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22キスなんてしてません、断じて!

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 広間を抜けて、石畳をひた走る。硬く冷たい感触が、足の裏を叩いた。
 力強く掴まれた右手だけが妙な熱を帯びて、ほんの一瞬だけ目を伏せる。

「エト、君はバカだ」
 
 手を引かれながら、さっきの言葉を繰り返した。
 走っているから、その息は弾んでいるし聞き取り辛いかもしれないが。

「あぁ」

 それでも、返ってくる返事がある。
 大して息も切らせず。なんなら顔だけこちらに、振り向く余裕があるのがムカつく。

 ―――このやたら甘ったれた顔のイケメン。
 コイツが僕に囁いたのは、たった一言だけだった。

「そもそも、男相手に『逃げよう』って」
「アハハ。愛の逃避行、みてーだよな」
「ったく、君は救いようの無いバカだな!」
「だから認めてんじゃん」

 相変わらず文句垂れる僕の手を、引きながら彼は走る。
 魔王と勇者達が対峙している広間から、僕達は逃げ出したのだ。
 そっと抜け出して、廊下を導かれるだけ。

「エト、もう……」

 そろそろ体力限界。喘ぐように言えば、直ぐに足を止めてくれる。そんな所がやっぱり、甘ちゃんだしムカつく。

 中でも一番解せないのが、さっきからコイツがやたら輝いて見える事だ。そりゃあイケメンだよ。こいつら全員、巨人だし筋肉番付みたいだけどな。

 でも、コイツが一番バカで泣き虫で情けなくて……優しい。
 好きって言葉を言う時『ごめん』って顔する奴なんだもん。

「おい。ルベル」
「なんだよ……宝の持ち腐れ」
「なんのこと?」
「いや。デカいくせに未使用って、意味」
「それ、ナニの話かよぉぉ!? 」

 素っ頓狂な声の後に、軽くヘッドロックを掛けてくる。

「コラッ。年頃のクセに、はしたないぞ!」
「ハァァァァ!? 乙女じゃあるまいしっ、いてててっ……はーなーせっ!」
「ヤダ。離さん。てか顔ちっちぇなぁ、かーわーいー」
「クソッ、撫で回すなよ。ペットじゃねーんだぞ!」

 ガシガシと遠慮がない。身を捩って、睨み付ければ、案外あっさりと解放された。

「ハハ……また『女扱いするな』って怒られるな」
 
 おどけて笑っているはずなのに、どこか寂しそうに見えた。そして僕自身、遠ざかった体温に名残惜しさを感じる違和感。
 そんな理解できない感情が、言葉に乗っかったのだろう。

「別に、怒らないさ」

 怒る気もない。ただ不可解な気持ちに、振り回されている自覚だけ。
 
「ルベル」
「君のその態度、もう慣れたと言うかさ……うん、僕にもよく分かんないけど」
 
 呟いて、離れて言った腕に手を伸ばす。
 指先をふわふわと彷徨わせながら、ようやくその服の端っこに触れた。

「ん?」
「多分、バカは僕も同じだ」

 僕も同じように、バカになっちまったと思う。
 色んな酷い目にあってきたのに、コイツの隣が一番落ち着くなんて。バカを通り越して、イカレてるとしか思えない。
 あ。別に、好きとかじゃないぞ!? 単にその、一番自然っていうか。友人として接してくれるようになったからかな。

「ははっ、なんか調子狂うな」

 僕の心の内は察していないらしい、困ったように笑う彼に、胸がほんの少しだけ痛んだ。
 って、待て待て。僕は乙女か。女々しいぞ! 気色悪ぃ。
 
 ルベル・カントール、なんだか最近おかしくなっちまったらしい。
 環境、だろうか?

