めぐる鍵、守護するきみ-鍵を守護する者-

空哉

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祝いの中の真実に-鍵を守護する者⑥下-

ただ守るために

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人気ひとけのない公園。木が生い茂り影を作っている。夕陽に照らされ、地面に長い影が出来ていた。
怖くないわけはない。一歩間違えれば再び窮地に陥る。だからこそ自分がしっかりしなければならない。そう思いながら美都はこの場所へ赴いた。
「いらっしゃい」
先に着いて自分を待っていた衣奈から声がかかる。その姿をただ真っ直ぐに見つめた。顎を引いてグッと喉を引き絞る。
「衣奈ちゃん──わたしは戦うつもりはないよ」
そう素直な気持ちを伝えると衣奈の眉がピクリと動いた。目を細めた後薄ら笑みを浮かべ、吐き捨てるように言葉を放つ。
「そうも言ってられなくなるわよ。自分の命がかかってるんだもの」
言いながら彼女が美都の足元に何かを投げた。飛んできたものに目を凝らす。それは誕生日に衣奈がくれたシャープペンシルだった。現状もらったその物はまだ所持している。ということはこれは「もう一つ同じ物を持っている」と言っていた彼女自身のものだろう。
「取りなさい」
禍々しい気配だ。宿り魔の胚が植え付けられているのだと察せられる。恐らく初めて襲われた時も同様のやり口だったのだろう。対象者である自分が取ったらスポットに引き込まれるという仕組みだ。
「凛は下がってて」
「……えぇ」
万が一彼女を巻き込むことになってはいけない、と近くに佇んでいた凛に距離を取らせる。渋々と頷きながら、彼女は後方へと退いた。心配そうに様子を見ている姿が窺える。
一度気持ちを整えるため深呼吸を行う。あれだけ色々考えてきたのに、いざ対面するとやはり心が揺らぐ。だが必死に恐怖心を抑え込むしかない。少しでも自分が怖いと思ったら何も出来なくなる。気を強く持たなければ。
隣にいる四季に視線を送った。彼の手には既に指輪が嵌められている。唇を結んだまま頷いて目を細める。心構えは問題ない。
「──いくよ」
自分にも言い聞かせるように声に出した。ここから先は己との戦いでもある。自分の内側から何者かが叩いているかのように心臓の音が鳴っている。
体勢を屈ませて足元に転がったままのシャープペンシルに触れた。
「──!」
瞬間いつものように強い光が放たれる。何度経験しても慣れるものではなく、反射的に手で顔を覆いながら目を強く瞑った。
いつものようにゆっくりと、とは行かなかった。目を慣らそうとする間も無く禍々しい気配がすぐ近くで蠢くのに気付き、ハッとして身構える。シャープペンシルを憑代にした宿り魔がすぐさま襲いかかってきた。
「……っ!」
咄嗟に剣を呼び出す。自分に向けられる気配へ瞬時に対応するべくその剣を己の前に翳した。
「あら、戦わないんじゃなかったの?」
「衣奈ちゃん……!」
スポットが出来る前に告げた言葉を揚げ足を取るように衣奈が示唆した。剣の柄を握り締めながら苦い顔を浮かべる。だが自分が言った「戦わない」とは衣奈に対してのことだ。脅威である宿り魔にはやはり剣を向けなくては退魔が出来ない。それに目の前に佇む宿り魔は容赦無く自分を狙ってきているのだ。
強い力を払いのけ一旦距離を取り体勢を整える。細かく呼吸を繰り返していると視界の端で宿り魔目掛けて弾丸が飛んできた。するとすぐに四季が隣へ並ぶ。
「ありがとう」
横目で彼に視線を送り礼を伝える。やはり彼がいてくれるだけで心強い。すぐに視線をキッと前へ向ける。
少女と宿り魔。目の先にある脅威をしっかりと捉える。ふっ、と息を吐いた。前回とは違う。大丈夫だ。四季とも事前に確認は済ませてある。まずは、と剣を握り締める手に力を込めた。
(宿り魔を祓う──!)
