探偵の作法

水戸村肇

文字の大きさ
上 下
35 / 41
trace and theorize

怒れる依頼人

しおりを挟む
 今日も平和だな。
 久能は呑気にそんなことを思いながら書類を作成、時折コーヒーをすする。
 時刻は午前十一時。
 架純は学校のため午後五時からの出勤で、睦美は用事のため夕方まで帰らない。
 昼飯はどうしようか。今日はラーメンの気分だな、と久能は『游来軒ゆうらいけん』に電話をかけた。
「チャーシューメンに焼き飯、杏仁豆腐にラムネで。はい、一つずつ。そうですね、十二時くらいだとたすかります」
 久能は受話器を置くと、少し休憩と椅子に深く腰掛けた。
 受話器から聞こえてきた鍋を振る音を思い出し、久能の口のなかに唾液が広がる。
 するとドアの向こうから、おそらくは階段を上る音が聞こえてきた。
 久能は姿勢を正し、耳を澄ます。それは駆け足にこちらに向かい近づいてくる。
 配達人にしては、あまりに激しい足音だ。ドタバタ、そう形容しても間違ってはいないだろう。
 そうこうしていると、ドアの向こうが静かになる。久能は立ち上がり、そっとドアの方へと移動する。
 荒い呼吸音。
 いる、この向こう側に誰かいる。依頼人でなければ、あまり関わりたくはない人かもしれない。
 居留守を決め込もうか、そう思った矢先、ドアが激しくノックされ出した。
 ひっ。久能の喉から、情けない声が漏れ出した。
 やばい人じゃないだろうな。久能は身を凍らせながら、数歩後ずさる。
「そこに誰かいるんですよね!?」
 女性の声だ。まだ若い。怒っているのだろうか、それが声にこもっている。
 おいおい、勘弁してくれよ。今、この事務所にいるのは自分だけなんだぞ。久能はもう半歩後ずさる。
「わかってますよ、いるんでしょ!?」
 俺がなにをしたっていうんだよ。この人は、いったい何に怒っているんだよ。睦美さん、助けてください。
 久能は頭を抱えながらも、この状況を続けるのはまずいだろうと考えて、「はい」と消え入りそうな声でいう。
「あ、あの……、どちら様でしょうか……?」
「開けてください、依頼人です!」
「わ、わかりましたから、ドアを叩くのは、や、止めてください」
 するとドアの向こうが静かになる。
 よかった、聞いてくれた。久能はホッと胸を撫で下ろし、「今、開けます」とドアを開けた。
 見えるのは、薄暗い廊下の突き当り。
 あれ、おかしいな。
 久能は目線を左右に振った。まさか聞こえちゃいけないものじゃないよな。久能の背筋が冷たくなる。
「君!」
 ひっ。久能は今日何度目かの情けない声を漏らす。
「ここよ、ここ!」
 ん? 下から声が聞こえるぞ。
 久能はゆっくりと視線を下げてゆく。そこで大きな瞳とかち合った。
「あ、ど、どうも……」
 そこには、背の低い少女が立っていた。
 ツインテールに黒のローブ、黒い靴、胸元には赤いリボンといった奇妙な格好で、じっと久能の顔へと鋭い視線を送っている。
「ご、ご依頼があるんでしたよね……」
 その言葉に、少女は「はい!」と力強く頷いた。
「あ、それじゃあ……、こちらにどうぞ」
 久能の言葉に、少女は素直に従った。
「そ、そこでお掛けになってお待ちください。飲み物は、コーヒーでよろしいですか?」
 少女はコクリと頷いた。
 コーヒーでいいんだ。久能はそんなことを思いながら、給湯室でコーヒーを淹れ、少女の前にカップを置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 少女はカップに口をつけた。興奮しているのだろう、その頬はほんのりと赤かった。
 よし、自分のペースを取り戻せ。探偵となってから一ヶ月。探し物が主だったが、それなりに依頼はこなしてきたはずだろう。
 久能は心のなかで拳を握り、少女の向かいのソファに腰を下ろした。
「それで、今回はどういったご依頼で」
 その言葉を、「浮気です!」という少女の声が遮った。
「う、うわ……、き?」
 少女の口から出た激しい言葉。
 うわきって、あの浮気だよな。おいおい、この娘はいったいいくつなんだよ。
 態勢を立て直そうとした矢先、勘弁してくれと久能は心のなかで頭を抱えた。
「浮気というのは、あの、恋愛上のこじれというか、ねじれというか、そういった……」
「そうです! その浮気です!」
「あ、左様で……」
 少女は興奮で身体を震わせている。そのせいで、カップのなかでコーヒーが今にも零れそうな程に波打っている。
 睦美さん、架純くんでもいい、早く、早く助けてくれ。久能は味のしないコーヒーで喉を鳴らした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

