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第二章 Love Letter
第27話 便箋歌
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「そうすると、君がそこを通ったのは予定されていたわけじゃなくて、偶然だったということでいいかな?」
「そうなりますね」
「そうか。……念の為の確認だけど、最近誰かとトラブルがあったり、何か変わったことは無かった?」
只今、担任の細野先生から面談室で事情聴取中。そう、昼食後に楓ちゃんと友紀ちゃんと三人で校舎沿いに歩いていた時、上から鉢が降ってきて危うく頭に直撃するところだったのだ。一応そのことを先生に報告したところ、一人ずつ個人面談の形で事情聴取を受けることになったというわけ。
さて、ここで先生からの質問に俺は正直に答えるべきか否か。
正直に答えた場合に先生が助けになってくれるのか、場合によっては俺に不都合に動くことはないか、その辺りは慎重になったほうが良さそうだ。
最悪の事態は親に報告されることだ。何しろこの学校の経営母体はうちの家族が経営している会社だから、学校から過保護に扱われてしまう可能性も十分あり得る。変に学校から気を遣われて、家族に報告されてしまうと事が大きくなってしまう。俺としては一番避けたい事態だ。それさえ無ければ、犯人捜しを学校側が協力してくれるというなら捗りもしようというものなのだが……。
「おい、華名咲。聞いてるか?」
「あ、はい、すみません。今心当たりを考えてたんです」
どうしようかとつい考え込んでしまっていた。しかしここで決定をしくじる訳にはいかない。階段から突き落とされた話は流石に洒落にならない話なので、話しちゃうと鉢落下事件ともあいまって事が大きくなる可能性も高い。まあすべてを正直に話す必要は無いな。
「あ、そう言えばちょっと前に嫌がらせっぽい手紙が靴箱に入ってました」
「何だって? 嫌がらせっぽい手紙って、具体的に教えてもらってもいいか」
まあ内容を話したからって、普通男が女になっちゃったなんて話は信じられないだろうし、万が一犯人が見つかってバラされた場合も、性同一性障害ということで押し切れる。
実際にこれって性同一性障害だよな。心と体の性が一致していないんだから。もっとも秋菜からは最近中身も女子化していると指摘されたばっかりなんだけど。
「文面は極シンプルなんですけど……『男女キモい。死ね』というものでした」
「男女? お前がか?」
「はい、わたしの靴箱に入ってたので、まぁそう言うことだと思いますけど……」
細野先生が無遠慮に俺のことを下から上まで見てる。おいおい、女子生徒をそんな風にジロジロ無遠慮に見たらセクハラで訴えられちゃうぞ。
「う~ん、男女って感じには見えないけどなぁ~」
そこに引っかかってるのか。まあ見かけ上からは手紙の意味が分かるまいな。
「手紙にはそれだけが書かれていて、もちろん差出人の名前は何処にも書かれていませんでした」
「そうか。……しかしそんな事があったとなると、今回の事も只の偶然と片付ける訳には行かなくなったなぁ。あ、勘違いするな。面倒くさいと言ってる訳じゃないからな」
そう言って細野先生は黙りこくって何か考え込んでしまった。まあ面倒くさいと思ったんだろうなぁ。
「華名咲、その手紙ってまだ持ってるか?」
暫く考え込んでいた先生だが、どうやら手紙の実物を確認したいようだ。あれから鞄に仕舞ったままにしてある。
「ありますよ。今も持ってますけど、見ます?」
鞄の中から件の手紙を取り出してテーブルの上に置いた。
因みに丹代花澄に近づかないほうがいいっていう手紙も一緒に鞄に入っているので、間違わないようにちゃんと用心して確認してから出した。そういうところは抜かりのない慎重な俺なのだ。
「中身、見てもいいか?」
