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迷走編
50話【daily work】塩谷 茜 22歳:お見舞い(藍原編)
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次の日の朝。定時に出勤すると、いつもは朝早い梨沙ちゃんの姿がない。やっぱり、昨夜飲みすぎてはっちゃけすぎたに違いないわ。仕方ない、ひとりで仕事を始めよう。
まずは、茜ちゃんのデータ確認。昨日輸血して、今日のヘモグロビンは6.2まであがった。ひとまず輸血の追加はいらなそう。茜ちゃんの様子を見に行くと、昨日よりは顔色もよくなって元気そうだった。
「……戸叶先生は、一緒じゃないんですか?」
「ああ、あとで来ると思うわ」
まさか二日酔いで遅刻してますとはいえないものね。
「じゃ、このあとの胃カメラ、頑張ってね」
ひととおり回診を終えてナースステーションに戻ると、梨沙ちゃんが来ていた。あたしの顔を見て、ぱっと顔の前で手を合わせる。
「先生、すみませーん! うっかり寝坊しちゃいました」
「仕方ないわね。あんまり飲み過ぎないようにね」
別にそんな気にしないけど、一応形だけは注意して、仕事に戻る。
「……そんなわけで、みんな落ち着いてるわ。あとは塩谷さんの出血源がわかれば――」
そのとき、突然女性の大部屋が騒がしくなった。ゴン、ガン、って物音がして、女の人の叫び声がする。駆け付けると、茜ちゃんが取り乱して物を投げまくっていた。突然何事、彼氏と喧嘩!?
「出ていけ! おまえら出ていけー!!」
ひゃあ、はかなげに笑っていた塩谷さんから、こんな激しい暴言が飛び出すなんて、びっくり。いったい何があったの!? とりあえずふたりを引き離して、けんちゃんのほうには梨沙ちゃんについてもらう。
「塩谷さん、どうしたの? とりあえず落ち着いて、私でよかったら話してみてくれない?」
根気強く諭すと、塩谷さんはしゃくりあげながら一言だけいった。
「……戸叶先生を、担当から外してください」
え? 梨沙ちゃんのこと? どうして急に。昨日の今日で、何があったのかしら。
「何か嫌なことでもあったかしら?」
「戸叶先生が、あたしから、けんちゃんを盗ろうとするんです」
「え……」
えっと……さすがにそれはないと思うんだけど。でも……そう思わせる何かが、あったのかしら?
「何か、不安にさせるようなことがあった?」
「とにかく、あの女をけんちゃんに近づけないでください! 今だってふたりきりで、絶対あたしのこと笑ってる!」
ひゃあ、また怒り出した。
「えっと、とりあえず戸叶と坂井さんからも、話を聞くことにするわね。それからまた相談させてちょうだい」
これはあんまり長居するとこじれそうね……さっさと梨沙ちゃんと合流して、話を聞かなきゃ。
とりあえず病室を出て、戻ってきた梨沙ちゃんに状況確認。例によって、備品室に入り、牧野師長、小野くん、梨沙ちゃん、あたしの4人が揃う。……ああ、西園寺先生がいてくれたらなあ。やっぱりこんな問題、あたしには処理しきれない……。
「……で、塩谷さんは、こんなことをいっていたのですが」
説明すると、梨沙ちゃんはハア!? と大きな声を上げた。
「何ですかそれ、あたしがけんちゃんに色目って? はははっ、冗談はよしてくださいよ。そんなわけないじゃないですか」
「そうよね。でもとりあえず塩谷さんはそう勘違いしたみたいで、それが原因でけんちゃんと痴話喧嘩になったらしいわよ」
牧野師長がメモを取りながら尋ねる。
「その坂井さんのほうから、戸叶先生に色目を使ったっていうことは?」
「別にないですよ。まあ、気づかなかっただけかもしれないですけど。それくらい、あんなもやし男、圏外。あはは!」
ちょっと梨沙ちゃん、まだお酒残ってるんじゃ……。
「で、塩谷さんが、梨沙ちゃんを担当から外せといっていて……」
「ハア!? なんすかそれ、完全にとばっちり」
ああ、梨沙ちゃんが怒ってる。そりゃそうよね、こんな濡れ衣着せられたあげく、自分は悪くないのに担当から外れろだなんて。
「とりあえず、梨沙ちゃんの名誉のためにも、誤解は解かないとって思うけど、担当は……誤解が解けるまでは、梨沙ちゃんが診察しに行っても火に油でしょうから、やっぱり、ちょっと距離を置くのが正解かしら……」
うう、難しい。本当なら外す必要なんてないんだけど、患者さんの精神状態を考えたら、ここは梨沙ちゃんに譲ってもらうしか。
「マジふざけんなって感じですよ。まあ別にいいですけど。こっちだって好きで診てるわけじゃないんで!」
ああ、完全に怒っちゃったわよ。ちらり、と牧野師長のほうを見ると。牧野師長も、顎に手を当てながらため息をついた。
「……仕方ないわね。私も藍原先生の意見に賛成です。理由はどうあれ、患者様には主治医を選ぶ権利がありますからね。一刻も早く誤解を解いて、戸叶先生には復活してもらうよう尽力するということで。そういう意味では、担当看護師が男性だったのは、不幸中の幸いだったかもしれないわね」
確かに。これで可愛いナースが担当になったら、また梨沙ちゃんみたいに濡れ衣を着せられてたかもしれない。それはそうだけど……ああ、今覚えば、病室で担当を外してって頼まれたときに、もっと毅然と「そんなのはあり得ない」って否定したほうがよかったのかしら。そのほうが、梨沙ちゃんの名誉も守られた……? でも塩谷さん、憤慨して理性失ってたし……。ああ、あたしの力不足だわ。ごめんなさい、梨沙ちゃん……。
まずは、茜ちゃんのデータ確認。昨日輸血して、今日のヘモグロビンは6.2まであがった。ひとまず輸血の追加はいらなそう。茜ちゃんの様子を見に行くと、昨日よりは顔色もよくなって元気そうだった。
「……戸叶先生は、一緒じゃないんですか?」
「ああ、あとで来ると思うわ」
まさか二日酔いで遅刻してますとはいえないものね。
「じゃ、このあとの胃カメラ、頑張ってね」
ひととおり回診を終えてナースステーションに戻ると、梨沙ちゃんが来ていた。あたしの顔を見て、ぱっと顔の前で手を合わせる。
「先生、すみませーん! うっかり寝坊しちゃいました」
「仕方ないわね。あんまり飲み過ぎないようにね」
別にそんな気にしないけど、一応形だけは注意して、仕事に戻る。
「……そんなわけで、みんな落ち着いてるわ。あとは塩谷さんの出血源がわかれば――」
そのとき、突然女性の大部屋が騒がしくなった。ゴン、ガン、って物音がして、女の人の叫び声がする。駆け付けると、茜ちゃんが取り乱して物を投げまくっていた。突然何事、彼氏と喧嘩!?
