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明治編・6
第23話 秋の終わり
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次の日曜日、金之助はまた観光に出ていた。今度は石出川の上流にある、日浦の両新田神社というところである。松山市街から四里あるが、ここは松山市内であった。とはいえ遠いことに変わりはないので、朝早くに愚陀仏庵を出て、山と村とを越えてここまで来た。両新田神社というのは何かといえば、新田義貞の一族の滅亡した場所、とされている場所のことである。
「兵どもが夢の跡、か」
そもそも新田義貞とは誰かという話からせねばなるまい。新田義貞は鎌倉時代の末期から南北朝期にかけての武将であり、鎌倉幕府に反旗を翻して、鎌倉北条氏を滅ぼした張本人である。ということは当然、そのあとに続いた建武新政でも重きを置かれたのだが、やがて足利尊氏と対立し、最終的には非業の最期を遂げた。その場所というのがこの日浦……というわけではなく、義貞が死んだ場所は越後にある。
さて、義貞には何人か子がいたが、もっとも重きを置かれたのは三男の義宗であった。南北朝の時代、義宗は父のあとを継いで各地を転戦し、色々の活躍をした。だが、武運つたなく、やがて戦死を遂げた。
話はまだ続く。義宗のいとこで、脇屋義助という人物が新田一族の最後の指導者となった。この人物が伊予に落ち延びてきた。やっと伊予の話になったわけだが、結局、この地で病を得て没した。そういうわけで、義宗と義助の御霊を弔うため、この地にそれぞれ一つずつ、合わせて二つの神社が立てられた。上新田神社と下新田神社である。これが十六世紀頃に合併されてできたのが、いま金之助が訪れている両新田神社というわけだ。
両新田神社と立派な名前は付いていても実際のところ小さな社ではあるのだが、近くに円福寺という寺があり、そこの住職がこの神社の管理を行っていた。そこで金之助は新田神社の由緒などについて教えを受け、新田一族のものと伝わる刀剣や甲冑、馬具などを見せてもらった。
「ありがとうございました」
「いえいえ。お帰りの道も、お気をつけられよ」
「はい」
さて、ところで久松定謨伯爵が松山にようやく戻ってきた、と新聞に掲載されていることに金之助は気付いた。好機である。手紙を出そう。次の日曜日に訪問させていただきたい、と。そして次の日曜日が来た。
「お初にお目にかかります。わたくし、愛媛県尋常中学校で教師をしております、夏目金之助と申します」
「はじめまして。わたくしが定謨です。正岡君の御友人だそうですね」
「はい。帝大で学友同士でして」
定謨本人に用があるわけではないのだが、聡明そうで、温和な人物だという印象を受けた。
「当家の旧蔵書にご興味がおありだとか」
「はい。松山の銘菓と世に伝わる『たると』について、少々調べさせて頂いておりまして」
「はは。あれは、ご存知かとは思いますが当家にゆかりの品です。少々くすぐったい話ですな。よろしい、当家の所蔵書でしたら、ご自由にご利用ください。家のものに諸事申し伝えておきますから」
「はい。まことにありがとうございます」
そういうわけで、ようやく久松家の邸宅の蔵書庫に出入りができるようになった金之助である。
「へっくしょん! ……あいや、これは失礼」
「お風邪ですか」
「はい。先月、白猪と唐岬に滝見物に行ったのですが、たまたま雨の日でして。以来、しばらく患っております」
「それはいけませんな。湯治でもなさっては如何ですか? 道後温泉に、わたしの馴染みの旅館があります。ご紹介いたしましょうか」
「旅館?」
「ふなや、というところです。鮒屋旅館。伝承では寛永年間、一六二七年の創業と伝わっております」
「一六二七、というと寛永四年ですか。定行公の御入府よりも以前になりますな」
「ま、そういうことです。現在の道後温泉では、最古の旅宿です」
「では、お言葉に甘えて、来週末にでも投宿してみようかと思います」
そういうことになった。
「兵どもが夢の跡、か」
そもそも新田義貞とは誰かという話からせねばなるまい。新田義貞は鎌倉時代の末期から南北朝期にかけての武将であり、鎌倉幕府に反旗を翻して、鎌倉北条氏を滅ぼした張本人である。ということは当然、そのあとに続いた建武新政でも重きを置かれたのだが、やがて足利尊氏と対立し、最終的には非業の最期を遂げた。その場所というのがこの日浦……というわけではなく、義貞が死んだ場所は越後にある。
さて、義貞には何人か子がいたが、もっとも重きを置かれたのは三男の義宗であった。南北朝の時代、義宗は父のあとを継いで各地を転戦し、色々の活躍をした。だが、武運つたなく、やがて戦死を遂げた。
話はまだ続く。義宗のいとこで、脇屋義助という人物が新田一族の最後の指導者となった。この人物が伊予に落ち延びてきた。やっと伊予の話になったわけだが、結局、この地で病を得て没した。そういうわけで、義宗と義助の御霊を弔うため、この地にそれぞれ一つずつ、合わせて二つの神社が立てられた。上新田神社と下新田神社である。これが十六世紀頃に合併されてできたのが、いま金之助が訪れている両新田神社というわけだ。
両新田神社と立派な名前は付いていても実際のところ小さな社ではあるのだが、近くに円福寺という寺があり、そこの住職がこの神社の管理を行っていた。そこで金之助は新田神社の由緒などについて教えを受け、新田一族のものと伝わる刀剣や甲冑、馬具などを見せてもらった。
「ありがとうございました」
「いえいえ。お帰りの道も、お気をつけられよ」
「はい」
さて、ところで久松定謨伯爵が松山にようやく戻ってきた、と新聞に掲載されていることに金之助は気付いた。好機である。手紙を出そう。次の日曜日に訪問させていただきたい、と。そして次の日曜日が来た。
「お初にお目にかかります。わたくし、愛媛県尋常中学校で教師をしております、夏目金之助と申します」
「はじめまして。わたくしが定謨です。正岡君の御友人だそうですね」
「はい。帝大で学友同士でして」
定謨本人に用があるわけではないのだが、聡明そうで、温和な人物だという印象を受けた。
「当家の旧蔵書にご興味がおありだとか」
「はい。松山の銘菓と世に伝わる『たると』について、少々調べさせて頂いておりまして」
「はは。あれは、ご存知かとは思いますが当家にゆかりの品です。少々くすぐったい話ですな。よろしい、当家の所蔵書でしたら、ご自由にご利用ください。家のものに諸事申し伝えておきますから」
「はい。まことにありがとうございます」
そういうわけで、ようやく久松家の邸宅の蔵書庫に出入りができるようになった金之助である。
「へっくしょん! ……あいや、これは失礼」
「お風邪ですか」
「はい。先月、白猪と唐岬に滝見物に行ったのですが、たまたま雨の日でして。以来、しばらく患っております」
「それはいけませんな。湯治でもなさっては如何ですか? 道後温泉に、わたしの馴染みの旅館があります。ご紹介いたしましょうか」
「旅館?」
「ふなや、というところです。鮒屋旅館。伝承では寛永年間、一六二七年の創業と伝わっております」
「一六二七、というと寛永四年ですか。定行公の御入府よりも以前になりますな」
「ま、そういうことです。現在の道後温泉では、最古の旅宿です」
「では、お言葉に甘えて、来週末にでも投宿してみようかと思います」
そういうことになった。
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