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憂鬱なオメガ

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 ああこれは夢だ――と皇大郎は瞬時に理解した。
 何故かって、差し出した己の手が小さかったから。

「こうちゃん」

 甲高い声。多分自分のものだろうと思った。だってっていうのは…………。

『たろくん』

 そう舌っ足らずに呼ぶのはグレイがかった大きな目が特徴の人形のように可愛らしい少女、ではなく少年だ。
 
 この夢は子供時代のものだろう。
 彼と、高貴とはじめて顔を合わせた日のこと。

『たろくん、ボクの宝物みせてあげる』

 元々両親と親交があったのは貴島家というよりその親族の一人であった夫婦とである。
 この夫婦とは家族ぐるみで親しくするほどの関係で、彼らが実家であるこの屋敷に来た時に親類の子を預かっているのだと連れてこられたのが高貴であった。

『たろくんとボクの秘密』

 小さな指を絡めあって寄せた顔は本当に綺麗だった。周りにもこんな可愛い子はいなかったなと思うほどに。

「……こうちゃん」

 幼い自分の声が響く。

「僕と結婚しよう? ね、絶対に迎えに行くから」

 ――ああ、バカだった。

 この時完全に勘違いしていたのだ。
 彼は儚げな美少女でオメガ。将来はもちろん自分はアルファで運命の番になると。

『うん、約束だよ? ボクたち運命だもん』

 眩しいくらいの笑顔を向けられて嬉しくて仕方なかった。
 ほんの数時間ほど一緒に過ごしただけなのにドキドキしながら手を繋ぎ、大人たちの目をかいくぐってこっそりキスもした。

『絶対だからね』

 何度も念押してくる彼をなだめるように抱きしめた。

「うん、絶対だよ。僕はこうちゃんと結婚する」
『たろくんはボクの
「え?」

 そこで視界が暗転。



 ※※※


「あー、くそ……」

 深夜二時。うっかり目が覚めてしまった。
 最近、寝つきが悪いわりに浅い。だから睡眠も十分にとれていない状況で。

 ――頭痛い。

 軽いがズキズキと脈打つような痛みに顔をしかめる。
 疲れが限界に達しているのだろう。身体もだが主に精神的なストレスというやつだ。

「あ」

 癖でスマホを手にして眺めると、メッセージアプリの通知が来ていた。
 反射的に開いてすぐに落胆した。

「……なんだよ」

 相手は高貴だ。一応これでも婚約者ということもあり、かなり歩み寄ろうと努力はしてきたつもりだ。
 
 しかしあのドタバタの見合いから、顔を見ていないどころか連絡だってなかなか取れないのだ。
 
 しかしいつの間にか連絡先は入れられており (これはかなり怖いが気にするだけ負けな気がして敢えて無視した) 朝に妙なスタンプがひとつくるだけ。

 おはようの挨拶のつもりらしい。こちらは言葉で送ったが既読スルー。機械的にまた朝になるとスタンプがひとつ。

「botかよ」

 素っ気ないどころの話ではない。しかもこちらがコミュニケーションをとろうとなにか送っても既読スルーばかりなのだ。

 よほど嫌われているのか。やはり殴ったのが悪かったのかもしれない。

 ――いやいやいや、僕は悪くないだろ。

 むしろ被害者だ。あの場で見事に不問とされてしまったが、普通なら暴行罪でしょっぴかれても文句言えないのだが。

「たろくん、か」

 皇大郎と高貴、母や親しい友達からは『こうちゃん』と二人とも呼ばれていたのだ。だから皇大郎のことを『たろくん』と呼んで慕ってくれていたのだが。

「やっぱり男だったな」

 ずっと少女だと思っていた初恋は、ある時に相手が男でしかも自分と同じアルファだと知った。
 もちろん多少ガッカリはしたがすでに櫻子と出会って付き合っていたので、そこまで嘆くことはなかった。

 むしろ綺麗な思い出として大切にするなり笑い話にするなりしたらいい、そうおもっていたのに。

「ま、覚えてないよなあいつは」

 それどころか思い出を汚すようなマネまでされて。
 
「なんなんだよ……」

 好かれてるとは思ってないが、仮にも婚約者をここまで放置するなんて。
 昨晩も寝る前にかなり迷って、今度食事でもどうだと誘いをかけたのだが。

「既読スルーじゃないだけマシか」

 そこには一言。

『忙しい』

 と。
 断わるにしろもっとあるだろうと肩を落とす。これ以上しつこくする訳にもいかないから、こちらも既読スルーで対応するかとスマホを置いた。

「……」

 起きるには早すぎる、というかまだ深夜だ。睡眠不足で仕事にいくと身体がキツいのに。

 何度も寝返りをしながら白んでいく窓の外の空をぼんやりと眺めて、時間だけがただ過ぎるのだった。




 それでも朝はやってくる。
 今日も今日とて大企業の雑用係として一日こき使われるのだ。
 よくまぁこんな部署がこのご時世あるものだ。いつか何がしかのコンプライアンスに引っかかりそうな気もするが。

「おはようございます」

 会社入口に立つ警備員に会釈をして入ろうとする。

「あの」
「へ?」
「いえ……今日もお綺麗ですね」
「あ、ありがとうございます?」

 若い男性警備員が頬を染めていた。皇大郎は一瞬、なにか自分からのオメガのフェロモンが彼に作用しているのではと動揺したが違うらしい。
 なにしろ彼は恐らくだがベータだ。少なくともアルファではない。そうであったら気づかないはずはないのだ。