「出ていけ! おまえら出ていけー!!」
ひゃあ、はかなげに笑っていた塩谷さんから、こんな激しい暴言が飛び出すなんて、びっくり。いったい何があったの!? とりあえずふたりを引き離して、けんちゃんのほうには梨沙ちゃんについてもらう。
「塩谷さん、どうしたの? とりあえず落ち着いて、私でよかったら話してみてくれない?」
根気強く諭すと、塩谷さんはしゃくりあげながら一言だけいった。
「……戸叶先生を、担当から外してください」
え? 梨沙ちゃんのこと? どうして急に。昨日の今日で、何があったのかしら。
「何か嫌なことでもあったかしら?」
「戸叶先生が、あたしから、けんちゃんを盗ろうとするんです」
「え……」
えっと……さすがにそれはないと思うんだけど。でも……そう思わせる何かが、あったのかしら?
「何か、不安にさせるようなことがあった?」
「とにかく、あの女をけんちゃんに近づけないでください! 今だってふたりきりで、絶対あたしのこと笑ってる!」
ひゃあ、また怒り出した。
「えっと、とりあえず戸叶と坂井さんからも、話を聞くことにするわね。それからまた相談させてちょうだい」
これはあんまり長居するとこじれそうね……さっさと梨沙ちゃんと合流して、話を聞かなきゃ。
とりあえず病室を出て、戻ってきた梨沙ちゃんに状況確認。例によって、備品室に入り、牧野師長、小野くん、梨沙ちゃん、あたしの4人が揃う。……ああ、西園寺先生がいてくれたらなあ。やっぱりこんな問題、あたしには処理しきれない……。
「……で、塩谷さんは、こんなことをいっていたのですが」
説明すると、梨沙ちゃんはハア!? と大きな声を上げた。
「何ですかそれ、あたしがけんちゃんに色目って? はははっ、冗談はよしてくださいよ。そんなわけないじゃないですか」
「そうよね。でもとりあえず塩谷さんはそう勘違いしたみたいで、それが原因でけんちゃんと痴話喧嘩になったらしいわよ」
牧野師長がメモを取りながら尋ねる。
「その坂井さんのほうから、戸叶先生に色目を使ったっていうことは?」
「別にないですよ。まあ、気づかなかっただけかもしれないですけど。それくらい、あんなもやし男、圏外。あはは!」
ちょっと梨沙ちゃん、まだお酒残ってるんじゃ……。
「で、塩谷さんが、梨沙ちゃんを担当から外せといっていて……」
「ハア!? なんすかそれ、完全にとばっちり」
ああ、梨沙ちゃんが怒ってる。そりゃそうよね、こんな濡れ衣着せられたあげく、自分は悪くないのに担当から外れろだなんて。
「とりあえず、梨沙ちゃんの名誉のためにも、誤解は解かないとって思うけど、担当は……誤解が解けるまでは、梨沙ちゃんが診察しに行っても火に油でしょうから、やっぱり、ちょっと距離を置くのが正解かしら……」
うう、難しい。本当なら外す必要なんてないんだけど、患者さんの精神状態を考えたら、ここは梨沙ちゃんに譲ってもらうしか。
「マジふざけんなって感じですよ。まあ別にいいですけど。こっちだって好きで診てるわけじゃないんで!」
ああ、完全に怒っちゃったわよ。ちらり、と牧野師長のほうを見ると。牧野師長も、顎に手を当てながらため息をついた。
「……仕方ないわね。私も藍原先生の意見に賛成です。理由はどうあれ、患者様には主治医を選ぶ権利がありますからね。一刻も早く誤解を解いて、戸叶先生には復活してもらうよう尽力するということで。そういう意味では、担当看護師が男性だったのは、不幸中の幸いだったかもしれないわね」
確かに。これで可愛いナースが担当になったら、また梨沙ちゃんみたいに濡れ衣を着せられてたかもしれない。それはそうだけど……ああ、今覚えば、病室で担当を外してって頼まれたときに、もっと毅然と「そんなのはあり得ない」って否定したほうがよかったのかしら。そのほうが、梨沙ちゃんの名誉も守られた……? でも塩谷さん、憤慨して理性失ってたし……。ああ、あたしの力不足だわ。ごめんなさい、梨沙ちゃん……。
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