「どうぞ」
細野先生は封筒を暫し眺め、裏返してはまた眺め、何か壊れ物でも扱うかのように慎重な手付きで中から便箋を取り出して目を通す。
「本当にこれだけだったんだなぁ」
「本当にそれだけなんです」
「うぅん……」
唸ってまた先生は黙り込んでしまった。
先生は便箋に目を近付けたり遠ざけたり、矯めつ眇めつしながら穴が空きそうなくらい眺めている。釣られてその様子を俺も眺めている。
「何か入ってるな」
ん? 封筒には便箋一枚入っていただけで、他には何も入っていなかったはずだ。先生は便箋を陽に翳しながらじっと動かない。何だろうなと思って俺も便箋に焦点を合わせた。
あれ? ホントに何か入ってるな。透かしだ。何か透かしが入っている。全然気付かなかったな。
「先生、すみませんがちょっといいですか」
俺は先生から便箋を再び受け取って、透かしが入っている部分をよく見てみる。便箋の左下に丸いロゴみたいな透かしが入っているのが確認できる。無印かとばかり思っていたが違っていたようだ。文具メーカーのロゴだろうか。
「メーカーのロゴか何かみたいですね」
「そうだろうな。特に収穫無しか~」
先生はがっかりした様子でソファに沈み込み、暫く天井を仰ぎ見ていたが、気を取り直したといった感じで姿勢を正すと、もう一度俺から便箋を受け取って言った。
「華名咲、これ、コピー取らせてもらっても構わないか?」
「はい。どうぞ。構いませんけど?」
構わないけどコピーしてどうすんの? という疑問を言外に含めて応じる。
「鉢が落ちてきたのは二年四組か三年四組の教室の下だったんだよな。僕はどちらのクラスも授業を受け持っているから、内々に調査を進めてみる」
「内々にって……どうやってですか?」
素直に思った疑問を口にする。
「まあ、色々とやりようはあるものさ。僕の手元には各生徒の答案用紙が集まってくるだろう?」
にやりと悪い顔で笑って俺と目を合わせる。この人、やる気ない系かと思っていたんだけど、こんな側面も持ち合わせていたのか。人っていうのはつくづく分からないものだ。
「筆跡……ですか?」
「そういうこと」
今度はしたり顔でにやりと俺の顔を見ている。ちょっと腹立たしく感じるが、頼りになるのは間違いない。
「見た目は教師、頭脳も教師の僕が謎を解いてみせる。じっちゃんの名にかけて」
「あ~、それってかなり駄目っぽいです。先生」
「ん、そうか?」
そうかじゃないよ。頼りになるんだかならないんだかなぁ。部屋の隅っこに設置してある古めのコピー機で、いそいそと手紙をコピーしている先生の丸まった背中に若干の不安をいだいてしまう。
「先生」
「何だ?」
「もしも筆跡が一致する人物が見つかった場合なんですけど……」
「う~ん、そうだなぁ。教えるかって話だろ? う~ん」
そう言ってまた考え込んでしまった。
「二人でちゃんと話し合って解決したいんです。下手に第三者が介入して騒ぎを大きくしてしまうより、まずは当事者間で話し合う方が相手にとってもいいんじゃないかって思うんですけど……」
「う~ん、それもそうだがなぁ」
なかなか折れないな。何が引っかかってるんだかなぁ。
「何か問題がありますか?」
面倒くさいので率直に尋ねてみた。
「いや、筆跡が一致しただけで鉢を落としたのがそいつと決まるわけじゃないだろう? 決め手に欠けるし……じっちゃんの名にかけて謎を解くと言ったにしては、それじゃ物足りないだろう。俺のじっちゃんに申し訳が立たないよ」
おいおい、そこに生徒のためっていう事情は全然関係ないんだな。ご立派な教師様だよなぁ。
「じゃあこうしませんか。もし筆跡が一致した人物がいたら、わたしにも協力させてください。一緒に謎解きしましょ、センセ?」
ここは勝負どころだ。俺は必殺の上目遣いで細野先生に甘い視線を送った。女の武器を使う。こういうことも覚えて行かなきゃな。もう一押しか。
