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本当の始まり

イサキオスの思い

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ケーキ屋を出ると、私は2人を寮まで送り、そこから騎士団の訓練場を目指した。
イサキオスに一刻も早く会いたかったのだ。会って話しがしたかった。
学園を出て私は早足で歩き始めた。馬で行こうかと思ったが、彼とすれ違いになるのは悲しい。キョロキョロと辺りを見渡しながら不審者のように歩く。
透視を行い彼の姿を探そうかとも思ったが、緊急事態以外は透視は極力使わない。正確にはプライバシーの侵害に思えて使えないのだ。

しばらく歩いていると、ふと後ろから誰かに抱きしめられた。
伝わる体温、匂い、魔力、、顔を確かめる前に彼だと気付く。
不安だった気持ちが一瞬で落ち着いていく。彼はきっと安堵の魔法でも使ったに違いない。

「ティーナ、背中が隙だらけだぞ。」

顔だけ振り向き彼の顔を見る。
美しい金色の瞳に吸い込まれそうな錯覚を起こす。サラリと銀糸の髪が私の顔にかかりくすぐったかった。今日の彼は髪を結わえていない。 

「綺麗。」

そう漏らさずにはいられなかった。
彼はいつでも男らしく美しい。
彼は私の顎を優しく掴み、唇を寄せてきた。私はそっと瞳を閉じる。

「んっ!」

彼の口付けは荒々しかった。会えなかった不安を埋める様なそんな口付けだ。
私は目眩を起こす。彼の胸を両手でで押して逃れようとする。
彼が一度唇を外した。息苦しさで涙を零した私にそっと囁く。

「ティーナ、キスの時は鼻で息をして。」

その後、彼の唇が私の唇にもう一度触れた。軽く触れた後、私の下唇を食み、そして今度は深く、、。

鼻で息する。鼻で息する。鼻で息する。

私は心の中で呪文を唱えた。そうでもしないと恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
彼の舌が入って来ると、私は立っていられなくなる。彼に抱き止められた後、名前を呼ばれた。
涙が溢れる。
彼を愛している。誰よりも彼を、、。
彼の唇が名残惜しそうに離れた。

「ティーナ、会いたかった。」

「私も、、。」

彼の首に腕を回し抱き付いた。彼に話したい事が沢山あったはずだった。しかし、会話などいらないように思えた。
今はもう少し、このままでいたい。

しばらくそうしてから、私達は手を繋いで歩き始めた。
近くに公園がある。そこへ行こうと彼が言った。
私達は無言で歩いた。彼の方を見れば優しく微笑み返してくれる。
彼は私が魔王になるかもしれないと知ってからも、同じように微笑んでくれるだろうか、、。
私は急に不安になった。
指先が冷えていき冷たくなった。

「ティーナ、どうかした?」

彼が私の顔を覗き込んでくる。
先に延ばしても苦しいだけ、私は分かっていた。意を決し、彼に打ち明ける。

「イサキオス、私ね、、私、魔王になるかもしれないんだって。」

恐怖のあまり説明を端折ってしまった。これでは彼に何も伝わらないだろう。しかし彼から返って来た答えは意外なものだった。

「知ってる。聞いたよ。」

私は驚き目を見開いた。彼は尚も優しく微笑み、私の頭を撫でてくれる。

「ティーナ、最初俺はティーナを男だと思っていた。でも、ティーナが男でも良い。俺はティーナが好きなんだと思った。俺は男とか女とかそんな事関係なくクリスティーナ・バレンティアを愛してる。俺はお前が魔王になったって気持ちが変わらない自信がある。」

「イサキオス、、本当に?」

彼はしっかりと頷いた。

「でも、魔王だよ?ムキムキの凄い男らしい魔王になるかもしらないよ?毛深かったらどうする?体臭がキツかったら?」

私は涙を流しながら訳の分からない事を口走っていた。

「ティーナ、落ち着いて。そうなったらその時考えよう。それに、ムキムキは悪い事じゃない。毛深いのが嫌なら剃ればいい。体臭がキツイならお風呂に入って洗えば良い。何も悲観する事なんてないだろ?ティーナが生きて元気なら、俺はそれで嬉しい。」

「、、、イサキオス、、イサキオスは神様なの?何でそんなに優しいの?」

今や私の顔は涙だけでなく鼻水まで出て大洪水だ。彼の優しさが眩しすぎる。
彼はハンカチで顔を拭こうとしてくれたが、感極まって私は彼の胸に飛び付いていた。
彼の胸は大惨事だったが、当の本人は涙や鼻水が付く事など全く気にしていないようだった。

「イシャキオシュ、、。イシャキオシュは、ムキムキがシュキなんだね?私ガンバリュね。」

泣き過ぎて上手く話せない。

「ん?ティーナ何て言ったの?」

私は彼の胸で幸せを噛み締めながら、彼の為に身体を鍛える事を誓った。
最強の彼の横で貧相な身体で並ぶ事など最初からあり得なかったのだ。
私は新たな目標を手に入れ、やる気に溢れていた。
イサキオスは首を傾げていたが、私が元気を取り戻したので安心していた。

それから彼と会えなかった時の話しを沢山した。
マリアの事、ヘンリーの事、イザベルの事、、。

「イサキオス、私はイザベルを守る事に決めたよ。そのせいでヘンリーと対立するかもしれないのは悲しいけど、それでも彼女を守りたい。」

イサキオスは頷いた。

「ティーナがそう決めたなら、俺は応援するよ。でも、どうしてヘンリーとニコラスは争わなければいけないのか、俺には分からないんだ。2人が手を取り合って国の為に頑張る。それではいけないのか?」

イサキオスは悲しそうだった。

「2人共が1番上を目指しているから、争うしかないんだ。どちらかが、支える側に回ると言えば事は治るのかもしれないけど、それでも周りが放っておいてくれない。派閥が出来たのも、周りが騒ぎ立てたせいもあるし。」

悲しそうな彼の手を握りながら、私は口を開いた。
彼の様に国の為に、ただそれだけを考えればこんな争いなど生まれなかっただろうに。

「ヘンリーにイサキオスは俺の味方だろうと言われた。俺は将来騎士になる。騎士は国の為に働く者だ。そして国の為とは、権力者の為ではない。国に住まう民の為に働くのだとそう言った。お前もそうあれと、、。俺の言葉はヘンリーには届かなかった。お前もニコラスに付くのかとそう吐き捨てて去って行った。」

「ヘンリー、、。」

彼は冷徹になり切れない所だけが短所の優しく頭の良い人だった。初恋とはこうも人を変えてしまうのか、、。
彼を友人だと思う気持ちが消えたわけではない。だから私も苦しかった。
皆が笑える未来は無いのだろうか、、。

それから彼と夜会の話しをした。
彼は私を必ずエスコートすると約束してくれた。そして私は、彼から離れず側にいる事を約束させられた。

夜会はあと数日後に控えている。
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