キスからの距離

柚子季杏

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キスからの距離 (完)

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 求めて、欲して、忘れられなかった男の熱と匂い。
 他の男じゃ満たされなかったセックスという行為が、橘川が相手だというだけでこんなにも内海を乱していく。
 内に渦巻き続ける熱を吐き出してしまいたい。けれどもっと、ずっと、この熱を留めておきたいとも思う。
「智久……っ」
「はぁ、ああ、あ」
 力強い腰使いで、橘川が内海の弱みを擦り上げる。その度に達してしまいそうなほどの快感を覚えて、内海は必死に歯を食い縛った。
「そ、こ……ダメ、だ……イっちゃ、からっ」
 揺さぶられて甘苦しい息を吐きながら、内海がたどたどしく言葉を紡ぐ。汗で滑る橘川の背に触れようと身体を捩れば、自ら起こしたその動きにますます追い詰められる。
「イって、いいぞ」
「や…イヤ、だ……一緒に、一緒に、いきた……はっ、あ」
 潤んだ瞳を向けながら、一人では嫌だと訴える。
 やっとこうしてひとつになることが出来たのだ。内も外も、全てを橘川で満たされたかった。愛しい男の存在を置く深くまで、内側から刻み込んで欲しい。
 内海の訴えに歯軋りをした橘川の額から流れた汗が、顎を伝い落ちて内海の上へと落ちる。立ち昇る雄の色香に酔わされたように、ぼやけた視界の中には橘川の姿だけしか見えていなかった。
「智久――もうちょい……我慢してくれ」
「んんっ」
 伸ばされた内海の腕を取った橘川が、二人の腹の間で震える内海の濡れた昂ぶりの根元へと導いていく。霞んだ意識の中で橘川の意図を感じ取った内海が、自身の根元をきつく握り締めることで自らの放出を堰き止めた。
 内海の仕草に喉を鳴らし軽く身を倒した橘川が、その頬へと唇を寄せる。
「智久……智久っ」
「はっ、あ、ああっ、悦ろ――ん、ぅっ」
 内海の腰を抱え直した橘川が、腰の動きを早めた。
 穿ち入れられる熱の力強さに翻弄される心地好さ。内海の口からは橘川の名を呼ぶ声と、抜けるような嬌声しか出て来ない。
「智……くっ」
「んあっあ、あ、ああ」
 橘川の手が、自身で押さえ付けていた内海の昂ぶりへと伸ばされる。内海の手と取って代わった橘川の手が、穿つ腰の動きに合わせて放出を促すように動き出す。
 灼棒が内海の内でその嵩を増し、橘川の限界ももう間近に迫っていることを内海へと伝えていた。
「好きだ、智久……っ」
「ひ、あっ、悦郎、悦郎」
 濡れそぼった屹立を扱く橘川の手の動きに翻弄される。蜜を吐き出し続ける先端を指先でグリっと刺激されれば、ギリギリで堪えていた内海に、それ以上堪えることなど出来なかった。
「悦――ひ、ああっ――ッ!」
「っ……んっ」
 橘川の昂ぶりが内海の弱点を押し上げながら、ひと際奥へと押し込まれた。
 内を抉られる動きと同時に屹立を扱かれて、内海の身体が強張る。熱く震えた先端からは、勢い良く白濁が吹き上がり、内海の胸元へと飛び散った。
 放出に後孔がきつく締まれば、締め付けられた橘川の昂りもより一層膨らむ。階段を一気に駆け上がった橘川が、最奥を目掛けて熱い熱を迸らせる。
 待ち侘びた熱さに、内側から満たされていく感覚に、内海は再び身体を震わせながら小さな絶頂を再度感じた。
「悦……郎……」
 掠れた声で名を呼べば、弛緩した身体をきつく、けれど優しく抱き締められる。愛しさに包み込まれた安堵と幸福感が、内海の瞼を重くしていく。
「智久――愛してる……」
 この幸せを自分は二度と手放す事はしないと、自分も橘川を愛していると伝えたいのに、内海の意識が保ったのはそこまでだった。
 幸せそうな微笑を口元に浮かべて瞳を閉じた内海へと、橘川はそっと口づけを贈った。




 春がもうすぐ側まで来ている、そんな立春の日を過ぎた頃。昨年オープンした定食屋に、内海と橘川、そして北斗の姿があった。

「やっぱさあ、こういう家庭料理的なのって、一人暮らしとかだと嬉しいよねえ」
「単純に美味い飯が食いたいって時には良いよな」
「お客さんも結構入ってるみたいで、俺としてもホッとしたよ」
 周囲に会社関係も多いという事でここに出店を決めたと康之は話していたけれど、蓋を開けてみるまではどう転ぶか分からないのが店の経営だ。売上げを見ている分には予想よりも順調だと感じられていたが、こうして内海が客として訪れたのは、実は初めてのことだった。

