虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

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Ⅱ 幽閉

17. 人形の悲しみ

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シルファの作った菓子に舌鼓をうち、やがて空腹が満たされると、レイは脱出路を求めてあちこちを調べ始めた。
そのうち厨房の換気扇に目を付け、ネジをはずして構造を調べてみたが、空気を通す管路は細かく分かれていて、それぞれの管は腕一本ほどの太さしかない。そして予想していた通り、他の建材同様、何をしても壊すことはできなかった。

「これじゃあ、通れそうにないなあ……」

レイがため息をつき、分解した換気扇を元に戻す作業を始めると、傍で見守っていた人形が、即座に手伝いを申し出た。手際よくネジをはめ、あっというまに換気扇を組み立ててゆく人形の姿を見て、レイは思わず感嘆の声を上げた。それに対して人形は、控えめに「<最果の間>の設備の、維持管理は私の仕事ですので」と答えた。

(そうか……シルファは400年以上もここにいるんだっけ……)

レイはふと思いついて、シルファに尋ねてみた。

「なあ、シルファ。気を悪くしたらごめんよ。そんなことないと思うけど……念のために聞いておく。もしかしたら君は、俺がここからの脱出を試みた際、それを阻止するように魔王から命じられているのか?」

「いいえ。そのような命は受けておりません。私が命じられたのは、王妃となるレイ様の御身おんみを大切にお守りし、お世話するようにとだけです」

「……王妃ね……」

(魔王め……既に決定事項扱いかよ……)

レイは泣き笑いのような複雑な表情を浮かべると、深いため息をついた。

「……ま、それなら、一応君の協力は得られるわけだ。……もう君も気付いてると思うけど、俺はここから脱出したいんだ。なあ、シルファ、<最果ての間>に詳しい君なら、何か思いつかないか? ここから出る方法を」

「陛下にお伺いしてみてはいかがでしょう? 封印扉ふういんひを開けてくださるかもしれません」

「いやいやいやいやいや、その陛下自身が、俺をここに閉じ込めてるんだ。俺が妃になるのを、何度も断ったもんだから。……一昨日おととい、封印扉の前で、俺があいつを攻撃するのを、君は見てただろ?」

人形は戸惑ってレイを見つめた。

「……ふざけていらっしゃるのかと思っておりました。……実際、王宮の精霊も、レイ様を傷付けなかったので」

「? どういう意味だ?」

「この王宮には、特別な精霊が宿っていて、常に陛下をお守りしています。故意に陛下に危害を加える行動を取った者は、無事ではいられません。――でも、<精霊たち>はあのとき、レイ様を少しも傷付けなかった。<精霊たち>はすでにあなた様を、特別な存在として認識していると思われます。そしてそれは、お二人が近い未来に結ばれることを意味します」

そう断言され、レイは複雑な面持ちで眉をしかめた。

「…………<精霊たち>がどう思っているのか、会ったことがないから分からないけど……とにかく俺、家に帰らないと。遅くても1ヵ月半後には、家に帰り着きたいんだ。シルファ、力を貸してくれ」

「はい、レイ様。私にできることならお手伝い致します」

そう答えながらも、人形の心には疑問が次々と浮かび、目の前の主人との会話に集中できなくなった。

――なぜ、レイ様は王妃の座を断ったのだろう? 精霊が認めたのであれば、お二人は結ばれるはずでは?
――なぜ、陛下は「愛している」相手をここに閉じ込めて、苦しめているのだろう?
――なぜ、「愛している」レイを、一度手にかけたのだろう……
――そう、レイ様はあのとき、一度死んでしまった…………陛下に、殺されてしまった……

人形は、知っていた。レイの悲鳴に驚いて主寝室に向かう途中、サライヤの姿に気付き、その後をこっそりついて行った。
そして――
封じ込んだはずの記憶が、出口を求めて吹き上げてくる。

(いけない、思い出しては……イケナイ……)

しかし、もう遅かった。
凄惨な記憶が甦ると共に、人形の意識が、ぷつっと、途絶えた。

「シルファ? 聞いてるのか? どうしたんだ、いったい……」

人形は何も返事をしない。

レイは異変を感じ、シルファの目を覗き込んだ。
先程まであれほど豊かな表情を見せていたのに、今は抜け殻のように虚ろな目をしている。
やがて発せられた声は、よく知っているシルファの声ではなかった。

『これは故障ではありません。人形には自身と主の双方を守るために、いくつかの禁忌が仕込まれております。禁忌に触れた際には、人形は一時的に機能を停止させますが、ほどなく元の状態に復帰致します。なお、禁忌に関しての記憶は人形から消去されます。ご迷惑おかけ致しますが、必要な措置でございますので、何卒ご了承のほど、お願い申し上げます』

抑揚のない、無機質な声に語られるその内容に、レイはぞっとして息を詰めた。

(禁忌……? 機能……停止? 何だって……? 何だよ、それ……)

わけが分からず、レイの思考機能も停止寸前となった。

ややあって、シルファは何事もなかったように会話を再開させた。

「失礼致しました、レイ様。ぼんやりしておりました。何を仰せでしたか?」

その声に先程の片鱗は一切なく、元のシルファの、澄んだ美しい声だった。
シルファの様子からは、『機能を停止』させた要因と、その間の記憶がすっかり抜けていることが伺い知れる。
レイは溜まっていた唾を嚥下えんげすると、蒼白なおもてを上げ、慌てて口を開いた。

「いや、いや、その……何でもない。全然、気にしなくていい。そうだ、俺、書庫で暇つぶしてくる。しばらく没頭したいから、シルファはここでゆっくりしてるといい」

今にも涙が溢れそうで、レイは逃げるように厨房を出た。
最初の驚愕が去ると、その胸に訪れたのは、怒りだった。

人形にはあらかじめ、「禁忌」とやらに触れたとき、あの無機質な説明文が作動するように仕込まれていたのだろう。
生きた人形に関する知識をまったく持たないレイには、どういう仕組みになっているのか不明だったが、それが魔導術による暗示だということだけは、推察できた。
何が禁忌の引き金となったのかは、レイには見当もつかなかったが、人形が自由な思考を禁じられているという事実が、痛ましかった。

故障でなない、という言葉もまた、胸をえぐる。

レイは怒りを感じるあまり、肩をふるわせ、低く嗚咽した。
人形が哀れでならなかった。
命を与え、心まで吹き込みながら、物のようにぞんざいに扱う。
その、残酷なまでの人の身勝手さが、心底腹立たしかった。
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