「先生のじっちゃんの名にかけて」
「俺のじっちゃんの名にかけて……か?」
「ハイ」
俺はできるだけかわいらしく微笑みながら返答した。おぇ~~っ。我ながら気持ち悪いが、男性には効くはずだと信じたい。意外とこの人アホかもしれないから。
「そうか……。華名咲、俺のじっちゃんのことをそんなに……。分かった。お前にも知らせることにしよう。頼むな、華名咲。……じっちゃんの名にかけて」
「えぇ、先生のじっちゃんの名にかけて……」
アホだったー。この先生、意外とアホだったー。しかし思いの外ハマったな。上目遣いと先生のじっちゃんのコンボが効いたようだ。
これで一歩前進だ。もし思惑通り手紙の主が見つかれば、そこから何らかの情報を更に得ることができるだろう。場合によっては何らかの新たな展開もあり得る。
「華名咲、この件は他言無用でな。下手に話が広まっても問題の解決の妨げだ。相手のあることだからな。刺激して相手を逆上させてはいかん」
「勿論です、細野先生のじっちゃんの名にかけて」
「あぁ、じっちゃんの名にかけて。よし、もう帰っていいぞ」
と手紙を返して寄越す先生。
「はい。先生ありがとうございました。じゃあ失礼します」
「おぉ、気をつけてな」
「はい」
俺は立ち上がって出口へと向かったのだが、ドアノブに手をかけたところで先生に呼び止められた。
「華名咲」
「はい?」
「お前、良い奴なんだな。……俺のじっちゃん思いの」
「はぁ……いえ。今度お線香上げさせてください」
「何言ってんだよ。じっちゃんはまだピンピンしてるぞ」
「あれ、そうだったんですか? し、失礼しましたっ。じゃ、夕食のお手伝いしなくちゃなんで帰りますね!」
何だよ、紛らわしいな。焦った俺は、そそくさとその場を立ち去ったのだった。
やれやれ。思うようには中々進まないものだとやや悩んでいたが、細野先生の協力を得られたことは結構な進捗と言えるのじゃないだろうか。
風呂でメイクをクレンジングして洗顔する。クレンジング剤をしっかり落とさないといけないのでクレンジング後、更に洗顔が必要なのだ。この洗顔も色々と面倒臭い。男みたいに石鹸でゴシゴシなんてやらかした日にゃ、以ての外って秋菜に怒られるだろう。基本的には泡をフワフワに立てて、その泡で汚れを包み込んで浮かせて落とす感じだ。
洗顔後は皮脂も落ちてしまうので、今度はスキンローション——化粧水とも言う——を塗る。もっと正確に言うなら、塗るっていう感じでもなくて、ニュアンス的には押し込む感じかな。皮膚に吸収されろ~っていう願いを込めながらな。スキンローションは蒸発しやすいので、保湿のために乳液も付ける。乾燥はお肌にとっては大敵なのだよ。乳液にも色々種類があってだな。語りだすと切りが無いんだ。この通り、一事が万事面倒なんだよ、女子ってのはさ。
げ、ニキビできてる。最近ストレス抱えてるからなぁ。疲れやストレスを溜めちゃうと肌トラブルの元なんだよ。そう言えば、例の鉢落下事件と丹代花澄との関わりが気になるなぁ。言ってみればこいつがここ最近の俺が抱えているストレス、つまりニキビの元凶とも言えるからな。
バスケの試合で見せた丹代花澄の人間性は、俺が抱いていた印象とは大きくかけ離れているように感じられた。つまり、バスケの試合の時の丹代のスポーツマンシップ溢れる振る舞いからは、とても俺を脅したり、階段から突き落としたりするような人間だとは思えないのだ。
俺の抱えるこの靄々感について考えてみてくれ。早くすっきりしたいよ。
風呂上がりによく冷えた牛乳を飲んだ。
自然と腰に片手が行っちゃうよね。あれって何でだろうな。ふぅ~、美味い。父さんや叔父さんが風呂上がり飲んでるビールってこんな感じなのだろうか。多分違うと思うが。
部屋に戻ってひと息ついたところで思い出した。あの手紙の便箋の透かしのことだ。恐らく文具メーカーのロゴなのだろうと思うが、もしかして何らかの手掛かりが得られるかもしない。