そう考えて一目散に駆け出した。どのみち宿り魔の狙いは自分だ。そうであるならば自ら動いた方が早いと判断した。それにこちらを片付けない限り衣奈と話し合いをするなど難しい状況にある。
「ふっ!」
距離を詰め、宿り魔へ剣を振りかざす。しかし宿り魔もその攻撃を鋭敏に躱し、すぐに反撃の姿勢を取った。飛んで火に入る、と言ったところだろう。宿り魔は対象者である美都をしっかりと捉え目を離すことをしない。すぐにでも飛びかかってきそうな勢いだ。冷静にその様子を観察していると身体が透明な壁にぶつかる。
「!」
これは、と瞬時に脳内に過ぎる。衣奈が作る結界。目に見えないため視覚で捉えることが出来ない。そのことが昨日は仇となった。それならば目に見えるようにするか壊してしまえば良いだけの話だ。昨日は武器がなかったためそれが出来なかった。しかし今日は彼がいる。そう思った瞬間に弾丸が飛んできて壁を打ち破った。
「──邪魔しないで!」
苛立ちながら衣奈が四季に向かって気砲を放つ。やはりだ。昨日のような余裕が見られない。それに四季が遭遇したというキツネ面の少年が現れる気配も無い。それはこちらにとってはありがたくもある。
四季は攻撃を避けるとすぐさま態勢を立て直し引き金を宿り魔に向けて引いた。乾いた破裂音がスポット内に響く。宿り魔はどこからともなく飛んでくる弾丸に顔を歪ませている。目の前にいる対象者に集中出来ないことがより腹立たしいと言った様子だ。
「早く捕まえなさい!」
甲高い少女の声が耳に届いた。指図するその声からは焦りが滲み出ている。上手く立ち回れない宿り魔を目にして衣奈は癇癪を起こしている。苦い顔を浮かべた後、舌打ちをして再び四季へと手のひらを向けた。
バツン、という音が鳴る。衣奈が作る透明な結界の中に四季が囚われたのだ。ハッとして互いに目を見開く。彼女の顔に笑みが戻る。しかしその表情も瞬時に崩れ去ることになった。
「なっ……!」
信じられない、といった風に今度は衣奈が目を見開いた。当然だ。焦りで先ほど見た光景を忘れているのだろうか。四季は既に透明な壁を打ち砕いているのだ。それに昨日対峙した少年の結界さえも。圧倒的に威力が弱いこの結界を破れないはずがなかった。
「なめるな!」
彼は昨日の今日で力のコントロールを習得したらしい。視界の端でそれを捉えながらさすがだな、と感心せざるを得ない。自分とは大違いだと。
だがこれ程心強いことはない。いくら彼女が結界を作ろうが、もはや機能しないということだ。壁が作られても破壊できる。この事が後押しとなった。
衣奈が動揺している間に、美都は目の前で攻撃を繰り返す宿り魔へと向き直る。脅威は常に自分を狙い続けている。ギリっと奥歯を噛み締めて一歩足を踏み抜いた。
「やぁっ!」
切っ先が胴部分に触れる。宿り魔から叫び声が上がるのと同時にすぐに再び背後から斬りかかった。脅威は為すすべなくその場へ崩れ落ちる。このまま一気に退魔出来る、と考えた瞬間自分に向かって気砲が飛んできた。
「っ!」
間一髪でそれを避けた。もちろん攻撃の主は衣奈だ。攻撃元を辿りキッと視線を向ける。美都のその姿勢に驚いたのか一瞬彼女が怯んだ。昨日とはまるで逆の立場だった。それに衣奈が自分の手を遮ろうとも結果は既に見えている。何故ならば今日は一人ではないから。
「天浄清礼!」
呻き声を漏らしている宿り魔の軀を、光を帯びた弾丸が貫いた。その様をしかと見届ける。自分を脅かしていた禍々しい姿が金切り声の断末魔を上げて消えていった。ここまではいつも通りの退魔だ。対象者が自分であっただけに彼との連携も上手くいった。はぁ、と息を吐いた後、今度は再び衣奈の方へ向き直る。
