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自己紹介

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私が落ち着いてから、男は自己紹介を始めた。
男の名前はヴェルヘルム・ダルトワ公爵。私は公爵と聞いて目が飛び出るほど驚いた。
ここの屋敷の全体像は薄暗くて分からないが、ハミルトン子爵の家でさえキッチンと食堂は部屋が分かれており、その広さもここのキッチンの2倍以上あった。

しかも、当主自ら料理を作り盛り付けて振る舞うなどあり得ない。専属のコックが数名雇われていた。
私が驚いているとヴェルヘルム様は、人を雇う気が無いので、1人で管理するにはこれぐらいの広さが限界なんだと言って笑った。

あらかたヴェルヘルム様の自己紹介が終わった。
ヴェルヘルム様はやはりヴァンパイアだった。今は魔法省の人外対策課という所で勤めているそうだ。
年齢は300歳を超えたところで数えるのをやめたので、人に年齢を聞かれた際には300歳と言っているそうだ。
ヴェルヘルム様に聞きたい事はまだ山ほどあったが、今は夜中の1時、明日も仕事がある彼に迷惑をかけてはいけない。とりあえず納得する事にした。

「さて次はアイリスの番だね。」

ヴェルヘルム様にそう微笑まれ私は困り果てた。生まれてから自己紹介などちゃんとした事など無い。しかも生い立ちが複雑なので、私が簡単に言える事と言えば名前ぐらいのものだった。

「ヴェルヘルム様に質問して頂けると有り難いのですが、、。」

私は彼にそう提案してみた。彼は器用に片眉を上げ、少し不愉快な顔をしたので私が慌てて謝ると、

「違う違う。質問する事に怒った訳ではない。家族になると言ったのに、ヴェルヘルム様はないだろうと思っただけだよ。ヴェルと呼んでくれ。」

「ヴェル!?そんな滅相もありません。それならせめてヴェル様と呼ばせて下さい。」

私は手をバタバタと振って焦った。ヴェル様は不服そうだったが、慣れればそのうち呼べるようになるよと言って、譲歩してくれた。

「では、私から質問するよ。アイリスは人間じゃないよね?」

ヴェル様の質問は直球だった。

「、、いえ。人間です。」

彼は首を傾げる。

「でも君の血から、精霊の血を感じた。精霊では無いにしろ、半分ぐらいは精霊の血を引いているだろう?」

「正直、自分でも自分の身体が今どの様な状態なのか良く分からないのです。私は8歳の頃大きな怪我をして死にかけた事があります。両親は森へ私を連れて行き、娘を助けて欲しいと精霊達にお願いしたそうです。」

両親は1人娘だった私を溺愛していた。平民だった私達は貧しくはあったが、家族仲はとても良く、あの頃私は幸せだったと言い切る事が出来る。
私が怪我をしたのは、貴族の馬車に敷かれたからだった。その貴族は馬車が通ってはいけない所を無理やり通り、私を敷いたのだ。
介抱も謝りもせずに、そのまま立ち去って行ったと両親は言っていた。
両親は病院に連れて行きたかったが、そんなお金は無い。精霊達の力を借りて治療を施せる者がいると聞いた事があったがツテも無かった。

そこで藁をも掴む思いで森までやって来て、2人で土下座し精霊達に娘を治してほしいと願った。
精霊達は気まぐれなので、精霊と縁を結ぶ事が出来るかどうかは運しだいだ。
しかし、一度縁を結んでしまえば死ぬまでその縁は解ける事は無い。互いがどんなに離れていても、必ず力を貸してくれるのだ。
私は運が良かった。沢山の精霊が集まり、私に力を与えてくれようとした。
しかし、時すでに遅く私の心臓は止まっていた。
そこで精霊達は通常の癒しの力より何倍も強い力を私に注ぎ込んだ。
その甲斐あって私の傷は癒え、次の日にはいつも通りの生活が出来たのだ。

「しかし何年か経って、両親は気付きました。私があまりに歳を取るのが遅い事に。今私が何歳ぐらいに見えますか?」

私は質問した。

アイリスはヴェル様にお風呂に入れて貰い、元の美しさを取り戻していた。ハニーブロンドの輝く肩までの髪はふわりふわりとなびき、パッチリした目の中には美しい青空の様に輝く瞳、そして真っ白な肌。背は155㎝と小柄で、胸は全く無くぺったんこ。美しい男の子と言ってもバレない程凹凸が無い。
そんな彼女を見てヴェルヘルムは考えた。怪我をしたのは8歳、それら何年か経ったと言っていたが、せいぜい12歳ぐらいにしか見えない。

「12歳ぐらいかな?」

「そうですが、、。そうですよね。」

私は項垂れた。両親の元を離れてからどれほどの年月が経っただろう。しかし私の見た目はずっと変わらない。

「私は今60歳は超えていると思います。両親が君悪がり始めてからは、誕生日を祝う事も無くなったので、正確には分かりませんが。」

「君は両親が死んだから、エリーゼの元で働いていたのかい?」

私は首を振った。

「今は知りませんが、私がエリーゼ様の小間使いになった時には両親まだ健在でした。あまりにも私が歳を取らないので、始めは両親ではなく周りに住む人達が君悪がりました。そして皆からの嫌がらせが始まり、、最初は陰口を叩く程度でしたが、どんどんエスカレートしていき、最後はそこで住めなくなるほどでした、、。」

私は悲しそうに項垂れた。

「それで君のご両親は、君を手放したんだね?」

「、、はい。でも、、私は売られたのでは無く、両親は年老いて行く中で、私の将来を心配して働き口を探してくれたのだと思うようにしています。そうしないとおかしくなりそうだったので、、。当時エリーゼ様はハミルトン家に嫁いだところでした。エリーゼ様の身の回りの世話をするのに私は打ってつけだと言い、御当主様が私を買い取ったのです。エリーゼ様は最初とても優しく穏やかな方でした。でも貴族の付き合いに心を少しずつ病んでいかれて、、。」

エリーゼ様が初めて私を叩いたのは、彼女の気分では無い靴を用意してしまった時だった。エリーゼ様が私をぶった時のうっとりとした顔を今でも私は忘れられない。そして躾という名の暴力は日に日に激しくなって行った。
初めて私を叩いたその日、旦那様に愛人がいた事をエリーゼ様が知ってしまったのだと後から他の者より聞いた。

それに歳を取らない私にエリーゼ様は嫉妬していたのかもしれない。最初は私にそれなりに身なりも気をつけろと言っていたのに、身なりを綺麗にしているとエリーゼ様は怒るようになった。
鞭を取りだした時のエリーゼ様の姿を思い出し、私は自分の身体を抱くようにして身震いした。

「大丈夫かい?」

ヴェル様は私の背中をさすってくれた。

「さて、無理をさせたね。そろそろ寝ようか。」

「、、はい。」

「私はここを片付けてから寝るから、先に寝室にお行き。」

「えっ!?そんな、私が、、」

私が言い終わる前にヴェル様が声を上げた。

「ヘドリック!ここへ。」

「はっ。」

ヘドリックと呼ばれたのは先ほど広場でいたウルフ族の大きな男だった。
銀色の髪に銀色の瞳、190㎝はあろうかという背丈に、筋肉質な身体。犬の様なフサフサの耳と尻尾が妙に愛らしい。
ヴェル様とは全く違うタイプの男の人ではあるが、とてもカッコ良い。
ヴェル様を色っぽいと例えるならば、ヘドリック様は男らしいといったところだ。

「アイリスを部屋まで案内してあげてくれ。」

ヴェル様はそう言うと、私の頭を撫で、おやすみと囁いた。

「おやすみなさい。」

私はヴェル様に挨拶した後、ヘドリック様に向き直り挨拶をした。

「アイリスと言います。これからよろしくお願いします。」

ガバッと頭を下げたが、返事は無い。恐る恐る顔を上げると、彼は鬱陶しそうな顔をして、早くしろと言いサクサクと歩いて行った。
まだ場所を把握していない私は、彼の後を小走りで付いて行ったのだった。

彼に嫌われる事をしてしまったのだろうか?不安には思ったが、厳しい人生をくぐり抜けてきた私はちょっとやそっとでは傷付かなくなっていた。
こんな時は自分の図太いこの性格に感謝すら覚える。

そんな事を思いながら私はベッドに入った。横になるとすぐに睡魔が襲って来る。私の長い1日はこうして終わっていった。
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