 見回せば落ち着く内装に拘ったおかげか、女性の一人客の姿も見受けられる。夜中や明け方には水商売の人達で混み合う店内は、平日の昼間はサラリーマンや主婦がよく利用してくれているようだ。
 最初こそ心配していた昼の部の責任者である濱田も、今では気負い無く楽しそうに仕事に取り組んでくれている。
「今日は助かったよ、北斗のおかげで早く終わった」
「ああ、御礼にもならないけど、ここの食事代は俺達が払うから」
「大した事してないのに悪いなあ。大体さ、二人とも荷物の殆どを処分しちゃったから、運ぶものも少なかったしね」
 今日、内海と橘川は新しい部屋への引越しを行なった。
 一月末の予定からは少しばかりずれてしまったけれど、その間橘川は内海の部屋へと身を寄せて、新居に運び入れる荷物の殆どはトランクルームへと預けていた。
 橘川の部屋の荷物は古いものが多かったため、北斗の言う通り大きな物の殆どを処分した。内海が使っていたものは、独身者向けのものばかりだったので、こちらも大方を手放した。

 二人でこれから先の人生を、一緒に歩んでいこうと改めて誓ったあの日から、二ヶ月ほどが過ぎている。あの日、翌朝目が覚めて隣に愛しい人の温もりを感じられた幸福感を、二人は忘れる事はないだろう。

 部屋を明け渡さなければならない橘川の都合もあって、それからは急ピッチで部屋探しが始まった。
 今後のことも考えて決めた新居は、二人の職場の中間辺りに位置する中古の分譲マンションだった。とは言っても、中はリノベーションが施されて綺麗になっているし、2LDKの間取りも、子供を持つことの無い二人には十分過ぎるほどの広さ。
 内海の部屋の明け渡しや互いの荷物の運び出し、買い直した家具の納入だったりに人手が必要で、かといって業者を頼む程でもない引っ越し荷物の量に困っていたところに名乗りを上げてくれたのが北斗だった。
 「二人の愛の巣を見てみたいしね」などと笑う北斗に、内海たちは素直に手伝いを頼んだ。そうして後は荷解きだけという状態にまで部屋を整え終えて、残りは二人だけでも何とかなるところまで漕ぎ付け、腹を満たしに出てきたのだった。

「ご馳走さまでしたっ。うちの春ちゃんのご飯には敵わないけど、美味しかった」
 橘川が会計を済ませる間に、「今度みっちゃんも連れて来よう」とウキウキしていた北斗に改めて礼を告げれば、手招きで内海を呼び寄せた北斗が内海の耳元に口を寄せる。
「若く無いんだから、初夜だからって張り切り過ぎないようにね」
「ッ、ばっ、北……北斗っ!」
 火を点けられたかのように、一気に赤くなった内海をニヤニヤと見遣り、首を傾げた橘川に手を振りながら北斗は恋人の元へと向かってあっさり駆け去って行った。
「何話してたんだ?」
「……別に……そ、それよりっ、早く荷物片付けないと、寝る場所無くなるぞ」
「そりゃ困る、寝室だけでもしっかり整えないとな」
「ッ、聞いてただろ悦郎っ!」
 熱くなった頬を手の平で仰ぎながら、顔を覗き込もうとする橘川の背を押し歩き出す。内海の様子に大体の事情は察したのだろう橘川が、軽く苦笑を浮かべて内海に従う。


 冬の寒さを感じる空の下にあって、並んで歩く二人を取り巻く春の気配。長く厳しい冬を乗り越えたからこそ掴める季節に、胸が弾む。
「智久――愛してる」
「ッ、悦……」
「ははは、さぁ、帰って片付けないとな!」
 大通りへ出る一歩手前、不意に止まった橘川につられて立ち止まれば、さっと辺りを見回した橘川から掠め取られる唇の感触。
「俺も、愛してる……」
 内海が怒り出さないうちにと再び歩を進めた橘川の背に、そっと告げた愛の言葉。
 その声が聞こえたのかどうなのか、振り向いた橘川が柔らかな笑顔を浮かべて内海が追い着くのを待ってくれる。


 時に開いてしまうことのある距離も、互いに歩み寄ることが出来れば、その距離はいつだってゼロに出来るのだ。
 開いてしまった距離ならば、二人で一緒に縮めて行けばいい。


 冬の曇天の隙間から差し込む日差しが、歩き出した二人の姿を温かく照らしていた。



 ◇ end ◇

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