「……っ!」
口惜しそうに顔を歪ませながら彼女がたじろいだ。なぜ、ここまで余裕がないのかは不明だ。しかし宿り魔という脅威が削がれた以上、これで気にする事なく彼女に集中できるのはありがたかった。
「話をしよう、衣奈ちゃん」
「……嫌よ、話すことなんてないわ」
瞳を捉えながらそう提案するがすぐに一蹴される。しかしこちらも引き退ることは出来ない。鍵を所持しているのが自分で、その鍵を欲しているのが衣奈なのだ。彼女こそ喉から手が出る程鍵が欲しいはずだ。以前よりそういった態度だった。それは今この状況でも変わりないはずだ。それなのに何を構える必要があるのか。自分はただ話がしたいだけだ。そう考えて美都は剣を指輪へと戻す。
「はっ……、随分と余裕なのね?」
「戦わないって言ったはずだよ。わたしは話がしたいだけだもん」
「うるさい!」
美都の言葉が癪に障ったのか、衣奈は半ば自暴自棄になりながら気砲を放った。美都がそれを避ける前に弾丸で相殺される。四季が瞬時に美都を庇ったのだ。その事にも彼女は苛立ちを隠せない様子だった。
「話し合う事なんてないわ!  あなたと私では立場が違うのよ!」
その言葉に息を呑んだ。彼女の言うことこそもっともだ。守護者でありながら所有者である自分に対して、その鍵を必要として対象者を傷つける衣奈ではまるで逆の立場だ。しかしその言葉も不思議に聞こえる。違うから理解しようがないと、彼女はそう言いたいのだろうか。
「……そうだね。でも──」
立場が違うと言われれば、そんなの誰でもそうだ。誰も同じ立場で物事を見る事なんて出来るわけがない。だから全てを理解することは出来ないかもしれない。
拒絶するように自分を睨みつける瞳すら、今にも彼女の感情が溢れてきそうな勢いだ。その眼差しが苦しい。それでもここで目を逸らすことこそ出来るわけがなかった。
「理由も分からずに、このまま引き下がることは出来ない」
更に衣奈の表情が険しくなる。浅く息を繰り返して尚も美都をめつけた。
「無駄よ。あなたに解るはずない……!」
「どうしてそうやって決めつけるの?  まだ何にも話してないのに」
「あなたの性格を知ってるから言ってるのよ」
棘を含んだ言い方で衣奈が美都のことを口にする。明らかな拒絶だ。これ以上踏み込んでくるなと言う警告のような口調。眉間にしわを寄せると彼女は言葉を続けた。
「誰にでも優しいものね。優しくてか弱くて、誰からも大切にされて。だから嫌なのよ──!」
瞳に陰を落として、叫びにも似た声色を放つ。思わずおもむろに届くその単語に身を構えた。真っ向から響く拒絶の言葉に。
「その純粋さが私を惨めにさせる。あなたはいつだって正しいわ──でもその正義が誰かを傷つけているとは知らないでしょう?」
苦い笑みを浮かべ美都を見据える。衣奈のその様に声を詰まらせて目を見開いた。心音が一つ大きく鳴る。研ぎ澄まされた悪意が、目の前に佇んでいるその様子に。
「嫌いよ──あなたなんて……!」
真正面から向けられる負の感情がズシンと重くのしかかった。包み隠すことのないマイナスな言葉に顔を歪ませる。「嫌いだ」と言われて、初めて人間は自分の事が解る。自分の態度が誰かを傷つけることになっていたのだと。
(──っ、……苦しいな)
制服を巻き込むように胸をぎゅっと握りしめた。目を伏せて衣奈の感情を受け止める。憎悪にも似た悲痛な叫び。ただただ、苦しい。息が詰まりそうだった。
「!  美都!」