時計の歪み

葉羽
ミステリー
高校2年生の神藤葉羽は、推理小説を愛する天才少年。裕福な家庭に育ち、一人暮らしをしている彼の生活は、静かで穏やかだった。しかし、ある日、彼の家の近くにある古びた屋敷で奇妙な事件が発生する。屋敷の中に存在する不思議な時計は、過去の出来事を再現する力を持っているが、それは真実を歪めるものであった。 事件を追いかける葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共にその真相を解明しようとするが、次第に彼らは恐怖の渦に巻き込まれていく。霊の囁きや過去の悲劇が、彼らの心を蝕む中、葉羽は自らの推理力を駆使して真実に迫る。しかし、彼が見つけた真実は、彼自身の記憶と心の奥深くに隠された恐怖だった。 果たして葉羽は、歪んだ時間の中で真実を見つけ出すことができるのか?そして、彼と彩由美の関係はどのように変わっていくのか?ホラーと推理が交錯する物語が、今始まる。

母からの電話

naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。 母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。 最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。 母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。 それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。 彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか? 真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。 最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。

シンプソンズオリキャラ

さくら
ミステリー
シンプソンズオリキャラの話

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

クロノスエコー

変身文庫
ミステリー
●あらすじ 2034年、『三津木 航 (Mitsuki Ko)』は東京の中野ブロードウェイで小さなアンティークショップを営んでいた。彼女は古美術商であり歴史学者。危機管理コンサルティング会社から古代遺物の調査を依頼された三津木は、その依頼主が米DARPA(国防高等研究計画局)であることを知る。古代遺物はチベット仏教の僧侶たちが時の概念を理解するために使っていたものだと知る。プロジェクトに深く入り込むうちに、彼女はDARPAの暗い秘密を暴き、古美術商だった父の謎めいた失踪事とDARPAに深い関係があることを知る。深いトラウマと葛藤を抱いた三津木は、真実への渇望を抑えられなくなっていく。三津木と仲間たちの調査が進むにつれ、彼女は政府を通過する危険な法案、誘拐、チベット仏教に絡む陰謀の網を発見する。三津木は人類の未来に甚大な影響を及ぼす重大な決断を下しながら、自らの信念や価値観と格闘する。この物語は、野放図な科学進歩の危険性や、危機的状況における倫理的意思決定の重要性といった社会問題を探求、それが人類に与える影響について深い気づきをもたらす。 ●キャラクター一覧 ①三津木 航 (Mitsuki Ko)・主人公 ・古物商、歴史学の博士または優秀な考古学者。中野ブロードウェイでの古物商としての活動を通じて、地元の情報屋や鍵屋と繋がりを持つ。 ②荻 亮治郎 (Ogi Ryojiro) ・危機管理コンサルタント会社の代表(元・警視庁公安部外事課) ③倖田 結衣 (Kouda Yui) ・内閣情報調査室主任分析官であり官僚 ④アレイスター・ノヴァック (Aleister Novak) ・DARPAの副センター長 ⑤ロサン・ギャツォ (Losang Gyatso) ・チベット密教の高僧 ⑥宇佐美 玄 (Usami Gen) ・私立探偵兼情報屋(元大手新聞社記者) ⑦三津木 美江 (Mitsuki Mie) ・古書店経営(主人公の母親) ⑧渡井 隼人 (Watarai Hayato) ・傭兵(元陸上自衛隊特殊作戦群・中隊長) ⑨菊池 真由香 (Kikuchi Mayuka) ・ハッカー(日常は主婦) ⑩大林 一朗 (Obayashi Ichiro) ・老舗の出張凄腕鍵屋。 ⑪安藤 ハル (Ando Haru) ・コンセプトBARのバーテン兼店主

『量子の檻 -永遠の観測者-』

葉羽
ミステリー
【あらすじ】 天才高校生の神藤葉羽は、ある日、量子物理学者・霧島誠一教授の不可解な死亡事件に巻き込まれる。完全密室で発見された教授の遺体。そして、研究所に残された謎めいた研究ノート。 幼なじみの望月彩由美とともに真相を追う葉羽だが、事態は予想外の展開を見せ始める。二人の体に浮かび上がる不思議な模様。そして、現実世界に重なる別次元の存在。 やがて明らかになる衝撃的な真実―霧島教授の研究は、人類の存在を脅かす異次元生命体から世界を守るための「量子の檻」プロジェクトだった。 教授の死は自作自演。それは、次世代の守護者を選出するための壮大な実験だったのだ。 葉羽と彩由美は、互いへの想いと強い絆によって、人類と異次元存在の境界を守る「永遠の観測者」として選ばれる。二人の純粋な感情が、最強の量子バリアとなったのだ。 現代物理学の限界に挑戦する本格ミステリーでありながら、壮大なSFファンタジー、そしてピュアな青春ラブストーリーの要素も併せ持つ。「観測」と「愛」をテーマに、科学と感情の境界を探る新しい形の本格推理小説。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

処理中です...