「さっきから変顔して……にらめっこ?」
「しとらんわ。うっせーな、君のせいだよ。バカ!」
「きゅ、急に怒んなよ。情緒不安定か」
「そうだよ! ったく、訳わかんない事ばっかり」
 
 思えば訳分かること自体少なかった。 
 転生者の記憶が蘇って半年ほど、自身の人生設計を大きく見直したものだ。前世とは全く違う、穏やかな大往生を目指す為に。
 それなのに逃亡者として追われるわ、妹に売っ払われるわ……舌打ちしながら、性奴隷の証である首輪に触れた。

「ぜぇっったい、取ってやるぅぅっ!」
「それ、自分で取れんのかよ」

 エトがなんとも言えない顔で、横槍を入れてくる。
 すると現実を突きつけられ、途端に異性の良さが萎むのを感じた。

「取れ、ない……けど」

 魔王にお買い上げされた僕は、魔王に取ってもらわなきゃいけない。でもだとするとやっぱり。

「俺の嫁に、ならなきゃだもんな」
「うるせぇ。言うなバカ」
「ルベル。さっきから俺にバカって言い過ぎ。本当にバカになっちまう」
「バカカババカバカ」
「……カバ混じってた」
「ほぉ、よく聞いてたな」
「お前の言葉なら、罵倒でもなんでも聞くよ」

 ……なんだこれは。バカップルか。しかも美男美女ならいざ知らず、男同士なんて有り得ない。

「ルベル。さっきから思ってたんだけどよ。なんでそんなに顔赤いんだ」
「は、ハァァァァ!? だ、誰の顔が赤いって……」
「赤いじゃん、薄暗くても分かる」
「!!」
 
 離れたはずの身体が、また距離を詰める。ピタリとくっついた肌。その間には、大して薄くもない服があるのに、どうしてこんなに体温を感じてしまうだろうな。

「もしかして具合悪い? 大丈夫か」
「だ、だだだだっ大丈夫に決まってんじゃないかッ、離れろよ!」

 今にも破裂しそうな心臓。鼓動を聞かれたくないから、怒鳴り散らす。怖い、何がって聞かれたら困るけど……怖い。

「俺さ、こういう時どうしたら良いのか分かんねぇんだけど」
 
 とぼけた顔と声で、そんな事をほざくこの男をはっ倒してやりたい。
 さらに今度は離れてくれず、それどころか腰まで抱き込んでくる。……あぁ駄目だ、これじゃあ聞かれちまうと焦るが、どうしようも無い。

「こ、こういう時ってなんだよッ」
「なんか、いい感じっつーか?」
「疑問形にすんなっ、アホ!」

 なんだコイツ、こんなにキャラがコロコロ変わるんだよ。真剣な顔するイケメンになるかと思ったら、情けなくて馬鹿でアホで変態な童貞になるし。
 どれもムカつくほど、キラキラして見えるんだからもう訳わかんない。

「ルベル……キス、したい」
「っ、言うなバカ!」
「じゃあしていいの?」

 聞く前にはもう、唇はこっちに向いていて今にも触れてしまいそうだ。
 こういうの、どんな顔して居ればいいんだ……って、僕はキスする気なのか!? 
 コイツと! こんな筋肉オバケのバカ男と!

「エト」

 駄目だって、やめろって言わなきゃ。
 脳みその片隅で必死に叫ぶ。やめろやめろやめろ、男とキスなんてするんじゃない!
 なのにその口から出たのは、甘ったるく縋るような言葉。
 目の前のバカ男の名前を、どこの恋愛ドラマのヒロインかっていう声色で呼ぶ声。
 
「ルベル」

 ゴクリ、と唾を飲む音。震えた語尾。童貞らしくてよろしい……じゃなくて!
 あぁもう、どうしろっていうんだ。ぶん殴ってやれば良いのか!? 
 でも膝のみならず、身体が金縛りに遭ったみたいに動かない。

