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Ⅱ 幽閉
6. 人形との出会い
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誰かが、歌っている。
囁くような、か細い声で、美しく優しい旋律を。
レイはゆっくりと、瞼を開けた。
夜なのだろうか。
辺りは薄暗く、壁に掛かった小さな灯りが、ぼんやりと室内を照らしている。
レイは体を起こすと、見慣れない部屋をぐるりと見渡した。
備えられた家具も調度品も、一目で高価だと分かる代物で、明らかにレイの知っている宿の部屋ではない。
(何だ……? 俺は今、博士と……)
――博士。
突如、山奥の遺跡が思い出されると同時に、それ以降の記憶が雪崩を打って押し寄せる。
生々しい残虐な仕打ちの記憶が、脳裏から体へと走り、レイは肌を粟立たせ、息を詰まらせた。
(そうだ。俺は魔王に攫さらわれ、無理やり……。それから……)
――痛めつけられ、血を奪われ、死を覚悟した。
しかしその最後の記憶を裏切るように、レイの体は生命力に満ち溢れ、凄まじい暴力を物語る痕跡は、どこにも残されていなかった。
(夢……だったのか? まさか……)
ふと左手首に目を落とすと、禍々しく光っていた腕輪もない。
根こそぎ奪われていた魔力も、復活していた。
(療術によって癒されたのか? いや……ここまで完璧に癒すには、相当な腕前がいる。療術が苦手な魔王には、無理だ……)
レイは戸惑いながら、静かに寝台を下り、歌声の方へと近付いた。
部屋の隅で、見知らぬ者がこちらに背を向けて、衣装箪笥に真新しい衣類をきちんと揃えながら詰めている。
レイの気配に気が付くと、その者は歌うのをやめ、さっと振り返り、立ち上がった。
年の頃は十五か十六といったところか。
整った美しい顔立ちは、どこか造り者のような印象があり、少年とも少女ともとれた。その形の良いふっくらした唇から、澄んだ声が弾き出される。
「申し訳ございません、レイ様。気が付くのに遅れました。何かご用でしょうか。何なりとお申し付け下さい」
「俺の名前を……知っているのか? 君は誰なんだ?」
「はい。私はレイ様のお世話をおおせつかりました。名前はございませんので、お好きにお呼びください」
「名前がない……? どうして?」
「私は人形ですので、私のお仕えするご主人様が、名前をお決めになります。また、元から付けられた名前はございませんが、製作者が付けた製造番号ならございます。お教え致しますか?」
「いや、番号って……えっ、人形? 人形……なのか、君は!?」
魔界では、造り物にかりそめの命を与え、使役すると聞いたことがある。
しかし人間界や仙界では、魔導術により生無なきものに命を与え 思うままに操ることを、卑しむべき行為として禁じている。そのためレイは、生きた人形を見るのは初めてだった。
目の前の人形は、そう言われれば人外の気配が感じられたが、言われなければ見過ごしていただろう。
――想像とはあまりに違う。レイは唖然として人形に見入った。
人形の肌は瑞々しい艶を帯び、皮膚の下には血管さえ透けて見える。額には青い宝石のような、額瞳にそっくりな輝きを具え、髪の生え際には産毛があり、歯や瞳の輝きにも、まるで違和感はない。あまりに美しく整い過ぎている点が、少々不自然さを醸し出しているものの、人形は細部に至るまで精巧に、魔族そっくりに造りこまれていた。その上、動きも滑らかで、美しい声で歌まで歌っていたのだ。
レイの驚愕をどう受け取ったのか、人形は悲しげに目を伏せた。
「申し訳ございません、レイ様。私が人形でご不快でしょうが、精一杯お世話をさせていただきますので、どうかお許し下さい」
人形の悲しみが、さざなみのように、静かにレイの心に届く。
レイはハッとして、更に驚いた。
――この人形には、感情があるのだ。
それに気付くなり、レイは慌ててその場を取り繕った。
「いや、その、不快なんてこと、全然ないよ。俺、初めて生きた人形を見たもんだから、驚いて……ごめんな。気を悪くしないでくれ」
人形は弾かれた様に、顔を上げた。その表情には、困惑と共に驚きが、微かに浮かんでいた。
「私に謝罪なさる必要はございません。……お心遣いいただきまして、ありがとうございます、レイ様。」
――間違いない。漠然と感じるその思いは、明らかに目の前の人形から発せられている。
レイは幼い頃から、他人の感情を自然に感じ取ってしまう癖があった。
師匠クインジュに言わせれば、魔力の高さを発祥とした、生まれながらの感受性の強さと、レイの持つ額瞳の特異さが原因らしい。
とにかく意識してやっているわけではないので、子供の頃はこの癖のせいで、よく悶着を起こしていた。――他人が隠したいと思っている感情も、無意識に拾い上げ、精神の未熟さゆえに、悪気無く口に出してしまうのだ。
やがてレイは成長するに従って、他人への思いやりと共に、この力とうまく付き合うすべを身に付けた。レイの社交性の高さは、この生まれながらの特殊な力が、一端を担って形成されたものだと言える。
レイはあらためて、人形に向き合った。
今、目の前の人形から感じる感情の波は、人間や魔族のそれと、何ら変わらない。
(……魔界の魔導術の深さには、驚かされる……)
レイはもじもじと、辺りに視線を投げかけた。
そしてとにかく今は、現状把握が最優先だと思い出す。
「その……君……ええと、一人?」
「はい。お世話を仰せつかったのは、私一体でございます」
「今日、何日?」
人形は<芽吹きの月>の5日で、今は深夜2時だと教えてくれた。
(俺が攫われた日は<芽吹きの月>の3日だった……)
レイはそう思い、空白の一日分を尋ねると、人形は「ずっと眠っておいででした」と答えた。
(なんで、丸一日も爆睡してたんだ? そもそもここは、何処なんだ? 確か魔王は宮中の一室だと言ったが、あのときと同じ部屋なのか? ああ、それより、博士はどうなったんだ! 無事なんだろうか)
レイは湧き上がる疑問の数々を押しやって、とにかく脱出することを最優先に考えることにした。
「なあ、君、どうやったらここから出られるか、知ってるか?」
「申し訳ございません、私は<最果ての間>から出たことがございませんので、詳しくは存じ上げませんが、」
人形の言葉を遮って、レイが驚いた声を上げた。
「出たことがない!? ずっとここにいるのか? いつから?」
「私は、この<最果ての間>でお過ごしになる高貴な方をお世話するために、470年前から王にお仕えしております」
「えっ……よんひゃく……なな……? えっ……つまり、君は、ええと、……何歳?」
「私は498年前、人形師クサナダの手により製作されました」
レイは目眩を感じた。
人間の寿命を遥かに超えた年月を、この人形は生きてきたのだ。魔族に関しては人間よりずっと長寿だが、それでも500年に届く者をレイは知らない。人形師クサナダという人物も、もうこの世にはいないだろう。
言葉を失くし、呆然としているレイを見上げながら、人形は再び口を開いた。
「レイ様、先程の件ですが……唯一の出入り口である扉の前までなら、ご案内できますが、いかが致しましょうか」
レイは気を取り直し、即座に案内を頼んだ。
囁くような、か細い声で、美しく優しい旋律を。
レイはゆっくりと、瞼を開けた。
夜なのだろうか。
辺りは薄暗く、壁に掛かった小さな灯りが、ぼんやりと室内を照らしている。
レイは体を起こすと、見慣れない部屋をぐるりと見渡した。
備えられた家具も調度品も、一目で高価だと分かる代物で、明らかにレイの知っている宿の部屋ではない。
(何だ……? 俺は今、博士と……)
――博士。
突如、山奥の遺跡が思い出されると同時に、それ以降の記憶が雪崩を打って押し寄せる。
生々しい残虐な仕打ちの記憶が、脳裏から体へと走り、レイは肌を粟立たせ、息を詰まらせた。
(そうだ。俺は魔王に攫さらわれ、無理やり……。それから……)
――痛めつけられ、血を奪われ、死を覚悟した。
しかしその最後の記憶を裏切るように、レイの体は生命力に満ち溢れ、凄まじい暴力を物語る痕跡は、どこにも残されていなかった。
(夢……だったのか? まさか……)
ふと左手首に目を落とすと、禍々しく光っていた腕輪もない。
根こそぎ奪われていた魔力も、復活していた。
(療術によって癒されたのか? いや……ここまで完璧に癒すには、相当な腕前がいる。療術が苦手な魔王には、無理だ……)
レイは戸惑いながら、静かに寝台を下り、歌声の方へと近付いた。
部屋の隅で、見知らぬ者がこちらに背を向けて、衣装箪笥に真新しい衣類をきちんと揃えながら詰めている。
レイの気配に気が付くと、その者は歌うのをやめ、さっと振り返り、立ち上がった。
年の頃は十五か十六といったところか。
整った美しい顔立ちは、どこか造り者のような印象があり、少年とも少女ともとれた。その形の良いふっくらした唇から、澄んだ声が弾き出される。
「申し訳ございません、レイ様。気が付くのに遅れました。何かご用でしょうか。何なりとお申し付け下さい」
「俺の名前を……知っているのか? 君は誰なんだ?」
「はい。私はレイ様のお世話をおおせつかりました。名前はございませんので、お好きにお呼びください」
「名前がない……? どうして?」
「私は人形ですので、私のお仕えするご主人様が、名前をお決めになります。また、元から付けられた名前はございませんが、製作者が付けた製造番号ならございます。お教え致しますか?」
