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櫻花荘に吹く風~201号室の夢~ (22)

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 恋人ってだけじゃなく、人生を懸けたパートナー。

 生きる路も、辿って来た道のりも、目指す先も違うけれど、それでも一緒に生きることを望める存在……それって、すごい事だよな。
「だから、全部見せられるんだ?」
 呟いた俺に、大輔も頷きを返してくれる。
 弱い部分も、どろどろした部分も、全てを見せられるし、受け入れられる。本当だったら隠しておきたいような事でも、絶対的な信頼関係があるからこそ見せられる。
 さっき北斗が話してくれた内容を、ようやくきちんと理解出来た気がした。
「気を張り続けてたら、疲れるだろ? いつも強い自分でいられるわけでもない。そりゃあ好きな相手の前では、いつでも格好良い自分でいたいっても思うけど……どっちの自分も、間違いなく俺だから」
「うん……みっちゃんは、そんな大輔を全部、見てるんだ?」
「恥ずかしいけどな、全部知られてる。それでも俺の隣にいてくれる……だから俺は、観月に恥じないように、精一杯生きようって思えるんだ」
 言い切った大輔が見せる表情は、俺が知っているどの大輔とも違って見えた。
 きっとこの表情は、覚悟を決めた男だけが持てるものなのだろう。
「何か……大輔も色々考えてんだな」
「お前、それは俺に対して失礼じゃねえのか?」
「イテッ」
 感心して溜息と共に漏れ出た言葉には、片眉を持ち上げた大輔からのデコピンが返って来る。
 地味に痛い。
「まあ俺も、本気で惚れた相手ってみっちゃんが初めてだから、あんまり偉そうな事は言えねえけど……だけど、俺には観月しかいない、って思うんだ。観月じゃなきゃ、俺は駄目なんだよ」
「そっか――特別なんだ」
「ああ、特別だな」
 言い終えて、顔を見合わせ笑い合う。
 意図せず口から零れた言葉に、大輔から軽く小突かれてしまったけれど、聞けて良かったって、素直に思う。

 『好き』って感情がどういうものかは、きっと人それぞれなのだろう。でも、ホリさんの話も、大輔の話も、どちらにも通じている事柄が、薄っすらと見えてきたように思うんだ。
 この人じゃなければ駄目だという強い想い。大輔もホリさんも、同じような事を口にしていた。
 そんな強い想いが、そんな強い感情が、俺の中にもあるのだろうか。
「良太はさ、難しく考え過ぎてるのかもしれないな」
「そう……かな?」
 一頻り笑い合って、けれどやっぱり自分の中のモヤモヤとした部分はすっきりしないまま。少し温くなったコーラで喉を潤しながら、ふっと思考の淵へ沈んだ時、大輔から優しい声が掛けられた。
「お前がどこで悩んでるのか、分からなくはないけど……不安がってばかりいたんじゃ、幸せになんてなれっこないし、相手を幸せにしてやる事も出来ないぞ?」
「不安――そっか、それだ……」
 言われてハッとした。
 施設の先生達や、仲間、大輔や櫻花荘で出会った皆、ホリさんやその家族……沢山の愛情を貰ってきたけど、それでも俺は自信が持てないままだった。
 幼い頃に、本当だったら親から与えられるはずのものを、知らずに育ってきたから。
 俺の中にある、本当の意味で誰かを好きになる、誰かを愛するという事が出来るのかという思いが、ブレーキを掛けているのかもしれない。
「素直な気持ちで、自分に向き合ってみろよ」
「素直な気持ちで?」
「好きの種類なんて様々だけど、その中でも、何か違うものを感じるはずだ……本気で惚れた相手には、な」
 他の人とは違う何か……それなら、感じている。
 大輔だったり、他の誰かに感じる『好き』という気持ちの中に、独占したいだとか欲情するだとか、そういった感情は持った事が無い。
 これまで経験を持った女の子に対しても、言い方は悪いけれど、エッチさせてくれるから好き、そんな風に思っていただけ。その子が他に好きな人が出来たと言っても、俺の他に男がいたりしても、『ああそっか』程度にしか思わなかった。
「……なあ大輔、変な事聞いて良い?」
「今更何だよ、散々聞いておきながら」
「うん、でも――もしも俺がさ、俺が……男を好きになったら、変かな? 気持ち悪いって思う?」
「お前……それは何か? 良太は俺の事気持ち悪いって思ったか? 観月と付き合ってるって知って、そんなの変だって思ってたのか?」
「違う! そんな事、思わなかった……大輔が本気なら、それで良いって思ったよ」
 勇気を出して質問した俺に、大輔は呆れ顔で溜息を吐き出した。そうして続いた言葉に、慌ててしまった。
 そうだよな、俺ってば大輔を否定するような事を口に出してしまったんだ。思わず落ち込む俺を見て、大輔がまた、小さく笑った。
「そうかあ、良太の気になってる相手って男なのか……それじゃあまあ、悩むのも仕方ないかもしれないな」
「え? な、何で分かったの?」
「そりゃ今の遣り取りで分からないほど、俺は鈍くねえぞ? 仮にもホストで金貰ってんだ、そんな分かりやすい言葉の裏も読めなくて勤まるはずねえだろ」
 ズバリと言い当てられてどきりとしたけれど、その言葉で納得。
「相手がノンケ……普通に女を恋愛対象にしてる人なら、簡単じゃないかもしれないけど……良太の中にある気持ちを大事にして欲しい。俺が言えるのはそれだけだ。男女の恋愛だって、上手くいく事もありゃ、駄目になる事もあるんだしな」
「大輔――ありがと、俺、もうちょい自分と向き合ってみる」
 今日一日で色んな話を聞いて、頭の中が爆発しそうな状態だけど、それでも何だか、少しだけ心が軽くなった。
 男を好きになる事も、決して変な事じゃないんだ。そう思えただけでも、十分だろう。
 ホリさんと話したことで差し込んだ小さな光が、大輔と話した事によって、もっと増えた気がする。曇天の空から幾重にも降り注ぐ天使の梯子のような光の筋が、俺の心の中に降り注いでいた。




