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出会い
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「この役立たず!!」
女の金切り声が広場に響き渡った。
美しいドレスを翻し、鬼の様な形相で怒り狂っているその女は、歳の頃は50歳過ぎぐらいか。
ぽっちゃりとは言えないほど太った身体、脂肪に埋もれた小さな目はマスカラとアイラインで真っ黒に縁取られ、グリグリに巻いた茶色の髪は傷んでバサバサである。淑女とは程遠い女が全身で怒りを現している。
今は初夏、天気も良く暑い日だった。
その為怒った女からは汗が吹き出していた。私を叩こうと振るった腕から飛び出した汗が私の顔にかかる。
その後、パァン!と顔を叩かれ、痛みが走った。私は抵抗もせず、ただただ項垂れて謝る。
その怒り狂う女の青い瞳に写っている貧相な女の子が私だ。
全体的に色素が薄く、今にも死にそうなほど顔色が悪い。ハニーブロンドの肩までの髪に青空のように輝く瞳、目もパッチリして睫毛も長い。
とても美しい要素を兼ね備えているのに、身なりに構う時間もお金も無い私は貧相で小汚い子供だ。
私の名前はアイリス。平民の私に姓は無い。歳は分からない。いつの頃からか数えなくなった。
今喚き散らしながら怒り狂っているのは、私の御主人様であるハミルトン子爵夫人のエリーゼ様だ。
エリーゼ様の怒っている理由は、帽子の色を私が間違えて買って来たから。
確かに黄色の帽子とエリーゼ様は言ったのだが、きっと待っている間に気分が変わったのだろう。
良くある事だ。
私はその度に叩かれる。
エリーゼ様のご機嫌が戻るのを心を無にして待つしか無かった。
私がこの時間を耐える事が出来るのは、痛みを感じれば生きていると実感する事が出来るからだ。
両親に売られてエリーゼ様の元へやって来てから生きている感覚が少しずつ薄くなっていた。
しかし、いつもとは違う事が起きた。
エリーゼ様は、あなたの為に今日買ってきたのと言って鞭を取り出したのだ。
私は目を見開いた。この様に人目のある場所でエリーゼ様は私を鞭で打とうというのか。
私の住むエステルジア国は、大国である。特に王都エステルバージは、どの国の都市より栄えており、平日でも街には人が溢れている。
そんな王都の一角、美しい並木道に噴水、人々の憩いの場とも言えるこの広場で夫人は鞭を取り出したのだ。
周りにいた人達が何ごとかと騒いでいるが、誰も助けてはくれないようだ。
エリーゼ様が取り出した鞭は革製の丈夫そうな物だった。あれで打たれれば肉が裂けるかもしれない。
しかし私に抵抗するという選択肢は無い。私は金で買われたのだ。私は人では無く物、、。
覚悟して目を閉じた。
しかし、いつまでも待っても鞭が私を打つ事は無かった。
エリーゼ様が焦らしているのかもしれない、、身体を強張らせたまま、ゆっくり目を開けた。
すると、私とエリーゼ様の間に男の人が2人立っていた。
1人は美しい黒く長い髪をなびかせ、漆黒の燕尾服を着た紳士。後ろ姿しか見えないのだが、それでも絵になるほど美しかった。
その人も背が高いのだが、さらに頭一つ分飛び抜けて大きい人が横に並んでいる。彼は横を向いているので顔が見えた。
背の高い方の男は耳と尻尾が出ている。人外だ。
この世界には人外と呼ばれる者が溢れている。
この人外はきっとウルフ族の男。
ウルフ族は力が強く、風の様に早く走る事が出来る。とても忠実な種族なので、貴族が護衛として雇う事が多い。
どうやら美しい黒髪の男は、私を鞭で打つ事をやめさせているようだった。
言葉巧みにエリーゼ様の心を懐柔していく様は圧巻だった。
エリーゼ様は鞭を収め、もう叩いたりしないと約束していた。
私は嘘だと分かっていたが、とりあえず今は打たれないと分かり少しホッとした。
黒髪の男が私の方へ向いた。
陶磁器の様に美しく白い肌に、切れ長の目は長い睫毛に縁取られ、その中にある瞳の色はルビーの様に美しく輝く赤色。そして鼻筋の通った高い鼻に、色っぽい赤い唇。
彼は神に作られた芸術品なのだろうか?
