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これはイベントだった筈です。
しおりを挟む「チッ医務の先生は不在か。まぁ良い、手当くらいなら俺でも出来る」
そうでしょうね、幼い頃から怪我は沢山して来たでしょうから。
私は些か投げやりな気持ちでフィリクス様を見つめた。
「フィル兄、ミシェルの手当くらい俺にやらせてよ」
「この女よりお前は自分の手当をしろ!お前もこれくらいなら自分でやり慣れているだろ?」
「……分かったよ、ごめんミシェル」
「いっいいえ!フィリクス様の言う通りですわ。どうかローランド様はご自分の怪我を最優先になさって下さい」
未だに項垂れているローランド様を見ていられなくて、何とか取りなしたものの罪悪感に押しつぶされそうになる。
「そうだぞ、ローランド。さて、お前は動くな馬鹿者。そして、大人しく俺の質問に答えろ」
「……私、馬鹿者では無いので答える義務はありませんわね」
「はぁ……ミシェル、言う事聞け。これでいいか」
額に青筋を立てながらも手際よく私の腕に着いた血を拭き取り、手当を施してくれるフィリクス様。
やっぱり逃げられそうには無いわね。
「何でしょう」
「お前な……まぁ、いい」
ブスッとぶっきら棒に答えた私の様子にフィリクス様も御立腹ではあるものの、質問をする方が先決だと判断されたらしい。
「何故避けなかった」
「随分な質問ですわね。避けなかった?いいえ、避けられなかったのですわ。ただの令嬢に勢い良く飛んでくる剣が避けられるとでも?」
「"ただの"令嬢ならな」
「私は違うとでも?」
こう言う質問をするという事はフィリクス様は確信しているのだろう。
そして、誤魔化しても論破されてしまう。
なんて分かっているのに悪足掻きをしたくなるのは何故なんでしょうね。
きっとローランド様に知られたく無いから、でしょうか。
「先日、お前は後ろを取った俺の腕を捻りあげた、あれは普通の令嬢に出来ることでは無い」
「腕を捻りあげた?」
「何だローランド、こいつが俺を負かしたと大騒ぎしていたのを忘れたのか?」
「い、いやアレは……」
「大方口で言い負かしたのだろう、とでも勘違いしていたんだろうがな。ま、俺も信じられなかった。剣術だけではなく体術、棒術、ありとあらゆる物を父上から教え込まれている俺が、油断していたとはいえ只の令嬢に腕を捻りあげたんだから」
本当にあれは迂闊だった。
まさかフィリクス様が剣術だけではなく他の武術までお父様から教えられていたなんて。
「あれは…」
「まぐれ、何て言わせないぞ。俺が相手ならまぐれでもそんな事は万に一つもあり得んのだから」
「確かに私にも多少武術の心得があります。でもそれは本当に自分の身を守る為の限られたもので、誇れるようなものでは」
「多少?なら、多少だと仮定してもいい。だが、お前の体は随分と鍛え上げられているよな?」
「っ……」
「お前を重い、と言った。それはお前を抱き上げた時、ただの痩せっぽちの令嬢とは違い、筋肉がついた体の重みを感じたからだ」
「それだけで……」
「それだけ?じゃあ、核心をついてやろう。あの瞬間、ローランドの声に反応してお前は半歩後ずさった。常人じゃ気がつかなかっただろうがな、俺にはしっかりと見えていたぞ」
反論の余地がなかった。
フィリクス様の前だと何故こんなにボロがでてしまうのだろうか。
私はこのままローランド様に失望されてしまうのだろうか。
怪我は自分のせいだとローランド様を傷つけておいて、本当の原因は私だった事に。
「フィル兄、それは違うよ」
ローランド様……まだ、私を信じて下さるのですか?
