山吹アマネの妖怪道中記

上坂 涼

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天狗大戦争

一方、探偵達

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 野沢の携帯が震えた。眠気まなこを擦り、はたと気付く。
「何かあったのか!?」
 がばっと身体を起こして着信の内容を確認。
〈天狗なう〉
 テラ公からだった。隣で同じく眠っていたアマネを揺らし起こす。
「おい! 起きろアマネ! 事務所に天狗が来た!」
「んん……なんだって?」
 野沢と同じように眠気まなこを擦り、はっと覚醒する。
「今何時だ!?」
 目をかっと開き、アマネは自身の携帯で時刻を確認した。
 ――十五時五十分。岡山駅を出てから、五十分経った時分である。
「テラ公はなんて言ってるんだ!」
 がばりと身体を動かし、野沢の胸元で光る携帯を覗き込む。
「いや、天狗なうだってよ」
「はあ?」
「いや、俺にもよく分からん……お、また来たぞ」
〈チェスなう〉
「はあ!?」
「テラスちゃん、天狗達とチェスやってるのか? これはいったいどういう……」
 顔を見合わせる二人の元に、テラ公から今度は写真が送られてきた。それを見た野沢が、思わず口をあんぐりと開けた。その横では、アマネが目をぱちぱちとしきりに瞬く。
 写真の手前右下にはテラ公の顔がデカデカと写っていた。どや顔でVサインを決めている。そして彼女の後方では大勢の天狗達がチェス盤に集まり、対戦に盛り上がっている様子が写っていた。ある者は首を傾げ、またある者は腕を組んで唸っている。その場にいる誰もがチェス盤に意識を注いでいた。
「ど、どうなってんだ」
「まあ……穏便に事が進んでる様子ではありますね」
 と、野沢がもう一つの異変に気がつく。
「アマネ……」
「今度はなんだね」
「イヤホンから二人の声が聞こえない……物音一つしない」
「なんだと?」
 野沢が固い表情を浮かべた。
「アマネ、藍玉の施設内は電波が届かないのか?」
「いや、普通に通じる。電話だって問題ないはずだ」
 鳳仙に電話を掛けてみる。アマネが電話を持つ野沢の手を掴んだ。
「おい。重要な場面だったらどうするんだ」
「いや……ダメだ。そもそも繋がらねえ」
「ふむ。こちらは穏やかじゃなさそうだな。急ぐ必要がありそうだ」
 アマネがすっくと立ち上がり、車掌室に顔を向けた。
 
 妖怪コンビがテラ公から届いた写真に驚く三十分前。
 探偵コンビは準備を整え、藍玉の本拠地へと向かっていた。途中、バーガーショップのトイレに寄り、小室のIDカードを回収する。小室の部下が届けてくれたものだ。
 鳳仙は小室に。幽奈はアマネに変装している。
 アマネの虹彩、指紋、静脈の生体データと、IDカードは彼女から直接もらった。小室の分は、彼から送ってもらったデータを元に偽造した。ちなみに静脈認証とは体内を巡っている血管の形状から本人確認を行う手法である。体内組織の形状を読み取るため、偽造は難しいと言われている。だが今の世の中には体内組織を再現する『バイオ3Dプリンター』や、近赤外線を当てて血管の形状を視覚化する機具が存在する。偽造が一般人には難しいだけで、その筋なら突破出来る者もちらほら出てくるのだ。無論、鳳仙もその一人であった。
 ……得体の知れない秘密組織である。保険として、小室に認証過程を一発で突破出来るタイミングを用意してもらった。
 小室が用意した電話番号に掛けると、二十秒間だけ認証過程をすっ飛ばすプログラムと、監視カメラの映像がフリーズするプログラムが流れる。しかしこの方法は諸刃の剣であり、すぐ藍玉のエンジニアにバレるとのことだった。その際には、人目の行き届かない場所まで逃げ込み、藍玉の構成員に変装する必要があった。
 そのため、出来れば使いたくない手段である。
「鳳くん。野沢達に連絡は?」
「入れません」
 鳳仙の心中を察した幽奈は、それ以上何も言わなかった。
 藍玉の本拠地は、夢鳴山の麓にある旧町役場の地下にあった。道理で当初取り壊し予定であった役場が、急に歴史遺産として登録するなんて話になったわけである。
 二人は歩いて旧町役場へ向かった。
 木造二階建てのそれは、すぐにでも倒壊してしまいそうなほど朽ちた見た目をしていた。砂利を踏みつけながら、二人は歩みを進める。
 三角形の庇が付いた入口に立ち、木戸を横に引く。
「さっそく胡散臭いですね」
 外の見た目とは打って変わり、何十年も放置されてきたはずの室内は、全く埃っぽくなく、やけに空気が澄んでいた。
 ちなみに門前には警備員が立っていたが、何も言って来なかった。藍玉の一員なのだろう。
 二人は室内に足を踏み入れた。
 木造の古い建物であるはずが、床の軋む音がやってこない。歩き心地も沈むような感覚はなく、真新しいフローリングの上を歩いているようだった。部屋の中央、最奥には玄関扉と同じような木戸が設けられていて、さらに先へと続いている。
 小室から聞いた部屋の配置によると、まずこの部屋を真っ直ぐに抜けて、木戸の先へと進む。そのまま細く伸びた廊下を進み、左から三番目の扉を開ける。すると男子便所に辿り着く。
「そして入口から見て三番目の和式便所の個室に入り、水を流すレバーを五回ひねる」
「最っ低」
 鳳仙は小室から教わった方法を口ずさみながら、実行した。彼の隣では苦虫を噛み潰したかのような顔をした幽奈がいる。小便臭い個室に大の大人が二人詰め込まれているのだ。彼女のリアクションも然るべきものである。
「すると奥側の壁中央が四角形に光る」
「光ったわね」
 いよいよ藍玉内部への侵入が始まる。鳳仙と幽奈は背中のリュックサックを背負い直した。早速、幽奈がアマネのIDカードを光の上にかざした。
 その瞬間。壁全体が自動ドアのように横へスライドした。これまでの内装とは正反対の階段が現れる。無機質な金属の階段は下へと伸びており、左右等間隔に真っ白い光を放つライトが取り付けられていた。
 二人は恐る恐るその階段を降りた。コツコツと硬質な音を鳴らして下っていくこと二十秒。最終到達点にはエレベーターが待ち構えていた。
 これまた幽奈が、ささっと逆三角形のボタンを押し込む。
 趣のない金属の空間で、二人の息遣いだけが聞こえている。やがてベルを一度揺らすような音が鳴った。
 エレベーターの扉が開き、二人が乗るのを待っている。
 またまた幽奈が先陣を切り、箱の中へと入った。鳳仙へと向き直り、早く乗れと目で促してくる。
 分かっている。だが怖いものは怖い。
「ええい! 南無三!」
 鳳仙は自らを奮い起こし、えいやと飛び乗った。鳳仙が乗るのに合わせて、幽奈が地下十階のボタンを押す。どうやら本拠地直通のエレベーターのようだ。逆に地下一階から地下九階には何が設けられているのか気になるところである。
「困った時だけ神頼みをする人に、阿弥陀様が手を差し伸べてくれるわけないでしょ」
 と、幽奈に冷罵される鳳仙。地下十階にエレベーターが辿り着くまでの約一分間。気まずい時間が流れた。
