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放蕩息子のすゝめ②

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「――がッ、あ゙!!」

 肉体を打つ鈍い音は、拳がみぞおちにめり込んだものだろう。
 血の混じった咳と呻き声。
 そしていくつもの嘲笑。

「逃げんなよ、オッサン」

 男が数人の若者たちに囲まれていた。

「金はない……本当にないんだ……」

 身体を縮こませながらも必死で逃げようと男の視線が彷徨う中、ふとこちらを向く。

「そ、そこの君、助けてくれ!」
「ひぇっ!?」

 いっせいにその場にいた者たちの視線も集まって、オルニトは小さな悲鳴をあげた。

「なんだお前」

 ひとりがゆらりとこちらに歩いてくる。
 明らかに見てわかる、チンピラ風の厳つい顔と身体つきにたじろぐ。

「何見てんだコラ」
「え……え、あ、あの……」
「まさかコイツの知り合いか」

 殴られていた男は助けを求めるように見ている。
 
 しかし知り合いどころか初対面だ。思わず正直に、首をフルフルと横に振った。

「いや僕は……」
「おい。ちょっとこっちに来い」
「えぇっ!?」

 右肩をいきなり掴まれて引き寄せられた。よろめいたが左手につないだ小さな手を離すまいと、必死で踏ん張る。

「なにするんですか。あと、あの人にも乱暴はやめてください。ぼ、暴力はダメですよ!」

 見て見ぬふりで自分たちだけ逃げるのは気が引けるが、ミャウのこともある。

 腰が引けつつ、オルニトはなんとか若者たちを説得しようと勇気を奮い起こしたのだ。
 しかし顔を覗き込んでくる若い男は、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。