「フィリクス様、ローランド様、申し訳ありません。私隠し事をしておりました」
「ふん、認めるのか?」
「一部、なら認めて差し上げます」
「なら申し開き位は聞いてやろう」
「フィル兄。ごめんな、ミシェル。フィル兄は頑固で」
「いいえ、ローランド様。私も隠し事をしていたのですから、責められても文句は言えないのです」
ローランド様が信じて下さると言うのなら、私は何が何でも真実を隠し通してみせます。
だからいつか、いつか心からの謝罪をさせて下さい。
でも、それはきっと王国を救った後に……
「私、武術の心得がありますわ。多少、ではなく幼い頃からしっかりと教え込まれてきました」
「認めるんだな?」
「ええ、父が少しばかり心配性な性格でして。自分の身は自分で守れると証明して父を安心させてあげたかったのです」
「それにしては随分と使い熟していたようだが?」
「どうやら私には武術の才があったようで。教えて下さった先生にも言われましたわ、私が男でなかった事が残念だ、と」
「それは、随分な褒め言葉だな」
「そうでしょうか?」
「……と言うと?」
私の言葉に反応したフィリクス様は、いつの間か疑心暗鬼の様子から私の言葉を真剣に聞く姿勢に変わっていた。
ローランド様は口も挟まずに大人しく聞いてくださっている。
「私は女です。けれども、多分そこら辺の男性よりは強い」
「何も悪い事ではないだろう」
「いいえ、男性ならば強い事は美徳ですが、女性は違います。いつの世もか弱く、男性に守られる儚い女性が好まれるものなのです」
「それは……」
「フィリクス様はご自分がお強いから違う、と思うかもしれません。けれど、大半の男性は自分よりも強い女性を好みはしないのです」
フィリクス様はきっと強い女性が男性から疎まれる、なんて事は考えてもいなかったのだろう。
だからこそ私の話に若干たじろいでいる様だった。
「ミシェル、もしかして君は悩んでいたのか?」
「ローランド様……いいえ、私は自分に武術の才があった事を悔やんだ事はありません。もし、身近な誰かが目の前で傷つきそうになった時、私の手が届けば助けられるかもしれませんから」
これは本心だ。
きっとこの力も王国を救う為に何か役立つ筈だ。
そう思えば、より一層自分の力が好きになれた。
「でも、私はあの瞬間迷ってしまったんです」
「迷った?」
「やはりこの力を公に知られてしまう事は本意ではないのです。でも、あんな衆目で剣を躱してしまっては、今のフィリクス様がこうして気がついてしまった様に見る人が見ればこの力に気づかれてしまうかもしれない。そうすれば人伝に広がり、いずれ皆に知られてしまうかも知れない、と」
「だから……」
「ええ、ローランド様の叫びが聞こえて咄嗟に動いてしまいました。それでも一瞬迷った私はそれを避け切る事が出来なかったのです。申し訳ありません、ローランド様。貴方が悪い訳ではないのに御心を痛めるような真似をしてしまい」
「いいや、やっぱりミシェルは悪くないよ。そうだろ?フィル兄」
「ローランド、お前」
「だって、結局はそんな迷う様な状況に追い込んだ上に怪我を負わせてしまったのは俺だ。あの時試合を止めるべきだったんだよ。後、女の子がこんなに必死に隠している事を無理矢理暴いたフィル兄も同罪だからね」
「同罪って」
「言い訳しない」
「う……あぁ」
ローランド様の言葉に泣きそうになった。
やっぱり私はこの人を好きで良かった、大好きだ。
そう再確認させられた。
「ミシェル?泣いてるの?」
潤んだ私の瞳に気がついて狼狽えるローランド様に、私は渾身の笑顔を向けた。
「泣いてなんかいませんわ!ローランド様、ありがとうございます」
「お礼なんて言われる事は何もしていないよ、ごめんねミシェル。ほら、フィル兄もちゃんとミシェルに謝りなよ」
「わ…悪かった。俺だってお前を傷つけたかった訳じゃない」
「私、フィリクス様に傷つけられる程弱くないですわ」
「お前はっ……」
「フィル兄、ミシェルは傷ついてなんかないから怒ってないって言ってくれてるんだよ」
「そ、そうか。………ほら、手当が終わったぞ。包帯は緩くないか?」
「ええ、流石ですわね。鮮やかな手捌きでした」
「褒めても何も出ないからな」
少々居心地の悪そうなフィリクス様に可笑しくなってしまう。
想像していたものとは全然違う物になってしまったけれど、こんなイベントも悪くないかも知れない。
少しだけ向上した私とフィリクス様の関係に晴れやかな気持ちになった。
それも全てはローランド様のお陰。
私の最推しはやはり最高に素敵だったと言う事よね。
その後、一頻り他愛ない会話をした後、お二人と別れた私は軽い足取りで医務室を後にした。
けれど、その足が無事に教室までたどり着く事は無い。
「ファランドールさん、ちょっといいかしら?」
次のイベントの足音は、そんな私のもうすぐそこまで迫っていたのだから。
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