声や喋り方に下卑た印象を覚えた。それでも、雷蔵は抱いた。何度も抱いた。最後はあからさまに嫌がられたが、構わず続け、叱られてしまった。暫く使い物にならなくなったという。仕方なく、雷蔵は女の言い値で銭を渡した。
(病かもしれぬ)
或いは、色情狂か。女への衝動が湧く度に、雷蔵の気持ちは沈んだ。
「あら、若様。もうお目覚めですか?」
女が、布団から身を起こして言った。
今回の女は、若い女だった。だと言っても、自分よりは年上だろう。この女は、自分で選んだ。夕雲という、源氏名が気に入ったからだ。
「すみません、起こしてしまって」
「そんな事はないですよ。若様のお陰で、ぐっすり眠れましたから」
そう言って、夕雲は八重歯を見せて笑った。妓楼でが普通の女だという評価らしいが、雷蔵には、肌の白い横顔が綺麗な女に見えた。ただそれだけに、薄幸な印象を際立っていて、そこが客に受けないのかもしれない。
その夕顔を、昨夜は二度抱いた。それで、血の滾りが収まったのだ。朝まで買い取っていたので、後は静かに眠らせていた。
「若様は、何をされているのですか?」
夕雲が、身体を寄せてきた。肩に手を回すと、抱いた時に感じた、か弱い細さが胸を突いた。
「……いや、何もしていないな」
「嘘。何もしないで、此処には来れやしないですよ」
「確かにそうだ。強いて言えば、父の見習いでしょうか。でも、何もしていないのと同じですよ」
「そう、まだ半人前なんですね」
「そうですね。半人前の見習い修行中です」
「見習い修行は楽しい?」
「どうでしょうか。楽しい、と感じた事はないですね。むしろ、嫌だという気持ちの方が強い。今は慣れましたが、辞めろと言われたら辞める」
すると、夕雲が、
「うちと同じですね」
と、言った。
「同じ?」
「ええ。楽しいとは思わない。嫌だけど、もう慣れた。でも辞めろと言われたら辞める」
「……」
「でも、若様は嫌じゃない。優しくしてくれるから」
「そうでしょうか。私は優しくはないですよ。むしろ、私が死んだら地獄行きですね」
「若様が地獄なら、みんな地獄に行かなきゃいけなくなる」
「それが、そうでもないのですよ。私は閻魔様に目を付けられていまして」
「でもいいじゃない」
「どうして?」
「死んだ後だから。うちは、今が地獄……」
それ以上、何も言えなかった。内住郡にも貧農はいる。その厳しい生活は知ってはいるが、自分はそれを上から見ているに過ぎない。本当に餓えた事などなく、おおよそ貧しさ故に売られた夕雲が、生きながら堕とされた苦界を、測り知る事など到底出来ない。
「うちは、山に住んでいたの」
「山に?」
「そう、山人よ」
「……」
山人とは、定住せずに山野を回遊し、人別帳にも記載がない漂泊の民である。平山家が治める内住郡にも山人が多く、父は深い付き合いをしている。
「それがどうして?」
「借金よ。お父っちゃん、山人の癖に里人の博打に手を出しちゃって。博打は御法度なの、山人にとって」
「それで……」
「よくある話だけど、山人の女郎はうちだけみたい」
雷蔵は、細い肩を強く抱きしめた。
夕雲が胸に顔を埋める。そこには、愛欲より悲しさしかなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
不夜楼を出た雷蔵は、同じ吉原町にある湯屋に寄った。
そこで、僅かな酒気と夕雲の肌の匂いを洗い流していると、
「菰田町がえらい騒ぎになっているらしいぞ」
との、声が聞こえた。
目を向けると、町人の若い男二人が会話をしていた。
「騒ぎ?」
「おう。首が晒されているって話さ」
「首? 人間様のかい?」
「そうよ。でなきゃ、片付けられてお終いさ」
「穏やかじゃないねぇ」
「何でも、殺されたのは真崎っていうお侍でよ、その人の弟子達が押し掛けているらしいぜ」
弟子というと、尚武塾の連中だろう。
(行ってみるか)
見てみたい気がした。自分が為した行為が、どのような影響を与えたのか。
それから雷蔵は、菰田町へ歩いた。その四つ角で群衆が見えた。
怒号が聞こえた。騒然としている。尚武塾の塾生と思われる若い武士達が騒いでいるのだ。しきりに首を返せと叫び、それを町奉行所の役人が必死に制している。
雷蔵は群衆の中に入った。真崎の首が、昨夜のままぶら下がっている。
「これは何です?」
雷蔵は、傍で見ていた職人風の男に声を掛けた。
「何でも真崎ってお武家さんが、藩の偉いお役人と通じていたらしく、仲間に裏切り者ってんで始末されたそうです」
「なるほど」
全てが計画通りになっている。これから噂が広まり、斬奸状の内容が真実となるだろう。
自分に真崎殺しを命じた黒幕が、どんな意図を持っていたかは知らない。しかし、この状況を見るにまずは成功と判断するのではないか。
「見事なもんだな」
耳元で声がした。視線を移すと、すぐ後ろで小忠太が首を眺めていた。
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「小忠太殿ですか」
「子供の手伝いと聞いた時は気が進まなかったが、気に入ったよ。見事だ」
「私は言われた事を言われた通りに進めただけです」
「雷蔵さんは、謙遜も過ぎると厭味だって事を学ぶべきだな」
「事実ですから」
すると、小忠太は鼻を鳴らした。どうやら、小忠太は自分が気に入らないようだ。
「妓楼も『言われた事』か?」
小忠太が、嫌らしく嗤う。挑発だろう。怒りが湧かないわけではないが、それを相手にしてやる義理もない。雷蔵は小忠太に頭を下げ、その場を離れた。
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