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障害編
83話【daily work】西園寺 すみれ:「これ以上は、見過ごすわけにはいかないわね」(楓編)
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のろのろと流しで手を洗っていると、女性の声がした。
「あらあら、ずいぶん派手に切ったわねえ」
振り返ると、西園寺先生が立っていた。あたしの顔を見て、ぎょっとしたように目を見開く。
「あらやだ、その顔、どうしたの? 恨みつらみがびっしりと、可愛いお顔に収まりきらなくて噴き出してるわよ」
恨みつらみどころじゃない。頭にきすぎて何も考えらんない。西園寺先生は、うすうす感じてたんだよね? 戸叶先生のこと。先生、そういうのに敏感そうだし。
「……西園寺先生……」
そんなことを思いながら先生の名前を呼んだ途端、不覚にも涙が一粒、零れ落ちた。慌てて顔を拭う。やばい、仕事中にこんなことで泣くとか、プロ失格だ。藍原先生のいうとおり、ちゃんと分けなきゃ……。
「すっ、すみません、何でもないです……」
確か西園寺先生は、男女の揉め事を仕事に持ち込むのを極端に嫌うんだよね。やばい、叱られる。そう思って持ち場に戻ろうとしたけど、西園寺先生に引き留められた。
「……佐々木さん、ちょっと」
そのまま備品室に連れていかれる。西園寺先生は腕を組んであたしを見据えると、ため息をついた。
「……昨日の質問、もう一回訊くけど。あなた、藍原先生から何か聞いたんじゃないの?」
いわれた瞬間、ぼろぼろと涙が溢れてきた。もう耐えられない! 叱られようが何されようが、いわずにはおれない!
「先生~!! あたし、悔しくて悔しくて!! もう頭がおかしくなりそうなんです!!」
昨日聞いた話を、そのまま西園寺先生にぶちまける。東海林先生に聞いた話も、全部。被害者の藍原先生が泣き寝入りして、あんな性悪女が勝ち誇ったように笑ってるなんて、許せない! おいおい泣きながら洗いざらい話すのを、西園寺先生は表情ひとつ変えずに聞いていた。
「藍原先生はッ、プライベートと仕事は別だからとかいって、一生懸命気丈にふるまおうしてるんです。でも、あたし、聞いちゃって……。戸叶先生は、わざと藍原先生を傷つけるようなことをいって、今朝からずっとご機嫌で! もうあたし、よっぽど仕返ししてやろうかと思ったんですけど、藍原先生がやめろっていうんです。でも、こんなの、納得いきません!」
西園寺先生は、目を細めて、ふう、とひとつため息をついた。
「……私、痴情のもつれは大好きだけど、それを仕事にまで持ち込まれるの、大嫌いなのよね……」
ああ、西園寺先生、やっぱり怒ってる。でも仕方ないじゃない、藍原先生はなんにも悪くない。悪いのは全部、戸叶先生だ。
「そうでしょ、佐々木さん。これは藍原さんと戸叶さんの問題なのに、あなたにまで支障が出てる」
「そ、それはすみません、何とか気にしないようにとは思ってるんですけど、あんなの見せられて、どうしても怒りが収まらなくて……」
「困った子ね、本当に」
「す、すみません……」
「あなたじゃなくて」
「え?」
「……彼女」
西園寺先生が、回診を終えて戻ってきた戸叶先生を見ながら顎をしゃくった。
「どこで何してようが勝手だけど……和を乱されちゃ、困るのよね……」
戸叶先生、相変わらずニコニコだ。いつもは回診が終わると藍原先生の指示のもと戸叶先生がテキパキ動くのに、今日は、ふたりの間には距離があって、指示とか相談とかしてる気配もない。
「戸叶さんは確かに優秀だけど、まだまだ実力は藍原さんのほうが上。意思疎通もままならないようじゃ、重大な医療ミスにもつながりかねない。佐々木さん、あなたもよ。藍原さんの影響を受けてこんな単純作業も円滑に行えないようじゃ、話にならない」
「すみません……」
また謝る。西園寺先生の目が、きらりと光った。
「さて、どうしたものかしらね……。これ以上は、見過ごすわけにはいかないわね……」
その目を見て、ゾクッとした。……西園寺先生、怖い。鋭く射るようなその目は、確かに怒っているように見えるけど、それだけじゃない。何やら得体のしれない毒々しさと、獲物を狙うような嬉々とした悦び、そして底知れない禍々しさみたいなものが渦巻いていて――西園寺先生、何を考えてるんだろう? よくわからないけど、この人を敵に回しちゃいけない……そんな恐ろしいオーラをひしひしと感じた。
