20 / 27
第三章~母
4、
しおりを挟むなにごともなく、平穏な一日が終わる。
一人リビングでボーッとしていたら母が帰宅し、一緒に食べようと思ってと俺が言えば母が微笑む。遅い夕食は静かなものだった。それから風呂に入ってまたボーッとテレビを見ているうちに、母がウトウト。
先に寝るねと母が寝室に向かうのを確認。時計を見れば日付が変わる五分前。俺に緊張が走る。
そっと窓から隣をうかがい見る。二階の伊織の部屋は、既に真っ暗。真面目な伊織はもう眠ったのだろう。であれば、とりあえず今夜は大丈夫だろう。俺もまた寝室へと向かい、浅い眠りに何度も目を覚ましながら一夜を明かした。
翌朝、母は「今日は遅くなるから先に夕飯食べててね」と言って出ていった。少しばかり遠方に、日帰りの出張となるらしい。
会社よりも遠い場所へと母は出向く。伊織と距離ができることにはたして意味があるのかどうか……わからないが、多少は影響があれば良いと思う。いくらなんでも遠方の母が伊織と入れ替わるなんて、誰もが納得できない異様なことだろうから。
とはいえ油断はできない。俺は携帯を開いて、母が日帰り出張らしいことを早川刑事に伝えた。送ったメッセージはすぐに既読となり、『了解』と簡素な返事がくる。母の監視担当の新井刑事に伝わることだろう。
じゃあこっちも動くかと、俺は急ぎ制服に着替えて準備をする。時計を見ればいつも伊織が来る時間だ。そして案の定、伊織はやってきた。
「おはよう良善」
「おはよ」
お、の発音をちゃんとして、俺は答える。それに嬉しそうに微笑む伊織はあいも変わらず可愛いし、なんら変なところはない。だが確実に、彼女の中で何かが起きているんだろうな。
不意に携帯が震えた。早川刑事だろうと思うが、緊急の知らせであれば見ないとまずい。「ちょっとごめん」と伊織に謝って、「先行ってて」と先を促す。
わかったと頷いて伊織は俺の前を歩き出した。その背中をチラチラ見ながら、携帯へと目を向ける。
『れいの元教師が見つかった』
ドクンと心臓が大きく跳ねた。
元教師、が誰を指しているかなんて、考えずとも分かる。八年前、俺と同じ黒い球体の夢を見た少女が慕っていた、教師のことだろう。彼(彼女?)を守るために、伊織は八人もの犠牲者を選択し続けたのだ。
精神がおかしくなった元教師が見つかった。なぜこのタイミングで? と思わなくもないが、会ってみたいという要求が勝る。
『僕も会えますか?』
面会希望のメッセージを送る。だが。
『現在精神病院にて保護されているが、親族以外の面会は禁止なんだ。私は八年前の担当ということで権限を使って面会できるが、キミはできない』
という返事にガックリするも、それもそうだよなとも思う。赤の他人の俺が見も知らぬ人に面会できるはずもなかろう。
『今日は大事な一日だ。また明日以降に面会しようと思う。とにかく今日はキミのお母さんの件に集中しよう』
その返答にもっともだと思い、『わかりました』と返す。
さてと、と顔を正面に向けて思わず「おわ⁉』と声を上げた。
先を行っていると思っていた伊織が、眼の前に立っていたのだ。その目はじっと俺を見つめて無表情。背筋を冷たいものが流れる。
「誰と連絡してたの?」
「伊織には関係ないだろ」
ここで母親だとか言って怪しまれたり突っ込まれたりしても面倒だ。
干渉は鬱陶しいという態度をとるのが正解と、冷たく言い放つ。そしてそれは正解だった。
「まあそうなんだけどさ」
言う伊織は少し寂しげで、先程の探る光はもうその目にはない。
内心ホッとしながら「遅刻するぞ」と先を促せば、伊織は慌てて追いかけてきた。
元教師のことは気になるが、今は後回しだ。とにかく今日一日を乗り越えなければと俺は前を見据えた。
長い一日になりそうだ。
* * *
長い一日に、と思っていたが、あっという間に昼休み。拍子抜けするくらいに何も起こらず至って平和。伊織の行動を見張ってはいるが、特に危険なことはなにも起こらない。体育で大怪我することもなければ、学内で事故が起こることもない。こんなご時世だ、この前のショッピングモールのような不審者が学校に侵入して……というケースも考えたが、それも今のところない。
