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キスからの距離 (22)
しおりを挟むお互いに通称と携帯を通じての連絡先しか知らない、会って抱き合うだけの関係。想う相手と気持ちが通じ合ったという連絡は貰っていなかったけれど、そろそろ潮時なのかもしれないと内海も思い始めていた。
彼にはもう初めて店を訪れた時のような危機感はなく、自分で判断が付く年齢にもなったのだから、連絡が途絶えたらそれまでと思っていた。
ふた月に一度が半年に一度となり……一年が空いた頃、内海は自分でも馬鹿だと感じながら、持て余した感情の発露に付き合ってくれそうな相手を、再び探すようになっていた。
今度こそまともに付き合える相手をと思うのに、結局は同じことを繰り返してしまうのかと思えば、やり切れなさが募る。いつまでも橘川を忘れられない自分が、ユーと出会った頃のような荒んだ心に戻って行く自分が惨めだと思うのに。
ユーに対して、内海の側から誘いの連絡を送る事は一度も無かった。
彼が必要な時だけ、既に汚れている自分の身体ならば気にすることも無いのだと、そう告げて快楽だけを共有してきた。夜のひと時だけの交わり。決して夜明けまでを共に過ごした事は無かったけれど、凍えそうなまでに寒々しい心の中、ユーと過ごす時間は内海に『愛』というものがどれだけ大切なのかを思い出させてくれる、温かなものだった。
それでもユーからの誘いが途絶えてから、時折どうしようもなく一人で過ごす時間の寒さに耐え難くなることがあった。
そんな時には行きつけのバーに足を運ぶけれど、常連とだけはそういう関係にならないように気を付けていた。何かがあった時に、心を休める場所がなくなる事は避けたかったからだ。その分、いかにも一見だと分かるような男の中で、気が合った相手がいれば連れ立って店を出る事もあった。
こういう場所だ。出会いを求め、欲を満たせる相手を物色に来ている事が分かっていて共に席を立つのに、それなのに、どうしても最後まで行く気にはなれなくて。
(ユーの影響、なのかな)
自分を抱く度に辛そうな表情を見せていた若い男の顔を思い出せば、その度に自分もまた、何年も経つというのにたった一人の男を忘れられずにいることに気付かされる。
ホテルへ入る直前になって渋った様子を見せる内海に、当然相手は憤慨する。罵声を浴びせられるくらいだったらまだ良い方だろう。時にはふざけるなと手を上げられ、逃げるようにその場を後にすることも度々あった。
そんなことの繰り返しで、結局内海はユーからの連絡が途絶えた後も、他の相手と身体の関係を持つ事は無くなっていた。
自分でも呆れるような日々を過ごす内海を、オーナーである康之は言葉にせずとも眉を寄せて見ていた。
内海が康之の住むマンションを出て一人暮らしを始めたのは、ユーと出会う少し前の事。その頃も今のように、何も言わず、ただ心配そうに自分を見つめ、ポンと肩を叩いてくれた優しい従兄。そんな従兄に、また同じような心配を掛けている自分が情けなかった。
(俺って、成長してないよな)
少し前にも、ホテルに入る入らないで男と揉めたばかりだった。突き飛ばされて壁に打ち付けた肩が、少しばかり痛む。
それでも一人で暮らす部屋にまっすぐ帰る寂しさに負け、こうしてまたバーに顔を出している自分。内心で自嘲しながらも、温かく迎えてくれる常連達の輪の中で、内海はグラスを傾けていた。
「ちょっとトイレ」
そう言って席を立った内海が用を済ませて戻って来れば、カウンターには久々に目にする男の姿があった。
(あれ?)
