3 / 71
新婚旅行編
3
しおりを挟む
磨き上げられた靴が、カツ、と音を立てて馬車のステップを踏む。ダイヤモンドのように輝く銀髪に、アクアマリンのような瞳。優しい色合いのはずのその瞳は、なぜか冬の凍てつく海に見える。何よりもその、神が生み出したような美貌は、すべての視線を攫う。
「騒がしい。何だ」
姿を見せたエリアスト・カーサ・ディレイガルド公爵令息に、見た者の殆どが倒れ、残った者も、とてもまともに立ってなどいられなかった。そんな周囲を気にすることなく、アリスを左腕に座らせた状態で、エリアストは馬車から降りた。エリアストは元凶に目を向ける。元凶はその姿に愕然とし、視線を向けられ肩がビクリと揺れた。
「ディレイガルド家の馬車と知ってのことか」
ディレイガルドの名に、周囲が息をすることも忘れた。
平民であれ、知っている。国中誰もが、この国最高位の筆頭を掲げる貴族を、知らないはずがない。
王族は民衆の前に姿を見せることも多い。絵姿だって出回っている。
けれど、貴族は違う。
姿を見られるとしたら、自身の領地を治める貴族と、機会があれば近隣の貴族程度。公爵家となると、領地の者さえ顔を知らずにいるのかもしれない。それが、筆頭。況して、まったく関係のないこの土地で、その姿を見ることが出来るなんて。
誰もの視線と呼吸を奪ったエリアストは、睥睨する。
「貴様の行動で我が妻が怯えている。誰の許可を得て我が妻の心を独占した」
どんな感情であれ、エルシィの心を自分以外に向けさせたことは、万死に値する。
「し、し、知らぬこととは言え、大変、大変、申し訳、ございません、でした」
エリアストの足下で、小太りの男が地面に這いつくばるようにして謝った。
マズイマズイマズイマズイぞ!
男は何とかこの状況を逃れようと考える。まさかこんなところにディレイガルドがいるなど夢にも思わない。
「何があったと聞いている」
不機嫌な声がさらに不機嫌になるエリアストに、男はますます焦る。
男はこの領地を治める子爵であった。
貴族だ。ディレイガルドの、エリアストの危険性は当然知っている。これ以上怒らせてはならない。この場を誤魔化して、とにかく穏便に立ち去ってもらうしかない。
誤魔化す。
その選択こそが、間違いだと気付けたなら、子爵もひっそりと生き存えることが出来ただろう。ここでの選択は一択。ありのまま、出来事をきちんと伝えることのみであったのに。まだまだ、ディレイガルドの恐ろしさを理解していなかった。
「そ、それが、この者が、ワシ、私に、ぶつかってしまいまして」
曰く、子爵は買い物に来ていたとのこと。店先の品物について、その店主に説明を受けていたところ、横から来た少年が、子爵にぶつかったという。少年は勢いよく走っていたため、その反動で、エリアストたちの馬車の前に転げてしまったという。
エリアストは子爵の話を聞きながら、僅かに少年に視線を向けていた。子ども、しかも平民だ。男は貴族。男が真実を話すとは思えなかったからだ。少年は、え、という顔をした後、唇を噛んで泣くまいと涙を堪えた。話を聞いて、エリアストはもう一度視線を子爵に移す。不機嫌なオーラを纏わせて。
アリスとの時間を邪魔され、アリスの心を奪い、アリスとの時間をこうして奪われているというのに、真実を語ろうとしない。
そもそもエリアストたちは、男の罵声を聞いているのだ。
完全にアウト。
「騙るとは。相応の覚悟があるようだ」
*つづく*
「騒がしい。何だ」
姿を見せたエリアスト・カーサ・ディレイガルド公爵令息に、見た者の殆どが倒れ、残った者も、とてもまともに立ってなどいられなかった。そんな周囲を気にすることなく、アリスを左腕に座らせた状態で、エリアストは馬車から降りた。エリアストは元凶に目を向ける。元凶はその姿に愕然とし、視線を向けられ肩がビクリと揺れた。
「ディレイガルド家の馬車と知ってのことか」
ディレイガルドの名に、周囲が息をすることも忘れた。
平民であれ、知っている。国中誰もが、この国最高位の筆頭を掲げる貴族を、知らないはずがない。
王族は民衆の前に姿を見せることも多い。絵姿だって出回っている。
けれど、貴族は違う。
姿を見られるとしたら、自身の領地を治める貴族と、機会があれば近隣の貴族程度。公爵家となると、領地の者さえ顔を知らずにいるのかもしれない。それが、筆頭。況して、まったく関係のないこの土地で、その姿を見ることが出来るなんて。
誰もの視線と呼吸を奪ったエリアストは、睥睨する。
「貴様の行動で我が妻が怯えている。誰の許可を得て我が妻の心を独占した」
どんな感情であれ、エルシィの心を自分以外に向けさせたことは、万死に値する。
「し、し、知らぬこととは言え、大変、大変、申し訳、ございません、でした」
エリアストの足下で、小太りの男が地面に這いつくばるようにして謝った。
マズイマズイマズイマズイぞ!