静観していた四季の声が耳に届く。しかし互いに反応が遅れた。目を伏せていたため衣奈の動きに気付けず、四季には結界を、そして美都へは気砲を放った。阻止しようと撃った四季の攻撃は結界に当たりバチっという強い音を立てる。咄嗟に避ける事が出来なかった気砲が美都の身体に命中した。
「ぅあっ!」
衝撃で身体が地面へ投げ飛ばされる。受け身を取ることも出来ず後ろに仰け反った。威力的には然程強くはない。だが打ち付けられた痛みを皮膚に感じる。小さく呻き声を上げながら腕に力を込めグッと上半身を起こした。すると無言のまま衣奈が自分の元へ歩いてくる。
「四季!  待って!」
牽制するために四季が銃を構えた音に気付き、瞬間に制止した。美都の声にピクリと反応し、反射的に引き金を引こうとしていた手を止める。すると苦い顔を浮かばせながらも、ゆっくりと銃を下ろした。彼と約束していたのだ。衣奈と話をさせて欲しいと。危なくなるまで手を出さないで欲しいとお願いをした。彼はそれを守ってくれようとしている。
ふらふらと歩をこちらに進める衣奈の姿を、地面に腰をつけたまま見つめた。顔を上げて彼女と視線を交わす。
「大人しく鍵を渡して」
独り言にも似た声量で衣奈がそう呟く。そこには自分に対する感情がないようにも思えた。ただそのためだけに立っているかのような。見下ろす瞳には光が宿っていなかった。だが不思議と彼女に対して感じるのは恐怖ではない。だからグッと喉を引き絞った。
「──鍵を渡せば、衣奈ちゃんは幸せになれるの?」
瞬間彼女の瞳が揺らぐ。一度口を開閉した後、奥歯を噛みしめるように返答した。
「なれるわよ……っ!  鍵があればあの人はまた私を見てくれる……側にいさせてくれるはずだもの……!」
まるで己に言い聞かせるように甲高い声で少女が叫んだ。衣奈の言葉尻から感じ取った違和感を、瞬時に噛み砕いて理解する。その考えを頭に巡らせると美都はハッと目を見開いた。
彼女が焦っている理由。想像でしかないが、恐らく彼女は「切られた」のだ。だから鍵を持ち帰って名誉を挽回したいと、そういうことなのかもしれない。そう考えた途端に胸が苦しくなった。
「衣奈ちゃんにとってその人は、本当に大切な人なの……?」
衣奈が──初音が繰り返し言っていたことを思い出した。大切な人のために身を捧げる覚悟があると。どう考えても彼女が指していたのはその人物のはずだ。それなのにその人物は、衣奈の気持ちを汲まなかった。それどころか拒絶したのだろう。あんなにも慕っていた彼女のことを。考えれば考えるほど顔が歪む。苦しさが増す。
「あの人しかいないの……私を見てくれたのはあの人しかいなかった──!」
深い哀しみが声に乗って空間に響く。美都はその言葉を聞いて、目を伏せるしかなかった。理解してしまったのだ。
中学受験に失敗し、その劣等感から他者を拒絶するようになり一人でいることを選んだ少女。どれだけ勉学に励んでも彼女の心が満たされることはなかったのだろう。常に成績上位でいる事が当たり前で。彼女の親もかくあるべしと、そういう態度だったに違いない。だから彼女が上位である事には何の興味、関心も示さなかったのかもしれない。その結果、彼女は孤独を感じるようになっていった。その時に甘く巧みに声をかけたのが、衣奈が慕う人物だったのだろう。孤立していた衣奈にとって、その人物こそが救いとなったのかもしれない。その状況を考えると、彼女が心を傾けてしまう理由も理解出来た。その人物が衣奈にとっての拠り所だったのだ。
「……悔しいな」
確かに当初衣奈を気にかけたのはその人物だけだったかもしれない。それでも。その間に自分は衣奈と出会って、たくさん話をした。それなのに彼女を孤独から救うことができなかったのだと。そう突きつけられた気がした。結局自分は何も見えていなかったのだ。
