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出会い編

結婚相手

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「聞いているのか!?」

美しい銀糸の髪にアイスブルーの瞳をした冷たい印象の男が私を睨み付けてくる。

「はい。お父様。」

この男は実の父親だ。
亡きお母様に似た私はお父様とは全く似ておらず、お母様と仲の悪かったお父様は私を毛嫌いしていた。

「全く薄らぼんやりしやがって。今まで育ててやった感謝の気持ちはないのか。」

本当ならば今お父様が手にしている重そうな本を私に投げ付けたいのだろう。
しかし買い手が決まった私に傷を付ける訳にもいかず、忌々しげに睨み付けてくるだけだった。

「…チッ。とにかく説明した通りだ。1ヶ月後お前はロンドバース伯爵家に嫁ぐ事が決まった。それまでせいぜい大人しく過ごせ。身体に傷を付けるなど言語道断だ。分かったな!!」

「…はい。お父様。」

何の感情も浮かべずに頷く私を見るお父様のこめかみに青筋が立ったのが見えたが、1ヶ月後にはさよならする上に、今私を傷付ける事は出来ない。
産まれて今までで1番最強の状態かもしれない。

「もう良い。下がれ。」

吐き捨てる様にそれだけ言ったお父様にもう一度頭を下げると、私は部屋を後にした。

「一体なんなの…。」

ロンドバース伯爵家の当主と言えば、60歳を超えたにも関わらず息子達に家督を譲らず、若い女を侍られせていると言う噂の男だ。
見た目はデカいイボガエルの様な醜悪さで、性格はその見た目よりも最悪だとか。
彼の妻になった者は片手ほどいたが、いずれも行方不明になったとか。
殺されたのか逃げたのか、真相は分からないまま闇の中だ。

そんな場所へ娘を送り込むと言うのに、お父様は最後まであのような態度。
それでも発狂せずに毎日を粛々と過ごす事が出来るのは前世の記憶があるからかもしれない。

あの時、道路に飛び出したあの時、私は死にたかったのだと思う。
しかし今思えば、私が道路に飛び出した事で危ない目に合った人達が沢山いたはずだ。
車通りが1番多い時間帯だった。
きっと大きな事故になっただろう。

だからこそこんな不遇な環境に転生したのだと思えば納得する事が出来た。

「お姉ちゃんが愛されたのは当然だったのね。」

周りに幸せを振りまく姉が幸せになるのは当然の結果だ。
私の事も愛してくれていたのに。
結局最後まで心を開く事はできなかった。

「おい、お前嫁に行くんだってな。」

しんみりと姉の事を思い出していた私の視界に入ってきたのは、この家で3番目に嫌いな男の顔だった。
1番目は実の父親。
2番目は後妻に入った義理の母。
そして3番目は義母兄妹にあたるこの男、ハーネストだ。
お父様の血を引きながら私より年上というこの男の存在は、私のお母様が生きていた時からお父様と義母が繋がっていたという確固たる証拠でもあった。

「はい。お兄様。」

お母様に似た優しく美しい顔立ちに嘘の笑顔を浮かべながら私は頷いた。

「チッ。」

それが分かっているからこそ、お兄様はさらに苛ついた顔になったが、今の私は無敵状態だ。
暴力を振るわれないと分かっている以上怖いものはない。

「今までお世話になりました。」

深々と頭を下げるとお兄様の顔も見ずに歩き始めた。
無敵状態ではあるが同じ空間ではいたくない。嫌な事を言われるのは目に見えている。

パシッ

しかしそんな私の気持ちを無視して、お兄様が私の腕を掴んだ。
思いの外強い力で握られ、自然と眉間に皺が入る。

「痛い。」

そう伝えれば手を離すかと思ったが、握られた手の力は強まるばかりだ。

「…俺の…いろよ。」

お兄様がボソボソと何かを囁いたが、私の耳には届かなかった。
顔も赤いしいつもと違うお兄様の雰囲気にただならぬものを感じ、自然と身体がこわばっていく。

「お兄様、一体何を…。」

私の怯えた様子にお兄様は少し気を良くしたらしく、いつものイヤらしいニヤけた顔で私の全身を見渡した。

「お前がどうしてもここにいたいっていうのなら…」

「…言うのなら?」

そんな事言う訳がない。
そう思ったがお兄様の言葉を促した。
そうしなければ部屋にいつまでも戻れない気がしたからだ。

「お、俺が…」

お兄様の手の力が益々強くなり、そのままグイッと引っ張られてお兄様の身体へと引き摺り込まれた。
鼻息の荒いお兄様の顔が真上に感じられ、全身が粟立あわだった。

「おっ、お兄様?」

焦る私の頭に熱い何かが落とされた。
それがお兄様の唇だと気付く前に、甲高い女の声がその場に響き渡った。

「一体何をしているの!!??」

「…お母様。」

その声に驚きお兄様の手がようやく私の腕から離れると、支えを無くした私の身体は床へと倒れてしまう。

「そんな所に座ってはしたない。さすがあの女の娘ね。」

ゆっくりと近付いて来たお母様は、私の真横に立つと汚い物でも見るかのように上から見下ろしてきた。
お兄様は気まずそうに目線をうろつかせていたが、お母様に手であしらわれ、いそいそとその場から逃げ出した。

「お前は目を離すとすぐに色目を使って男を手球に取ろうとするのね。」

「ッ!?ち、ちが」

「違わないわ!!!あんたの母親は経営の事にしか興味のない頭でっかちな面白みのない女だったみたいだけれど、あんたは役にも立たないくせに男好きで、下品で。全く油断も好きも無いわ。」

私の言葉などはなから聞く気などないのだ。
腕を握られどう見ても無理矢理抑えられているあの姿を見ても被害者はお兄様の方だと言う。
分かってはいたが、ここまできたら笑えてくる。
しかし今笑えばさすがに殴られるだろうか。
私は下を向き懸命にそれに耐えた。

「あぁ、早く出て行って欲しい。ここまで育てて貰った恩を返す為に嫁に行くなど当たり前なのだから、逃げ出すなど夢夢思わぬようにね。地獄の果てまで追いかけてやるのだから。」

「…はい。お母様。」

私の返事に面白くなさそうに顔を顰めたお母様は、しかし何も言わないままその場を離れて行った。

「もう少しの辛抱だわ。」

その先に幸せがあるかどうかは分からないという気持ちは飲み込み、そう呟いた。
そうしなければ挫けてしまいそうだった。

「お姉ちゃん…。」

ゆっくりと立ち上がると、汚れた裾を払い部屋へと戻った。
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