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高い空へ唄う歌-鍵を守護する者⑤-

聖女の言葉

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夏休み中の下校時刻は、通常時よりも早く設定されている。チャイムに促されて学校を出たものの太陽はまだ高い位置にあった。そもそも8月の日照時間はまだ長い方だ。
約束通り凛と肩を並べて、美都はいつもの帰宅時では通らない道を歩いていた。
「でも、今日はどうして急に一緒に帰れることになったの?」
4月に美都が引っ越してから、彼女とは帰り道がほとんど重ならなくなってしまった。いつも学校付近の交差点で分かれてそれぞれの帰路へとつくのだ。凛は久しぶりに共に長時間歩くことができる嬉しさと突然の美都からの提案が不思議だったようだ。
「んー……なんかゆっくり帰ってきて、って言われちゃって」
凛と話す手前、敢えて「誰が」という固有名詞は出さなかった。出さずとも伝わるし口にしてしまったところで凛の顔が渋くなることは目に見えていたからだ。そうでなくとも美都の説明に苦い顔を浮かべている。
「さっきの連絡はそれ?」
「うん。理由は良くわかんないけど……」
うーんと唸りながら美都は顎に手を当てる。やはりどれだけ考えても四季がそう言う理由が見当たらなかった。とは言えくものでもないので帰って訊けるようなら訊いてみようかな、と思う程度だ。しかし突然「ゆっくり帰ってこい」と言われただけあって実のところ無計画ではある。菫のところに行こうとは考えているが彼女がいるとは限らない。会えなかった場合どこで時間を潰そうか迷うところだ。
「じゃあウチに来る⁉︎」
パァと明るい表情で凛が歓迎のムードを見せた。なるほどその発想は無かったと一瞬考えたのも束の間、美都はその日の曜日を思い出し眉間にしわを寄せた。
「だめ。今日合気道の日でしょ」
「……思い出さなくても」
「もう凛ー。今度ちゃんとゆっくり行くから」
提案を却下され凛が口をへの字に曲げる。自分のことを思ってくれるのはありがたいが彼女の習い事の邪魔をしてはいけない。凛を窘めた後フォローのつもりで次回の話を持ち出したところ、すかさず彼女が頬を膨らました。
「だって今度来る時は、私じゃなくてママに用事じゃない!」
凛の言うことに思わず怯んでしまう。全くもってその通りだからだ。昼食時にも同じようなやり取りがあったことを思い出して美都は目線を上に置く。
「わかった……じゃあその前に凛の都合の良い日に行くから」
そう言うと凛は「絶対よ!」とまた勢いよく詰め寄った。彼女は昨年に比べると主張が強くなったような気がする。それもこれも好敵手が現れたからだろう。否、凛にとっては好敵手とは言わないのだろうが。
他愛ない会話をしながら昨年まで一緒に帰っていた道を歩き、「それじゃあまた明日ね」と交わして互いに別れた。夏休み中でも翌日また学校で会う約束をするのはなんだか変な感じだ。
美都は久しぶりに制服で歩くこの道に懐かしさを思い出した。先程のように凛と話しながら常盤家までの家路を歩いていたのは、つい半年前のことなのに。
8月の風が制服の半袖を揺らす。決して心地よくはない生温さに一人苦笑いを浮かべる。
「暑いなぁ……」
二十四節気では立秋の頃だ。残暑というにはまだ早い気もする。なぜなら週間天気ではこれからまだ暑さを増していく予報だったからだ。一人、夏の暑さに文句を言いながら空を見上げ歩いた。夕立でも降れば少しは涼しくなるのだろうか。そう言えば今朝の予報では所により雷雨と言っていた気がしなくもない。ジメッとした空気はもしかしてそのせいかと思っていながら歩を進めているとあっという間に目的地付近に差し掛かった。
「……!」
ふと、耳に届いた繊細な音に顔を上げる。ピアノの音だ。その旋律に目を細めた。
(──『愛の夢』だ……)
やはり高階が紡ぎ出す音とは違う。その曲名と相反するかのようにどこかもの哀しげに聴こえるのだ。不安定さに胸がざわつく程に。それでも聴き入ってしまう。不思議と胸に沁み込んで来るのだ。一体誰が、どのような気持ちで弾いているのだろうか。もう後数歩も歩けば目的地に着くのに、ずっと聴いていたいという思いが募る。しかし照り付ける陽射しと周囲の気温がそうはさせてくれなかった。せめて木陰さえあればな、と思いながら美都は息を吐いて足を動かす。
