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「ドイツのやつだよ。ソーセージがあればよかったんだけど」
ニコラがグラスにビールを注いでくれる。俺は泡立つグラスを黙って見つめていた。ふいにニコラが口を開く。
「まだ苦しい?」
突然の言葉に何を聞かれているのか一瞬わからなくて固まった。でもすぐに失恋のことを言われているのだと察する。はっとしてニコラを見ると彼は穏やかな表情で、でも真剣な瞳でこちらをじっと見つめていた。
「なん、で…」
「んー?顔で、かな。チハルは分かりやすいね。すぐに分かるよ。嬉しいのも楽しいのも、辛いのも」
俺はそんなに分かりやすかったのだろうか。表面は繕えていたつもりだったのに。
慌てて答える。
「ほんとに?気のせいじゃ」
「今はね、苦しい顔をしてた。気持ちのやり場がわからなくて苦しいって」
遮るように言い当てられて、もう繕う気もなくなった。
気持ちのやり場がわからなくて苦しい。今の俺の気持ちそのままだった。
「…なんでそこまでわかるんだよ」
何も言わず静かにほほえんでニコラはビールを手渡してくれた。
「こういう時はね泣けるだけ泣くといいんだ。全部ぶちまけてからっぽになったところにまた、新しく想いを積んでいけばいいんだよ」
ニコラが静かに言う言葉が、俺の中に浸透してきてじわっと目尻が熱くなった。
「でも、泣きたくない」
涙を堪えながら必死に声を絞り出す。
「なんで?」
「もう充分泣いたし、もう、からっぽになりたく、ない」
ニコラが虚を突かれたように一瞬目を丸くした。俺は言い出した言葉が止まらなくてさらに重ねる。
「親が、死んでからしばらく空っぽになった、それがほんとに、ほんとに…何にもなくなってダメになった」
今までいた人が自分の側から消える。そうなった後はとても空虚で、自分ではどうにも出来ないような無限にも思えるような時間が広がっていて。俺はそれが怖いんだ。セルジオが俺を見なくなったら、lampflickerを見なくなったら。また空虚な時間が訪れる。実際にはセルジオはそんなことは絶対にしないだろうということは分かっていて、それでも俺は怖い。心からおめでとうを言いたいのに言えない俺は、きっとセルジオに依存してしまっている。それを無くす今、もういろんな事が怖くて仕方ない。
そんなことを涙混じりにぽつぽつと吐露した。こんなこと出会ったばかりのニコラに言うべきことではない。そう分かっているのに言葉は止まらない。どうしよう、どうやったら止まるの。自分が制御出来なくてパニックになりそうだ。いや、なっているのだろう。どうしようもなくなりかけた時
、突然視界がふっと暗くなった。体が温かいものに包まれる。
「泣いていいよ。空っぽになっていいよ。――俺がそこに積もって、埋めるから」
諭すように大事に伝えられた言葉。ニコラに抱き込まれてその胸のなかで響く。その温かさと言葉とに安心してしまう。
「俺を頼って」
「…ダメだ。そんなことしたら俺は今みたいに依存するから。ニコラに迷惑かける」
「チハル、それは依存じゃないよ。だってチハルは好きな相手の幸せを願って身を引いたんでしょ。心からお祝いを言いたいって思ってるんでしょ?依存じゃない、好きなだけ」
ニコラの言葉も態度もとことん俺に甘い。そんなに甘やかされたらダメになりそうだ。唇をぎゅっと結ぶとすかさずニコラに促される。
「思ってること言ってごらん?」
そしてその落ち着いた声音に俺は逆らえない。
「…セルジオは…俺を救ってくれた人で、俺のヒーローで」
そこで言葉を切った俺に、ニコラはん?と優しい表情で続きを促す。
「…ほんとにっ、好きだったんだ」
「…うん」
「一緒にいると安心して、でも、病気なんじゃないかってくらいドキドキしたりして」
「うん」
温かい手のひらがそっと頭を撫でてくれた。
「…もう一緒にいたくない?」
少し考えて俺は首を横に振った。
「…ううん、恋愛感情がなくても家族みたいなものだから、それにlampflickerが大好きだから」
それはない、と言い切った。それは分かりきってることで、俺は音楽がないと生きていけないから。セルジオとやる音楽は何も考えられなくなるくらい楽しくて、俺の生きている理由の1つだから。それだけはない。