「あなたには解らないでしょう?  今もそうやって守られて、愛されるあなたには──!」
声を震わせて美都を睨みつける。恨みと憎しみ、その強い感情をひしひしと感じた。
確かに、衣奈と自分では育ってきた環境が違う。だから一様に全て「解る」とは言い難い感情だ。しかし少なからず共通するところだってあった。彼女もまたこちらのことを知る由もない。不意に幼かった日のことが脳裏を掠めた。
(守られて、愛されて──か)
衣奈が言うように周りからはそう見えているのかもしれない。確かに近くには四季が見守ってくれている。スポットから出れば凛だって駆け付けてくれる。だから彼女は愛されていると言うのだろう。
「──……そんなことなかったよ」
ポツリと独り言を呟く。衣奈にかけるつもりだったがこれは自分自身に留めた。彼女に感化されて過去に引っ張られてはいけないと小さく首を横に振る。
そうだ、ちゃんと知ったことがある。忘れてはいけない。周りからの愛情を。
唇を噛み締めながらゆっくりと立ち上がる。一度息を吐いて再び衣奈と向き合った。
「衣奈ちゃんの言う通り──確かに全部は解らない」
これまで過ごしてきた道が同じではないのだから。彼女が感じた孤独も計り知れない。それが素直な気持ちだった。
「だから──」
「だから解りたいとでも言うつもり?  生憎そんなの求めてないわ」
美都の言葉を遮って衣奈が言葉を重ねた。吐き捨てるように敵意を剥き出しにする。彼女のその様に声を詰まらせた。
「人の心に踏み込まないで……放っておいてよ!」
「……!」
まただ、と目を見開いた。何度目かの拒絶の言葉。衣奈は踏み込まれることを嫌がっている。ただ一人の理解者のために。そうやって自分を守ろうとしているのだ。彼女の気持ちを慮れば、そういった言葉が出てくるのは当然だ。しかし、とグッと視線を衣奈に向ける。
「いや」
彼女の気持ちを拒否する。何故ならば、先程から紡ぐ衣奈の思いの全てが、本心ではないと感じたからだ。
「放っておかない。だって衣奈ちゃんが教えてくれたんだよ。怖がらずに踏み込まなきゃ、前に進めないって」
「──っ!」
瞬時に衣奈の顔が紅潮する。指摘されて反応すると言うことは、己が口にしたことを覚えているのだろう。ギリっと奥歯を噛み締めこちらを見る瞳が一層鋭くなった。
「だから嫌いなのよ……そうやってまるで素直さを体現しているあなたが」
先程言われた時よりも冷静に構えることが出来る。彼女のこの態度の意味がわかったから。
受け止める。怖がらずに、衣奈の内側へ踏み込む。そうしなければ彼女はきっと──。
衣奈の瞳を捉えながら返しの言葉を紡いだ。
「本当にわたしが嫌いなら、あんなに優しくしてくれるわけないよ」
「──っ、都合良く解釈しないで……!  言ったはずよ、あなたに近付いたのは所有者探しのためだって!」
「じゃあなんで今力ずくで奪おうとしないの⁉︎」
美都が叫んだ言葉に、衣奈は怯んだ様子を見せた。
自分は今武器を手にしていない。もちろん出そうと思えばすぐに出せるが話し合いを望んだのは自分だ。戦わないと言ったからこそ今は完全に無防備の状態なのだ。彼女にとっては絶好の機会のはずなのに。
「鍵が必要なら今この瞬間にも奪えるはずでしょう?  まだ宿り魔の胚を持っているんだから」
衣奈の他に、禍つ物の気配が残っていることに気づいていた。彼女はまだ胚を持っているはずだと。憑代など直ぐにでも手に出来たはずだ。宿り魔さえいればこちらはまた身動きが取りづらくなり衣奈と話し合うことは困難になる。