今日来るという連絡をもらっていただろうか? アルコールで鈍った脳内で考えてみても、そんなメッセージを読んだ覚えすらない。
(俺には連絡無し……か)
自分はもう必要なくなったという事なのだろうと思いながらも、長年身体を繋ぎ合わせてきた割に、それはあまりにも薄情なのではないかと少しばかり虚しさを感じる。
関係を終わらせたいというのなら、無理に縋るつもりは無いけれど、一言くらいあっても良いだろうと。思ってしまえば、ちょっと困らせてやろうかという悪戯心が沸いて来る。そんな事を思うのも酔っているからこそなのだろうけれど、久し振りに肉体の欲求を満たすのも悪くは無いと、そんな事を考えてしまった。
「あっれえ? 久し振りじゃん? 何、今日はまだ相手決まってないの?」
「あ……」
背後から声を掛ければ、振り向いた顔には驚きと少しの困惑が混じる。それが何だか愉快で、内海はわざとユーの背に覆い被さるように腕を回した。
「ユーが来てたなんて全然気付かなかったよ。って、もう帰るの? 相手決まってないなら、久々にどう?」
出来れば逃げ出したいと書いてある顔色は敢えて読まずに話を続ける内海から、ユーはやんわりと視線を外した。
「久し振り……悪いけど、あんまりそういう気分じゃ無いんだよね」
「だったら俺がそういう気分にさせてやるって! なぁ、良いだろ? 最近俺男運無くてさあ、ユーとなら勝手知ったるなんとか、っていうし?」
柔らかな拒絶に少しばかり気分を害した内海は、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
仮にもこの数年間幾度も寂しさを共有し、肌を重ね合わせてきた自分に対して向けられる態度ではないだろうという気持ちから、面白く無さも相俟って過剰な誘いを掛けてしまう。
「ちょっと、ウチの店での過剰なナンパはお断りよ? 幾ら常連でも出禁にするわよ?」
しつこく食い下がろうとすれば、ママから呆れた眼差しと半分以上本気の声音が飛んできて、さすがに言い過ぎたかと内海は肩を竦める。その後ろでは久し振りにバーを手伝いに来たママの弟が、苦笑を浮かべているから思わずしゅんとしてしまう。
「だってさあ、ママも知ってるだろ? 俺最近可哀想なのよ? 久々に良い思いしてもいいと思わない?」
「そりゃあ、ユーくんが相手なら、前の子みたいにDVとかは無いでしょうけど……」
「DV? お前、なんでそんなのと……」
「寝てみたら態度が豹変したの! ネコ専には割と良くある話だよ」
DV等というほどのことでもない。
そもそもここ数年の間、ユー以外と寝てはいないのだけれど、内海としては少しくらいの見栄は張りたくて。全てが嘘というわけでは無いけれど、大分誇張を交えて語って聞かせる。
ユーの前で見栄っ張りが露呈することは嫌で、わざと不貞腐れた表情を見せれば、ママ達は嘆かわしそうに溜息を吐いて内海から視線を逸らした。
「なあ、やっぱ駄目? 帰っちゃう?」
ユーが寝たいというなら寝てもいい。どうしても嫌だというなら、それも別に止めはしない。内海にそんな権限が無いことは重々承知しているし、もしユーが想いを寄せていた相手と上手くいっているのだったら、素直におめでとうと口にする心積もりもあった。
けれど上目遣いにユーを見遣った瞬間、内海は内心で首を捻った。
そこには大分大人の男へと成長した姿ではあるけれど、初めて出会った時と同じくらい切羽詰った様子の、悲しげな瞳をしたユーがいた。
(何か、あったな――)
伊達に数年来の付き合いをしているわけではない。ユーの纏う張り詰めた空気を内海が察知した時に、彼は迷いを断ち切るように頷きを返して寄越した。
「――泊まらないけど、それでいいなら」
「やった! ママ、ユーの気が変わらないうちに俺もお会計して!」
「もう……ユーくん良いの?」
いつも以上にはしゃいだ声を上げながら、内海はユーを促して席を立つ。ママ達の視線が自分達を追い駆けていることは感じつつも、ユーの背を押して店を出た内海は、さり気無くその腕に自分の腕を絡めて歩き出した。
店を出れば行く先はひとつだ。全てを忘れ、ほんの一瞬の温もりだけを追い求める。
話したくないことは聞かないし、自分もまた話しはしない。その分互いを求め合うことで満たされ、慰められればそれで良いと思うから。
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