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天の川へ願いを-鍵を守護する者④-
宵闇の彼方
しおりを挟む男は宵闇の中を歩いていた。ただひたすら、心を無にして。
ここは暗く冷たい。長い道を行くと大きな空間に辿り着く。暗闇にすっかり目も慣れていた。
その空間の奥に座する人物がいる。その人物の顔を見たことはない。いつも何かで隔てられているから。相当長い期間この関係を続けているが、一度も垣間見たことがないのだ。
中央まで歩を進めるといつものように面を下げ片膝をついた。
「──報告します」
淡々と業務報告を始める。これまであったことをありのままに伝えるのだ。
「直近で目を付けた者は、鍵の所有者ではありませんでした」
これが目の前に佇む人物との関係だ。名をつけるとしたら主従だと言って良い。主たる人物の命令は「鍵の所有者を探し出すこと」だった。そのために自分が行った行動の結果を逐一報告する義務が生じる。
「それと、守護者と交戦しました」
『──それで?』
稀にこういった質問が飛んでくる。これは所感を求めている言葉だ。
「男の方は大したことありません。女の方は注意が必要です」
『へぇ。なぜそう思う?』
「結界を破られました。どうやら予想以上に強い力を持っているようです」
よもや結界を破られるとは思っていなかった。侮りがあったことは否めない。しかし女の守護者の方は以前見たときよりも力を増しているようだった。
『強い力──なるほど』
その声色はどこか愉しそうだ。自分としてはただ邪魔になる存在なだけになぜそのような反応になるのかが理解出来ない。
「引き続き探索を行います」
『目星は付けてあるのか?』
そう問われ一拍考える。目星を付けるにはあまりにも情報が無い。ひとまずは目に入った者を対象にしているのが現状だ。その為ありのままの旨を伝える。
『鍵は、必ず守護者に近しいところにある』
「──存じております」
『ならば守護者の動向を探るのが早い。まずは正体を掴むことだな』
至極真っ当な意見だ。守護者の正体さえ掴むことが出来れば、その動き次第で対策も講じることが可能となる。とは言えこれまで向こうは後手に回っているので恐れるに足りないのだが。
「心得ました」
端的に答えたのち、主たる者の御前より下がるため立ち上がった。
『お前には期待しているよ』
「……──はい」
尚も声だけしか把握できない。顔も見たことがない主人。ただ下される命令を遂行することが己の役目だ。だから聞こえる声に目を伏せてそう答えた。
一礼して踵を返しその場を去る。再び暗く冷たい道を戻るのだ。歩きながら男は考える。守護者の正体について。
恐らくは外見を変えているはずだ。だが本来の性格までは早々変えられまい。喋り方から割り出すことは出来るかもしれない。だがそれも途方のない話だ。あの中学の生徒の情報を全て把握しなければこのやり方は使えない。表面上のデータを手に入れることは容易だが、個人の性格や口調までは実際に接触しなければわからないことの方が多い。そう考えると骨の折れる作業だ。
無言のまま歩を進めていると、ふと前方に人の気配があることに気付き不意に足を止めた。
「お勤めご苦労様」
甲高い声を響かせ、暗闇から姿を現したのは少女だった。見知ったセーラー服の上に黒い羽織を重ね、顔にはキツネ面を付けている。
そもそもキツネ面は主より渡されたものだ。これも小道具の一つに過ぎない。自在に宿り魔の気配が消せるとは言え、正体が判れば途端に動きづらくなるのは必至だ。正体を明かさないのはこちらも守護者も同じこと。そして目の前で佇む少女も。
「何の用だ」
「別に? ちょっと気になって話を聞いていただけよ」
悪趣味だなとふと思う。同じ立場に置かれながら立ち聞きとは。高みの見物のような言い方が耳に障る。正直この少女と深く関わり合いたくはない。というのも既に対等ではないからだ。
「やり方が力業ね。全然楽しくないわ」
「命令を遂行するために、楽しさなどいらないだろう」
「つまらないわね。あなた、あの守護者の男の子と気が合いそうよ」
やれやれと肩を竦め、キツネ面の少女が軽く息を吐いた。守護者と馴れ合うつもりはない。必要以上に言葉を交わす必要がないからだ。彼らはただ敵なのだから。
「お前が不甲斐ないせいで俺が呼ばれたんだろう。悠長なことを言っている場合ではないはずだ」
「あら、言うわね。私は私のやり方で鍵を探しているつもりよ? そこに偽りはないわ」
自分の言葉に怯むことはないようだ。そのやり方が間違っているのだろうと言及したいところだが敢えて言うことはない。