「なのに衣奈ちゃんはしなかった。ううん、出来なかったんでしょ?  衣奈ちゃんはわたしを拒絶しながらもわたしの言葉を聞いて怖くなったんだ」
「ふざけないで!  これはあなたに対する情けよ!  望むのなら直ぐにでも奪ってあげるわ!」
今までになく大きな声でそう反論すると、先に指摘した通り隠し持っていた宿り魔の胚を取り出した。
「──いいよ。やればいい。わたしは抵抗しないから」
さすがに静観している四季も不安げにこちらの様子を伺っている。ただでさえ無防備な状態だ。今ここで宿り魔に襲撃されれば確実に危険な状況に陥る。念の為にと彼はピリッとした空気の中態勢を整えた。直ぐにでも美都を守れるように。だがそれも徒労に終わるだろうと、彼女には予測出来ていた。衣奈の手が震えていることに気づいていたからだ。見据える瞳も揺らいでいる。先程の激昂は精一杯の牽制だったのだろう。
「……っ、なんで──なんでよ……!  どうしてそうやって自分が正しいって振りかざすの!  あなたなんか力さえなければ普通の子なのに──!」
「そうだよ。でも衣奈ちゃんはその正しさに止められてる。怖がって前に進めないのは衣奈ちゃんの方だよ!」
本当は正しさの基準は良く分かっていない。それでも衣奈が自分のことを「正しい」と言うのならばここで怯んではいけないんだと必死に彼女と向き合う。彼女と戦わないと決めた自分の信念だ。何を言われても衣奈を止める。
「衣奈ちゃんは知ってるんだ。拒絶される怖さを。だから先にわたしを拒絶したんでしょう?  これ以上自分が傷つかないように。自分を守るために」
彼女は一度、慕っていた人物に拒絶されたのだ。だから今踏み込めないでいる。また拒絶されたら、と怯えているのだ。その呵責に耐えきれず今度は己が拒絶する立場となった。これまで他者との関わりを執拗なまでに絶っていた衣奈にとって、慕っていた人物に切られた絶望と踏み込んでこようとする美都の姿勢に混乱しているのだ。
「……間違ってないよ。拒絶されることは怖いもん。誰だってそうだよ」
思わず目を細める。
自分という存在が望まれないということ。いらないと言われること。肉親から期待されず、誰からも関心されず。衣奈が立っている場所は今にも崩れそうだ。そこで彼女はずっと叫んでいる。「衣奈」として絶ってきたモノを、「初音」という意志を通して。
ずっと不思議だった。衣奈と初音、まるで別々の人格が存在しているかのような感覚が。確実に同一人物なのにまるで二重人格とも取れる様はなぜなのか、と。だがそれこそ間違いだったのだ。
「わたしは──衣奈ちゃんの優しさを知ってる」
「違うわ……っ、あんなのただの気休めよ……!  可哀想なあなたに同情しただけ」
「──それが衣奈ちゃんの意志だよ」
「……っ、──は……?」
昼休みに考えていたことにようやく答えが出た。衣奈と初音は決して乖離した存在ではない。「初音」という存在は元から衣奈の中にあったものなのだと。衣奈の意志の中に、彼女が無意識に抑え込んでいたもう一つの意志だ。衣奈に宿り魔が憑いたことで、これまで自身の中に眠っていた「初音」が引きずり出され意志を持った。まるで別人格を演出するかのように。衣奈は無意識のうちにそれをコントロールしていたに過ぎない。だが元を辿ればどちらも衣奈なのだ。恐らくは彼女自身もそれを把握出来ていない。だから今美都が放った言葉に戸惑っているのだろう。
「本当に同情していただけなら、他の一切の時間わたしに関わらなくたってよかったはずだもん。いくら所有者探しのためとは言え、そこまでする必要はなかったでしょう?」