 オメガは抑制剤を飲んで過剰なフェロモンを抑えるが (それでも香るがベータに影響するほどではない)、アルファはそれをする必要がない。故に常にダダ漏れのフェロモンはオメガのみならずベータでさえ気づき惑わせることがある。

 なので単純に、彼は皇大郎に対して見惚れたのだろう。
 驚きこそすれ褒められて嬉しくないわけがなく。

「おつかれさまです」

 そう言って愛想笑いで通り過ぎようとした時。

「あの……っ!」

 強引に手を引かれた。
 そして気づいた時には抱きつかれていて。

「ちょっ、な、なにするんの!?」
「ずっと見てました、貴方のこと」

 熱烈な言葉を耳元で吐かれ、ぶるりと背筋が震える。
 
「毎朝オレに微笑んでくれる。オレなんかに。みんなそこらの石ころみたいに無視するのに」

 確かに警備員に挨拶なんて返さず気だるげに入っていく社員は多い。皇大郎は持ち前の人当たりの良さと祖母の教育とて会釈くらいはしているのだが、それがこの恋慕を加速させたらしい。

「貴方もオレが好きなんですよね? ねぇ!」
「ちょっ、離してください!!」

 人が遠巻きに見てる。視線が痛い。というか誰か、ぼんやり見てないで助けてくれと情けない気持ちになる。
 ちゃんと社会人としての礼儀で挨拶しただけなのに。

「い、いい加減にしてくれ!」

 声をあげても抱きつく腕の力が強くなるだけだった。その場の騒然さに気付いたか、向こうから他の警備員が数人駆けつけてくる。

「……これがオメガの匂い」
「え?」
 
 ベータのはずの男が恍惚した顔で呟いた。
 まさか。抑制剤ならちゃんと飲んでるはずなのにと愕然とした時。

「うわっ、いででででっ!!!」

 男が悲鳴をあげてひっくり返った。
 周囲はさらにどよめき、歓声すら湧き上がる。
 いきなり床に放り出された格好の皇大郎は呆然として辺りを見渡す。

「いい度胸だな、お前」

 男の腕を捻りあげ組み伏せているのは、なんと高貴だった。
 
 険しい顔で、口元にだけ歪んだ笑みを浮かべている。

「身の程知らずのベータ無能が。俺のものに手を出すんじゃねぇよ」
「こう……貴島社長、僕は大丈夫ですから」

 咄嗟にそう言い添えるほど、彼は殺気立っていた。
 強いアルファのフェロモンはオメガだけじゃなくベータまで威圧する。まるで恐ろしい猛獣に吼えられたかのようなビリビリとした空気に緊張と静寂が走る。

 すぐさま男は他の警備員たちに取り押さえられどこかへ連れられて行った。
 そんな事などお構い無しに、高貴はなおもこちらを鋭く睨みつけながら口を開いた。

「皇大郎、お前は自覚が足りないんじゃねぇのか」
「自覚……」
「仮にも貴島家の婚約者としてだ」

 床にへたりこんだ皇大郎を見下ろす目は怒りに満ちていた。
 どうして自分がそんな眼差しを向けられなければならないのかと愕然としつつも必死に口を開く。

「お言葉ですが僕は別に恥ずべき行動はしていません」
「だが言葉を交わしただろ」
「は……?」

 言葉と言っても挨拶だ。そんなもの誰だってするだろうに。
 しかし言い返す前に叱責が飛ぶ。

「他の男に馴れ馴れしくするなどもってのほかだ。それとも御笠家では、誰彼構わず尻尾を振って媚びろとでも教えられてきたのか」
「媚び……って、バカにするな!」

 カッと目の前が赤くなる瞬間、彼の胸ぐらに掴みかかってた。

「なんだ逆ギレか」
「逆ギレじゃない! 挨拶ひとつで尻軽扱いされてたまるか」
「ふん、それは自覚あるんだな」
「あるわけないだろ!!」

 アルファのフェロモンなんてどうでも良くなるくらい頭に血が上る。
 愚弄された。自分だけじゃない、御笠家そのものを。
 
 大声を張り上げる皇大郎に方々から手が伸びる。
 
「おい君、社長に無礼じゃないか!」
「社長から手を離せ!!」
「こいつを引き離すんだ」
「早くつまみ出せ!」

 怒号がぶつけられ羽交い締めにされ、さらに会社のロビーに引き倒された。

「僕の家族を愚弄するな!!」
「家族だと?」
 
 高貴は嘲るように口の端を歪めた。

貴島家うちに取り入るために息子すら差し出す落ち目一族が」
「――ッ!?」

 冷徹な声で発せられた言葉は罵声としては効果的な形で、彼に衝撃を与えた。
 両家は深い関係があり、親も商売っけを込みとしても親交があるものだと思っていた。
 だから多少は安心して嫁げると。いつかきっと高貴とも良い関係を築けると。

「社長、大丈夫ですか」

 俯く皇大郎の耳に慌てふためく社員たちの声もざわめきも、物見高い者たちの好奇の視線やヒソヒソする声もなにも届かない。

 ――僕は一体何にすがってたんだろう。

 涙すら出ない絶望と哀しみに打ちひしがれていた。

  


 
 





 

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