彼の顔を一目見れば、魅入られため息を吐く。
私は時が止まったように固まっていたが、我に返り頭を下げた。
有り余るお礼の言葉を言えばきっとエリーゼ様が自分を責めているのかと言い出し機嫌を損ねる。頭を下げるのが精一杯だった。
「口から血が出ている。」
男はそう言うと、私の唇から流れた血を男の赤い舌で舐め取った。
私は驚いたが、その時に気付く。
この暑い日に長袖の燕尾服を着ている時点でおかしかったのだ。
赤い瞳は魔物か、ヴァンパイアの証だ。それ以外に赤い瞳を持つ者はこの世界にはいない。
男は私の血を舐めるとキョトンとした顔をした。不思議そうな顔で私を見る。
そしてエリーゼ様に向き直り口を開いた。
「夫人、気が変わりました。この娘を私にくれませんか?」
エリーゼ様は驚いた顔をしたが、すぐに面白くないという顔になった。エリーゼ様は私の事など何とも思っていないくせに、高いお金を出して買った娘だから手放したくないと拒否した。
男は諦めると思ったのだが、買った金の2倍出すと言い出したのだ。
「私にそんな価値などありません。」
私は慌てた。血を吸う為か?私の血など、そんなお金を出して吸うほどの血でもないだろう。
「少し黙っていなさい。」
男は私の唇に人差し指を当てた。
エリーゼ様に向き直ると、甘い言葉を投げかけ、彼女の思考力を奪っていく。
ものの数分で私はエリーゼ様から男へ売られる事が決まった。
「さぁ、行こう。」
美しい男は私の背中に手を当て、歩くようにと促してきた。
エリーゼ様はお茶でもいかがですかと男を追いかけたが、男は一度も振り向く事無く広場から私を連れ出した。
「何なのよー!!!!」
エリーゼ様の雄叫びが響き渡った。
広場から出た私は、その声が聞こえると後ろを振り返り、まるで後ろ髪を引かれたかのように立ちすくんだ。
「大事にされているようには見えなかったが、夫人から君を買い取ったのはお節介だったかな?」
男は首を傾げながら私に聞いた。
私は慌てて首を振った。
「いいえ、助けて頂きありがとうございました。」
笑顔を作ってみるが、浮かない顔をしているのを隠しきれない。
「では何をそんなに気にしている?」
「、、エリーゼ様は御自分の不満を誰かにぶつけなければ生きていけない人です。私が逃げ出した事で他の誰かがまた叩かれるのかと思うと、、。」
私は同じお屋敷で働いていた人達の顔を思い出した。私を助ければその者も同様に叩かれるので、誰も私を助けてはくれなかった。しかし、あのお屋敷に悪い人などいなかった。私はそう感じていた。
「君は優しい人間なのだな。」
男の言葉に私は千切れるほど首を振った。
「優しくなどありません。私は、、。」
男は私の手を握った。
「とりあえず行こう。」
急に手を握られ真っ赤になった私には御構い無しに男は上機嫌で歩き始めた。
ウルフ族の背の高い彼は、先に行くと言って走り去ってしまった。
しばらく歩くと、立派な馬車が停まっていた。そこに男は私の手を握ったまま乗り込もうとする。
「私は馬車の外に乗ります。このように中に乗れるような人間ではないのです。」
私は慌てたが、男は手を離さなかった。
「ここにいなさい。一緒にいれば家に帰るまでに自己紹介が出来るじゃないか。」
中に入り座ると、男はようやく手を離したが、私の方へ身体が向くように足を組んだ。触れるほど近くに座らされているのに、さらにこちらを向かれれば居心地が悪過ぎる。
私は真っ赤な顔で下を向いた。
「君から話さないなら、私から自己紹介しよう。」
男はうつむいた私の顎を持ち上げた。そして瞳が合うと優しく微笑まれる。さらにパニックになった私は全身真っ赤になって気を失ってしまうのだった。
男は急に全身真っ赤になって倒れた私を面白そうに見つめ、自分の膝にそっと私の頭を置いた。男は帰るまでの間ずっと私の頭を優しく撫でていたが、私は知る由も無かった。