「そっか。…なら、無理に忘れなくてもいいんじゃない?無理に忘れようとしてもしんどいだけだよ。ただ他のことに少し目を向けてみるだけでいいんじゃない?」
「他の、こと?」
そう、とセルジオは俺と目を合わせて微笑んだ。
「例えば、散歩したり、本を読んだり」
「…うん」
「この店に来たり、それで俺と話したり、俺と出かけたり、俺と美味しいもの食べたり」
全部俺と、と言ってくれるニコラ。その悪戯っぽい表情がおかしくて、泣きそうだった俺も思わず笑みを溢した。
「全部ニコラと?」
「うん、俺と」
ニコラも笑っている。
「それに、なんで最後は美味しいもの?」
そうくすくすと笑いながら言った俺にニコラは穏やかな表情で穏やかに言葉を紡ぐ。
「食べることは生きること、だよ」
「食べることは、生きること?」
「そう。食べないと生き物は生きていけない。それに美味しいもの食べるとそれだけで幸せでしょ?」
これが俺が知ってる1番簡単に幸せになれる方法、と笑うニコラに今度こそ涙を堪えきれなかった。泣き顔を見せたくなくて咄嗟にニコラの胸元をがしっと掴んで顔を埋める。驚いたようだがそのままにさせてくれた。ニコラは優しい。優しすぎる。ニコラが、今まで俺に料理を振る舞ってくれたのはなんのため?食欲がない俺に何か食べさせるため。でもそれだけじゃなくて、あの優しい味のだし巻き玉子も、今日の肉じゃがも、俺に幸せをくれるため?そう思い当たって胸がぎゅっとなった。突然転がり込んで失恋をぶちまけた馬鹿みたいな俺を本気で案じていてくれていたのだ。
ニコラがくれた美味しいものは確かに俺を
幸せにして、俺のからっぽを埋めてくれていた。
「俺はいつでもここにいる。俺だけじゃなくてマルコさんたちもチハルのこと待ってるよ。だから、いつでもおいで」
優しく優しく、涙を流して震える俺の背中をさすってくれるニコラが有り難くて、嬉しくて本当に涙が止まらなくなった。ぼろぼろと次から次へと水滴が溢れて落ちる。でもそれはいつかバスルームで流した冷たい涙とは違って、しとしとと降る春の雨のようなどこか温かい涙で、俺の心を浄化していくような、そんな涙だと思った。
ニコラがグラスにビールを注いでくれる。俺は泡立つグラスを黙って見つめていた。ふいにニコラが口を開く。
「まだ苦しい?」
突然の言葉に何を聞かれているのか一瞬わからなくて固まった。でもすぐに失恋のことを言われているのだと察する。はっとしてニコラを見ると彼は穏やかな表情で、でも真剣な瞳でこちらをじっと見つめていた。
「なん、で…」
「んー?顔で、かな。チハルは分かりやすいね。すぐに分かるよ。嬉しいのも楽しいのも、辛いのも」
俺はそんなに分かりやすかったのだろうか。表面は繕えていたつもりだったのに。
慌てて答える。
「ほんとに?気のせいじゃ」
「今はね、苦しい顔をしてた。気持ちのやり場がわからなくて苦しいって」
遮るように言い当てられて、もう繕う気もなくなった。
気持ちのやり場がわからなくて苦しい。今の俺の気持ちそのままだった。
「…なんでそこまでわかるんだよ」
何も言わず静かにほほえんでニコラはビールを手渡してくれた。
「こういう時はね泣けるだけ泣くといいんだ。全部ぶちまけてからっぽになったところにまた、新しく想いを積んでいけばいいんだよ」
ニコラが静かに言う言葉が、俺の中に浸透してきてじわっと目尻が熱くなった。
「でも、泣きたくない」
涙を堪えながら必死に声を絞り出す。
「なんで?」
「もう充分泣いたし、もう、からっぽになりたく、ない」
ニコラが虚を突かれたように一瞬目を丸くした。俺は言い出した言葉が止まらなくてさらに重ねる。
「親が、死んでからしばらく空っぽになった、それがほんとに、ほんとに…何にもなくなってダメになった」
今までいた人が自分の側から消える。そうなった後はとても空虚で、自分ではどうにも出来ないような無限にも思えるような時間が広がっていて。俺はそれが怖いんだ。セルジオが俺を見なくなったら、lampflickerを見なくなったら。また空虚な時間が訪れる。実際にはセルジオはそんなことは絶対にしないだろうということは分かっていて、それでも俺は怖い。心からおめでとうを言いたいのに言えない俺は、きっとセルジオに依存してしまっている。それを無くす今、もういろんな事が怖くて仕方ない。
