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~小さな来訪者~
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しおりを挟むそれはイレギュラーな来訪者だった。店内には進士の姿はすでに無く、真樹が閉店後、一人でゆったりとカクテルを味わっている最中だった。
「今、何か聞こえたような」
ドアの方を眺める真樹はしばらく様子を伺いながら、「そんなことは、あるはずがないんだけれどなあ」と呟く。真樹が驚くのも無理はない。この店を訪れる者は、必然だからこそ、この場所に来ることが出来るのだ。
だが、しばらくすると、また真樹の耳には微かに声が聞こえた。
「もしかしたら、誰かが迷い込んだか」
真樹はゆっくりと腰を上げてドアへと向かった。ノブを回し扉を開いて外を確認すると、ドアの右側に小さな女の子が、やはり居た。相手はドアが突然、開いたことに驚いていたものの、真樹の目を見るなり、どこか落ち着いた表情を見せた。この子には人を一瞬で見分ける能力があるらしい。真樹は、その来訪者に尋ねる。
「お嬢さん、どうされましたか?」
その女の子は問い掛けに答えることなく、真樹に対して、逆に現状を確認した。
「あのー、ここは何ですか?お店ですか?」
実に可愛らしい声でたどたどしく訊くその子に対し、真樹はにっこりとして丁寧に説明をする。
「そうですよ、ここはバーという、多くの大人の人間が好む、言わば安らぎの場所みたいなものです」
「安らぎの場所?」
「ええ、そうです。まあ、このまま話をしているのもなんですから、良かったら中にどうぞ」
小さな迷い子は、真樹の促しに返事こそしなかったものの、その後ろに着いて、店内に足を踏み入れてきた。
真樹は「何か飲みますか?」と問い掛けたが、言ってすぐ「あ、お酒は飲めませんよね」と自己解決する。そして、冷蔵庫から取り出したミルクを温めて、彼女に差し出した。
おそらく寒さに相当、参っていたのだろう。その女の子は一気にミルクを飲み干す。
「もう少し飲みますか?」と真樹は訊きながらも返事を待たずに温かいミルクを再び注ぐ。
「珍しいですね。ここに迷い込むなんて」
身体が温まった事で、少しホッとしたのだろう。真樹が不思議そうに眺めている視線を彼女はようやく正面から受け止めた。
「そうなんですか?」
真樹は空になった自身のカクテルグラスを満たそうと、シェーカーを手に取りながら返事をする。
「ええ、滅多にないことですよ。ただ、偶然であろうが、ここに辿り着いたという事、それは必然になります。もしかして、あなたは何か心に秘めている事があるのではないですか?」
真樹はシェーカーにジンとリキュール、レモンジュースを手際よく注ぎ、丁寧な手つきでそれを振り、鮮やかな紫色のカクテルを完成させた。彼女は真樹の質問には答えず、カクテルの色に見入っている。
「わあ、綺麗な飲み物ですね」
「そうでしょう、これはブルームーンというカクテルです」
「か、くてる?」
「ええ、お酒は分かりますか?お酒やジュースなどを幾つか混ぜて、全く新しい味にするんです。そして出来上がったお酒をカクテルと呼ぶんです」
「美味しいんですか、それ?」
真樹はブルームーンをカクテルグラスに注ぐと、カウンターの向こう側から客席側に回り、椅子に腰掛ける。
「もちろんです。ただ、このカクテルはお酒が飲めなくても、見ているだけで幸せになるカクテルかもしれません」
彼女は首をひねり、「そうなんですか?」と質問する。
「ええ。このカクテルの名前となっているブルームーンですが、今日の夜空のように普通の月の色は白だったり淡い黄色だったりしますよね。ですが、火山噴火が起こった時など、様々な自然条件が重なることで、ごく稀に青い月が見えることがあるんです。滅多に見ることが出来ないものだからそれを見ると幸運になれるという言い伝えがあるほどです」
真樹の解説に、彼女は申し訳なさそうに舌を出す。
「なんだか難しい話ですが、とにかく幸せなカクテルということなんですね」
「あ、説明が少し複雑すぎましたかね」と真樹は謝罪したが、彼女は特段、気にしているようでもなかった。真樹はついさっき、心に引っかかった疑問を改めてぶつけてみる。
「先ほどの話の続きですが、あなたは誰か、逢いたい方がいらっしゃるのではないですか?」
彼女は相変わらずカクテルグラスから目を逸らそうとしない。だが、今度はきちんと質問に答えた。
「はい、います。できることなら、命の恩人のあの人にもう一度、逢いたいです。でも、おそらく私のことは覚えていらっしゃらないと思います」
真樹は「そんなことないでしょう」と言い、カクテルグラスを彼女の前から手繰り寄せると一口含んで味わう。
「もし、あなたの心の中に、その人が残っているならば、相手の中にも必ず記憶されていて、会いたいと思っているものです。それは断言できますよ」
彼女は不安げな顔で俯く。
「だって、私がその人に、最後に会ったのはもう数年前ですから。そこから、新たな出会いは、それこそ数え切れないくらいあると思います。なのに、私のことを忘れていないということですか?」
真樹は彼女の方を向き、はっきりと答える。
「ええ。もしも、あなたがその人のことを忘れられないとしたら、『命の恩人である』という大きな理由があるからですよね。でもね、相手にも同じことが当てはまるんですよ。その理由こそが、相手にとっても一緒に過ごした時間の証明となるからです」
彼女は困ったような表情で真樹を見つめ返す。
「あ、すいません、また難しい言葉を使ってしまいましたね。とにかく、想いは通じ合っているということです。今回、あなたはお酒を飲むことができませんので、特別です」
真樹はそう言って、指をパチンと鳴らした。彼女はその様子を不思議そうに眺めていたが、真樹は構わない様子で話を先に進める。
「と、言うことでまずは話してくださいませんか?でなければ、その人を探そうにも探せませんし。なぜその人と会いたいのか、どのようにしてあなたの命を救ったのかを」
彼女は「喜んで」と過去を思い出し始めた。
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