辿り着いた教会の外では夏の花が咲いているのが見えた。夏の日に映える色の強い花だ。鋭い葉と迫力のある花弁が目を惹く。しかし肝心の名称が分からない。後で調べてみようと思いながらその花を横目に教会の戸を控えめに叩いた。
「こんにちはー……」
木製の重厚な扉を開く。美都は隙間から顔を覗かせた。涼しい空気が火照った頬に届く。その心地良さに中からの返事を待たず足を踏み入れた。前方で動く影を捉える。こちらに応じるようにその人物も身体を傾けた。菫だ。
「菫さん!」
「あら、──っ……」
良かった、今日は会えたなと思い彼女の名前を呼ぶ。すると菫はいつも通り笑顔を見せた後、今度は大きく目を見開いた。
「……菫さん?」
その反応に驚いて首を傾げながら再び名を口にする。菫はハッと我に返り、まるで何事も無かったかのように再び笑みを作った。
「こんにちは美都さん」
その声色は先程の表情と打って変わり、至って普段通りだ。目を瞬かせた後、恐る恐る彼女に訊ねる。
「すみません、お邪魔でしたか?」
「いいえ。制服のお姿を初めて見たものですから」
菫にそう言われてはたと記憶を手繰る。確かにそうかもしれない。今まで訪れた時は休みの日だったり祭りの当日だったりと学校帰りに立ち寄ったことはなかった。もしかしたら誰かと間違えたのかもしれないな、と思いながらおずおずと菫がいる方へ足を進める。
「この間は大丈夫でしたか?」
「あ……──はい」
彼女が指すのは祭りの日の話だ。あの日、ちょうどここを訪れている最中に宿り魔が出現した。菫の返事に詰まったのは理由がある。退魔は出来た。だがその後正体不明の影に言われたことがあった。今日ここへ訪れたのは、前回途中になった話の続きとそのことについて訊きに来たのだ。加えて先刻、初音に言われたことを確かめたかった。
「美都さん?」
目を伏せたままその場に立ち尽くしていると、菫が美都の名をなぞった。知らなければならないと思いながらも、どこか知ることが怖いと思ってしまうのはなぜなのだろうか。否応なく訪れる真実に、まるで近づきたくないと心が拒否しているようにも思える。だがそうも言っていられない。自分は鍵の守護者なのだから。
「菫さん──……鍵の本質って、何なんでしょうか」
一拍置いた後、グッと喉を引き絞り菫に問いを投げる。実体の無い影に言われたことだ。菫はその質問に動じることなく目を細めた後、美都に椅子へ腰掛けるよう促した。
「……お話ししましょう」
心臓が一つ大きく跳ねる。彼女の透き通る声が、一層不安を掻き立てた。それもあってなぜだか座る気になれず背筋の伸びた菫をただ真っ直ぐ見つめる。彼女も再び誘導することはしなかった。
「鍵には強大な力があるとお話ししたことを覚えていらっしゃいますか?」
その問いに、短く肯定の言葉を呟いた。鍵の力は強大で、それゆえにその力を狙う者がいるのだと。手出しが出来ないように絶対不可侵の心のカケラに封じた。それを破ったのが宿り魔だと説明されたことがある。美都がずっと不思議だったのは、その『強大な力』についてだ。以前、この話の途中で反故になったのだ。
「その力は────創造と破壊。それぞれ異なる力が秘められています」
「──……?」
菫の言葉にピクリと身体を震わせた後、妙な違和感を覚え眉間にしわを寄せた。鍵の本質というのなら彼女が前半に口にしたことになる。創造と破壊。それが鍵に秘められているのだとしたらその力を手にしたがることは当然なのかもしれない。世界の均衡を司るというのなら納得は出来る。問題は、後半だった。
彼女の話の中で生じた違和感。その言葉の意味はまるで。
口を開閉させながらもそれを音には出さなかった。なぜならその理由は、すぐに判明したからだ。
菫は伏せていた目を美都に合わせると、ただ静かに口を開いた。
「────鍵は、この世界に二つ存在します」





「……、ふたつ──……?」
目を見開き初めて耳にした情報を無意識に復唱した。菫は美都の呟きに肯定するように頷く。瞬間的に理解が及ばず次の言葉に詰まる。何をどこから訊けば良いか混乱した。確かに今まで一度も訊いたことは無かった。そもそもその可能性を考えたことが無かったからだ。