そんなことを涙混じりにぽつぽつと吐露した。こんなこと出会ったばかりのニコラに言うべきことではない。そう分かっているのに言葉は止まらない。どうしよう、どうやったら止まるの。自分が制御出来なくてパニックになりそうだ。いや、なっているのだろう。どうしようもなくなりかけた時
、突然視界がふっと暗くなった。体が温かいものに包まれる。
「泣いていいよ。空っぽになっていいよ。――俺がそこに積もって、埋めるから」
諭すように大事に伝えられた言葉。ニコラに抱き込まれてその胸のなかで響く。その温かさと言葉とに安心してしまう。
「俺を頼って」
「…ダメだ。そんなことしたら俺は今みたいに依存するから。ニコラに迷惑かける」
「チハル、それは依存じゃないよ。だってチハルは好きな相手の幸せを願って身を引いたんでしょ。心からお祝いを言いたいって思ってるんでしょ?依存じゃない、好きなだけ」
ニコラの言葉も態度もとことん俺に甘い。そんなに甘やかされたらダメになりそうだ。唇をぎゅっと結ぶとすかさずニコラに促される。
「思ってること言ってごらん?」
そしてその落ち着いた声音に俺は逆らえない。
「…セルジオは…俺を救ってくれた人で、俺のヒーローで」
そこで言葉を切った俺に、ニコラはん?と優しい表情で続きを促す。
「…ほんとにっ、好きだったんだ」
「…うん」
「一緒にいると安心して、でも、病気なんじゃないかってくらいドキドキしたりして」
「うん」
温かい手のひらがそっと頭を撫でてくれた。
「…もう一緒にいたくない?」
少し考えて俺は首を横に振った。
「…ううん、恋愛感情がなくても家族みたいなものだから、それにlampflickerが大好きだから」
それはない、と言い切った。それは分かりきってることで、俺は音楽がないと生きていけないから。セルジオとやる音楽は何も考えられなくなるくらい楽しくて、俺の生きている理由の1つだから。それだけはない。
「そっか。…なら、無理に忘れなくてもいいんじゃない?無理に忘れようとしてもしんどいだけだよ。ただ他のことに少し目を向けてみるだけでいいんじゃない?」
「他の、こと?」
そう、とセルジオは俺と目を合わせて微笑んだ。
「例えば、散歩したり、本を読んだり」
「…うん」
「この店に来たり、それで俺と話したり、俺と出かけたり、俺と美味しいもの食べたり」
全部俺と、と言ってくれるニコラ。その悪戯っぽい表情がおかしくて、泣きそうだった俺も思わず笑みを溢した。
「全部ニコラと?」
「うん、俺と」
ニコラも笑っている。
「それに、なんで最後は美味しいもの?」
そうくすくすと笑いながら言った俺にニコラは穏やかな表情で穏やかに言葉を紡ぐ。
「食べることは生きること、だよ」
「食べることは、生きること?」
「そう。食べないと生き物は生きていけない。それに美味しいもの食べるとそれだけで幸せでしょ?」
これが俺が知ってる1番簡単に幸せになれる方法、と笑うニコラに今度こそ涙を堪えきれなかった。泣き顔を見せたくなくて咄嗟にニコラの胸元をがしっと掴んで顔を埋める。驚いたようだがそのままにさせてくれた。ニコラは優しい。優しすぎる。ニコラが、今まで俺に料理を振る舞ってくれたのはなんのため?食欲がない俺に何か食べさせるため。でもそれだけじゃなくて、あの優しい味のだし巻き玉子も、今日の肉じゃがも、俺に幸せをくれるため?そう思い当たって胸がぎゅっとなった。突然転がり込んで失恋をぶちまけた馬鹿みたいな俺を本気で案じていてくれていたのだ。
ニコラがくれた美味しいものは確かに俺を
幸せにして、俺のからっぽを埋めてくれていた。
「俺はいつでもここにいる。俺だけじゃなくてマルコさんたちもチハルのこと待ってるよ。だから、いつでもおいで」
優しく優しく、涙を流して震える俺の背中をさすってくれるニコラが有り難くて、嬉しくて本当に涙が止まらなくなった。ぼろぼろと次から次へと水滴が溢れて落ちる。でもそれはいつかバスルームで流した冷たい涙とは違って、しとしとと降る春の雨のようなどこか温かい涙で、俺の心を浄化していくような、そんな涙だと思った。
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