桜華の檻

咲嶋緋月

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悪夢

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「もう、大丈夫や。」

その声は、何処までも優しく、温かな調子で少女に語りかける様に言葉を繋ぐ。

「もう、怖ないからな?」

その言葉は、まるで己自身に言っているかの様で、目の前の小さな少女の頭に手を置いた。

彼の心には、黒ずんだ重い液体の様なよどみを感じる。この優しさは、己を守る為の鎧と同じ。

「うん。」

返事をすれば、彼の目は細められ、険しい眉が少し解けた。

「せや。布団敷いたるわ。」

彼の耳には、自分の言葉は何も届いて居ない。この優しさは、自分に向けられたモノでは無い。

————全ては、
身を守る為の手段でしかない

手際良く布団を敷いた最澄を息を凝らすようにじっと見る。白い布を綺麗に整える彼は、案外と几帳面な男の様だ。

シワをピンッと伸ばしながら布団の脇に綺麗に折り曲げていく。その様子を見ながら、何か会話を探すが、ふと浮かんだ疑問をそのまま最澄に投げかけた。

「あの人、追いかけなくて良かったの?」

所詮は、他人事なのに、そう声を掛けたのは、彼の表情が時折寂しそうに変化したからだ。

「………。」

何も言わず、手を動かす彼。まるで石の様な沈黙を押し通しているかの様だ。

彼の心に触れ様としても、その前にある硬い鎧は、簡単には脱いでくれないらしい。

「ほら、子供は寝る時間や。」

喉に絡んだ様な声を放つ最澄。
その後は、口元がきつく閉まり、関わりたくないという意志がそこに読み取れた。

つまり、黙って布団に入るしかない訳で、小さな身体を滑り込ませて布団に入れば、キッチリと張った白い布が心地よく、少し目を細めれば、最澄が掛け布団を掛けた。


自分の声は、なにも届いていない。
そう。何も————


空には分厚い雲がかかっていて、その奥に月を隠す。

その日の空は、まるで彼の心を映しているかの様な夜空だった。

空を視界に映し、少女は、目を閉じる。
リズム良く、優しく身体を叩く感覚。寝かしつけ様と最澄が隣に横になった気配を感じた。

はるか昔、こんな風に寝かしつけてくれた人が自分にも居た。懐かしい記憶のカケラを思い出しながら少女の意識は、遠のいていく。

その時、何故か思い出した人物は、母では無い女性だった。

自分の敷いた布団で眠る少女を見て、最澄は、少しばかり頬を緩め、目を細めた。

初めて会った少女なのに何故だか懐かしい感覚がする。

「死神…。」

果たして、この世の中にそんなモノは、存在するのだろうか?

「いや。居るはずがない。」

少女の名を聞き忘れたのを思い出すが、

「まぁ、明日聞けばいい。」

頬にかかる髪を退けてやりながら、最澄の身体から力が抜けていく。頭の中では、やる事を考えながらも、瞼が重く閉じていく事に抗えない。

そのまま、最澄も眠りへとついていった————。


不思議な夢を見た。
そう。アレは、夢。

気づけば自分は、彼岸花が咲き誇る河原に立って居た。彼岸花が咲く時期では無いのに、そこは、赤い海の様だった。秋の彼岸のころに咲く赤くて怪しげな花。別名、曼珠沙華まんじゅしゃげ

それに手を伸ばそうとすれば声が聞こえた。

————彼岸花を摘んではいけないよ。

どこにも声の主は見えないのに、最澄は、問う。

「どうして?」

いつもより弱気に、弱々しいその声に、自分で発した声にもかかわらず驚きを隠せなかった。そんな彼にも気にも止めず、声が返ってくる。

————閻魔は、その花が嫌いだから。

「閻魔?」

彼岸花を摘むのをやめ、辺りを見渡すと川が見えた。その川は、幅が広く、歩いて渡る事は不可能としか考えられ無い程であった。

川を見ていたら、一艘の舟が近づいてくる。
布を頭から巻きつけた男が手を出した。

「渡し船の料金は六文だ。」

誰も渡るとは言っていない。しかも此処は夢の中。金など自分が持っているのかも不明だ。

しかも六文だなんて、まるで三途の川みたいだ。最澄は、踵を返して反対へと走る。

そうすれば、また声が聞こえてくる。

————餓鬼に話しかけてはいけないよ。腹が減り過ぎて魂を喰らってしまうから。

見えた人影に、最澄は息を飲む。その人影は、痩せ細って腹部のみが丸く膨れ上り、足の甲が浮腫んだ姿だった。

綺麗な彼岸花を足で踏みつけている事さえ気付かずに最澄は、その場から逃げ出した。

全身に汗が流れるような不気味さ、それに加え足がガクガクと言う事を聞かない。

覚束ない足を必死に動かし続ける事しか出来なかった。

自分は、どこに迷い込んでしまったのか?

目に恐怖の光が広がりながらも、最澄は、辺りを見回す。そして漸く足を止めた。

「————閻魔の沙汰は絶対。覆る事は不可能。天国か、地獄。二つに一つ。」

ずっと聞こえていた声の持ち主が最澄の前に現れた。

大鎌を片手に大きな月の下、流れる様に靡く黒髪。白い肌の女は、あの少女によく似ていた。まるで少女が成長した姿の様だったのだ。

空を斬る大鎌。その瞬間、空に赤い雫が飛び散った。まるで、彼岸花が露を浴びた様にキラキラと空を色付ける。

グラリと視界が歪み、最澄の意識は、そこでプツリと途切れた。

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