「相反する力を秘めた双方の鍵は、言うなれば光と闇です」
「光と、闇……?」
整理しきれていない頭では、菫の言葉をなぞることが精一杯だった。彼女は美都にわかりやすいよう解説を始める。
「創造の力を持つ光の鍵、対して闇の鍵は破壊の力を秘めています」
先程から耳にしている不穏な単語に顔を強張らせた。創造はまだ分かる。だが破壊は?  どうしてもその単語から陽の気を感じることは出来ない。
「鍵は一つでも十分な程の力を持っています。しかし一つではどちらかしか出来ない。二つ揃わなければ意味を為さないものなのです」
「ちょ……ちょっと待ってください。じゃあわたしたちは二つの鍵──二人の所有者を守らなきゃいけないってことですか?」
菫の言う通り鍵が二つ存在するのだと言うのなら、守護者である自分と四季はそのどちらをも守らなければならないのでは無いのか。そう問うと彼女は静かに首を横に振った。
「いいえ、それは違います。一つの鍵が選ぶ守護者は二人。これはそう決められています」
考えた可能性を否定され、ひとまず安堵の息を吐く。一人を守ることも、恐らくは難しい。それが倍になったらと思うと目眩がしそうだった。
「鍵は、必ずあなたがたの近くにあります。二つのうち、どちらかの鍵が」
安心したのも束の間、鋭い言葉で現実を突き付けられる。光か闇、どちらかの鍵を所有する者が自分たちの近くにいる。そしてその所有者は間も無く判明することになる。先刻対峙した初音はそう言っていた。美都は喉を引き絞る。
「宿り魔が憑いた少女が──鍵はもうすぐ現れると言っていました。本当……なんですね?」
「……──そうなります」
菫は目を逸らし少し躊躇いながらも、今度は否定することをしなかった。つまりは、初音の言ったことは正しいのだと。そう言うことだ。もうすぐ、という曖昧な期間に戸惑いを感じる。それがもしかしたら明日なのかもしれないと思うと一刻の猶予もない。自分たち守護者はどうすることが出来るのだろうと必死で頭で考える。
「──力は扱えるようになりましたか?」
不意に彼女から投げられた問いに顔を歪ませた。退魔だけならば剣で出来る。しかし菫がしている質問はそうでは無い。以前、影と対峙した際に発揮した不思議な力。その力を以ってすればあるいは初音に剣を向けなくて済むかもしれないと助言したのは菫だった。だがあの力にはまだムラがある。上手く扱うに至っていないのだ。
「わたしは──……」
こんなに不甲斐なくて、本当に鍵の所有者を守ることが出来るのか。初音に言われた言葉がずっと心に引っかかっている。守護者は絶対に先に鍵を手にすることが出来ないのだと。その通りだ。宿り魔にしか不可侵を破ることが出来ないのだから。
「菫さん……わたしはどうしたらいいんでしょうか」
顔を俯かせてポツリと呟いた。どうしたらいいのか、なんてとんだ他人任せの言葉だ。菫からの返答はない。その代わりに彼女がこちらへ向かってくる音が耳に届いた。
「……鍵の守護者になったことを、後悔していますか?」
足元を見たままハッと息を呑んだ。後悔という言葉に肩を竦める。守護者に選ばれた理由。指輪が自分に力が必要だと判断したからだと告げられた。それに力を望んだのは自分だ。だから後悔という言葉は、考えるだけ無意味なのだ。ずっとそう思っていた。
初音は引き返せるうちに引き返した方が良いと甘言を囁いたことがあった。無理して戦う責任などないはずだと。それでも見過ごすことが出来なかったのが自分だ。だから──。
「後悔は、していません。でも──……」
自分は無力だと、苛んでしまう。まだ所有者も現れていないのに。真実に近づくに連れて、恐怖が大きくなる。
気づけば菫は自分の傍まで来ていた。足元に置いた目線に、彼女のスカートの裾が映る。
「……あなたの優しさこそ力です」
「──っ、でも……!  優しいだけじゃ何も守れないんです……!」
菫は、以前ここで全く同じことを美都に告げた。しかし美都の気持ちはあの時とは違う。優しさだけでは守れないのだと、宿り魔と戦う上で知ってしまった。初音に剣を向けられないのは自分が弱いからだ。それは優しさではない。解っている、のに。
苦しい表情のまま顔を上げられずにいたところ、不意に身体に温もりを感じ、目を見開いた。