「アンタさ。金、欲しくないかい」
「……へ?」

 金、金とは、と突然の言葉に思考が追いつかない。
 あまりのことにキョトンとしている彼に、男はなぜか気をよくしたらしい。
 今度は背中をバンバンと強く叩かれ。

「よし、今からいい所に連れて行ってやるからな!」

 と腰を抱き込まれた。

「ちょっ、な、なんで!? や、やめてください!!」

 まさかこんな事になるとは思わなくて身をよじらせて逃げようとするが、相手はガタイも良くてとても適いそうにない。

 そうこうするうちに背中やら尻まで撫でられる始末。

「こ、子どももいるんで……やめっ、触らないで……」
「おいおい、子持ちかよ。でもかまわねぇか。ガキは別の所に――」
「!!!」

 その言葉にハッとなった。
 前世の日本とは違い、子供の人身売買はとても身近なのだ。こんな田舎であっても奴隷商人は来るし、モノのように売り買いされる命もある。

「それだけはっ……ミャウ逃げて!!!」

 少女はこんな状況でもニコニコしていた。
 幼い故か、なにも分かっていないのだろう。無邪気な眼差しにがする。

「おい、ガキも連れて行け」

 男が他のやつに命じた時、とっさに叫んだ。

「っ、ポチ!」

 すると突如として地面に、青い紋章が浮かび上がる。
 それがくるくると回り発光。青白い中に毛細血管の通った眼球がグロテスクに浮び上がる。

「ポチっ、彼女を! ミャウを安全なところに!!!」

 人工使い魔であるが忠実である。
 
【キュウゥンッ】

 一声鳴いて瞳孔が開く。
 次の瞬間、あの二本の筋肉逞しい腕がにょっきり生えて少女を抱えあげた。

「うわっ、なんだこれ!?」

 男たちがどよめき喚く。そりゃそうか、とオルニトは内心納得するも安堵した。
 
 主人への命令は絶対。そしてこのポチは見た目よりずっと有能なのだ。

「このバケモノめッ!」

 一人の男が駆け寄り棍棒でポチを殴ろうと振り上げたが、するりとかわす。
 それを皮切りにまた数人がナイフやらを手にしてきた。
 途端に囲まれる。

「気色悪ぃヤツだ、ぶっ壊しちまえ」

 いっせいに襲いかかってくる輩に、ポチは甲高い声ひとつあげなかった。
 
【――任務、遂行しまス】

 抑揚のない人工音声。
 そしてほとばしる光にその場は騒然とした。

「!!!」
 
 しかしコンマ数秒ののち再び静寂が訪れた後には、少女も使い魔ポチも忽然と姿を消していたのだ。

「ど、どこ行きやがった」
「消えた!」
「くそっ、ふざけやがって」

 口々に言い立てる者たちの中で、オルニトは内心胸を撫で下ろす。

 これでとりあえず彼女の安全は保証された。
 今頃、ちゃんと家に送り届けてくれていることだろう。

 だがそれもつかの間。

「まあいい。邪魔なガキもいなくなったことだ、今度はゆっくり話ができるってもんだな」
「っ、離して!」

 下卑た笑みで肩に腕を回してくる。

 どうやって逃げるか。喧嘩は得意でない。むしろ苦手だが、ここは穏便になんて言っていられないだろう。

「い、いい加減に――」
「アニキ! 今度こそ酒、用意出来ましたぁっ!! 」

 そこに響いた能天気な声。

 振り返れば、見知った顔がニコニコと酒瓶数本を抱えて走ってきたところだった。

「いやぁ~、楽勝っス。うちで一番高価なやつガメてきたんで、って…………オルニト?」
「エト!?」

 赤髪の少年。また実家の物を持ち出したらしい。見れば顔を殴られたのか、痣が残っていて痛々しい。

「おぉ、お前ら知り合いなのか」
「いや。知り合いっつーか、ええっと」

 気まずそうに目を逸らす彼は、さながらイタズラが見つかった悪童のようだ。
 
「エト! またお酒盗んできたんだね」
「チッ……うっせぇな」

 咎めれば舌打ちされた。しかし今度こそちゃんと叱って説得しなければならない。
 この前言っていた『アニキ』っていうのも、この胡散臭いチンピラなのだろう。

 整髪料なのか香水なのか、男のどぎつい甘い香りに顔をしかめながら拳をにぎる。

「親御さんが悲しんでるんじゃないの」
「だからうるせぇって言ってんだろ、オルニトには関係ねーし」
「か、関係ないかもだけど放っておけないだろ!」
「うぜぇな、もう」

 確かに関係ないしお節介なのかもしれない。
 しかし幼い頃からの付き合いだし、なにより彼はがあっても変わらない態度でいてくれた数少ない存在なのだ。

「おーい、なにオレたちを差し置いてイチャついてんだよ」

 横から男が割り込んでくる。

「まったくエトも使えねぇなあ。こんなかわい子ちゃんがいるなら、紹介してくれてもいいだろ」
「えっ、あ、アニキ……」
「このツラなら充分役に立つ。それにもしお眼鏡にかなわなかったら、他にいくらでも稼ぎようがあるだろうが」
「それはちょっと。つーかコイツ、男ですし……」
「分かってねぇな。男もツラさえ良くて若けりゃあ、いくらでも金になるっての。あ、嫌ならお前が代わりになるか? まあオレだってカワイイ弟分がいなくなるのは辛いが、自分から望むなら――」
「い、いえっ、オレは別に!」

 余程いやなのだろう、即答で否定したエトを男はせせら笑う。

「へへっ、だとよ。じゃ、悪いけどついてきてもらうぜ」
「な、なんでっ!? エト! やめろっ、離して!!」
「生娘みたいにわめくんじゃねぇよ。妙な気分になるだろうが」
「やだっ、さ、さわらないで……」

 尻を揉まれてぞわりと鳥肌がたつ。
 耳元で息を吹き込まれるような声にも嫌悪感が湧き上がり、渾身の力で逃げ出そうとするがビクともしないのが悔しい。

「こいつ誘ってやがるぜ」
のところに連れていく前にちょっと味見してやろうや」
「少しくらいいよな」
「本当に美味そうだ。はやく喰ってやりてぇ」

 口々にそう口走る男たち。
 エトはというと端っこで青くなって震えている。
 しかも徐々にヒートアップしてるのか、その場の熱気が尋常じゃなくなっていく。

「ああ美味そうだ」
「ほら見ろよ、むしゃぶりつきたいくらいだ」
「ふへへ、舐めてみるかぁ」

 べろりと耳に舌を這わされて、ぞわりと怖気が走った。

「ひっ!」

 嫌だやめてと抵抗すればするほど腕は捻り上げられ、拘束も強くなる。

「や、やだぁっ、やめて……」

 まるで猛獣たちの檻に入れられた人間のように必死に懇願して助けを求めるが、不思議と誰一人としてこの裏路地に駆け込んで来るものはいない。
 
 すぐ数メートル先には賑やかな表通りのはずなのに、なぜかその雑踏すれ入ってこないのだ。

 切り離された世界かと錯覚するくらい、絶望的な状況に泣きそうになる。

「たすけて……おねがい…………い、イド、ラ……」

 なぜだろう、蚊の鳴くような声で呟いたのはあの男の名。

 脳裏に描いたのは黒ずくめの長身。深いみどり色の瞳で見透かすように見つめられると、どうにも言葉を取り繕うことすら難しくなる。

「あーあ、泣いちまった。ぐひひ、ますます美味そうだなァ」

 彼を捕らえた男達が舌なめずりをしてわらった時だった。

『――耳をふさげ』

 囁くようだが凛と、確かに聞こえた言葉。

 オルニトは言われるがまま、反射的に耳を塞ぐ。それと同時に目の上を優しく覆われた感覚がした。

 次の瞬間。

「!!!」

 眩い光が爆ぜた。
 目を焼くようなそれは、その場にいた者たちの視力を一時的に奪う。
 彼らは声もなく地に伏せて獣のような呻き声や叫び声をあげて、その場を這い出し逃げていく。

「な、なんだよこれぇ!」
「見えねぇ……目が、目がぁ」
「くそっ、魔法か」

 なにが起こったのかその場の誰一人として分からないらしい。
 いや違う。いつの間にかオルニトの隣に佇んでいる男以外には。

「今のうちに行くぞ」
「えっ!」

 まだ耳を塞いでいた手を強引にとられ走り出す。

「ゔぅぅ、ァ゙ぁ゙ぁっ」
 
 ふと見ると、男たちは転がって呻き声や唸りをあげている。
 頭を抱えすすり泣いている者もいて、一瞬気にして立ち止まりかけるが。

「立ち止まるな」

 と彼に冷たく言い放たれ、引きずられるようにその場を後にした。
 



 



 

 


 
 





 
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