実に平和。
モソモソと購買のパンをぱくつく俺の斜め前では、友人達と談笑しながら弁当を食べる伊織。食べ物を喉に詰まらせて……というのもなさそうだ。
そもそも学校でなにかしらの事件や事故が起こったとして、そこに伊織が居合わせて命が危うくなったとして、だ。俺の母と入れ替わってなんて、異常すぎる。母がいきなり学校に現れるなんて不自然なこと、起こり得るはずがないのだ。
だとすれば放課後や、もっと遅く……夜に起こると考えるのが妥当。ただし母は出張で帰りが遅くなる。
(やっぱなにか起こるとしたら、夜中かなあ)
日付が変わるまでは気を抜いてはいけない。まだまだ先は長いなと溜息をついて、俺は無理やりパンを口に押し込んだ。食欲はないが、空腹ではいざというときに動けないからな。
不意にまた携帯が震える。刑事かなと思ったら、母からだった。
『夕飯買うお金、ある?』
短いメッセージに『あるよ、大丈夫』と返しておく。母からの短いメッセージを見つめながら、(これが最後になりませんように)と願う。
ふと見れば、伊織が俺を見ていた。なんだと首をかしげるも、伊織はなんらアクションをせずに視線を友人へと戻す。それからまた談笑を再開する。
なんだか俺が伊織を見張っているのか、伊織が俺を見張っているのかわからないなと苦笑する。ただどちらにせよ、お互いの距離が離れることがないのは幸いと思うことにした。伊織の視線を気にしないようにと、そう思う。
伊織が友人から一人離れたところで、俺は伊織に話しかけた。
「あのさ、今夜そっちの家に行ってもいいか?」
「え? いいけど、どうかしたの?」
「今日母さんが出張で帰りが遅いんだ。飯を買う金を貰うの忘れてて、ちと食べるもんがないんだよな。いや無理にとは言わない、カップ麺くらいならあるから」
先ほど母には「大丈夫」と返しておきながら、息をするように嘘がつける自分に驚く。こんなにも自然に嘘をつけるなんて、俺も大概だよな、なんて。
「だからいいよって。うちの両親は良善を信頼しているからね、いつでも大歓迎だよ。お母さんに伝えとくね」
言って伊織は携帯を開いた。「さんきゅ」と伝えて席へと戻る。ややあって伊織が俺を見て、指で輪っかを作る。オッケーのサインに、俺は知らず笑みをこぼした。
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
神隠しの子
ミドリ
ホラー
【奨励賞受賞作品です】
双子の弟、宗二が失踪して七年。兄の山根 太一は、宗二の失踪宣告を機に、これまで忘れていた自分の記憶を少しずつ思い出していく。
これまで妹的ポジションだと思っていた花への恋心を思い出し、二人は一気に接近していく。無事結ばれた二人の周りにちらつく子供の影。それは子供の頃に失踪した彼の姿なのか、それとも幻なのか。
自身の精神面に不安を覚えながらも育まれる愛に、再び魔の手が忍び寄る。
※なろう・カクヨムでも連載中です
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
[全221話完結済]彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる
野花マリオ
ホラー
ーー彼女が語る怪異談を聴いた者は咲かせたり聴かせる
登場する怪異談集
初ノ花怪異談
野花怪異談
野薔薇怪異談
鐘技怪異談
その他
架空上の石山県野花市に住む彼女は怪異談を語る事が趣味である。そんな彼女の語る怪異談は咲かせる。そしてもう1人の鐘技市に住む彼女の怪異談も聴かせる。
完結いたしました。
※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。
エブリスタにも公開してますがアルファポリス の方がボリュームあります。
表紙イラストは生成AI
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる