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入社前

第二話 始まりの笑顔

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 遅めの昼食で空腹を満たした私は、園内のハンバーガーショップを後にした。色鮮やかなパレードが終わり、多くの人々が行き交うパレードルートを抜ける。ドリーミングランドの中心にそびえ立つ桃色がかった西洋風の城の影がメインストリートを指し示した。城の前では記念撮影に勤しむ若い男女や家族連れの姿が目立つ。

「あの、お姉さんすみません。写真撮ってもらえませんか?」

 背後から私を呼び止める声が聞こえた。振り返ってみると、三歳くらいの女の子を抱いた母親が私を見つめている。後ろ姿が従業員に見えたのだろうか。しかし、入社式前といえど、私もドリーミングランドの一員だ。私は笑顔で「良いですよ」と応え、一眼レフを受け取る。カメラを触るのはもう十年ぶりにでもなるだろうか。

「はい、チーズ!」

 眩い笑顔を放つ女の子と母親を中央下に配置し、桃色のクラウン城の堂々たる佇まいも映す構図でシャッターを切った。親子に確認してもらうと彼女らはとても満足したらしく、「ありがとうございます」と深々と礼をした。私も釣られて礼をする。

「この後もぜひ楽しんでくださいね」

 私はまるで従業員のように胸を張り、笑顔を作ると親子に対して手を振りメインストリートへと歩いた。
 私は、親子と自身を重ねていた。

 (あの親子に父親はいないのだろうか。いないなら、私と同じだなぁ)

「いやぁ、素晴らしい接客でした!」

 私が考え事をしている横から、黒髪でヒョロリと長身のスーツ姿の男性がニコニコ目を細めながら声をかけてきた。私は突然の出来事に思わず「ヒィ!」と小さな悲鳴を上げる。

「ああ、失礼。私は人事課の笹木ささきと申します。本日入社の樹論さんですよね?先程の対応を遠目で拝見しましたがね、いやぁ、夜間には惜しい人材だと思いまして……。あ、夜間運営課の八幡やはたさんにはご内密にね」

「ええ、はぁ、どうも……」

 私は何がなんだか分からなくなり、とりあえず返事という名の声を漏らしていた。驚きながらも、じっくりと笹木と名乗る男性を見てみる。身長は一八〇をゆうに超えているだろう。黒いスーツとワックスで整えた黒髪がさらに体を引き締めて見せているようで、私よりも腰が細そうだ。歳は四十くらいだろうか。声も若い印象だ。

「入社式まで時間ありますが、良ければ会場まで案内しましょうか?会場でゆったり待っていただけるようにしますよ。ほら、日差しが暑いでしょうし」

 笹木さんは私の頬を伝う汗を見ていたらしい。急いでハンカチを取り出して汗を拭うと、少し悩みながら

「では、お願いします。今日は少し暑いので……」

と、案内をお願いした。
 メインストリートの突き当たりの従業員用扉を開くと、そこにはドリーミングランドの裏側が露わになっていた。何にも隠されていない裏側の緑色の豆腐型建築物は、表側のクラウン城なんかより堂々としていた。しばらく歩くと、なんと道路が裏側にあることを発見した。その道路の上をバスが定期的に走っている。

(そっか、開園前の従業員入口は一つしかないもんね。遠くのエリアの従業員はバスで移動するんだ)

 笹木さんはキョロキョロと見回す私を微笑ましそうに眺めている。五分ほど歩くと、研修棟と書かれたビルに辿り着いた。

「このビルを入ってすぐの第一研修室が会場ですよ。自販機も近くにありますし、お手洗いは室内の地図に書いてありますからね」

 人事課の笹木さんは、笑顔で手を振る。私は急いで深くお辞儀をして、感謝の言葉を述べた。

「ご親切にありがとうございます。今日からお世話になります」

 笹木さんは小さく頭を下げた。

「その言葉は八幡に伝えてくださいね、私はただのお節介おじさんですから」

 彼は研修棟に背を向けると、向かいの建物へと姿を消した。

(とても親切な方だったな。……少し変わってるけども)

 私は、笹木さんが上司だったらいいのになぁと思いながら第一研修室へ入室した。私は更に驚いた。何故なら、椅子が一脚しか用意されていなかったからだ!

(笹木さんの間違いじゃないよね⁉︎今日の入社式、もしかして私一人だけ⁉︎)

 入社前から、私の驚きと不安だらけのドリーミングランド生活が始まったのだった。
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