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惚れたら最期

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「……翔吾?」

 不機嫌そうに数トーン下がった声に、ハッと我に返る。

「あ、ごめん」
「どうしたのボーッとして」
「ごめん」
「いや謝らなくていいけど、なんか調子悪いのかなぁって」

 謝らなくていいと言う割には謝らないと怒るのが女ってもんだということは、ここ数年でイヤというほど理解した。

 だからあくまで申し訳無さそうな顔をして。

「少し仕事の事で頭悩ませててさ……ごめん」

 彼女の要求に応えてやる。
 そうするとさすがに心配の方が上回ったのか。

「ううん、いいの。そっかお仕事大変なんだね。私も職場でさぁ――」

 と、今度は自分の大変エピソードを披露してくれるわけだが。
 
「そっか。色々と大変なんだな」

 共感しか許されない会話は退屈そのものなのは、俺が男だからだろうか。
 というか職場って、佳奈は働いてこそいるけど週四日のパート勤務だ。
 元々、派遣としてうちに来た彼女に業務を教えたのが俺というのが切っ掛けでの付き合いだった。

「でもね私にも責任があるからさ」

 ……責任ねぇ、時給千円の責任とか。
 
 そんな悪態が口をついて出る前に、話題を変えた方がよさそうだ。

「それで、お義母さんがなんて?」

 聴き逃したであろう話を聞き出さなけらば。
 とはいってもどうせいつもの取り留めのない職場の愚痴か、義母のことだろう。

 同居して思ったが、この母娘は仲がいい。さすが女同士というべきか、ずっと喋っているのだ。
 対して義父はそんな女たちの空気の中に同じ男の俺がいることで仲間意識が芽生えたのか、嬉しそうに話しかけてはくれる。

 お喋りで明るく。しかし人の話はあまりきかない義母と、気さくで気弱に見えるが少し頑固なところもある義父。
 そしてその両方に似てる嫁。

 恵まれてるとは思う。文句なんて言ったらバチ当たるよな。

 でも常に付きまとう息苦しさはどうもしようもなく。

「病院に行ってきたらどうか、って」
「は?」
 
 一瞬だけ思考停止した。
 いきなり病院を勧められるなんて思ってもみなかったから。

「子どもよ子ども。孫欲しがってるの、母さん達」
「こども……」

 結婚してまだ一年も経ってないのにまだ早くないか、と今度は素直に言おうと口を開きかけるも。

「産むなら早い方がいいって言うじゃない? ね、まずは一度病院行ってみようよ」
「病院って。そんな大袈裟な……」
「不妊治療も早い方がいいんだって。従姉妹のユカリちゃんも、不妊治療でデキて来年には産まれるって」
「へ、へぇ」

 そのユカリちゃんとやらは知らないが、それってウチもやらなきゃダメなのか。

「あ! その反応は良くないよ? 不妊の原因は女だけじゃないんだからね」
「まさか俺に原因があるっていうのかよ」
「そうとは限らないけど、二人の問題なんだから」

 ……二人の問題なのに、親の言うことをホイホイ聞いちまうんだな。

「ねえ、翔吾は子ども欲しくないの?」
「欲しくないとは言ってねぇよ」

 だけど欲しいとも断言したくないというか。単純にピンとこないんだよ。
 俺が父親になるっていうイメージが。

「病院もね、ユカリちゃんから色々聞いたのよ。少し遠いんだけど、今度行ってみようかなあって」
「えっ」

 うっかり嫌な顔をしたのが悪かった。
 途端に彼女の眉間に深いシワが刻まれる。

「翔吾くんはもっと考えてくれてもいいと思うけど?」
「か、考えてるって。つーか、今言われたばかりで考える時間が……」
「だから時間無いんだってば!」
「そうなのか!?」

 だって俺はまだ二十代だし、佳奈だってその三つ上だけどまだギリ同世代。
 ちっとも急ぐ年齢じゃないと思うが、そも今どきは違うんだろうか。

 ヒートアップしてくる彼女を必死でなだめながら、俺は内心深々とため息をついた。

 


 ※※※

 そこから更に息苦しくなった気がする。
 
「今夜は絶対にシようね!」
「お、おぅ……」

 行ってらっしゃいの挨拶より先に夜の予定を押さえられる。

 いや分かってるんだけどさ。ヤらなきゃデキないってことくらい。
 でもいくらなんでもムードもへったくれもなくないか?