「それは──あなたの警戒心を解くためよ……!」
「本当にそう?  本当にそれだけだったって言える?」
念押しする美都の言葉に、衣奈は声を詰まらせた。彼女は弁解することでまだ初音の意志を守っている。それを認めさせるのは難しい。だから茨の道だと思ったのだ。
それでも美都の方は答えが出ていた。だから怯むことはしない。衣奈を見つめる瞳に迷いはない。強気な姿勢の美都とは逆に、衣奈はだんだん動揺を隠せなくなってきたようで顔を歪ませたじろいでいた。
「わたしはそうは思えないよ。だってあれが全部お芝居だとは考えられない」
それは衣奈も初音もそうだった。初音にしても度々自分を気遣う旨の言葉が語られている。守護者という存在が邪魔だったからということもあるだろう。「辛くなる前にやめたほうがいい」と。果たしてそれは今この状況のことを示唆していたのだろうか。
「それが衣奈ちゃんの優しさだよ」
「──違う……私は利用していただけだもの……っ、そんなの違う……!」
「じゃあなんでそんなに苦しそうなの──?」
まるで自分の言葉を肯定しない。それなのに頭を抱えて苦しそうに今にも泣きそうな顔をしている。衣奈としての意志を無意識に否定しようとしているのかもしれない。彼女にとって初音として動いている時の方がおそらくは何の煩いもなかったのだろう。それでも、彼女たちは同一だ。否定しても覆ることはない。どうすれば彼女はそれを認めてくれるのだろうと美都は考えを巡らせた。
「わたしは──衣奈ちゃんが初音として行ってきたことを認めることは出来ない。目的のために誰かを傷つけるなんて……そんなの間違ってるよ」
「っ……、綺麗事ね……あなただって誰かを傷つけてるのかもしれないのに」
「意識と無意識は違うよ。……もちろん無意識なら許されるなんてことはないけど──それでも自分勝手に他人を苦しめることが正しいことなんて絶対にない」
目を細めてグッと手を握り締める。初音がやってきた諸行は、ただ己の目的のために他人の都合を考えない非人道的な行動だった。だからずっと止めたかった。止めなければと思っていた。これが本当に同じ歳の女の子がやっていることなら。どんな理由であれ、間違っているのだと。そして今、ようやく理由がわかった。初音はそうすることでしか自分という存在を守れなかったのだ。そしてそれが衣奈の意志としての一部なのであれば、衣奈もそれを容認していたということだ。
「──それでも」
目を伏せて黙って話を耳に流している姿からは既に戦意を感じられない。繋いでいた糸が切れ、喪失感と絶望感を味わい憔悴しているようにも見えた。本当ならこうなる前に止めたかった。だがそれは己の力不足だ。加えて衣奈との信頼関係が構築されていなかったのだという結果にもなる。それが悔しかった。それでも、と逆説の接続語を使ったのは今からでも遅くないと考えたからだ。なぜなら鍵を所有している自分が、まだここで立っているのだから。彼女からの脅威はもう無い。
「衣奈ちゃんは友だちだから。衣奈ちゃんがわたしを嫌いでも、わたしは衣奈ちゃんが好きだよ」
「……っ!」
過ごしてきた日々を否定することは出来ない。彼女と交わした会話は全部本当だったのだから。友人なのだ。何があっても手を離すことはしない。衣奈を一人にはさせたくない。
目の前で息を呑む音が聞こえた。その言葉を反芻するようにしばらく静寂が流れた後、震える声で衣奈が応答する。
「──あなたが好きなのは衣奈・・でしょう……?  わたしじゃないわ」
「もう。衣奈ちゃんって意外と意地っ張りなんだね」