「それに、ここ数日はあなたに見せ場を譲ってあげたのよ。本当なら私も出ていきたかったところだけど……あんまり忙しくさせちゃうとあの子が可哀想だし」
クスクスと声をあげながら笑う少女が「あの子」と指すのは女の守護者の方だと察することが出来る。これは所感だが交戦した際に女の方が強い意志を持っているかのように思えた。目の前の少女はあの女の守護者の出方を楽しんでいるようだ。
「情けがいるのか?」
「いるわよ。だって役に立ってもらわないといけないじゃない」
どこか含みのある言葉に眉を顰める。その気配を察知したのか少女は更に愉悦そうな雰囲気を滲ませこちらに言及した。
「ねぇ────教えて欲しい? あの子の正体」
暗闇に響くその声に一瞬息を詰まらせる。ハッタリかとも思ったがここでそんなことをしても有益では無い。だとしたら目の前の少女は本当にあの守護者らの正体を知っているということか。
「知りたいんでしょ? その方が所有者は見つけやすくなるものね?」
「……何が目的だ」
まるで駆け引きのようだ。何も言われていないが、情報を得るには同等の代価が必要となる。だから慎重に問いかけた。
「そうね──もしそれで本当に所有者を見つけられた場合、私の手柄にさせてくれればいいわ」
「馬鹿げている。手柄のために動いているのか」
「手柄のためじゃないわ。あの人のためよ。まぁ、あなたには解らないでしょうね」
少女が息を吐いて冷たく言葉を放つ。その言葉にさえ心は動かない。そうだ、解らないのだ。命令はただ遂行するためだけにある。そこに他の感情など要らない。
元よりこの少女と深く関わるつもりはなかった。下手に貸しを作りたくもない。そう考え、男は無言のままその場を去るために足を動かそうとした。
「いいのね? あなた後悔するわよ」
「構わない。俺は俺のやり方でやるだけだ」
先程少女が言ったことと同じ言葉を返す。主人からは守護者の動向を探るのが先決だと言われているだけに命令に背く行いに近いことだとは理解しているが、なるべくなら他人の力を借りたくない。
それに後悔などするはずがない。これは命令で、それを遂行するためには自分の意志など必要無いのだから。
「……あなたも可哀想な人間ね」
去り際に、少女がポツリと呟いた声が届いた。可哀想と感じる気持ちがあることに驚く。それこそ不要な感情だ。いずれはこうなるのだと分かっていた。これまで自由でいられたことの方が不思議だったのだ。ようやく順番が回ってきたのだと言っても良い。
ただ与えられた任務を全うする。鍵の所有者を探し出す。それだけだ。鍵の本質など、自分にはどうでも良いことだ。
◇
(────あら?)
人で賑わう商店街の横道に、見たことのある人影を目にした。声を掛けようが迷ったがこれ以上娘を待たせると拗ねて泣き出しかねない。今はそちらの方が先決かと思い、手にしたかき氷が傾かないように少しだけ小走りで駆ける。
弥生は道行く人の波を掻き分け、夫と娘がいる場所まで向かった。既に花火が打ち上がり始めているため、空を見上げている人が多い。その分け目を縫って二人がいる公園まで急いだ。
それにしても彼はこんな時間に一人でどこへ行くのだろうか。そんなことをふと考えていると自分の姿に気付いたのか手を振る人影が確認出来た。
「サンキュ。助かった」
「どういたしまして。はい、これ」
レジャーシートを広げ、その中央にいる瑛久へ持っていたかき氷を手渡す。彼の胡座の上には那茅がちょこんと座り、空を彩る大輪の花に夢中になっていた。
「なちー。冷たいのだぞー」
「たべるー!」
瑛久がそう言って幼子の前にかき氷を差し出すとパッと目線を下に向けた。ストローの先の小さいスプーンで氷を掬い上げ、口に運ぶ。
「そういや、結局四季たちから連絡はないのか?」
「えぇ。せっかくのお祭りだし、必要以上に連絡してこないでしょ」
「まあそうか。邪魔されたくないよなぁ」
弥生の言うことにさもありなんといった感じに瑛久が相槌を打った。美都へは浴衣が着崩れたら連絡するようにと伝えてあるだけに、音沙汰が無いということは自分の着付けは大丈夫だったのだろうと少しだけ安心もするが。
「みとちゃんたちこないのー?」
「もうお家に帰っちゃったのかしらねー?」
「えー! なちのゆかたもみてほしかったのにー」