便箋を取り出して照明に透かして再度確認してみる。円形の中に兎が描かれていて、ローマ字でUSAGIYAという文字が読み取れる。うさぎ屋? やっぱりこの便箋を作っている文具メーカーのロゴのようだな。念の為うさぎ屋をネットで調べてみるか。
どれどれ。ほぉほぉ。検索結果のページをスクロールして行くと、居酒屋からラーメン屋、老舗の和菓子店、カフェ、ペットショップ、等々うさぎ屋と名の付くものは非常に多岐に及んでおり、その中から文具メーカーを見出すのは中々困難を極めそうだ。……っていうか、文具メーカー無いぞ。今時零細企業でも自社サイトくらい持てよな。
そんなことを思いながら、『うさぎ屋』で画像検索もしてみた。大量に出てくる某二郎系ラーメンの画像の群れにウッとなりながら一番下までスクロールしてみたが、結局目当てのロゴには行き当たらなかった。しかし、最下部に『結果をもっと表示』というボタンが表示されているのを見つけて、クリックしてみた。
おぉ、まだまだ出てきた。おっ、あった! 小さな画像だが、便箋の透かしと同じロゴの画像をついに発見した。画像をクリックするとキャプションが表示され、そこには『秘密結社 うさぎ屋』と書かれていた。
「秘密結社?」
誰もいない自室だが思わず声に出してしまった。キャプションの下に表示された『ページを表示』ボタンをクリックしたが、『404 Not Found』と表示され、ページ不在だった。それで俺は『秘密結社うさぎ屋』で改めて検索してみたが、何も情報無し。そもそも秘密結社ってなんぞや、という基本的な疑問から、『秘密結社』というキーワードでも検索してみると、Wikiにこうあった。
『一般に団体結社の存在や、組織内の活動などを外部の人間に対して秘匿しているクラブ、団体、会を指す』
秘密結社うさぎ屋。怪しすぎる……。怪しみつつも、検索結果ページの上の方にあった『甘味処うさぎ屋』が学校の近くにあるのもちゃっかりチェックしている、最近すっかり甘いもの好きの俺だった。
秋菜誘って今度学校帰りに寄ってみるかな。甘味処うさぎ屋。楽しみすぎる……。
「そうなりますね」
「そうか。……念の為の確認だけど、最近誰かとトラブルがあったり、何か変わったことは無かった?」
只今、担任の細野先生から面談室で事情聴取中。そう、昼食後に楓ちゃんと友紀ちゃんと三人で校舎沿いに歩いていた時、上から鉢が降ってきて危うく頭に直撃するところだったのだ。一応そのことを先生に報告したところ、一人ずつ個人面談の形で事情聴取を受けることになったというわけ。
さて、ここで先生からの質問に俺は正直に答えるべきか否か。
正直に答えた場合に先生が助けになってくれるのか、場合によっては俺に不都合に動くことはないか、その辺りは慎重になったほうが良さそうだ。
最悪の事態は親に報告されることだ。何しろこの学校の経営母体はうちの家族が経営している会社だから、学校から過保護に扱われてしまう可能性も十分あり得る。変に学校から気を遣われて、家族に報告されてしまうと事が大きくなってしまう。俺としては一番避けたい事態だ。それさえ無ければ、犯人捜しを学校側が協力してくれるというなら捗りもしようというものなのだが……。
「おい、華名咲。聞いてるか?」
「あ、はい、すみません。今心当たりを考えてたんです」
どうしようかとつい考え込んでしまっていた。しかしここで決定をしくじる訳にはいかない。階段から突き落とされた話は流石に洒落にならない話なので、話しちゃうと鉢落下事件ともあいまって事が大きくなる可能性も高い。まあすべてを正直に話す必要は無いな。
「あ、そう言えばちょっと前に嫌がらせっぽい手紙が靴箱に入ってました」
「何だって? 嫌がらせっぽい手紙って、具体的に教えてもらってもいいか」
