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悪食勇者と悪徳天使1

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 血の匂いが嫌いだ。

『貴方に、素晴らしい能力をさずけましょう』

 口の中に広がるそれは特におぞましく、吐き気を覚えるほどで。それなのに。

『喰らいなさい。さあ、今すぐに』

 無理矢理詰め込まれたのは生々しく血にまみれた臓物で、思わず吐き下すも決して許されない。

「っ!!」

 白くか弱いと思っていた細腕の天使に、拷問のように詰め込まれた血の塊に涙を流しながら従う日々。

 ――そうしたら壊れた。

「イト」

 ああ、帰りたい。あのひもじく寒いアパートのベランダに。
 二人であれば寄りそって少しでも温かいだろうに。

「イト……」

 可愛い弟。赤ん坊の頃からオレが育ててきたんだ。
 ふにゃふにゃして、1日でも放って置いたら死んでしまうような弱々しい命。本能に訴えるんだ、守ってやれって。

 ……人間が子猫や子犬を見れば抱き上げずにいられない理由が分かるか?

 それは庇護欲だ。
 本能に刻まれた呪いとも言える。弱い存在を拾い上げ守らずにはいられない。
 
 それをせす素通りすれば、無意識にも刻まれる罪悪感が自身をジワジワと蝕んでいく。これが呪いと言わずになんだっていうのだ。

『またこんなに残して』

 天使は舌打ちをする。

『喰えよ』

 強引に首根っこ掴まれ、押し付けられる血溜まりの中。

「ゔぇ゙ッ、ぅぐっ……」

 嘔吐反射と戦いながらオレは口の中に満ちた生臭いそれを無理矢理喉奥に押し込む。
 まさに地獄、こんな事になるなんて。



 ――とにかく逃れたかっただけなんだ。

 クソみたいな環境も、報われない現状も。ひたすら脱ぎ捨てたい、汚れた衣服を身につけていたくないみたいな気持ち。
 
『アンタのせいで』
『産まなきゃ良かった』
『なによその目、この恩知らず』
『あたしの幸せの邪魔しないで』

 世界で一番嫌いな相手を見るような眼差しでオレを見る母親。
 気まぐれのように殴ったかと思ったら、ヘラヘラと媚びるような顔で。

『ねえ、本当は愛してるの』

 と支離滅裂な言葉を吐きかけるこの女に、オレの人生は狂わされっぱなしだ。  
 ごくごくたまに施される優しい態度にすがっていた幼少期も、裏切られて幾度いくたび。絶望しか残っていない。

