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祈りの家

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上に乗しかかった男性は、微動だにしない。
豹のようなしなやかな体躯。
はっきりとした目鼻立ちに、形のいい唇。

髪はボサボサで、顔中に口紅の痕があるけれど、それが気にならないくらい眼光が鋭い。

人狼の特徴である金眼も、さらに強く光ってる。

酒場から出てきた時は、女性にだらしないただの軟派な男性にしか見えなかったのに。

よく見ると、鎖帷子の向こうに見える肩や腕に、古くなった傷跡が見える。

本物のハンターなんだ。
すごくイケメンだけど、この人は私を殺せる人なんだ。

「わ、私は、彼女たちとは、違います!」

しどろもどろに言うと、彼は私の上着の襟元をぐいっと下げてきた。

「きゃー!!」

「騒ぐな。何が違う? この時間帯に動き回れるのは、新種か“しもべ”の吸血鬼たちだ。首に咬み跡があるんだろ? 主人は誰だ?」

彼は私の首の周りを、丹念に調べている。
でも、見つからないので、驚いて今度は唇を持ち上げて、牙がないか確認してきた。

「あの、牙は前じゃないの……一番奥にあります」

私は口を開いて、奥歯を見せた。

「はぁ? 呆れたぜ。こんなに奥にあったら、どうやって咬み付くんだ?」

「か、咬みつけません。だから、私……人を咬んだことはないんです」

私の言葉に、彼は目を丸くする。
そうよね……ちっとも吸血鬼らしくない。

落ち込む私の前で、彼は口を開いた。

「天と地に周く奇跡をもたらす神々よ、その御技で我らを救い給え」

あ、祝詞ね。相変わらず少し背中がゾクッとするけど、別になんともない。

彼はますます驚く。吸血鬼は、お祈りの言葉を聞くと、耳を塞がずにいられないもの。

「祝詞に反応しないなんて、本当に人の血を飲んだことがないみたいだな。初めて見たぜ」

「はい、あの、人を咬めないから、“しもべ”も作れないし、それに……他人の血はアレルギーがあって飲めないんです。でも、吸血鬼です」

私は言いながら悲しくなってきた。
敢えて飲むとしたら、自分の血ということになる。

「マジかよ……。『身喰いの吸血鬼』か。まるでヴァレンティカみたいだな」

彼はそう言うと、ゆっくり私の上から離れて、刺してあった剣を引き抜いた。

「ヴァレンティカ?」

私の質問に、彼は首を振ってピタリと剣の先を私の鎖骨の中心にあててくる。

「ひ……!!」

「だからなんだ。お前の仲間は“しもべ”を増やし、その管理は杜撰で被害者が絶えない。人間を下等生物だと思ってるからだろ?」

「ひ、被害者? 純血は人間から召喚を受けてから人を咬むし、“しもべ”の吸血鬼たちは、墓の下の棺をひっそりと開けて少しずつ食べるはずですけど? 違反者がいても、少数じゃ……」

「ふざけんな。新種と“しもべ”が入り混じっての被害ではあるが、奴らは俺たちが狩るまで好き放題人を襲う。何も知らないとは言わせないぞ!?」

そう言って、剣の先で私の鎖骨の辺りを軽く突いた。

痛っ……!

傷口から生暖かい血が、胸元をつたっていくのがわかる。

「!! お前……!!」

彼が何かに気づいて、私の目を見た時、

バサバサバサ!!!

モーガンが、彼の顔目掛けて突進した。

「うわっ、フクロウ!?」

咄嗟に剣の先が逸れたので、私は彼を押し退け、モーガンを連れて地下室を飛び出す。

そのまま宿屋の外に躍り出て、街の中を疾走した。

怖い、怖い、怖い!!
胸がドキドキして、止まらない。

あれがヴァンパイアハンターなの? 
これじゃ、共闘なんてできるわけない!!