男は何とかこの状況を逃れようと考える。まさかこんなところにディレイガルドがいるなど夢にも思わない。
「何があったと聞いている」
不機嫌な声がさらに不機嫌になるエリアストに、男はますます焦る。
男はこの領地を治める子爵であった。
貴族だ。ディレイガルドの、エリアストの危険性は当然知っている。これ以上怒らせてはならない。この場を誤魔化して、とにかく穏便に立ち去ってもらうしかない。
誤魔化す。
その選択こそが、間違いだと気付けたなら、子爵もひっそりと生き存えることが出来ただろう。ここでの選択は一択。ありのまま、出来事をきちんと伝えることのみであったのに。まだまだ、ディレイガルドの恐ろしさを理解していなかった。
「そ、それが、この者が、ワシ、私に、ぶつかってしまいまして」
曰く、子爵は買い物に来ていたとのこと。店先の品物について、その店主に説明を受けていたところ、横から来た少年が、子爵にぶつかったという。少年は勢いよく走っていたため、その反動で、エリアストたちの馬車の前に転げてしまったという。
エリアストは子爵の話を聞きながら、僅かに少年に視線を向けていた。子ども、しかも平民だ。男は貴族。男が真実を話すとは思えなかったからだ。少年は、え、という顔をした後、唇を噛んで泣くまいと涙を堪えた。話を聞いて、エリアストはもう一度視線を子爵に移す。不機嫌なオーラを纏わせて。
アリスとの時間を邪魔され、アリスの心を奪い、アリスとの時間をこうして奪われているというのに、真実を語ろうとしない。
そもそもエリアストたちは、男の罵声を聞いているのだ。
完全にアウト。
「騙るとは。相応の覚悟があるようだ」
*つづく*
57
お気に入りに追加
270
あなたにおすすめの小説
無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
辺境伯令息の婚約者に任命されました
風見ゆうみ
恋愛
家が貧乏だからという理由で、男爵令嬢である私、クレア・レッドバーンズは婚約者であるムートー子爵の家に、子供の頃から居候させてもらっていた。私の婚約者であるガレッド様は、ある晩、一人の女性を連れ帰り、私との婚約を破棄し、自分は彼女と結婚するなどとふざけた事を言い出した。遊び呆けている彼の仕事を全てかわりにやっていたのは私なのにだ。
婚約破棄され、家を追い出されてしまった私の前に現れたのは、ジュード辺境伯家の次男のイーサンだった。
ガレッド様が連れ帰ってきた女性は彼の元婚約者だという事がわかり、私を気の毒に思ってくれた彼は、私を彼の家に招き入れてくれることになって……。
※筆者が考えた異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。クズがいますので、ご注意下さい。
モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~
黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※
すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。
千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。
だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。
いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……?
と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。
平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜
本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」
王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。
偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。
……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。
それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。
いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。
チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。
……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。
3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる