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「ふう、やれやれ。やっとクリームが落ちましたよ」
「あ、ああ。ありがとう……」

 ようやく解放された喜びからか、ムクリと直ぐに起き上がるセブール。そのまま寝転んでたらまた踏んづけたんだけど。殺気でも感じたか。

「もう夕方か、彼女達には悪い事をしてしまったな」
「そこはまず私に謝れ」
「へ?」
「謝って下さい」
「今『謝れ』って言わなかったか?」
「空耳です。セブール耳悪くなったんじゃない?」
「呼び捨て!?」
「様つけましたよ。耳遠くなるとか老人ですね」
「えええ……」

 空耳だと強く断言してしまえば、本当にそうなのかもしれないと思うお馬鹿なセブール。首を傾げつつ、服に付いた泥をパンパンと叩いていた。

 セブールの言う通り、気付けば日が傾き始めており、いつの間にか女共は消えていた。

「リフィもそろそろ帰った方が……」
「あ、じゃあこの書類にサインお願いできますか?急ぎなので直ぐにお願いします」
「ああはいはい、ええっとペンは……ってこれ婚約解消届じゃないか!」
「チッ気付いたか」

 サラッと出したらサラサラッとサインすると思ったのに!セブールのくせに簡単に騙されないとか、腹立つわ。

「なんでこんな物を……サインなんてしないぞ」
「どうしてですか?」

 これこそが今日の本題だというのに。ケーキぶつけたのも髪むしったのも、全てオマケでしかない。この婚約解消届にサインさせる事こそが最大の目的なのだ。
 あの馬鹿父に頼っていては埒が明かない。
 かと言って代替の婚約者なんて簡単に見つかるはずもない。

 となれと、順番を変える必要がある。

 まずは婚約解消。それが第一だ。
 その後の事はそれから考えればいい。

「なぜって、リフィを愛してるから」
「はーそうですか、わたしはあいしてません」
「なぜ棒読みなんだ」

 どうでもいいからですよ。棒読みで全部平仮名になっちゃいましたわ。

 何が愛してる、だ。どの口が言うか!

「私を愛してる殿方の行動とは思えませんねえ」
「どこが?」
「どこがとか聞くか~」

 駄目だ。この人、なあんにも分かってないや。本気で自分の行動が正しいと思ってるんだろうなあ。ある意味ヤバイ奴だ。

「とにかくこんな物は必要ない。破棄だ破棄」
「ちょっとやめて下さいよ!」

 破棄。そう言ってセブールは婚約解消届の用紙を、あろうことか破ろうとしたのだ!
 そんなものは新しい物を用意すればいいのだ。が、この時の私は焦るあまりそんな単純で基本的な事も忘れていた。

 焦って用紙を奪い返そうとするも、セブールは右手に握って高く掲げる。私より20センチも高い身長のセブールにそんな事をされては……取り返すことなど出来るはずもない。

「返してください!」
「いいや、破り捨てる!婚約は解消しない!」
「この……ふざけんな!」
「ふざけてるのはリフィの方だろうが!」

 ギャアギャアと怒鳴り合いながらも、私は必死で手を伸ばす。くそ……ジャンプして届くだろうか?
 必死の形相で手を伸ばしたら、セブールも徐々に焦りだした。私の気迫に押されてるのだろう。

「ちょ、リフィ、やめないか……!」
「返してください!」
「やめろ、離れろ!!」

 その瞬間。
 ドンッと衝撃を受けて、私の体は──後方へと吹っ飛んだ。

 思わず私を突き飛ばしてしまったのだろう。驚いた顔で慌てて手を伸ばすセブール。だがその手はきっと間に合わない。間に合わずに、私の体は地面に向けて倒れそうになる。あ、後頭部ぶつけないかな。なんてまるで他人事のように考えながら、不思議とスローモーションのように感じるゆっくりとした動きで私の体は傾き始めた。

 きっとあと少しで地面。

 その瞬間。

 ガッと誰かが私の体を支えた。ガクンと激しい衝撃が体に響く。

 何が起きたのか分からない私の目に映るのは──驚愕で目をみはるセブールの顔だった。何?何に驚いてるの?

 状況が呑み込めない私の耳に。
 声が届いたのはその直後。

「良かったリフィ、間に合った。……大丈夫かい?」

 優しい声。男性の声。
 私はその声を、確かに知っている。

 知っていて、けれど確認したくてゆっくりと後ろを振り返った。
 未だ私の体を支えるその人の顔は、思った以上に近くて。
 思わず息を呑んでその人を見つめる。

「ラディ……?」

 私は静かに、その人の名前を呼んだ。




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