「いや、番号って……えっ、人形? 人形……なのか、君は!?」
魔界では、造り物にかりそめの命を与え、使役すると聞いたことがある。
しかし人間界や仙界では、魔導術により生無なきものに命を与え 思うままに操ることを、卑しむべき行為として禁じている。そのためレイは、生きた人形を見るのは初めてだった。
目の前の人形は、そう言われれば人外の気配が感じられたが、言われなければ見過ごしていただろう。
――想像とはあまりに違う。レイは唖然として人形に見入った。
人形の肌は瑞々しい艶を帯び、皮膚の下には血管さえ透けて見える。額には青い宝石のような、額瞳にそっくりな輝きを具え、髪の生え際には産毛があり、歯や瞳の輝きにも、まるで違和感はない。あまりに美しく整い過ぎている点が、少々不自然さを醸し出しているものの、人形は細部に至るまで精巧に、魔族そっくりに造りこまれていた。その上、動きも滑らかで、美しい声で歌まで歌っていたのだ。
レイの驚愕をどう受け取ったのか、人形は悲しげに目を伏せた。
「申し訳ございません、レイ様。私が人形でご不快でしょうが、精一杯お世話をさせていただきますので、どうかお許し下さい」
人形の悲しみが、さざなみのように、静かにレイの心に届く。
レイはハッとして、更に驚いた。
――この人形には、感情があるのだ。
それに気付くなり、レイは慌ててその場を取り繕った。
「いや、その、不快なんてこと、全然ないよ。俺、初めて生きた人形を見たもんだから、驚いて……ごめんな。気を悪くしないでくれ」
人形は弾かれた様に、顔を上げた。その表情には、困惑と共に驚きが、微かに浮かんでいた。
「私に謝罪なさる必要はございません。……お心遣いいただきまして、ありがとうございます、レイ様。」
――間違いない。漠然と感じるその思いは、明らかに目の前の人形から発せられている。
レイは幼い頃から、他人の感情を自然に感じ取ってしまう癖があった。
師匠クインジュに言わせれば、魔力の高さを発祥とした、生まれながらの感受性の強さと、レイの持つ額瞳の特異さが原因らしい。
とにかく意識してやっているわけではないので、子供の頃はこの癖のせいで、よく悶着を起こしていた。――他人が隠したいと思っている感情も、無意識に拾い上げ、精神の未熟さゆえに、悪気無く口に出してしまうのだ。
やがてレイは成長するに従って、他人への思いやりと共に、この力とうまく付き合うすべを身に付けた。レイの社交性の高さは、この生まれながらの特殊な力が、一端を担って形成されたものだと言える。
レイはあらためて、人形に向き合った。
今、目の前の人形から感じる感情の波は、人間や魔族のそれと、何ら変わらない。
(……魔界の魔導術の深さには、驚かされる……)
レイはもじもじと、辺りに視線を投げかけた。
そしてとにかく今は、現状把握が最優先だと思い出す。
「その……君……ええと、一人?」
「はい。お世話を仰せつかったのは、私一体でございます」
「今日、何日?」
人形は<芽吹きの月>の5日で、今は深夜2時だと教えてくれた。
(俺が攫われた日は<芽吹きの月>の3日だった……)
レイはそう思い、空白の一日分を尋ねると、人形は「ずっと眠っておいででした」と答えた。
(なんで、丸一日も爆睡してたんだ? そもそもここは、何処なんだ? 確か魔王は宮中の一室だと言ったが、あのときと同じ部屋なのか? ああ、それより、博士はどうなったんだ! 無事なんだろうか)
レイは湧き上がる疑問の数々を押しやって、とにかく脱出することを最優先に考えることにした。
「なあ、君、どうやったらここから出られるか、知ってるか?」
「申し訳ございません、私は<最果ての間>から出たことがございませんので、詳しくは存じ上げませんが、」
人形の言葉を遮って、レイが驚いた声を上げた。
「出たことがない!? ずっとここにいるのか? いつから?」
「私は、この<最果ての間>でお過ごしになる高貴な方をお世話するために、470年前から王にお仕えしております」
「えっ……よんひゃく……なな……? えっ……つまり、君は、ええと、……何歳?」
「私は498年前、人形師クサナダの手により製作されました」
レイは目眩を感じた。
人間の寿命を遥かに超えた年月を、この人形は生きてきたのだ。魔族に関しては人間よりずっと長寿だが、それでも500年に届く者をレイは知らない。人形師クサナダという人物も、もうこの世にはいないだろう。
言葉を失くし、呆然としているレイを見上げながら、人形は再び口を開いた。
「レイ様、先程の件ですが……唯一の出入り口である扉の前までなら、ご案内できますが、いかが致しましょうか」
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