混ぜるな危険

上坂 涼

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混ぜるな危険

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 私は幼少の頃からドッキリが好きだった。
 ターゲットが仕掛けに引っかかるまでの時間はまるで、じれったく浮の周りをうろうろとする魚がエサに食いつくのを待つような気持ちでとても楽しい。
 仕掛けだとも知らずに誘導されていく様を見るとニヤニヤが止まらなくなるし、ついに自分が用意した仕掛けに、まんまと引っかかるとなれば腹の底から笑える。
 特に親と親戚にはしょっちゅうドギツイドッキリを仕掛けた。たまに泣かせてしまったり、大喧嘩をしたこともあったけど、いつも翌日には謝って仲直り。その度に仲が深まっていることを実感した。
 私にとってドッキリは最高の娯楽でありコミュニケーションの一つだった。
「サプラーイズ!」
「わっ! やっぱり翔子だった! もーやめてよー」
「あはは! ごめんごめん」
 ドッキリはいつしかサプライズと名を変えた。サプライズの方が聞こえが良く、好印象だったからだ。
 サプライズは二十五歳になった今でも私の娯楽であり、私の代名詞でもあった。一部の人達からはサプライズ翔子なんて呼ばれて、よくサプライズの企画をお願いされるようにまでなった。さらに最近に至っては、お礼金までもらえることも増えてきて、実に美味しいバイトと化してきている。
 私は同僚の頭からぬめりにぬめったオオダコを取り除いてやった。
「もー。ほんとサイアクー。今度はいったい誰からお願いされたのよ」
「総務部の喜美ちゃん! 動画も送ってくれって頼まれたけど、さすがにそれはかわいそうだから断ったよ」
「あたしすでにかわいそうだから。翔子さー、楽しいのはわかるけど、いつか痛い目見るよほんと」
「えー、いいじゃん楽しいでしょ? サプライズ」
「こういうサプライズは楽しくないよ。いい加減にしときなほんと」
「あはは! ごめんね!」
「……じゃあね」
 そう言って同じ営業課の同僚は、女子トイレから去っていった。トイレの鏡で身だしなみを整えることもないまま。
 私にとってサプライズは呼吸そのもの。サプライズをやめるということは、呼吸をやめるのと同じ。もちろんそんなことできないわけで。
 最初の頃は罪悪感を感じたこともあったけど、今ではそれもなくなった。確かにサプライズで怒ったり、悲しんだりする人もいるけれど、たった一人を犠牲にして世界中が笑ってくれるのならとんとん……いや、むしろ世の中に貢献してるんじゃないかなって思う。
 私はトイレの手洗い場に置いてあった花瓶から隠しカメラを取り出し、録画停止ボタンを押した。
「あはは、このカメラ甘い匂いがする。なんか嬉しくなっちゃうな」
 
「うひょー! 『女子トイレにオオダコ出現! 襲われた女性の末路』の再生数が百万超えたぞー! ちょっぴりエロチックなタイトルにした方が伸び良いんだよねー。内容自体はドッキリだから、再生してくれさえすれば後は口コミで広がっていくし。ウハウハやでー! このままいけば広告収入だけで暮らしていけるかもなあ」
 そんな明るい独り言をしながら、投稿した動画を眺めているとSNSから一件の通知が来た。
「なにこれ、ダイレクトメール? 珍しいな」
 私は一抹の不安を覚えながら通知をスワイプする。少ししてSNSのメッセージトレイが現れた。
「え、裏アカの方なんだけど。出会い厨とかかな」
 差出人のアカウント名は『あなたを救いたい者』。そしてメッセージ概要部分にはなにやらアドレスらしき英数字がぎっしりと詰まっていた。
「気持ち悪いなあ……何かのリンクかなこれ」
 そう言いつつメッセージの詳細を開くと、マイナーな動画投稿サイトのリンクが掲載されていた。
 と、リンクアドレスの末尾から一行空けたところに差出人からの言葉と思われる一文を見つけた。
「死んでしまいなさい……? なによこれ!」
 私は怒りが込み上げてくるのを感じて、携帯を枕に投げつけた。
 どうせ私のサプライズに不満を感じた誰かが嫌がらせをしてきたんだ。最低! せっかくみんなの人気者にしてあげてるっていうのに! というかそんなに不満なんだったらまわりくどいことしないで、直接文句言ってきたら良いじゃない! すぐ論破してやるっつーの!
 すると今度は携帯に着信が入った。私は枕にずっぽりと埋まった携帯を取り出して、通話アイコンをスワイプした。
「もしもしお母さん? うん……うん。ごめんね! 家でのんびりしてたらもう夕方だったよ」
 今日は両親の家にお呼ばれして一泊する日だった。
 私は大人になった今でも親と仲が良く、たまに母親とショッピングしたり、父親とランチを食べに行ったりしている。親の老後を心配する私の良心も、地元から離れられない理由の一つだったりする。
 なので複雑な想いも多少あるのだけれど、やはり肉親が元気な姿を間近で見ることが出来るというのは普通に嬉しかったり。
「うん、今から出るね! 本当ごめん!」
 私は大急ぎで支度をして、両親の家へと向かった。