 前のめり気味の佳奈に、かろうじて頷いてみせるも。

「絶対にはやく帰ってきて」
「た、多分」
「多分じゃ困るの。絶対にね! あとサプリメントも飲んだ?」
「あー、忘れてた」
「んもう! なんでよ」

 怒りの声をあげると鼻息荒く、足早に去って行ったとおもいきや、すぐさま戻ってきて錠剤と水を突き出された。

「飲んで飲んで!」
「分かった。ごめん」
「はいっ、ぐいーっと!!」
「……」

 目が笑っていない笑顔ほど鬼気迫るものはないな、と思いながら大人しく従う。
 こんなところでヘタな抵抗でもしたら、今度は仕事を遅刻するかもしれないからな。

 穏やかに穏便に嵐が過ぎ去るのを待つ。
 こんな処世術、仕事以外で使いたくないはないんだけど。

「行ってらっしゃい、パパ♡」
「あー、うん」
 
 冗談めかしてるけど必死さが怖いんだよ。
 タイミング療法? っていうの。医者の言う日にセックスするなんて、もはや俺は種馬なんじゃねぇの。
 人権はそこにあんのか、とか。

 ぐるぐるモヤモヤしながらも特に反抗も反応も返せず、俺は家をあとにした。

「ハァ……」

 知らず知らずにこぼしたため息。
 そしてふと。

 ――瑠衣さんならこんなこと言わないのに。

 そう考えてから身震いした。
 馬鹿げてる。嫁と義兄を比べるなんて。

 それにしても似ていない。
 太陽のように笑顔が明るくて感情すべてをあけすけに表現する彼女と。まるで月のように儚く、でも優しくて美しい瑠衣さんと。

 本当に双子なんだろうか。
 二卵生っていうし、DNAは違うんだっけか。

 ――じゃあいいじゃん。

 いやよくねぇな。
 相手は男だし、不倫だし。そもそもなんで義兄に手を出す前提なんだ。

 もう自分の馬鹿さ加減に嫌気が差してきた。
 現実逃避もはなはだしい。

「……」

 瑠衣さん、また帰って来ねぇかな。
 思い出したかのようにフラッと、まるで野良猫みたいに顔を出すんだから。

 ていうか瑠衣さんって会社員なんだっけ。それともフリーターとか? 
 俺はなんにも知らねぇんだよな、あの人のこと。

 改めてその事実にショックを受けつつ、車に乗りこみ会社へ向かう。

 結婚を機に買い替えさせられたやつだ。
 まだ子供がいるわけでもないのにミニバンに乗るなんて結婚前は思ってもみなかった。

 別に車に対して特別なこだわりとかあるわけじゃないからいいけどさ。
 今となってはどうにもモヤモヤするのは俺の狭量さだろう。

 ……そんな事を考えながら、駅前通りを信号待ちしていた。
 
 するとちょうどバスが止まり、次々と人が降りてくるところを何の気なしに横目にする。
 そして。

「!」

 思わず目を疑った。
 そこに彼がいたから。家で見るよりオシャレで、相変わらず人目を惹く容姿だから遠くからでもわかる。

 しかし見慣れない姿が隣にいた。
 男だ。顔はよく見えないけどもなんだかガタイが良くてやたらデカい、黒ずくめの強面そうなやつ。

「あ……」

 後ろから響くクラクションに急かされ、アクセルをゆっくり踏む。
 どんどん離れていき、とうとう見えなくなった。

 俺は小さく息をついてハンドルを痛いほど握りしめた。

 
 

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