女の金切り声が広場に響き渡った。
美しいドレスを翻し、鬼の様な形相で怒り狂っているその女は、歳の頃は50歳過ぎぐらいか。
ぽっちゃりとは言えないほど太った身体、脂肪に埋もれた小さな目はマスカラとアイラインで真っ黒に縁取られ、グリグリに巻いた茶色の髪は傷んでバサバサである。淑女とは程遠い女が全身で怒りを現している。
今は初夏、天気も良く暑い日だった。
その為怒った女からは汗が吹き出していた。私を叩こうと振るった腕から飛び出した汗が私の顔にかかる。
その後、パァン!と顔を叩かれ、痛みが走った。私は抵抗もせず、ただただ項垂れて謝る。
その怒り狂う女の青い瞳に写っている貧相な女の子が私だ。
全体的に色素が薄く、今にも死にそうなほど顔色が悪い。ハニーブロンドの肩までの髪に青空のように輝く瞳、目もパッチリして睫毛も長い。
とても美しい要素を兼ね備えているのに、身なりに構う時間もお金も無い私は貧相で小汚い子供だ。
私の名前はアイリス。平民の私に姓は無い。歳は分からない。いつの頃からか数えなくなった。
今喚き散らしながら怒り狂っているのは、私の御主人様であるハミルトン子爵夫人のエリーゼ様だ。
エリーゼ様の怒っている理由は、帽子の色を私が間違えて買って来たから。
確かに黄色の帽子とエリーゼ様は言ったのだが、きっと待っている間に気分が変わったのだろう。
良くある事だ。
私はその度に叩かれる。
エリーゼ様のご機嫌が戻るのを心を無にして待つしか無かった。
私がこの時間を耐える事が出来るのは、痛みを感じれば生きていると実感する事が出来るからだ。
両親に売られてエリーゼ様の元へやって来てから生きている感覚が少しずつ薄くなっていた。
しかし、いつもとは違う事が起きた。
エリーゼ様は、あなたの為に今日買ってきたのと言って鞭を取り出したのだ。
私は目を見開いた。この様に人目のある場所でエリーゼ様は私を鞭で打とうというのか。
私の住むエステルジア国は、大国である。特に王都エステルバージは、どの国の都市より栄えており、平日でも街には人が溢れている。
そんな王都の一角、美しい並木道に噴水、人々の憩いの場とも言えるこの広場で夫人は鞭を取り出したのだ。
周りにいた人達が何ごとかと騒いでいるが、誰も助けてはくれないようだ。
エリーゼ様が取り出した鞭は革製の丈夫そうな物だった。あれで打たれれば肉が裂けるかもしれない。
しかし私に抵抗するという選択肢は無い。私は金で買われたのだ。私は人では無く物、、。
覚悟して目を閉じた。
しかし、いつまでも待っても鞭が私を打つ事は無かった。
エリーゼ様が焦らしているのかもしれない、、身体を強張らせたまま、ゆっくり目を開けた。
すると、私とエリーゼ様の間に男の人が2人立っていた。
1人は美しい黒く長い髪をなびかせ、漆黒の燕尾服を着た紳士。後ろ姿しか見えないのだが、それでも絵になるほど美しかった。
その人も背が高いのだが、さらに頭一つ分飛び抜けて大きい人が横に並んでいる。彼は横を向いているので顔が見えた。
背の高い方の男は耳と尻尾が出ている。人外だ。
この世界には人外と呼ばれる者が溢れている。
この人外はきっとウルフ族の男。
ウルフ族は力が強く、風の様に早く走る事が出来る。とても忠実な種族なので、貴族が護衛として雇う事が多い。
どうやら美しい黒髪の男は、私を鞭で打つ事をやめさせているようだった。
言葉巧みにエリーゼ様の心を懐柔していく様は圧巻だった。
エリーゼ様は鞭を収め、もう叩いたりしないと約束していた。
私は嘘だと分かっていたが、とりあえず今は打たれないと分かり少しホッとした。
黒髪の男が私の方へ向いた。
陶磁器の様に美しく白い肌に、切れ長の目は長い睫毛に縁取られ、その中にある瞳の色はルビーの様に美しく輝く赤色。そして鼻筋の通った高い鼻に、色っぽい赤い唇。
彼は神に作られた芸術品なのだろうか?