「お帰りなさい」
「お帰り」
 両親の家に到着してインターホンを押すと、二人が玄関まで出迎えてくれた。
「ただいま! この匂い、今日はカレーだね! やった!」
「大好物だもんねえ。しかしほんと飽きないこと」
「ははは。俺と飯に行く時も、OLで昼からカレーはきついーとか言って恨めしそうにメニュー見てるもんな」
「やめてよもう! それに私はカレーが好きなんじゃなくて、お母さんのカレーが好きなんだから。お母さんのカレーに限り、定期的に食べないとおかしくなっちゃうレベルなの!」
 両親はニマニマと笑った。
 懐かしい匂いと美味しい甘口カレーの匂いが混ざって気分が高揚してくる。最高だ。
「カレーもうちょっとかかるから、テーブルで待っててね」
「うん!」
「じゃあ俺はママが料理終わるまでに、コンビニで酒でも調達してくるかな」
 私は両親がテーブルに揃うまでの間、手持ち無沙汰になった。
 ――あ、そういえば。
 そう思って肩掛け鞄から携帯を取り出す。先ほどの悪質なイタズラメールに載っていた動画リンクを思い出したのだ。
「このままわけがわからないのも気持ち悪いしね」
 と言いながら、多少の好奇心を抱きながら動画リンクをタップした。
「……混ぜるな危険?」
 画面上で一つの動画が再生可能な状態となった。表題は『混ぜるな危険5631』。
 ちらと前に目を向けると、人参を切っている母親の背中が見えた。なんかちょっと悪いなと思った私は、イヤホンを取り出して一人静かに動画を見ることにした。
 動画を再生すると、最初に映ったのはまな板の上に乗った大量のビワだった。
「なんじゃこりゃ」
 料理のネタ動画かなにかか? と頬を緩めようとした瞬間――
「え?」
 画面にマスクをつけた女性が現れ、こちらに手を振っていた。マスク越しでも分かる……彼女は総務部の喜美ちゃんだった。どうして喜美ちゃんが動画に出てくるんだ? 人気動画投稿者かなんかだったのか? そもそもなんでこの動画が私のところに?
 いくつもの疑問が頭の中を駆け巡っていく。
 すると動画が急に暗転したと思えば、次に映った喜美ちゃんはきなこのような粉が入った袋をひらひらと振っていた。
 そして見覚えのある花瓶を持ち出し、その中に粉を入れたところで動画は終了していた。
「どういうこと……?」
 関連動画には『混ぜるな危険4872』、『混ぜるな危険3594』、『混ぜるな危険35』、『混ぜるな危険2125』といった順番で動画が並んでいた。
 この番号ってもしかして連番? ずっと続いているシリーズってこと? やだ……気持ち悪い。
 そうは感じつつ見るのをやめられない。この動画達の目的と正体を知るまでは全く安心ができなかった。
 混ぜるな危険4872……高校の頃の友人に似た男性が、私の好きなドリンクに白い粉を混ぜていた。
 混ぜるな危険3594……大学の頃の先生に似た女性が、私が使っているのと同じ歯磨き粉チューブの中に透明の液体を入れていた。
 混ぜるな危険35……両親の若い頃に似た男女が、私の幼かった頃の部屋に似た場所を物色していた。
 混ぜるな危険2125……両親に似た男女が、カレーに茶色い粉を混ぜていた。
 見れば見るほど、私の身体から血の気が失せていくのを感じた。
「おー」
 ふと頭上から声がやってきた。思わず振り返るとそこには父親がいて、じぃっと私を見下ろしていた。幼い頃にドッキリで負わせた刃物の傷痕が喉元で生き物のようにうねった。
「紀子」
「なあに貴方」
「こいつ、気付いたよ。く、くふふ」
「あらあら。ふ、ふふ。この子いつもこんな気持ちだったのね。すごく楽しい」
 ことりとお玉を置いた母親が、ゆっくりと近づいてくる。手には一皿のカレー。
 母親は私の前にお皿を置いて、ニンマリと笑った。
 その時、同じく幼い頃にドッキリで負わせた真っ赤にただれた火傷の跡が生き生きと顔の上で蠢いて、私を嘲笑ったように見えた。
「サプラーイズ」
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