夕弦坂奇譚

四季人

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斬祓

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 戸張さんの車に乗り込むと、ほんの少しタバコの臭いがした。
 僕は顔をしかめて、彼を見る。
「どした?」
 ぼけっとした彼の言葉と髭面に腹が立ち、僕は短く、
「別に」
 と、答えた。

 走り出した車は密室と同じで、僕を現実から切り離していく。
「今日はどこ?」
 窓の外の流れる景色をぼんやりと見やりながら、僕は尋ねる。
「ん? 西湖にしこのあたり。ほら、高校があったろ? 女子のブレザーがカワイイとこ」
 戸張さんは前に目を向けたまま答えた。
「そうだっけ」
 興味無いアピール。
 そこは知ってる。中学の頃の友だちが何人か通ってる所だ。
「そこで起こってる案件が、どう見ても、ってカンジでな」
「ふうん…どんな?」
「雑巾絞り」
 戸張さんは、ニヤッと笑う。
「……ぞうきん? ……で、式神さんは、なんて言ってるの?」
「〝行政の連中に任せて良いんじゃない?〟…だとさ」
 戸張さんは半笑いで、でも吐き捨てるように言った。
 確かに…そんな冷たい事言う人だったかな?
「任せたらいつになるかわかんねぇし。俺たちが行った方が早いだろ」
「そうだね」
 素直に返事をしてしまってから、僕はしまった、と思った。
 もう少し、戸張さんに怒っていたかったのに。

「着いたぜ」
 戸張さんが言い、僕は前を向いた。
 前方に、例の高校の校舎の裏側が見える。
 僕の通ってる高校より、ずっと綺麗だ。
「まだ早いんじゃない?」
 僕は時計を確認する。
〝仕事〟が出来る時間まで、まだ3時間近くあった。
 てっきり、どこかで道具を仕入れたり、何か準備する時間を取るのかと思っていたのに。
「そーだなー……」
 その惚けた言い方に、僕はゾクリとした。
 戸張さんは、わざと現地入りを早めたのか。
「どこか、寄ってくか?」
 こっちを見て、彼はいつもの笑顔を浮かべた。

 * * * * *

 均整の取れた胸板を撫でて、そこから首筋の方へ、指を滑らせる。
 綺麗に筋の浮いたその首に顔を埋めると、僕は堪らず軽く歯を立てた。
「……ふっ……」
 戸張さんが声を出す。
 シャワーを浴びてもらってよかった。
 この場所から女の人の匂いがしたら、僕はきっと強く噛みちぎっていたかも知れない。
 僕はその首筋に吸い付きながら、ゆっくりと手を伸ばして、彼の指に自分の指を絡める。
 大きくてゴツゴツとした手の形を確かめるように動かしながら、当たり前のようにそこにある彼の身体に安心感をもった。
 でも、今日は口付けられない場所が三箇所ある…。それが悔しくて、僕はやっぱりどこか怒ったまま、戸張さんの身体を貪っていた。
 ベッドの上で身じろぎする彼からは、ハッキリと女の人の気配がする。
 以前ならともかく、今はそのモヤモヤした気持ちが、嫉妬だと判る。
 戸張さんは余裕のある表情を崩さないまま顔を寄せて来たが、僕はキスを拒んだ。
 なんで? という目をした彼に、
「…タバコ、吸ったでしょ」
 僕は非難するように言った。
「……バレたか」
「当たり前だよ」
 どうせ、僕を拾う前に、あの人を抱いてきたんだろ。
 …そんな言葉が頭に浮かんだが、口にするのはやめた。
 今は、そんな事を言いたい訳じゃない。
「だから今日は、してあげない」
 僕は言いながら、彼のお腹の上で跳ねてるものを、そっと掴んだ。
 そして、優しく上下に指を滑らせる。
 びくん、と戸張さんの身体が震えた。
 こんなに強そうな身体なのに、ここを弄るだけで反応してしまう。それを見るのは正直嬉しかった。
 でも今日は、そこに唇を寄せるような事はしない。
「…ぅあ、それも、バレてんの?」
 まずった、と戸張さんは小さくごちる。
「当然だよ。僕に隠せると思ってたの?」
「まいったな…」
 はぁ、と息をつく彼を見て、またムクムクと怒りが湧いてきた。
 そう思うなら、何であの人と会ったりしたんだ。
「………」
 僕は無言で手の動きを速め、「ぅっ…」と小さく悲鳴をあげた彼を許す事もなく、果てさせた。
「………っはぁ……はぁ……」
 肩で息をする戸張さんを見下ろす。
 指に絡んだ白い粘液を眺め、ほんの少し湧き起こった罪悪感と一緒に、ティッシュで包んでゴミ箱に捨てた。
「うつ伏せになって」
 僕が命令すると、戸張さんは息を整えながら、言われた通りの姿勢をとった。
 そして僕は、彼のそれに比べたら貧弱極まりない箇所にコンドームを被せ、部屋に備え付けてあった粘液のパックを開いて塗りたくると、体温に馴染むのを待ってから、彼のお尻の隙間に当てがい、ゆっくりと腰を突き出した。
「~~~っ‼︎」
 声にならない呻きを上げながら、戸張さんは拳をギュッと握りしめた。
 その震える手を、僕の手で優しく包んであげると、少しずつ緊張が解けてくる。
 本来の用途ではない使い方に戸惑うその部分を、安心させるように…ゆっくり、ゆっくりと動く。
 甘い息を漏らす戸張さんの背中と、見えない表情を愛しむように、僕は抽送ちゅうそうを繰り返した。
「…ズルいよ、戸張さん」
 聞こえないように、呟く。
 悔しいけれど、僕はやっぱりこの身体から離れられないのだと実感する。
 そして、その直後に、僕の先端に鋭い快感が走って、僕は彼の中に、彼に対する感情の全てを吐き出した。