彼の顔を一目見れば、魅入られため息を吐く。
私は時が止まったように固まっていたが、我に返り頭を下げた。
有り余るお礼の言葉を言えばきっとエリーゼ様が自分を責めているのかと言い出し機嫌を損ねる。頭を下げるのが精一杯だった。
「口から血が出ている。」
男はそう言うと、私の唇から流れた血を男の赤い舌で舐め取った。
私は驚いたが、その時に気付く。
この暑い日に長袖の燕尾服を着ている時点でおかしかったのだ。
赤い瞳は魔物か、ヴァンパイアの証だ。それ以外に赤い瞳を持つ者はこの世界にはいない。
男は私の血を舐めるとキョトンとした顔をした。不思議そうな顔で私を見る。
そしてエリーゼ様に向き直り口を開いた。
「夫人、気が変わりました。この娘を私にくれませんか?」
エリーゼ様は驚いた顔をしたが、すぐに面白くないという顔になった。エリーゼ様は私の事など何とも思っていないくせに、高いお金を出して買った娘だから手放したくないと拒否した。
男は諦めると思ったのだが、買った金の2倍出すと言い出したのだ。
「私にそんな価値などありません。」
私は慌てた。血を吸う為か?私の血など、そんなお金を出して吸うほどの血でもないだろう。
「少し黙っていなさい。」
男は私の唇に人差し指を当てた。
エリーゼ様に向き直ると、甘い言葉を投げかけ、彼女の思考力を奪っていく。
ものの数分で私はエリーゼ様から男へ売られる事が決まった。
「さぁ、行こう。」
美しい男は私の背中に手を当て、歩くようにと促してきた。
エリーゼ様はお茶でもいかがですかと男を追いかけたが、男は一度も振り向く事無く広場から私を連れ出した。
「何なのよー!!!!」
エリーゼ様の雄叫びが響き渡った。
広場から出た私は、その声が聞こえると後ろを振り返り、まるで後ろ髪を引かれたかのように立ちすくんだ。
「大事にされているようには見えなかったが、夫人から君を買い取ったのはお節介だったかな?」
男は首を傾げながら私に聞いた。
私は慌てて首を振った。
「いいえ、助けて頂きありがとうございました。」
笑顔を作ってみるが、浮かない顔をしているのを隠しきれない。
「では何をそんなに気にしている?」
「、、エリーゼ様は御自分の不満を誰かにぶつけなければ生きていけない人です。私が逃げ出した事で他の誰かがまた叩かれるのかと思うと、、。」
私は同じお屋敷で働いていた人達の顔を思い出した。私を助ければその者も同様に叩かれるので、誰も私を助けてはくれなかった。しかし、あのお屋敷に悪い人などいなかった。私はそう感じていた。
「君は優しい人間なのだな。」
男の言葉に私は千切れるほど首を振った。
「優しくなどありません。私は、、。」
男は私の手を握った。
「とりあえず行こう。」
急に手を握られ真っ赤になった私には御構い無しに男は上機嫌で歩き始めた。
ウルフ族の背の高い彼は、先に行くと言って走り去ってしまった。
しばらく歩くと、立派な馬車が停まっていた。そこに男は私の手を握ったまま乗り込もうとする。
「私は馬車の外に乗ります。このように中に乗れるような人間ではないのです。」
私は慌てたが、男は手を離さなかった。
「ここにいなさい。一緒にいれば家に帰るまでに自己紹介が出来るじゃないか。」
中に入り座ると、男はようやく手を離したが、私の方へ身体が向くように足を組んだ。触れるほど近くに座らされているのに、さらにこちらを向かれれば居心地が悪過ぎる。
私は真っ赤な顔で下を向いた。
「君から話さないなら、私から自己紹介しよう。」
男はうつむいた私の顎を持ち上げた。そして瞳が合うと優しく微笑まれる。さらにパニックになった私は全身真っ赤になって気を失ってしまうのだった。
男は急に全身真っ赤になって倒れた私を面白そうに見つめ、自分の膝にそっと私の頭を置いた。男は帰るまでの間ずっと私の頭を優しく撫でていたが、私は知る由も無かった。
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