Family…幸せになろうよ

柚子季杏

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Family…幸せになろうよ (2)

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 幾らか浮上した気分のまま部屋へと入り、手にしていた袋をそのまま冷蔵庫へと突っ込む。
 飲みに出ようかどうしようか、直前まで迷っていたけれど、この勢いで出掛けようと決めた。今の気分であれば、例え相手が見付からずに一人で飲む事になっても、きっと良い酒になると思えた。
「まあ、運よく相手が見付かれば……明日は休みだしね」
 ひとりごちながらネクタイを抜き取り寝室へと向かうと、日中の僕とは違う僕になるために、冴えないスーツ姿とは印象が変わるだろう私服を選ぶ。

 今日は少し、羽目を外したい気分だった。襟ぐりがざっくりとしているカットソーは、目を凝らせば素肌が見えるシースルー生地。パンツにはスキニーのジーンズを選び、身体のラインを強調させる。
 堅過ぎるというほどでもないけれど、だらしなくは見えない程度のカッチリ感はある、薄めのジャケット。
「こんなところか……シャワー浴びたら、丁度いいな」
 ベッドサイドの時計で時間を確認すれば、行きつけの店の開店時間。身支度を整えて部屋を出れば、そこそこ人も集まり出している頃だろう。
 選んだ服を手に、バスルームへと向かい掛けた僕の耳に届いた音。それは久しく耳にする事の無かった、隣室からの生活音だった。
 耳を澄ませれば、小さい子供特有の、甲高い声が聞こえる。何を喋っているのかまでは聞き取れなかったけれど、その微笑ましい情景を思い浮かべると、口元が綻ぶ。
「僕とは大違いだ」
 健康的な生活を送っているのだろうお隣さんの様子に、今から着替えて夜の街へと繰り出そうとしている自らを照らし合わせれば、綻んだ口元が歪んでいく。

 身の丈以上の事を望んだりはしないけれど……やっぱり、寂しい。

 再び沈んでいきそうになる思考を引き戻し、バスルームの扉の中へと、逃げるように駆け込んだ。
 誰かと比べたって仕方が無いから。
 僕は、僕でしかないのだから。

 頭からシャワーを浴びて、一日の汚れを洗い流す。身体の隅々までさっぱりさせて、日頃の自分をリセットさせる。いつもの自分ではない自分になるために必要な作業。
「……本当、別人」
 髪を整えながら鏡に映る自分の姿を見れば、思わず苦笑が漏れる。
 同僚達が僕のこの姿を知ったなら、きっと驚愕するだろう。
 先ほどチョイスした洋服を身に着け、本当は掛ける必要も無い眼鏡も外す。仕事の時にはわざと野暮ったくおろしたままにしている髪も、ワックスをつけて軽くサイドへ流してやる。
 普段は隠れている素顔を外に出せば、スッキリとした顔立ちが現れる。美形だなんて自分で言うほどナルシストでは無いけれど、人並みよりは秀でているんじゃないかとは思う。
 けれど、切れ長の瞳は対峙する人にきつい印象を与えがちで、薄めの唇は酷薄そうなイメージを持たれる事もしばしば。夜の街では有利に働く事も多い外見も、昼の世界では誤解を受け易く敵を作り易いという、そんなマイナス面ばかりが表立つ。
 昼間は何の役にも立たない素顔は隠し、なるべく目立たないように。
 そうやって、ずっと生きてきた。本当の自分は、自分だけが知っていれば、それで良い。


  ピンポンッ、ピンポン、ピンポン

「……誰だ?」
 身支度を整え終えて、いざ夜の街へ……と思ったその時だった。
 突然鳴り響くチャイムの音。一度で鳴り止むならまだしも、幾度と無く連打されているようで。
「はい……」
「こんばんわっ!」
「……え?」
 ドアチェーンは掛けたまま、訝しみつつ玄関扉を開けば、そこには昼間目にしたばかりの輝く笑顔があった。
「えぇ、っと」
「こんばんわっ」
「こら苑良ソラ  、少し大人しくしてろって! あ、うるさくしてすみません」
「あ、いえ……」
「えっと、今日隣に越してきた濱田です」
 小さなお客の訪問に目を奪われていた僕の頭上から、朗らかな声が降ってくる。視線を向ければ、父親なのだろう彼が、苑良と呼ばれた子供の上から顔を覗かせた。
「ちょっと、待って下さい」
 突然の訪問に驚きながらも一旦玄関扉を閉めた僕は、チェーンを開ける動作をしつつ呼吸を整えた。