まあ内容を話したからって、普通男が女になっちゃったなんて話は信じられないだろうし、万が一犯人が見つかってバラされた場合も、性同一性障害ということで押し切れる。
実際にこれって性同一性障害だよな。心と体の性が一致していないんだから。もっとも秋菜からは最近中身も女子化していると指摘されたばっかりなんだけど。
「文面は極シンプルなんですけど……『男女キモい。死ね』というものでした」
「男女? お前がか?」
「はい、わたしの靴箱に入ってたので、まぁそう言うことだと思いますけど……」
細野先生が無遠慮に俺のことを下から上まで見てる。おいおい、女子生徒をそんな風にジロジロ無遠慮に見たらセクハラで訴えられちゃうぞ。
「う~ん、男女って感じには見えないけどなぁ~」
そこに引っかかってるのか。まあ見かけ上からは手紙の意味が分かるまいな。
「手紙にはそれだけが書かれていて、もちろん差出人の名前は何処にも書かれていませんでした」
「そうか。……しかしそんな事があったとなると、今回の事も只の偶然と片付ける訳には行かなくなったなぁ。あ、勘違いするな。面倒くさいと言ってる訳じゃないからな」
そう言って細野先生は黙りこくって何か考え込んでしまった。まあ面倒くさいと思ったんだろうなぁ。
「華名咲、その手紙ってまだ持ってるか?」
暫く考え込んでいた先生だが、どうやら手紙の実物を確認したいようだ。あれから鞄に仕舞ったままにしてある。
「ありますよ。今も持ってますけど、見ます?」
鞄の中から件の手紙を取り出してテーブルの上に置いた。
因みに丹代花澄に近づかないほうがいいっていう手紙も一緒に鞄に入っているので、間違わないようにちゃんと用心して確認してから出した。そういうところは抜かりのない慎重な俺なのだ。
「中身、見てもいいか?」
「どうぞ」
細野先生は封筒を暫し眺め、裏返してはまた眺め、何か壊れ物でも扱うかのように慎重な手付きで中から便箋を取り出して目を通す。
「本当にこれだけだったんだなぁ」
「本当にそれだけなんです」
「うぅん……」
唸ってまた先生は黙り込んでしまった。
先生は便箋に目を近付けたり遠ざけたり、矯めつ眇めつしながら穴が空きそうなくらい眺めている。釣られてその様子を俺も眺めている。
「何か入ってるな」
ん? 封筒には便箋一枚入っていただけで、他には何も入っていなかったはずだ。先生は便箋を陽に翳しながらじっと動かない。何だろうなと思って俺も便箋に焦点を合わせた。
あれ? ホントに何か入ってるな。透かしだ。何か透かしが入っている。全然気付かなかったな。
「先生、すみませんがちょっといいですか」
俺は先生から便箋を再び受け取って、透かしが入っている部分をよく見てみる。便箋の左下に丸いロゴみたいな透かしが入っているのが確認できる。無印かとばかり思っていたが違っていたようだ。文具メーカーのロゴだろうか。
「メーカーのロゴか何かみたいですね」
「そうだろうな。特に収穫無しか~」
先生はがっかりした様子でソファに沈み込み、暫く天井を仰ぎ見ていたが、気を取り直したといった感じで姿勢を正すと、もう一度俺から便箋を受け取って言った。
「華名咲、これ、コピー取らせてもらっても構わないか?」
「はい。どうぞ。構いませんけど?」
構わないけどコピーしてどうすんの? という疑問を言外に含めて応じる。
「鉢が落ちてきたのは二年四組か三年四組の教室の下だったんだよな。僕はどちらのクラスも授業を受け持っているから、内々に調査を進めてみる」
「内々にって……どうやってですか?」
素直に思った疑問を口にする。
「まあ、色々とやりようはあるものさ。僕の手元には各生徒の答案用紙が集まってくるだろう?」
にやりと悪い顔で笑って俺と目を合わせる。この人、やる気ない系かと思っていたんだけど、こんな側面も持ち合わせていたのか。人っていうのはつくづく分からないものだ。
「筆跡……ですか?」
「そういうこと」
