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スナイパー尚子
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平成20年のもうすぐ師走のころ、千代田区霞が関二丁目の警視庁捜査一課では、「品川男性射殺事件」の捜査本部が置かれていた。
捜査本部の会議室は、あわただしく人が出入りし、しばらくして前後の扉が閉じられた。
「銃弾はガイシャの前頭部を直撃しており、銃器の扱いに慣れた者の犯行と考えていいだろう。旋条痕(せんじょうこん)から銃の特定を急いでいるところだ」
一課長の長澤利明(ながさわとしあき)警部がホワイトボードの前でこれまでの経緯を捜査員に申し送っているところだった。
「銃器はおそらくライフル銃でレミントンM700、狙撃用のものだ。弾丸は7.62ミリNATO」
「ええっ!そうすると、警察関係者か自衛隊関係者でしょうか?」捜査員の一人が口を挟む。
「たぶんな。だが外人ということもありうる」
「よく似た事件が何件かありましたよね。いずれも迷宮入りみたいだけれど」
一課きってのブレイン、東京大学法学部を首席で出たという大越直也(おおごしなおや)警部補がするどく切り込んだ。
「ああ、使われた銃器といい、たぶん同じ犯人だと思われる。ガイシャもみな殺されて当然のような男ばかりで、一種の義賊のように世間では言われとる」
「すると犯行の動機は、今回もストーカーがらみで?」
尾辻登志夫(おつじとしお)巡査部長という古株の刑事が「禁煙パイポ」をくわえながら尋ねる。
「品川署の話では、ガイシャと並行して歩いていた西口奈津子(にしぐちなつこ)さんが、内縁関係だったガイシャの臼井武夫(うすいたけお)からしつこいつきまとい行為を受けていたとして相談があったらしい」
「しかし西口奈津子の犯行という線はないんでしょう?」
「凶器はライフル銃だ。人通りの多い街の中で並んで歩いていて、そんな長物で男を撃ったら…ありえんだろう?それに西口さんの身辺から凶器は出てきとらん」
「狙撃場所は特定できましたか?」
「それなんだが、鑑識が科捜研に依頼したところ、二箇所の候補があるそうだ。菅谷ビルの屋上とアルカディア品川というマンションの北面、五階以上だ」
「おれと、乾(いぬい)は犯行現場付近の防犯カメラを徹底的に洗う」
そう言ったのは、三十絡みの岸本涼介(きしもとりょうすけ)警部補だった。
乾幸太郎(こうたろう)は、岸本といつも行動をともにしている後輩の巡査長だった。
「じゃあ、自分は、臼井が恨みを買っていたとして、交友関係を当たってみます」
高階忠(たかしなただし)警部補も後に続いた。
「それと、西口奈津子がだれかに臼井の殺人を依頼していないか、そういう線も捨てきれないので慎重に、警察および自衛隊関係を当たれ」
追いかけるように長澤課長が指示を飛ばす。
「はいっ」
残りの捜査官はてんでに部屋を出ていった。
あたしは夕食を必ず太郎さんのごはん屋さんでとるようになった。
カウンター席しかない狭い店だが、たいていの季節のオカズがあるので、料理下手のあたしには「すぎる」お店だった。
それにご主人の太郎さんが気さくで、口さがなくって、すぐに親しくなれたのも常連になった理由かもしれない。
家出同然で船橋から一人、東京に出てきて最初に親切にしてくれた人だったから。
店の奥のトイレの入り口の上にテレビがしつらえてあって、野球をやっているときはナイター中継、お相撲のときはNHK、なんにもない時はニュースが映ってる。
リモコンが太郎さんの厨房にあるので、客はさわれない。
今日は日曜だと言うのに、ニュースでは物騒な品川の射殺事件のことを報道していた。
なんでも、ある女性をしつこくつきまとっていたストーカーが何者かに射殺された遺体で発見されたそうだ。
当然、その女性が重要参考人として事情を聞かれているらしい。