 * * * * *

「…チューしてくんないの?」
 車のハンドルに掛けた両手に顎を
乗せたまま、戸張さんは拗ねるように言った。
「今日はしない。絶対しない」
 僕はスマホの画面を一番暗くして、小説を読んでいた。
「…それ以上の事したのに」
「じゃあ、それで満足でしょ」
 …話しかけないでよ。話が頭に入ってこない。
「俺が、悪かったよ。もう美雪とは会わないから」
「判ってるなら、それでいいよ」
 僕が言うと、それきり戸張さんは黙ってしまった。
 ズキン、と胸に痛みが走る。
 正直、今は自分のそんな反応も忌々しく思えた。
「…そろそろか」
 僕はスマホの時計を確認して、小説を閉じる。
 …続きは、また明日読もう。
 ドアを開けて車の外に出ると、秋の夜風が僕の感情を冷ますように吹き抜けた。
 バクン、と音がして、車のトランクが開く。
 戸張さんは車に乗ったまま、降りてこようとはしなかった。
 僕が怒ったせいだ。
 仕方なく、独りで車の後ろに回り込んで、トランクの中から、長さ1メートル半程の、藤の花の刺繍が施された、細長い絹製のケースを取る。
 カチャリ、と中から美しい鍔鳴りが聞こえた。
 …きっと、良い物なのだろう。
 それを、僕の為に用意してくれたのは、他ならぬ戸張さんだ。そう思うと、やはり申し訳ない気がしてきた。
 無言で刀袋を担いで、運転席の横を通る。
 足を止めて車内を見ると、戸張さんと目が合った。
「………」
 胸が詰まって、言葉が一つも出てこない。
「……気をつけてな」
 戸張さんが、ポツリと言った。
「うん…。行ってくる」
 僕はそう言って、逃げるようにして彼の車から離れた。

 正門の重たい金属製の引き門の隙間から、市立西胡高校の敷地に入る。
 近くで見ると、新しい校舎はますます壮観だった。…少し、羨ましい。
 それはともかく、玄関の鍵は一箇所だけ開けておいてもらったし、セキュリティも解除済み。
 そのまま迷いなく事務室前を通ると、冷たい風が一陣吹いた。
「………」
 その風に誘われるように、僕は真っ暗な廊下を歩き、階段を昇る。
 冷たい靴音が、無人の校舎に響き渡った。
 僕は努めて冷静に辺りを見回し、異変が無いかを確認する。
 ………と、その時。
「………っ。………っ」
 少し遠くから、誰かが啜り泣くような声が聞こえた。
 僕は刀袋の紐を握り直し、そちらへと足を向ける。
 廊下を曲がり、一つの教室の前に立つと、扉に手を掛け、ゆっくりと開いた。
 教室の窓際、両手で顔を覆って泣く制服の少女が、独り…立っていた。
 ……〝彼女〟が、そうだ。
「………どうしたの?」
 僕は落ち着いて聞いてみる。
「………っ。………っ………」
 肩を震わせ、彼女は俯いたまま、自分の右の袖を静かに捲った。
「………」
 僕は、彼女の腕に広がる、手の形の赤紫斑に、顔をしかめた。
「………ぞうきんしぼりって、知ってる?」
 長い髪の隙間から、少女は感情のない声で訊ねた。僕は黙って首を振る。
「うでをね……こうやって掴んで、ぞうきんみたいに搾るの。ぎゅうぅう、って………」
 その時、ざわり、と背筋に悪寒が走った。
「わたし、痛かったから、〝やめて〟って手で押したの。…そうしたら」
 ぐき、べき……。
 形容し難い、なにかが折れ曲がる、いやな音が響く。
「〝なにすんのよ‼︎〟…って──」
 ガシャン‼︎
 窓ガラスが、外側に向かって弾け割れた。
 僕は察した。彼女は…死霊に取り憑かれている。
 気付かれぬよう刀袋の緒を解いて、刀の柄を逆手に、指を掛ける。
 狭い室内で、順手は速度が鈍るからだ。
「ほんとうに、痛かったのに。やめて欲しかったのに……」
 ざわ、ざわ、ざわ……。
 背後、足元、頭上……。
「………そうか」
 クスクス、クスクス、ふふふふふ……。
 僕の周りに、冷たい気配が集まってくる。
「……でも、その娘は関係ないよ。離してあげて」
「──関係…? …〝関係ない〟…? …〝関係ない〟なんて関係ないッ‼︎ わたしはつらかったの‼︎ こんなにもつらかったのに‼︎」
 彼女を取り巻く、空気が変わった。
「許せない許せない許せない許せない許せない許せない︎‼︎
 わたしは痛かったのに! こんなにも痛かったのに!」
 思考が暴走している。
 僕は姿勢を低く、身構えた。
「まだッ! わだじのごとを責めるのッ⁉︎」
 ぐわら、と大口を開けて叫ぶ少女の懐に一足で入り込み、逆手で抜いた刀の柄尻を、トン、と彼女の胸の間に挿す。
 瞬間、柄尻の印が微かに輝いて、少女の背中から影めいたもやがフワリと浮いて出た。
 生者の肉体に寄生する事で半実体化した死霊だ。
 禍々しく表情を歪めるもやのような死霊を睨み付け、僕は抜刀し、そのもやを切り裂いた。
 ヒュオウ‼︎
 闇の中を、月明かりに照らされた冷たい刃の光が奔る。
 水の入ったビニール袋を斬ったような手応えの後、恨めしい怨声を残して、死霊は掻き消えた。
 少女はガクンと膝から崩れ、その場で昏倒した。
 辺りは静まり返り、僕は手にした刀をゆっくりと鞘に納めると、スマホを取り出して、
「…僕です。終わりました。2─C教室、高校生1名、保護をお願いします」
 と、簡潔に伝え、制服の上着を脱いで少女に掛けると、再び刀袋を担ぎ、その場を後にした。

 戸張さんの車に戻ると、別れた時と同じ姿勢のまま、彼はそこにいた。
 僕が無言で近づいて行くと、バクン、と車のトランクが開く。
 そこに刀袋を静かに納め、助手席に回って、シートに腰掛けた。
「…おつかれ」
 戸張さんの、疲れた声。
「…うん」
 僕は、俯いて返事をする。
 夜の冷たい空気が、身体の熱を奪っていく。
「無事か? 怪我は?」
「大丈夫。なんともない」
「……そうか」
 戸張さんがエンジンを掛ける。
 すぐにエアコンのスイッチを入れて、温度のツマミを一杯まで回した。
「ねぇ、戸張さん」
「なんだ?」
 彼が僕の方を向く。
 僕は、彼の目を無言で見つめた。
 そして、ほんの少しだけ身を乗り出して、顎を突き出す。
 戸張さんはそれを見て、静かに顔を寄せてきた。
 2人の唇が、重なる。
 僅かなのに、永遠にも思える時間……。
 口に残る、バニラのようなタバコの匂い。
「………キス、しないんじゃなかったのか」
 顔を離して、戸張さんは言う。
「……それ、昨日の事でしょ」
 僕は、小さく時計を指差した。
 時刻は、午前0時を過ぎている。
「…フフッ、そうか」
 戸張さんは小さく笑うと、ハンドルを取り、静かにアクセルを踏んだ。


 * * * * *


 夕弦坂ゆうげんざか
 幽界と現界の狭間にある、人とあやかしが相入れ合う場所。
 僕はこの街で、人を脅かす死霊を狩り続けている。

 …僕の名前は、沙丘さおか秋也しゅうや
 この世で最後の、斬祓士きりはらいしだ──。

                            了
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