それに、好き放題人を襲ってるですって? 
知らなかった……。
ずっと、ちゃんとしてると思ってたから。

私は、とりあえず手近な路地裏に隠れてうずくまった。

「ホーホゥ……」

肩にとまったモーガンが、心配そうに覗き込んでくる。

私はモーガンを抱きしめて、震えが止まるまで動けずにいた。

外にさえ出れば、なんとかなると思ったのに。

知らなかった現実を突きつけられて、混乱する。

あ……外が明るくなってきた。
お日様が昇ったのね。
私は太陽の下でも平気だけれど、もう少しここに……。

「おや、お嬢さん。こんなところでどうなさいました?」

不意に声をかけられて顔をあげると、初老の男性が覗き込んできた。

お髭が長くて、優しそう。

よく見ると、法王府の紋章の入ったペンダントをさげている。

「あの……もしかして、『祈りの家』の神官の方?」

私が尋ねると、その男性はにっこり笑って頷いた。

「えぇ、と言っても、この先にある大きな街、『ケファノン』にある祈りの家と兼任してるんです。よろしければ、お話を伺いましょうか?」

そう言われて、私は『はい』と返事をした。
よかった。私を狩る気はないみたい……。

それなら、相談に乗ってもらおう。
他に行くところはないもの。

親切な神官様は、『ダグラス』と名乗った。
祈りの家の扉を開けて、私を迎え入れてくれる。

中に入ろうとして、私はダグラス神官様を見た。

いいのかな……私は聖なるものとは相反する魔に属するもの。

「あの、私は……吸血鬼なんです」

でも、ダグラス神官様は少しも動じずに手招きしてくれた。

「わかっていますよ。お入りなさい。神は魔の物であろうと、寛容に受け入れてくださいます」

「怖くないのですか?」

「私は吸血鬼をよく知っています。襲う気なら、もう咬みついているはず。ちゃんと見極めておりますよ」

ありがたいお言葉。
さっきの、ヴァンパイアハンターとは大違い。

私は中に入ると、堰を切ったように仲間の元を離れた後の話をした。

ダグラス神官様は、一言も口を挟まずに聞いてくれる。けれど、ディミトリの姿を見たという話に、一瞬片眉をビクッとあげた。

でも、次の瞬間表情は元に戻る。
……どうしたんだろ。

ダグラス神官様は、何事もなかったように口を開いた。

「ほほぅ、あなたは『共闘の盟約』のためにいらっしゃったのですか。しかし、こんな時間に活動する純血は、初めてです」

「えぇ……あの。私は少し毛色の違う吸血鬼なので」

牙の移植の話は、他人にはなるべく伏せておけとヴァンお養父とう様に言われている。

あ、そうだ。この人にも聞いてみようかな。

「あ、あの……」

さっきのハンターに言われた話を、ダグラス神官様にも聞いてみた。

吸血鬼は、人を無秩序に襲っているのかと。

ダグラス神官様は、ため息をついて頷く。

「えぇ。ここ十年は特にひどくなりましてな。年若い純血たちが、管理を面倒がって“しもべ”の飢えに無関心なようなのです。おまけに新種まで出てくる始末」

「そんな……!」

「純血たちの間では、話題にもならないのでしょう?」

「は、はい……」

それはそう。
私は、それでも規律は守られているんじゃないかと、甘く考えてた。

けれど、現実は違ってた……。

ダグラス神官様は無言になった私に、優しく微笑む。

「正直、共闘の盟約に従う吸血鬼も、もう来ないと思ってました。前任者が亡くなって数十年間誰も来なかったので。しかし、まだ心ある純血もいるのだとわかり、ほっとしてます」

と、言って彼は立ち上がり、奥の部屋に向かって歩き出す。

私は慌てて彼を呼び止めた。

「あの、これからどうしたら?」

ダグラス神官様は、ゆっくり振り向く。

「今から、あなたと組むハンターを選びます。ディミトリも、放ってはおけない」

ダグラス神官様はそう言うと、祈りの家の鐘を鳴らしに行った。

カラーン、カラーン。

鐘の音が静かに聞こえ始める。

はぁ……さっきみたいに、また殺されそうにならないといいけど。

私は戦えるかな。

い、いいえ! 私は純血の吸血鬼よ! 毅然と純血らしくしなくちゃ!
ちゃんと……きちんと、今度こそ!!

その時ふと、私は荷物を入れたトランクがないことに気づいた。

あぁ! あの宿屋に置いてきたんだ!
何がちゃんとよ……私ったら。
抜けてるんだから。

私は立ち上がって外に出ようとして、入り口からゾロゾロと見知らぬ人たちが入ってくることに気づいた。

みんな、怖そう……。

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