 しかも、何故か目まで瞑ってしまったものだから。

「愛してる」

 頬に手まで添えられた。
 これは……キスされるヤツだ。あーもういいや、なんて諦めの気持ちすら浮かんでいる。
 
「え、エト」

 またこれだ。女達が好む、甘ったるいお菓子みたいな声。これが、僕なのか?
 かかる吐息は一体どちらのモノなんだろう。

 ―――唇が、引き寄せられるかのように触れ合う瞬間。

 轟音、爆発だ。
 数メートル先の壁が吹っ飛んで、大きな穴が空いた。

「!!」
「!?」

 慌てて互いに身体を離し、剣を構える。
 ジャリ、と瓦礫になった壁の残骸を踏む音。共に現れた人影。

「っ、誰だ」

 低く唸るように言うエトに、その人物は静かに姿を表した。
 
「お取り込み中、だったかな」
「!」

 背の高い、男。眩いばかりの金髪に、深く黒い瞳。
 
「マデウス……」

 エトが呻いた。

「やぁ、久しぶりだな。エト」

 男は、髪を掻き上げると片方の口角を上げて微笑む。
 その視線が僕の方に向いた刹那、ほんの少し目を見開いた。

「君が、ルベル・カントールだね」
「え、はい」

 なんだ。僕は知らないぞ、こんなイケメン。
 横にいるエトをせっつけば。

「あれ、俺の兄貴。長兄……なんだけど」

 と、なんとも歯切れの悪い言葉が返ってくる。

「随分、家を空けていたからな。旅出ていたのだよ。ルベル君、君のことは知ってるよ。よろしく」

 穏やかな笑みで、握手を求められた。

 紳士的なその態度に、本当にこの男と血が繋がっているのかと疑問になる。
 この人も、あの変態変人達の一員なのか? 見た目マトモそうに見えるぞ。

「えっ、どんな事を聞いてるか不安ですけど」
「ハハッ、面白い子だな」

 笑い方もなんか爽やかだ。そう言えば、魔王レクスの初期の印象も同じようだったな。
 彼ももしや、とんでもない変態なんじゃないかって身構えるのも仕方ないだろう。
 
 でもまぁ差し出された手を拒むのは、元(というのが悲しいが)貴族としてよろしくない。
 
「よ、よろしくお願いしま……」

 こちらも手を伸ばした瞬間。

「っ、ルベル!」
「うわぁッ!!」

 突然横から突き飛ばされた。
 全く避ける事も出来ず、そのまま吹っ飛ばされて床へ。
 辛うじて受身を取ったが、強かに打ち付けた身体が痛い。

「な、何しやがる……っえ!?」
 
 パァァンッ、という破裂音が辺りに響いた。
 顔を上げれば小さな雷のような火花が、そこらに散っている。

「これ、は」
「このクソ兄貴ーッ! ルベルを感電させようとしやがったな!?」
「か、感電!?」

 エトの怒号に、慌てて身体を起こす。そこには兄に剣を突きつける彼と、無表情のマデウスが対峙していた。

「残念。大人しくしていたら、直ぐに意識を落としていたのに……痛い思いはしたくないだろ?」
「てめぇ、まさか」
「そうだよ、エト。ルベル君は、
「へ!?」

 声を上げたのは僕だ。
 なにそれ、するとこの金髪イケメンも……ホモ?

「嘘ぉぉぉ!?」

 もーやだっ、ホモばっかの世界! 別にホモはいいよ。でもなんで寄りにもよって、僕ばかり狙われるんだ。

「ルベルは俺のだ」
「おいおい、エト。君のじゃない、断じて」

 何故かドヤ顔のアホに、ツッコミを入れる。
 それでもめげないのは遺伝か! DNAなのか!?

「俺の、嫁だ」
「誰が嫁だ、誰がッ!」

 キスしそうな雰囲気になっただけで、調子に乗ってんじゃないぞ。
 するとうっかり余計な事まで思い出しそうになって、慌てて思考を振り払う。
 そんな僕の気も知らず、エトは喋り続けた。

「俺の童貞はルベルに捧げる為にだな……」
「知るかっ、君の童貞なんて!」
「風呂も一緒に入ったし」
「それは普通の事だろうがっ、このクソ童貞野郎。てか、人の話聞けぇぇぇぇッ!」

 ボケ倒す彼に、怒鳴り散らす僕。
 まるで僕がヒステリーみたいじゃないか! ほら見ろ、マデウスまで困惑した顔している。

「……と、言う訳で。彼に手を出したら、兄貴であっても許さねぇから」
「なるほど。威勢がいいな」
「可愛い弟の為に、手を引いてくれる?」
「自分で言うか……ふふ、そうしてやりたいのは山々なのだがな」

 彼はスラリ、と剣を抜く。
 ―――そして僕とエトに不敵な笑みを寄越して言った。

「多少怪我をさせても、連れて行くしかあるまいな」



 
 


 
 



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