「あらあら、ずいぶん派手に切ったわねえ」
振り返ると、西園寺先生が立っていた。あたしの顔を見て、ぎょっとしたように目を見開く。
「あらやだ、その顔、どうしたの? 恨みつらみがびっしりと、可愛いお顔に収まりきらなくて噴き出してるわよ」
恨みつらみどころじゃない。頭にきすぎて何も考えらんない。西園寺先生は、うすうす感じてたんだよね? 戸叶先生のこと。先生、そういうのに敏感そうだし。
「……西園寺先生……」
そんなことを思いながら先生の名前を呼んだ途端、不覚にも涙が一粒、零れ落ちた。慌てて顔を拭う。やばい、仕事中にこんなことで泣くとか、プロ失格だ。藍原先生のいうとおり、ちゃんと分けなきゃ……。
「すっ、すみません、何でもないです……」
確か西園寺先生は、男女の揉め事を仕事に持ち込むのを極端に嫌うんだよね。やばい、叱られる。そう思って持ち場に戻ろうとしたけど、西園寺先生に引き留められた。
「……佐々木さん、ちょっと」
そのまま備品室に連れていかれる。西園寺先生は腕を組んであたしを見据えると、ため息をついた。
「……昨日の質問、もう一回訊くけど。あなた、藍原先生から何か聞いたんじゃないの?」
いわれた瞬間、ぼろぼろと涙が溢れてきた。もう耐えられない! 叱られようが何されようが、いわずにはおれない!
「先生~!! あたし、悔しくて悔しくて!! もう頭がおかしくなりそうなんです!!」
昨日聞いた話を、そのまま西園寺先生にぶちまける。東海林先生に聞いた話も、全部。被害者の藍原先生が泣き寝入りして、あんな性悪女が勝ち誇ったように笑ってるなんて、許せない! おいおい泣きながら洗いざらい話すのを、西園寺先生は表情ひとつ変えずに聞いていた。
「藍原先生はッ、プライベートと仕事は別だからとかいって、一生懸命気丈にふるまおうしてるんです。でも、あたし、聞いちゃって……。戸叶先生は、わざと藍原先生を傷つけるようなことをいって、今朝からずっとご機嫌で! もうあたし、よっぽど仕返ししてやろうかと思ったんですけど、藍原先生がやめろっていうんです。でも、こんなの、納得いきません!」
西園寺先生は、目を細めて、ふう、とひとつため息をついた。
「……私、痴情のもつれは大好きだけど、それを仕事にまで持ち込まれるの、大嫌いなのよね……」
ああ、西園寺先生、やっぱり怒ってる。でも仕方ないじゃない、藍原先生はなんにも悪くない。悪いのは全部、戸叶先生だ。
「そうでしょ、佐々木さん。これは藍原さんと戸叶さんの問題なのに、あなたにまで支障が出てる」
「そ、それはすみません、何とか気にしないようにとは思ってるんですけど、あんなの見せられて、どうしても怒りが収まらなくて……」
「困った子ね、本当に」
「す、すみません……」
「あなたじゃなくて」
「え?」
「……彼女」
西園寺先生が、回診を終えて戻ってきた戸叶先生を見ながら顎をしゃくった。
「どこで何してようが勝手だけど……和を乱されちゃ、困るのよね……」
戸叶先生、相変わらずニコニコだ。いつもは回診が終わると藍原先生の指示のもと戸叶先生がテキパキ動くのに、今日は、ふたりの間には距離があって、指示とか相談とかしてる気配もない。
「戸叶さんは確かに優秀だけど、まだまだ実力は藍原さんのほうが上。意思疎通もままならないようじゃ、重大な医療ミスにもつながりかねない。佐々木さん、あなたもよ。藍原さんの影響を受けてこんな単純作業も円滑に行えないようじゃ、話にならない」
「すみません……」
また謝る。西園寺先生の目が、きらりと光った。
「さて、どうしたものかしらね……。これ以上は、見過ごすわけにはいかないわね……」
その目を見て、ゾクッとした。……西園寺先生、怖い。鋭く射るようなその目は、確かに怒っているように見えるけど、それだけじゃない。何やら得体のしれない毒々しさと、獲物を狙うような嬉々とした悦び、そして底知れない禍々しさみたいなものが渦巻いていて――西園寺先生、何を考えてるんだろう? よくわからないけど、この人を敵に回しちゃいけない……そんな恐ろしいオーラをひしひしと感じた。
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