 照明を落とした店内の掃除を終え、最後に残った汚れ物を洗いながら、ここ最近抱えている落ち着かない自分の心に溜息が零れた。
 自分がどうやら、恋をしているようだと気付いてから、数週間。
 頭では諦めなくちゃいけないと分かっていながらも、話し掛けられれば嬉しくて。笑顔が見れれば幸せな気持ちになる。

 叶うことなど無い想い。
 伝えてはいけない想い。
「良くんには、幸せになってもらいたいもんな……」
 家族という存在を知らずに育った良くんだから、きっとその形に対する憧れは、僕が考えるよりもずっと、大きいはずなんだ。

 可愛い奥さんと、良くんに似た天真爛漫な子供達。
 毎日笑顔の耐えない温かな生活。
 それは、どれだけ望んでも、僕には上げることが出来ないもの。それが分かっているのに、諦められない。
「向こうはそんな気は無いんだろうけど」
 気のせいだとは思うんだ。多分僕が意識するようになったからこそ、そんな風に思うのだろう。だけどこのところ、良くんの言動がどうにも気になって仕方ない。
 以前から優しかった良くんだけど、最近は前以上にスキンシップが多くなっているような気がするんだ。
 挨拶がてらに背中に圧し掛かって来てみたり、その行動に焦る僕を見ては、可愛いと言ってみたり……極め付けは『俺まーくんの事好きだし』と、事ある毎に口にする。
 彼の言動に深い意味など無いのだと自分に言い聞かせながら、それでもその言葉を聞く度に、心臓はバクバクと音を立てる。密着する良くんに、その音が聞こえているんじゃないかと心配になるくらいに。
「はぁ……」
「何溜息吐いてんだ? 終わったのか?」
「あ、観月さんっ、はい、ここ拭いたら終わりです!」
「んじゃ変わるから、着替えて来いよ」
 考え事をしながら仕事をしていたせいか、どうやらいつも以上に時間が掛かっていたらしい。水が跳ねたシンク周りを拭こうと布巾を手にした時、厨房へ顔を覗かせた観月さんから声を掛けられて、初めて気付いた。


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