 これなら始終完結で虐待でもされたら良かったのだ。
 中途半端に撫でる手の温かさにオレは翻弄されて、ついには自分自身を憎むようになってしまった。

 ……ずっと愛されないのはオレのせいだ、と。

 オレが出来損ないの息子だから。だから母さんは男を求める。
 オレに安物の食パンを一袋渡して狭い玄関で靴を履く後ろ姿を黙って見送った。

 行かないで、と言えば振り向いてくれた? 違う。多分心底面倒そうな顔をして、無反応で出て行くだけ。

 それを理解しているから何も言わなかった。

 口に出されなきゃノーカンだから。

え』
 
 残酷な天使の声が現実に引き戻す。
 敵を味方を、とりあえずその肉体を引き裂いて歯を立てる日常。
 
 殺められた瞬間の顔って、種族関係なく酷く間の抜けたものなんだ。
 自分がなぜ大量の血を噴出させなきゃいけないのかわからないって感じの。ポカンとした間抜け面。

 でもきっとその瞬間には激痛すら感じられず絶命するんだろう。
 オレの目の前に残された食料の表情を見れば一目瞭然た

『良かったわねえ、このダークエルフ族の女は魔力がケタ違いよ。少し使える魔法に偏りがあるけれど』

 息が切れる先程の戦闘を冷静に分析しながら、天使が優しく笑う。
 表情こそ優しいが、この女の要求は果てしなく残酷だった。

 ――そう告げられた時は唖然としたと思う。
 
 だってそうだろう。
 異世界転移だかなんだかで、魔王を倒す勇者に選ばれたオレに与えられたチート能力。

食神の悪食グリジィ・イータ

 そう名付けられた能力は、きわめて単純で原始的。
 倒した相手の肉体を喰らうことで、その者が持つ優れた遺伝子の一部を取り込めるというもの。

 あの女は相手の能力を得られるとオレには説明したが、実際は能力なんていうのは目に見える数値やコマンドではない。
 そりゃあそうか、ゲームや漫画じゃあるまいし。

 そこで関わってくるのは遺伝子情報だ。
 人間のみならず、生物すべての特徴の原理となりうる遺伝子の一部を飲み下した血肉とともに摂取することができる。

 まあ簡単に言うと、どんな血液型も輸血できて相手のDNAの一部を取り込むことの出来る人間離れした能力。

 しかしこの女は簡単に喰えと言うが、血滴る臓物を食べるように強要されるのは本当に参る。
 より能力を取り込むのに適しているのは脳みそ、あとは心臓とその周辺の臓器を生食しなくてはいけないらしい。

「せ、せめて火を通すとか……」
『はぁ? あんたバカなの。火なんて通したら血肉の組織が変わっちゃうじゃん』

 いやいや、普通に食べたものの遺伝子情報を得るなんてことがそもそも荒唐無稽というかありえないというか。
 でもこの暴力暴言サイコパス天使には、何を言ってもムダなのだ。

 それをオレは異世界転移させられて数分のうちに思い知らされた。


 ――そして末路


『ずいぶんと強くなったわね~。ふふっ、なんか楽しくなっちゃった』
「オレは楽しくないけどね」

 口の端の血を拭いながらため息をつくくらいの余裕が生まれたのは、魔王城の門番を食い殺してからだ。

「でもコイツは全然強くなかったけど」

 食べるだけ意味無いというか。戦ってみて苦戦する位が美味しいし、自分より弱い相手を口にしてもまずいというか味気ない。

 ……ああ。嘆かわしいことに、この時にはオレはこの悪食に麻痺するどころか美味さえ感じてしまっていたのだ。

 これじゃあ野蛮人じゃあないか。

 元の世界での狭いアパートの古いテレビで見た、ドキュメンタリーとバラエティーが融合したような番組を思い出した。

 アマゾンだかどこかの奥地の刺青だらけの半裸の人間達。
 ここには姿形の違う、でもそれなりに文明文化を築いている種族なんてごまんといる。

 最初はまずスライムというドロドロとした生き物に殺されかけた。
 
 だってスライムなんてガキの頃に友達がしてたゲームでみた、あのポヨンとしたイメージしかないんだから。

 実際は触れたら良くて瀕死、だいたい死亡の俊敏な生物だと思わなかった。

 しかも保護色で潜んでいた所を捕獲されかけて、あやうく取り込まれるところをこの女に助けられた。

『それだけあんたが強く育ってのよ、誇りなさい』
 
 気分よく言うと、彼女は胸元から一本のタバコを取り出した。
 天使のくせにタバコ吸うなんて聞いた事ない。でもオレはうながされる前に火を差し出す。

 ライターなんてものはないから、自分の火の魔法を調整してやるだけだが。
 こんな器用なことを出来るのも三番目に殺して食った酒場で出会った底辺冒険者のおかげ。

 あの時はまぁまぁ美味しかったけど、きっと今なら食べられたものじゃないのだろう。

『ほら行くわよ』
「ああ」
  
 正面突破でまずは不味そうな雑魚たちを蹴散らそうか。なるべく血を出さず。
 だって不味くたって食事を思い出して腹が減ってしまうだろう。
 そして血の一雫を味見して後悔するわけだが。

「お……い……かな」
『あ? 今なんか言った』
「いいや、別に」

 訝しがる彼女に薄く笑って誤魔化す。まだまだ人間でいたかったから。とはいえ、すでに見透かされてたかもしれないが。

 

 ごくりと喉がなる。


 

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