「しかし、なんだね。日本も物騒な事件が多くなってきたね」と、問わず語りに太郎さんが言う。
「そうね。この女の人が殺したのかしら?」
「普通に銃なんて手に入るのかね。ヤクザの女だったのか?」
「そうかもよ。ネットでも銃は手に入るとか何かの雑誌に書いてあったわ」
「こわいね。そこの新聞に書いてあったが、使われたのはピストルじゃないようだ。ライフル銃のようなことが書いてあったぜ。そうすると、犯人はその女じゃないだろ?」
「じゃあ依頼殺人ってこと?」
太郎さんはそれに答えず、秋刀魚さんまの塩焼きと「あきたこまち」の炊きたてのご飯、小田原のかまぼこ、仙台の笹かまぼこの共演セット、なめこ汁をあたしの前に並べて、その話は終わりになった。
「いっただっきまぁす」
浅草演芸ホールは、日曜ということもあって、お客さんがいつになく多かった。
「よう、なおぼん」
相方の「せっちゃん」こと、小山節生が着流しで楽屋の暖簾のれんから首だけだして呼ばわる。
「なによ」
「きんの(昨日)、鼓月師匠の還暦祝いの飲み会、行かなかったんだって?」
「あたしにもプライベートな秘密があるのよ」
「けっ、ただ酒飲めたのによう。ま、いいや、あのさ、今日のネタ合わせだけど、今、いい?」
「いいわよ。あたしもすぐ支度するわ」
あたしたちのコンビ「パロル」は時事漫談で「パロ」るのが特徴だった。
一昨日の夜、蒲生譲二からメールが届いた。
「ひさしぶりの仕事だ。やってもらいたい」
具体的な場所と時間、クライアント「西口奈津子」の顔写真と、ターゲットの「臼井武夫」の顔写真が添付されていた。
「11月22日、22:00に西口奈津子と臼井武夫が品川のラブホテル「Elle」から並んで出て来る。そこを「菅谷ビル」の屋上北側から狙え。正面だ」
そうあった。
蒲生とは芸人になってから知り合い、売れないあたしに高額の仕事をくれるパトロンだった。
「おれたちのことは誰にも知られてはいけない」
彼の口癖だった。
七年前の2001年、彼は演芸ホールの客の一人だった。
サングラスを取れば眼光鋭い、ウラの人間特有の雰囲気を体中から醸し出し、およそ演芸には不似合いな外観だった。
「今日の射撃のネタ、上出来だったぜ」
楽屋の外で待ち受けていた、彼の開口一番がそれだった。
あたしは、船橋にいたころ、男友達らとサバゲーの仲間になって野山を駆け巡っていた経験から、銃器ネタを披露することがあった。
相方のせっちゃんは、あまり乗り気じゃない話だったみたいだが、お客にはけっこう受けた。
その日、蒲生がしつこくあたしを誘うので、ほだされてそのまま銀座のお店に連れて行かれた。
高いお酒をごちそうになり、彼が、あたしにある仕事をしてもらうために、「俺と一緒にアメリカに来い」というのだった。
あたしは芸人としての仕事があるので穴をあけられないと断ったが、「休みの日」だけでいいからと食い下がる。
それにお金もくれるというのだ。
あたしは、もうスケジュール帳を出していた。
三日とか二日の休みを利用しての強行軍であたしが仕込まれたのはアメリカ西海岸での銃の扱いだった。
もともと嫌いじゃなかったあたしは、本物の射撃に夢中になった。
シューティングサイトの常連になり、念願のレミントンM40A3にも出会えた。
彼は、あたしに「スナイパー」になれと言うのだった。
彼の頭の中では、殺し屋を雇って、一事業を興す構想が練られていた。
自(みずか)らは汚れすぎていて手を出せない。
そこで、ズブの素人、それも「女」なら足がつきにくいと見た蒲生に、サバゲー出身のあたしはうってつけのカモだった。
「こいつを殺し屋に育てよう」そう思ったに違いない。
「あたしは人殺しはしない」
あたしは蒲生に話した。
「こんなやつでもかい?」
彼のクライアントの一覧には、さまざまなターゲットの素行が書かれていた。
妻にひどい暴力を振るう男、しつこいストーカー行為をして、依頼人を恐怖のどん底に陥れている男、ペドフィリア(幼児虐待)が治らない父親…吐き気を催すようなやつばかりだった。