「っ……!  菫、さん……?」
「一度、深呼吸しましょう」
ふわりと優しく菫が美都を抱きしめた。彼女の突然の行動に驚きながら、その言葉に従いゆっくりと呼吸を整える。不思議と心が落ち着いていく。菫の温もりのせいだろうか。先程までの逸っていた気持ちを抑えてくれるようだ。
(……円佳さんみたい)
彼女の温もりと重なる。円佳もこうしてよく抱きしめてくれた。「ゆっくり深呼吸しなさい」と背中をさすりながら。懐かしい匂いがする。
「落ち着きましたか?」
「──はい。……すみません」
感情的になって、一人の思考に陥ってしまっていた。まるで子どものようだなと省みて恥ずかしさで口籠る。
菫はゆっくりと美都から離れると普段の柔らかい笑みを見せた。
「何も守れないことなどありません。あなたには力があります。その力はあなたの助けとなり、あなたを守るものです」
「わたしを……守る?」
きょとんと目を瞬かせた。菫はコクリと頷くと言葉を続ける。
「ご自分を、そして力を信じてください。守護者の力もご自身の力も、願えば全てあなたの糧となります。美都さんには出来るはずです。そこまで自分と向き合えているのであれば、あとは信じることです」
「自分を信じる……」
当初、弥生に言われたことがあった。
────『美都ちゃんに必要なのは、あとほんの少しの勇気。それと自分を信じること』
戦う術は、自分を信じることだ。美都はおもむろに自分の手のひらを見る。自分には守るための力がある。何も出来ないのが嫌だった。だから望んだのだ。
(そうだ……)
出来ないと嘆くことはいくらでも出来る。問題はその力を如何に使っていくことかだったのに。いつの間にか怖気付いていた。どうしても責任のことで頭がいっぱいで。そして再び菫の声が耳に響いた。
「あなたの力は、必ず届きます。その強い想いがある限り」
制服の上から胸元にある指輪に触れる。この力は守るために。所有者が誰であろうと、自分に出来ることをするだけだ。
「……!」
不意に指輪が熱を帯びたように感じ、ネックレスを引っ張る。この現象は覚えている。あの時と同じだ。助けなければと、強く願った時と。
「それがあなたの力なのですね」
「────はい」
宿り魔が出現したわけでもないのに金環の溝が赤く輝いている。指輪が想いに応えようとしてくれているのだろうか。胸元で輝く指輪を見つめていると、菫がおもむろに言葉を紡いだ。
「ちょうど良いタイミングです。一つお伝えしておきましょう」
「──?」
顔を上げて菫を見つめる。なんだろうと首を傾げた。
「守護者の力は、その姿のままでも扱うことが出来ます」
「え、そうなんですか?」
「はい。剣を呼び出してみてください」
初めて聞く情報に目を瞬かせた。確かに変身前の状態で力を使おうと思ったことはなかった。菫に促され手を前に掲げる。そしていつも巴がするようにその手に剣を呼び出した。瞬間、指輪が光を放ち胸元から形を消す。
「……!  ほんとだ……」
「もともと守護者の姿は、所有者を守るための目眩し……それと自身を守るためのものです。仮に姿を変えずとも力は使えるのですが──リスクもあります」
「リスク?」
制服姿の自分に似つかわしくない剣を持つ格好がなんともしっくり来ないなと苦笑いを浮かべているところだった。菫の説明の中に出てきた不穏な単語を耳にして思わず訊き返す。
「所有者を守る守護者は、鍵を狙う者にとっては邪魔な存在でしかありません。つまりあなたがたの正体が向こうに知られると直接あなたがたに危害が及ぶ可能性があります。故に守護者には相応の力が授けられているのですが……」
「じゃあやっぱり、変身した方が良いってことですね」
「そうなります。万が一その姿のままスポットに巻き込まれてしまった場合に、最終手段としてあることを覚えていてくださればと思います」
なるほど、と美都は頷く。そういえば以前、四季が巻き込まれたことがあった。あの時は運悪く初音と対峙してしまったため、彼は正体を明かすわけにはいかず変身も出来なかった。確かにああいうことが今後また発生するかもしれない。その時にこの姿のまま武器を出すかどうか、判断が迫られることもありそうだ。