今度はしたり顔でにやりと俺の顔を見ている。ちょっと腹立たしく感じるが、頼りになるのは間違いない。
「見た目は教師、頭脳も教師の僕が謎を解いてみせる。じっちゃんの名にかけて」
「あ~、それってかなり駄目っぽいです。先生」
「ん、そうか?」
そうかじゃないよ。頼りになるんだかならないんだかなぁ。部屋の隅っこに設置してある古めのコピー機で、いそいそと手紙をコピーしている先生の丸まった背中に若干の不安をいだいてしまう。
「先生」
「何だ?」
「もしも筆跡が一致する人物が見つかった場合なんですけど……」
「う~ん、そうだなぁ。教えるかって話だろ? う~ん」
そう言ってまた考え込んでしまった。
「二人でちゃんと話し合って解決したいんです。下手に第三者が介入して騒ぎを大きくしてしまうより、まずは当事者間で話し合う方が相手にとってもいいんじゃないかって思うんですけど……」
「う~ん、それもそうだがなぁ」
なかなか折れないな。何が引っかかってるんだかなぁ。
「何か問題がありますか?」
面倒くさいので率直に尋ねてみた。
「いや、筆跡が一致しただけで鉢を落としたのがそいつと決まるわけじゃないだろう? 決め手に欠けるし……じっちゃんの名にかけて謎を解くと言ったにしては、それじゃ物足りないだろう。俺のじっちゃんに申し訳が立たないよ」
おいおい、そこに生徒のためっていう事情は全然関係ないんだな。ご立派な教師様だよなぁ。
「じゃあこうしませんか。もし筆跡が一致した人物がいたら、わたしにも協力させてください。一緒に謎解きしましょ、センセ?」
ここは勝負どころだ。俺は必殺の上目遣いで細野先生に甘い視線を送った。女の武器を使う。こういうことも覚えて行かなきゃな。もう一押しか。
「先生のじっちゃんの名にかけて」
「俺のじっちゃんの名にかけて……か?」
「ハイ」
俺はできるだけかわいらしく微笑みながら返答した。おぇ~~っ。我ながら気持ち悪いが、男性には効くはずだと信じたい。意外とこの人アホかもしれないから。
「そうか……。華名咲、俺のじっちゃんのことをそんなに……。分かった。お前にも知らせることにしよう。頼むな、華名咲。……じっちゃんの名にかけて」
「えぇ、先生のじっちゃんの名にかけて……」
アホだったー。この先生、意外とアホだったー。しかし思いの外ハマったな。上目遣いと先生のじっちゃんのコンボが効いたようだ。
これで一歩前進だ。もし思惑通り手紙の主が見つかれば、そこから何らかの情報を更に得ることができるだろう。場合によっては何らかの新たな展開もあり得る。
「華名咲、この件は他言無用でな。下手に話が広まっても問題の解決の妨げだ。相手のあることだからな。刺激して相手を逆上させてはいかん」
「勿論です、細野先生のじっちゃんの名にかけて」
「あぁ、じっちゃんの名にかけて。よし、もう帰っていいぞ」
と手紙を返して寄越す先生。
「はい。先生ありがとうございました。じゃあ失礼します」
「おぉ、気をつけてな」
「はい」
俺は立ち上がって出口へと向かったのだが、ドアノブに手をかけたところで先生に呼び止められた。
「華名咲」
「はい?」
「お前、良い奴なんだな。……俺のじっちゃん思いの」
「はぁ……いえ。今度お線香上げさせてください」
「何言ってんだよ。じっちゃんはまだピンピンしてるぞ」
「あれ、そうだったんですか? し、失礼しましたっ。じゃ、夕食のお手伝いしなくちゃなんで帰りますね!」
何だよ、紛らわしいな。焦った俺は、そそくさとその場を立ち去ったのだった。
やれやれ。思うようには中々進まないものだとやや悩んでいたが、細野先生の協力を得られたことは結構な進捗と言えるのじゃないだろうか。
風呂でメイクをクレンジングして洗顔する。クレンジング剤をしっかり落とさないといけないのでクレンジング後、更に洗顔が必要なのだ。この洗顔も色々と面倒臭い。男みたいに石鹸でゴシゴシなんてやらかした日にゃ、以ての外って秋菜に怒られるだろう。基本的には泡をフワフワに立てて、その泡で汚れを包み込んで浮かせて落とす感じだ。