「警察なんてあてになりゃしない。生きてちゃいけねぇやつもこの世にはゴマンといるんだ。人助けだよ」
蒲生の言葉には妙に説得力があった。
「必殺仕事人」という言葉が頭に浮かんだ。
「あたし、でも、つかまったら死刑だよね」
「つかまらない。ぜったいに」
その根拠がわからなかったが、蒲生の目が嘘をついているようには思えなかった。
そうして、あたしは芸人とスナイパーの「二足のわらじ」を履いて今日に至っている。
プロダクションの櫓社長も相方の節生も、セフレの和昭も知らないあたしのもう一つの顔だった。
11月22日夜九時前、あたしは浅草演芸ホールの出番を終え、すぐにタクシーをつかまえて品川駅で降り、菅原ビルに駆けつけた。
このビルに到達する道筋は蒲生が詳細に指示していた。
そうすることによって、街なかの防犯カメラに写らないで到着できるのだった。下見をすると、防犯カメラに映る可能性があるので、狙撃の場合、直線距離がわかればいいので地図で「アタリ」をつけて、イメージトレーニングをするのである。
当日、あたしは難儀して、銃の入ったギターケースを下げて道を辿った。
今日は「パロル」での出し物でギターは使わなかったんだけど、この仕事のために持ってきていたのだった。
菅原ビルは古い町並みにぽつんと建っているテナントビルで、かなりさびれていた。
非常階段を使えと蒲生が下調べをしてくれていたのでその通りに登る。
下足痕(げそこん)が残らないように、靴を脱ぎ、軍足のまま登る。
足裏が冷たい。
五階建ての屋上の柵は施錠されておらず、簡単に入ることができた。
足元暗い場所なのでヘッドライトをつけ、北側の縁(へり)に陣取る。
双眼鏡をつかってホテル「Elle」を見つけた。
そこに向かって道が伸びていて、ここから300メートルくらいだろうか。地図で調べがついている。
西口奈津子が十時きっかりにこちらを向いてターゲットと二人で立つように指示されているという。
そこをあたしが狙うのだ。
ギターケースを開けて、蒲生から貸してもらったレミントンM40A3を取り出す。
7.62✕51mmNATO弾が六発装填されている。
しかし、一発で仕留めなければならない。
失敗は許されないのだ。
二脚を立てて、鉄柵の間に銃を固定してS&B暗視スコープ(✕10)でターゲットの立つ場所を覗いた。
今日は少し風がある。
ラブホ前の道路は二車線の道で、幅は十メートルくらいあった。
風は西風で、あの道路の街路樹も風になびいている。
九時四十四分…あたしの腕時計が指している。
スコープを念入りに調整する。
臼井という男は、西口さんを精神的に追い詰め、自殺未遂させるほどだった。それなのにつきまといを止めないらしい。
品川署も他人事で本気に取り合わないそうだ。
蒲生はそんな西口奈津子の依頼をいくらで請け負ったのかしらないが、こうして実行しようとしている。あたしはもう何人、こうやって殺してきただろう…
九時五十九分。
「現れた…男女二人」
スコープの中に確実に捉えた。
あたしは銃床を肩にしっかりと当て、伏せ撃ちの体勢で狙いをつける。
西口奈津子は言われたとおりに、こちらを向いて立っている。
その隣に臼井がタバコをくわえて火を点けるところだった。
あたしは呼吸を止めてトリガーに指をかけた。
1.2.3.…カチッ
ドンという衝撃が肩を走る。
しばらくして、臼井の頭に血しぶきが霧のように街路灯に映えた。
心のなかでガッツポーズをして、トリガーから指を離した。
驚いて立ちすくむ西口奈津子、通行人が駆け寄る。
あたしは最後まで見届けずに、慎重にボルトを引いてギターケースの中に排莢し、その場を片付けてもと来た道を引き上げた。
品川駅前を数台のパトカーが走り去る。
誰かが110番通報したのだろう。
あたしはギターケースを抱えて徒歩で、北へ田町駅に向かった。
「殺されていいのよ。あんな男」