美都は剣を見ながらぼんやりと考える。まだ見ぬ所有者を守ること。そして恐らくその果てには、初音と真っ向から戦うことになるだろう。今日のことを思い出すとどうしても苦い顔をせざるを得ない。人間である彼女とどう戦っていけば良いのか。どう、退魔すれば良いのか。
「美都さん」
意識の端から名を呼ばれ、ハッとした。そのまま視線を菫へ移す。
「退魔するには守護者の力が必ず必要です。あなたが手にしているその剣は、力が具現化されたもの。ですがそれが全てではありません」
「……?  どういう、ことですか?」
たまに彼女の言い回しが難しく感じる。頭で可能性を考えながらもつい首が傾く。
「以前にもお伝えした通り、力には普通形がありません。同じように 『優しさ』というものも。あなたにはあなたなりの形で、その力を使うことが出来るはずです」
菫の言葉に息を呑む。これまでずっと聞いてきた周りからの評価。彼女の言うように『優しさ』は目には見えず、曖昧なものだ。見えないからこそ不安になる。ただ臆病なだけなのではないかと。
(わたしなりの形……)
初音と対峙する時。それだけでなく今後同じような機会が来た時に、自分が持てる力をどう形にしていくか。それがポイントとなるのだろう。『優しさ』を形にすること。難しいが打破するために必要なことだ。
目を閉じて手にした剣の柄を額に当てる。剣も自分に必要なものだと感謝を込めて、あるべき指輪の姿へと戻した。ゆっくりと息を吐いた後、同じように瞼を開く。
「菫さん、あの──……!」
グッと喉を引き絞り静謐に佇む聖女を見つめた。少しだけ大きく響いた美都の声に驚いたのか、菫は珍しく瞳を大きく広げている。
「あの……、言葉を──言って頂けませんか?」
「言葉……?」
口籠るのは自分でも可笑しなことを言っているのだと分かっているからだ。それでも願いが許されるのなら、菫からの言葉が欲しかった。なぜなら彼女の言葉には、力があるからだ。
「はい。『大丈夫』って一言……。ダメですか……?」
おずおずと恐縮気味に菫に訊ねる。彼女はふっと優しく笑むと足音を立てず美都の傍へ歩いた。紺色のワンピースが揺れる。そのしなやかな動きを目で追いかけた。長袖から見える白磁の肌がそうさせたのだ。菫の両手が、空になった美都の手を包み込んだ。
「──大丈夫です。美都さんなら」
「……はいっ!」
あの日と同じ言葉。初めて菫と出逢った日にもらった言葉だ。
温もりが手から伝わる。包み込まれるような感覚に、毎度不思議だなと思わされる。同時に安心もするのだ。それはこの空間のせいもあるだろう。教会という神聖な場所で、淀みのない空気が心地良さを増していく。
自然と表情が和らいだ。菫の温もりを感じながら、ふと目線を落とす。
────大丈夫だ。
何があっても。たくさんの温もりがある。そうだ、忘れてはいけない。大切なものを守る。その信念だけは。





菫は少女を見送ると、一人息を吐いた。アレで本当に良かったのかと、自問自答してしまう。
彼女が望む言葉を掛けた。大丈夫だと。彼女がそう望んだから。
改めて思うと無責任な言葉のようにも感じる。実際自分には何も出来ないのだから。
あの少女は、責任を感じすぎだ。今までの守護者の中でも彼女は取り分け、対象者のことを想っている。守護者としては正しい。対象者の中にはいずれ、鍵を所有する者が現れる可能性もあるのだから。
だが彼女が背負っている責任感はそれとは少し違う。あくまで対象者を守れなかったことへの後悔に近い。苦しみを堪える対象者を救えなかった、自身に対する嫌悪感だ。それで胸を痛めているのだ。
(あの子は……優しすぎる)
優しいからこそ不安になる。全て一人で抱え込んでしまうのではないかと。それに気掛かりなことがまだある。
彼女の思いは、全て他人に向けられたものばかりだ。考え方はこれまで生きてきた過程で反映される。これまでもずっとそうだったのだろう。それが悪いわけではない。むしろ素敵なことだと思う。しかし、もし────。
「…………」
菫は眉間にしわを寄せる。己が考えたことが起こりえないとは限らない。その際、彼女は果たして今まで通り動くことが出来るのだろうか。
所有者を守ることが守護者の務めだ。例えそれが、────誰であっても。





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