 当たり前だが、エクソシストである幽奈は信心深い。信仰しているのは西洋系の宗教だが、仏教に疎いというわけではなかった。
 エレベーターが地下十階に到着し、扉が開く。
 扉の先で待っていたのは、これまた金属製の扉だった。銀色の表面が照明で鈍く光っている。二人はエレベーターの扉と、両開きの扉に挟まれた真四角の空間に降り立った。
 きょろきょろと周辺を探ると、扉からすぐ側の壁に認証機器が備え付けられていた。静脈を照合するための機器が、壁から突き出ている。
 ……近寄ってみると、一つ気になる箇所があった。認証機器の真下――足元が少し窪んでいる。まるでそこに足を乗せてくださいと言っているような……。
 嫌な予感がした。いや、これは予感なんていう曖昧なものではない。長年培ってきた探偵としての勘だった。
 この勘が警鐘を鳴らしている点はどこなのか。鳳仙が考えあぐねていると、幽奈が痺れを切らして彼を罵倒した。
「もう、いい加減にしてよ! いつまでビビってんの!? このボケナス! 一生そこで突っ立てれば!?」
「あ、幽奈、これは違う――」
 鳳仙の制止も虚しく、幽奈は彼を振りほどいて認証機器の前に立った。さっさとIDカードをかざし、虹彩、指紋の照合を終えてしまう。
 彼は慎重な姿を見せすぎた事、エレベーター内で安易に神を頼ってしまったことを悔やんだ。幽奈は気分を害すと、単独行動が目立ち始めるのは分かっていたはずなのに。自分史上最大の山場に冷静さを欠いていたのかもしれない。
 幽奈がリュックサックから、静脈認証に使う手の模型を取り出したところで、
【すみません。少々よろしいでしょうか】
 認証機器の脇にあるスピーカーから声が飛んできた。鳳仙の勘が的中してしまった。
 危機的な状況にアドレナリンがさらに分泌されて、神経が研ぎ澄まされた。この部屋はこれほどまでに静かだったろうか。
 幽奈は声を漏らさず、自然さを装って首を傾げた。
 スピーカーの先の人物が言う。
【山吹アマネさんでよろしいですか?】
 こくりと頷く。彼女に声を変える技術は無い。この受け答えが声紋認証を兼ね備えているとしたら、その時点で詰みである。幽奈の判断は間違っていない。間違っていないが、鳳仙の心を支配する不安が去っていかない。
【その……女性にこういう話をするのは憚れるのですが、二週間前の定期報告会でこちらへ訪れた時より、十キロほど体重が軽い理由を教えていただいてもよろしいでしょうか?】
 沈黙する。
 鳳仙も、幽奈も、スピーカーの先の人物も。スピーカー横の小さなランプが赤く点滅した。声紋を照合するつもりなのだろう。
 声を発してもアウト、理由を述べられなくてもアウト。完全に詰みだ。
 鳳仙は後ろを振り返り、エレベーターの階層ランプに注目した。先ほどまで光っていた地下十階を示す豆電球の明かりが消えている。
 なるほど……逃げられないためのエレベーターか。
 結局、練り上げたプランはどれもオシャカ。残る一縷の望みはこれしかない。
 鳳仙は部屋の隅に移動し、携帯を取り出した。指定の番号を入力して、携帯を耳に当てる。
「お願いします……これで電波まで遮断されていたら……」
 祈るように呟き、プログラムが始動する機械音を待った。
 一秒、二秒、三秒。
 電話の先では無音の世界が広がっている。まだ繋がらない。
【あの、どうして何も仰らないんですか?】
 スピーカーの先の人物が訝しげな声を上げる。エレベーターまで停止しておきながら、白々しい。
 四秒、五秒、六秒。
【ピー】
 鳴った。血路の開く音。戦争開始の合図。
「幽奈! 手をかざしてください!」
 言葉の意味を悟った幽奈が、自身の手を静脈認証機器にかざした。
 ピピーという音が鳴り、組織への入口が開く。
【な、ばかな!?】
 疾風迅雷。二人は全力で疾走した。あっという間に入口をくぐり、並んで走る。
「組織内の配置は頭に入ってますね!?」
「当たり前でしょ! つかあのアマ! デザート食い過ぎなんだよ!」
「上出来です! それでは手筈通りに! 無事を祈ります」
 二手に分かれた通路を、鳳仙が右に、幽奈が左へと曲がる。
「ここから三つ目を右に、そこから二つ目を右に曲がり、階段を降りて――」
 鳳仙は携帯の電源を切った。国を敵に回すとすれば、位置情報を割り出すことは造作もないだろう。
「後は頼みましたよ。野沢さん。アマネさん」
 探偵コンビが捕まるのは時間の問題だった。『吸血鬼』としての力を抑制している今の幽奈では、大天狗と渡り合えるはずもない。鳳仙は妖怪コンビにバトンを託し、第三倉庫へと向かった。
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