「お待たせしてすみません」
「こっちこそ急にすみません。これ、ご挨拶代わりに」
「え――」
「え?」
 一度深呼吸をして再び扉を開いた僕の前へと差し出された、小さな包み。
「やすいタオルだよ」
「苑良! 言っちゃったら駄目だろ?」
「ダメなの? なんで? だってとおが、やすいからタオルにするっていったよ?」
「バッ……言っちゃ駄目なんだって!」
 受け取っていいものかと逡巡する僕を見上げるつぶらな瞳が、にこにこしながら中身のネタばらしをしてしまう。慌てて苑良の口を塞ごうと腰を屈めた濱田の耳が、ほんのり色付いていた。
「……タオル、ああ……はい、ありがとうございます」
「あぁ、もう――安物ですみません」
「いえ、タオルはあって困る物じゃ無いですし、有り難く頂戴します」
「…………」
 二人の遣り取りが微笑ましくて。仲の良さそうな言い合いを見ているうちに、自然と笑みが浮かんでくる。
 くすくすと笑いながら、タオルを受け取ろるために手を伸ばせば、差し出した側の濱田の手が、包みを握ったまま固まっていた。
「あの……?」
「あっ! すみませんっ」
「いいえ、こちらこそ。わざわざすみませんでした」
 僕の顔を見たまま動きを止めた濱田に首を傾げて見せれば、彼は慌てたように掴んだままになっていた包みから手を離した。
(そんなに恥ずかしがらなくても良いのに)
 苑良に「安物」だとばらされたのが恥ずかしいのだろう。良く見れば、目元も薄っすらと赤くなっている。
 頭を下げて包みを受け取った僕が、それじゃあと部屋に引っ込もうとした時だ。
「……とお、おなかすいたぁ」
「そうだった! あの、重ね重ね申し訳ないんですけど、この辺で飯食えるとことかあります?」
 小さなお腹から聞こえて来た、大きな音。驚いて視線を向ければ、立ち上がった濱田のシャツの裾を引っ張りながら、苑良が情けなく眉を下げている。
「ご飯、まだなんですか?」
「思ったより片付けに時間掛かっちゃって。今から買い物行って作るんじゃ、こいつの腹がもたなそうだし」
「ねぇ、とお~」
 唇を尖らせて濱田を呼ぶ苑良の姿が可愛らしい。
 それと同じくらい、困り顔の濱田の様子も微笑ましく思えて。
「……僕も、今から食べに出ようかと思ってたんで、良かったら一緒に行きますか?」
「え?」
「ぁ……えっと、この辺り、ちょっと入り組んでるんで、口で説明するには分かり辛いかな、と」
 しまった、と思った時には遅かった。
 柄にも無く、図々しい提案を口にしてしまっただろうか。良く知りもしない隣人から、一緒に食事でも……なんて誘われたら、僕だったら絶対に断る。
 瞠目した濱田の表情を見れば、一瞬で後悔が襲ってくる。
「良いんですか?」
「え……あ、ええ……ご迷惑じゃなければ」
「助かります! 俺実はちょっと方向音痴なんで」
「方向音痴――」
 照れながら告げられた言葉に安堵しながら、ついでに周辺も案内しますよ、なんて。先ほど以上に柄でも無い言葉が口を突いて出てしまう。

 どうしてそんな事を言ってしまったのだろう。いつもの僕なら絶対口にしないような言葉。自分でも分からないくらい、自然に唇から零れ落ちていた言葉に、僕自身が一番驚いていた。
 夜の街で知り合った、一夜限りの相手ではない。この先どれほどの期間顔を突き合わせていくのかも分からない隣人相手に、こんな風に誘いを掛けるだなんて。
「いっしょにいく?」
 動揺に忙しなく脳内を回す僕の耳に届いた、期待の籠った声にハッとする。
 大きな瞳を真っ直ぐ向けてくる苑良に目線を合わせ、僕はひとつ頷きを返した。
「うん……準備して来るから、ちょっとだけ待っててね」
「俺も財布取って来ます、行くぞ苑良」
「とおっ、まって!」
 用意してきますと向けた背に、濱田から声が掛かった。
 駆け足で隣の部屋へ入っていく足音を聞きながら、僕も慌てて寝室へと引き返す。子供と一緒にご飯を食べに行こうというのに、この格好じゃさすがに気が引ける。
「今着てるのよりは、マシだよな?」
 選んでいる時間も無いだけに、目に付いた場所にあった色合いの似ているV首のサマーセーターを手繰り寄せ、シースルーのカットソーと交換する。
 生地は薄地だから、決めていたジャケットを上から羽織ってもおかしくは無いだろう。
「ぁ……眼鏡、は……いいか」
 バタバタと着替えを済ませ、財布と携帯と鍵、その3点だけを引っ掴んで玄関へと急いだ。

 一瞬だけ眼鏡を掛けようか迷ったけれど、掛けてしまったら、何だか魔法が解けてしまうような気がして。
 飲みに行けば、それなりに気を張るから、いつもの自分じゃない僕になれる。髪のセットをおろしてスーツを着れば、目立たない自分へと変われる。
 けれど今の僕は、見た目こそ昼間の自分とは違っていても、中身はまだ夜の僕には対応していない。
 そんな中途半端な状態の、どっちつかずの素の自分でいられる事は、何だかとっても新鮮で、とっても……不思議な感じがしていた。


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