あたしは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
捜査本部の会議室は、あわただしく人が出入りし、しばらくして前後の扉が閉じられた。
「銃弾はガイシャの前頭部を直撃しており、銃器の扱いに慣れた者の犯行と考えていいだろう。旋条痕(せんじょうこん)から銃の特定を急いでいるところだ」
一課長の長澤利明(ながさわとしあき)警部がホワイトボードの前でこれまでの経緯を捜査員に申し送っているところだった。
「銃器はおそらくライフル銃でレミントンM700、狙撃用のものだ。弾丸は7.62ミリNATO」
「ええっ!そうすると、警察関係者か自衛隊関係者でしょうか?」捜査員の一人が口を挟む。
「たぶんな。だが外人ということもありうる」
「よく似た事件が何件かありましたよね。いずれも迷宮入りみたいだけれど」
一課きってのブレイン、東京大学法学部を首席で出たという大越直也(おおごしなおや)警部補がするどく切り込んだ。
「ああ、使われた銃器といい、たぶん同じ犯人だと思われる。ガイシャもみな殺されて当然のような男ばかりで、一種の義賊のように世間では言われとる」
「すると犯行の動機は、今回もストーカーがらみで?」
尾辻登志夫(おつじとしお)巡査部長という古株の刑事が「禁煙パイポ」をくわえながら尋ねる。
「品川署の話では、ガイシャと並行して歩いていた西口奈津子(にしぐちなつこ)さんが、内縁関係だったガイシャの臼井武夫(うすいたけお)からしつこいつきまとい行為を受けていたとして相談があったらしい」
「しかし西口奈津子の犯行という線はないんでしょう?」
「凶器はライフル銃だ。人通りの多い街の中で並んで歩いていて、そんな長物で男を撃ったら…ありえんだろう?それに西口さんの身辺から凶器は出てきとらん」
「狙撃場所は特定できましたか?」
「それなんだが、鑑識が科捜研に依頼したところ、二箇所の候補があるそうだ。菅谷ビルの屋上とアルカディア品川というマンションの北面、五階以上だ」
「おれと、乾(いぬい)は犯行現場付近の防犯カメラを徹底的に洗う」
そう言ったのは、三十絡みの岸本涼介(きしもとりょうすけ)警部補だった。
乾幸太郎(こうたろう)は、岸本といつも行動をともにしている後輩の巡査長だった。
「じゃあ、自分は、臼井が恨みを買っていたとして、交友関係を当たってみます」
高階忠(たかしなただし)警部補も後に続いた。
「それと、西口奈津子がだれかに臼井の殺人を依頼していないか、そういう線も捨てきれないので慎重に、警察および自衛隊関係を当たれ」
追いかけるように長澤課長が指示を飛ばす。
「はいっ」
残りの捜査官はてんでに部屋を出ていった。
あたしは夕食を必ず太郎さんのごはん屋さんでとるようになった。
カウンター席しかない狭い店だが、たいていの季節のオカズがあるので、料理下手のあたしには「すぎる」お店だった。
それにご主人の太郎さんが気さくで、口さがなくって、すぐに親しくなれたのも常連になった理由かもしれない。
家出同然で船橋から一人、東京に出てきて最初に親切にしてくれた人だったから。
店の奥のトイレの入り口の上にテレビがしつらえてあって、野球をやっているときはナイター中継、お相撲のときはNHK、なんにもない時はニュースが映ってる。
リモコンが太郎さんの厨房にあるので、客はさわれない。
今日は日曜だと言うのに、ニュースでは物騒な品川の射殺事件のことを報道していた。
なんでも、ある女性をしつこくつきまとっていたストーカーが何者かに射殺された遺体で発見されたそうだ。
当然、その女性が重要参考人として事情を聞かれているらしい。
「しかし、なんだね。日本も物騒な事件が多くなってきたね」と、問わず語りに太郎さんが言う。
「そうね。この女の人が殺したのかしら?」
「普通に銃なんて手に入るのかね。ヤクザの女だったのか?」
「そうかもよ。ネットでも銃は手に入るとか何かの雑誌に書いてあったわ」
「こわいね。そこの新聞に書いてあったが、使われたのはピストルじゃないようだ。ライフル銃のようなことが書いてあったぜ。そうすると、犯人はその女じゃないだろ?」
「じゃあ依頼殺人ってこと?」
太郎さんはそれに答えず、秋刀魚さんまの塩焼きと「あきたこまち」の炊きたてのご飯、小田原のかまぼこ、仙台の笹かまぼこの共演セット、なめこ汁をあたしの前に並べて、その話は終わりになった。
「いっただっきまぁす」
浅草演芸ホールは、日曜ということもあって、お客さんがいつになく多かった。
「よう、なおぼん」
相方の「せっちゃん」こと、小山節生が着流しで楽屋の暖簾のれんから首だけだして呼ばわる。
「なによ」
「きんの(昨日)、鼓月師匠の還暦祝いの飲み会、行かなかったんだって?」
「あたしにもプライベートな秘密があるのよ」
「けっ、ただ酒飲めたのによう。ま、いいや、あのさ、今日のネタ合わせだけど、今、いい?」
「いいわよ。あたしもすぐ支度するわ」
あたしたちのコンビ「パロル」は時事漫談で「パロ」るのが特徴だった。
一昨日の夜、蒲生譲二からメールが届いた。
「ひさしぶりの仕事だ。やってもらいたい」
具体的な場所と時間、クライアント「西口奈津子」の顔写真と、ターゲットの「臼井武夫」の顔写真が添付されていた。
「11月22日、22:00に西口奈津子と臼井武夫が品川のラブホテル「Elle」から並んで出て来る。そこを「菅谷ビル」の屋上北側から狙え。正面だ」
そうあった。
蒲生とは芸人になってから知り合い、売れないあたしに高額の仕事をくれるパトロンだった。
「おれたちのことは誰にも知られてはいけない」
彼の口癖だった。
七年前の2001年、彼は演芸ホールの客の一人だった。
サングラスを取れば眼光鋭い、ウラの人間特有の雰囲気を体中から醸し出し、およそ演芸には不似合いな外観だった。
「今日の射撃のネタ、上出来だったぜ」
楽屋の外で待ち受けていた、彼の開口一番がそれだった。
あたしは、船橋にいたころ、男友達らとサバゲーの仲間になって野山を駆け巡っていた経験から、銃器ネタを披露することがあった。
相方のせっちゃんは、あまり乗り気じゃない話だったみたいだが、お客にはけっこう受けた。
その日、蒲生がしつこくあたしを誘うので、ほだされてそのまま銀座のお店に連れて行かれた。
高いお酒をごちそうになり、彼が、あたしにある仕事をしてもらうために、「俺と一緒にアメリカに来い」というのだった。
あたしは芸人としての仕事があるので穴をあけられないと断ったが、「休みの日」だけでいいからと食い下がる。
それにお金もくれるというのだ。
あたしは、もうスケジュール帳を出していた。
三日とか二日の休みを利用しての強行軍であたしが仕込まれたのはアメリカ西海岸での銃の扱いだった。
もともと嫌いじゃなかったあたしは、本物の射撃に夢中になった。
シューティングサイトの常連になり、念願のレミントンM40A3にも出会えた。
彼は、あたしに「スナイパー」になれと言うのだった。
彼の頭の中では、殺し屋を雇って、一事業を興す構想が練られていた。
自(みずか)らは汚れすぎていて手を出せない。
そこで、ズブの素人、それも「女」なら足がつきにくいと見た蒲生に、サバゲー出身のあたしはうってつけのカモだった。
「こいつを殺し屋に育てよう」そう思ったに違いない。
「あたしは人殺しはしない」
あたしは蒲生に話した。
「こんなやつでもかい?」
彼のクライアントの一覧には、さまざまなターゲットの素行が書かれていた。
妻にひどい暴力を振るう男、しつこいストーカー行為をして、依頼人を恐怖のどん底に陥れている男、ペドフィリア(幼児虐待)が治らない父親…吐き気を催すようなやつばかりだった。
「警察なんてあてになりゃしない。生きてちゃいけねぇやつもこの世にはゴマンといるんだ。人助けだよ」
蒲生の言葉には妙に説得力があった。
「必殺仕事人」という言葉が頭に浮かんだ。
「あたし、でも、つかまったら死刑だよね」
「つかまらない。ぜったいに」