あからさまに肩を落とす娘をあやすように「写真撮っておこうね」と頭を撫でる。元々四季は家でも花火は見られると言っていたと瑛久から聞いているので、もしかしたら本当にそうしたのかも知れない。情緒はないが逆に邪魔されないと言えば家以外に最適な場所もないだろう。それはそれで少し複雑でもあるが。まだうら若き男女が一つ屋根の下共に暮らしているということにもほとほと心配ではあるが、その点においては自分たちも経験して来たことなので口を挟むことは出来ない。うら若き、という自分が考えた言葉をキーワードに先程の事を思い出して弥生は口に出した。
「そう言えば、さっき水唯くんを見かけたのよね」
「水唯? こんな時間に一人でか?」
「えぇ。暗い道だったけどあれは多分彼だったと思うの」
見間違うことは無い、とは思う。彼はその水色の髪がとても印象的だから。そう思い返しながら弥生が頬に手を当てていると、瑛久が眉間にしわを寄せて口元を隠すようにした。
「どうかした?」
「……水唯って一人暮らしなんだよな?」
「そう言ってたわね。まだ若いのに……色々と事情があるんでしょ?」
「それにしてもおかしいと思わないか?」
難しい顔でそう呟いた瑛久を見て、弥生は目を瞬かせた。おかしいとはどの部分を指すのだろうと考えを巡らせる。
「あの広い部屋に一人なんだ。一人ならあのマンションじゃなくて良かっただろ?」
「それは──そうかもしれないけど……」
だがそれだけでおかしいと決めつけるのは気が進まない。事情があるのは恐らく本当のことだろうし、今後もしかしたら他の誰かが住む予定なのかもしれない。そう考えていると瑛久が続けて口を開いた。
「それに、星名って苗字には心当たりがある」
「⁉︎ そうなの?」
彼の口から発せられる言葉に驚いて目を丸くした。弥生の反応に頷くと、瑛久は彼女にもわかるように説明をしていく。
「『ほしな』って言えば、ここから少し離れた場所に大きなビルがあるだろ? あれは多分自社ビルだ。かなり大きい会社だ。まあそれが関係しているのかはわかんないけど……それともう一つ」
瑛久にそう言われ、弥生は己の記憶を手繰った。確かに大きなガラス張りのビルが存在感を放っている。アレのことかと穿っていると彼の言葉にはまだ続きがあったようで再び耳を傾けた。
「俺の病院に──同じ苗字の患者がいる。珍しい苗字だから覚えてたんだ。多分血縁かなんかじゃないかと思う」
これ以上はプライバシーだから言えないけど、と瑛久が付け加えた。二つの事象を照らし合わせる。仮にどちらも水唯に関係しているのであればやはりそれなりに彼は抱えているものがあるのだろう。簡単に他人には言えない何かを。
「あいつ、まだ中3だろ? そりゃ四季たちもそうだけどあいつらには一応理由がある。今のところ水唯から怪しい気配はしないけど……色んな意味で気にかけておいたほうがいいとは思う」
「……それ、四季くんたちに言わなくていいの?」
弥生がそう問いかけると瑛久は再び難しい顔を覗かせた。
「どっちもはっきりとした情報じゃないからな。あんまり友人を疑わせるのは良くない。もしかしたら四季はもう予防線張ってるかもしれないし。俺もそれとなく調べてみるよ」
「そうね……私も水唯くんのこと気にしておくわ」
互いに頷き合う。直後大人しくかき氷を頬張っていた那茅が不意に顔をあげた。
「すいくんがどうしたのー?」
「あ、待て那茅。ちょっと大人しくしてろ」
見上げてくる幼子の顔を見て、瑛久はしまったという表情を浮かべた。見れば少女の口元はかき氷のシロップでベタベタになっていた。手際良く弥生がカバンの中からウェットティッシュを取り出し瑛久に手渡す。
「ねー! すいくんがなあに?」
「ん? 那茅は水唯のこと好きかー?」
「うん! すき!」
娘の明るい表情と直接的な好意の言葉に瑛久は身体を硬直させた。まったく、そんな表情するくらいなら適当に訊かなければいいのにと弥生は彼を見ながら呆れ返る。
「四季くんも好きよねー?」
「うん! でもみとちゃんはもっとすき!」
なるほど、男子はイコールで美都だけ好きのレベルが格上らしい。せっかく出してやった助け舟は耳に入っていないようで瑛久はぶつぶつと「そうか水唯か……」という言葉を呟きながら意気消沈としていた。女の子の父親は余計な気を揉むのだなと夫を目の当たりにして実感する。とは言え那茅はまだ4歳だ。これから大きくなって初めて彼氏が出来た時にどういう反応になるのか楽しみだ。
(初めての彼氏、ね……)
美都にとっては四季がそうだ。自分で考えたことに対して目を細めて反芻する。瞬間胸に広がりそうになる痛みを誤魔化すように、弥生は打ち上がる花火にぼぅっと目を向けた。
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