洗顔後は皮脂も落ちてしまうので、今度はスキンローション——化粧水とも言う——を塗る。もっと正確に言うなら、塗るっていう感じでもなくて、ニュアンス的には押し込む感じかな。皮膚に吸収されろ~っていう願いを込めながらな。スキンローションは蒸発しやすいので、保湿のために乳液も付ける。乾燥はお肌にとっては大敵なのだよ。乳液にも色々種類があってだな。語りだすと切りが無いんだ。この通り、一事が万事面倒なんだよ、女子ってのはさ。
げ、ニキビできてる。最近ストレス抱えてるからなぁ。疲れやストレスを溜めちゃうと肌トラブルの元なんだよ。そう言えば、例の鉢落下事件と丹代花澄との関わりが気になるなぁ。言ってみればこいつがここ最近の俺が抱えているストレス、つまりニキビの元凶とも言えるからな。
バスケの試合で見せた丹代花澄の人間性は、俺が抱いていた印象とは大きくかけ離れているように感じられた。つまり、バスケの試合の時の丹代のスポーツマンシップ溢れる振る舞いからは、とても俺を脅したり、階段から突き落としたりするような人間だとは思えないのだ。
俺の抱えるこの靄々感について考えてみてくれ。早くすっきりしたいよ。
風呂上がりによく冷えた牛乳を飲んだ。
自然と腰に片手が行っちゃうよね。あれって何でだろうな。ふぅ~、美味い。父さんや叔父さんが風呂上がり飲んでるビールってこんな感じなのだろうか。多分違うと思うが。
部屋に戻ってひと息ついたところで思い出した。あの手紙の便箋の透かしのことだ。恐らく文具メーカーのロゴなのだろうと思うが、もしかして何らかの手掛かりが得られるかもしない。
便箋を取り出して照明に透かして再度確認してみる。円形の中に兎が描かれていて、ローマ字でUSAGIYAという文字が読み取れる。うさぎ屋? やっぱりこの便箋を作っている文具メーカーのロゴのようだな。念の為うさぎ屋をネットで調べてみるか。
どれどれ。ほぉほぉ。検索結果のページをスクロールして行くと、居酒屋からラーメン屋、老舗の和菓子店、カフェ、ペットショップ、等々うさぎ屋と名の付くものは非常に多岐に及んでおり、その中から文具メーカーを見出すのは中々困難を極めそうだ。……っていうか、文具メーカー無いぞ。今時零細企業でも自社サイトくらい持てよな。
そんなことを思いながら、『うさぎ屋』で画像検索もしてみた。大量に出てくる某二郎系ラーメンの画像の群れにウッとなりながら一番下までスクロールしてみたが、結局目当てのロゴには行き当たらなかった。しかし、最下部に『結果をもっと表示』というボタンが表示されているのを見つけて、クリックしてみた。
おぉ、まだまだ出てきた。おっ、あった! 小さな画像だが、便箋の透かしと同じロゴの画像をついに発見した。画像をクリックするとキャプションが表示され、そこには『秘密結社 うさぎ屋』と書かれていた。
「秘密結社?」
誰もいない自室だが思わず声に出してしまった。キャプションの下に表示された『ページを表示』ボタンをクリックしたが、『404 Not Found』と表示され、ページ不在だった。それで俺は『秘密結社うさぎ屋』で改めて検索してみたが、何も情報無し。そもそも秘密結社ってなんぞや、という基本的な疑問から、『秘密結社』というキーワードでも検索してみると、Wikiにこうあった。
『一般に団体結社の存在や、組織内の活動などを外部の人間に対して秘匿しているクラブ、団体、会を指す』
秘密結社うさぎ屋。怪しすぎる……。怪しみつつも、検索結果ページの上の方にあった『甘味処うさぎ屋』が学校の近くにあるのもちゃっかりチェックしている、最近すっかり甘いもの好きの俺だった。
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