その根拠がわからなかったが、蒲生の目が嘘をついているようには思えなかった。
そうして、あたしは芸人とスナイパーの「二足のわらじ」を履いて今日に至っている。
プロダクションの櫓社長も相方の節生も、セフレの和昭も知らないあたしのもう一つの顔だった。
11月22日夜九時前、あたしは浅草演芸ホールの出番を終え、すぐにタクシーをつかまえて品川駅で降り、菅原ビルに駆けつけた。
このビルに到達する道筋は蒲生が詳細に指示していた。
そうすることによって、街なかの防犯カメラに写らないで到着できるのだった。下見をすると、防犯カメラに映る可能性があるので、狙撃の場合、直線距離がわかればいいので地図で「アタリ」をつけて、イメージトレーニングをするのである。
当日、あたしは難儀して、銃の入ったギターケースを下げて道を辿った。
今日は「パロル」での出し物でギターは使わなかったんだけど、この仕事のために持ってきていたのだった。
菅原ビルは古い町並みにぽつんと建っているテナントビルで、かなりさびれていた。
非常階段を使えと蒲生が下調べをしてくれていたのでその通りに登る。
下足痕(げそこん)が残らないように、靴を脱ぎ、軍足のまま登る。
足裏が冷たい。
五階建ての屋上の柵は施錠されておらず、簡単に入ることができた。
足元暗い場所なのでヘッドライトをつけ、北側の縁(へり)に陣取る。
双眼鏡をつかってホテル「Elle」を見つけた。
そこに向かって道が伸びていて、ここから300メートルくらいだろうか。地図で調べがついている。
西口奈津子が十時きっかりにこちらを向いてターゲットと二人で立つように指示されているという。
そこをあたしが狙うのだ。
ギターケースを開けて、蒲生から貸してもらったレミントンM40A3を取り出す。
7.62✕51mmNATO弾が六発装填されている。
しかし、一発で仕留めなければならない。
失敗は許されないのだ。
二脚を立てて、鉄柵の間に銃を固定してS&B暗視スコープ(✕10)でターゲットの立つ場所を覗いた。
今日は少し風がある。
ラブホ前の道路は二車線の道で、幅は十メートルくらいあった。
風は西風で、あの道路の街路樹も風になびいている。
九時四十四分…あたしの腕時計が指している。
スコープを念入りに調整する。
臼井という男は、西口さんを精神的に追い詰め、自殺未遂させるほどだった。それなのにつきまといを止めないらしい。
品川署も他人事で本気に取り合わないそうだ。
蒲生はそんな西口奈津子の依頼をいくらで請け負ったのかしらないが、こうして実行しようとしている。あたしはもう何人、こうやって殺してきただろう…
九時五十九分。
「現れた…男女二人」
スコープの中に確実に捉えた。
あたしは銃床を肩にしっかりと当て、伏せ撃ちの体勢で狙いをつける。
西口奈津子は言われたとおりに、こちらを向いて立っている。
その隣に臼井がタバコをくわえて火を点けるところだった。
あたしは呼吸を止めてトリガーに指をかけた。
1.2.3.…カチッ
ドンという衝撃が肩を走る。
しばらくして、臼井の頭に血しぶきが霧のように街路灯に映えた。
心のなかでガッツポーズをして、トリガーから指を離した。
驚いて立ちすくむ西口奈津子、通行人が駆け寄る。
あたしは最後まで見届けずに、慎重にボルトを引いてギターケースの中に排莢し、その場を片付けてもと来た道を引き上げた。
品川駅前を数台のパトカーが走り去る。
誰かが110番通報したのだろう。
あたしはギターケースを抱えて徒歩で、北へ田町駅に向かった。
「殺されていいのよ。あんな男」
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真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)
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