少しだけ呆れるように肩を竦めて困ったように笑みを零す。そしてそのままゆっくりと衣奈の元へと歩いた。手で顔を覆いながらその場に静かに佇んでいる。
「今目の前にいるのだって衣奈ちゃんじゃない。どっちも本当の衣奈ちゃんだよ。ちゃんと認めてあげて」
「私、は──っ……!」
地面に水滴が落ちる。今まで堰き止めていたものが急に流れ出したようだ。嗚咽を漏らし肩を震わせ、途切れ途切れに衣奈が呟いた。
「もう……っ、苦しいの──!」
耳に届くその声に胸が詰まる。きっとそれが衣奈の心からの叫びなのだろう。
ずっと独りで。家に帰っても関心を示さない親と共に、閉鎖的な空間で過ごさなければいけないという状況の中。耐え切れず宿り魔の誘いに乗った。それなのに慕っていた人のために行動した結果、裏切られて。また独りに戻ってしまうかもしれないという恐怖。
彼女はどれだけのものを一人で抱え込んできたのだろう。
「衣奈ちゃん……」
美都は泣きじゃくる衣奈の身体を抱きしめた。彼女の本心を聞いて居ても立っても居られなかった。
苦しい、と。もう限界のはずだ。独りでいるのは苦しい。その気持ちは痛いほど解る。
グッと喉を引き絞った。それでもまだ、やらなければならないことがある。友だちとしてではなく、守護者として。そう思って彼女の肩に手を置いた。
「──衣奈ちゃんに憑いてる宿り魔を祓う」
「っ……いやよ、怖い──。私が私じゃ無くなるわ……」
「大丈夫だよ。言ったでしょ?  全部まとめて衣奈ちゃんだって」
宿り魔が憑いたことにより「初音」という人格が掘り起こされたのだとしても、それは衣奈の意志の一部だ。だから例え宿り魔を浄化したとしても消えることはない。彼女がそれをちゃんと認めるのならば。
「それに、もし何か変わったとしても受け止めるよ。友だちだもん」
顔を俯かせたままの衣奈に語りかける。彼女の不安を取り除くように、しっかりと瞳を見据えた。そのことに戸惑いの色を浮かべていた衣奈は一度美都を見た後観念するかのように目を瞑りゆっくりと息を吐いた。
「──本当に……呆れるくらいお人好しね」
その評価に苦笑しながら、美都は衣奈の手を取った。
剣を使わずに退魔を試みるのは初めてだ。それでも彼女へ剣を向けないと決めた。それに不思議と大丈夫な気がしたのだ。その証拠に右手に嵌った指輪を見ると、赤い溝が光っていた。不意に菫の言葉を思い出す。
『あなたにはあなたなりの形で、その力を使うことが出来るはずです』
優しさこそ力だと。その言葉を信じている。
守護者の力は、ただ守るために。大切な人を守るために自ら望んだ力だ。だから大丈夫だ。
握りしめた衣奈の手を、願うようにして自分の額に近付けた。戦う為に必要なのは武器ではない。想いだ。相手と向き合うこと。そして自分を信じること。
大きく深呼吸した後、美都は目を瞑りただ静かに退魔の言を結んだ。


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結局は俗物( ◠‿◠ )
ファンタジー
巨大な魚とクリスタル、そして大陸の絵は一体何を示すのか。ある日、王城が襲撃される。その犯人は昔死んだ友人だった―… 王都で穏やかに暮らしていたアルスは、王城襲撃と王子の昏睡状態を機に王子に成り代わるよう告げられる。王子としての学も教養もないアルスはこれを撥ね退けるため観光都市ロレンツァの市長で名医のセルーティア氏を頼る。しかし融通の利かないセルーティア氏は王子救済そっちのけで道草ばかり食う。 ▽カクヨム・自サイト先行掲載。

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