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十四蝮との対面と村木砦

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 屋敷に戻った恒興は、一人で頭を捻るが何も良い手立てが浮かぶはずもない。
 気づいたら、恒興は、育ての親、森寺家へ向かっていた。
「久しいのう恒興」
 びんに白髪の交じる養父、秀勝は、目を緩めて出迎えた。
「養父上、お久しゅうございます」
 秀勝の居間に、向かい合わせの夕餉が整えられた。サワラの味噌焼きに、大根の粕漬け、八丁味噌の赤出汁、白米が運ばれた。
 懐かしい味だ。
 恒興は、元服してから養父と差し向かいになるのは初めてだ。親身な養父であったが、改めて向かい合うと緊張する。
「恒興、困りごとでも出来たのか? ワシに出来ることがあればなんだって手伝うぞ」
 この養父は、いつだって心強い。
「実は……」
 恒興は、この養父ならば信頼できると、思い切って、秘事を打ち明けた。
「なんだ、そんなことか、物資の運搬ならばワシに任せよ。富田・正徳寺ならば、側を木曽川が流れて居る。槍は長柄に加工し束にして木曽川を流せばよい。鉄砲は、熱田で調達したものをそのまま船で木曽川をさかのぼればよい」
 と、胸を叩いて請け負った。
 秀勝は、苦労を重ねた平手政秀の組下だ。政秀が信長の尻拭いをすればするほど秀勝も苦労を重ねた。
 このような、物資運搬なぞ朝飯前だ。
 長柄の穂先を富田で組み立てれば、万事順調に運ぶ目途が立つ。これならいける!
 残った問題は、斎藤道三の間者、般若介の目をいかに欺くかだ。
(そればっかりは、俺の頭でひねり出さなければなるまい)
 恒興は、その日から出発のその日まで、どうしたものか、屋敷を一歩も出なかった。
 もちろん般若介は、恒興がいつ手配に動くか見張っている。
 さすがの般若介も前日ともなると、痺れを切らして直接、恒興の屋敷を訪ねた。
「池田殿の正徳寺出立の日は、迫っておるが、殿に命ぜられた事の首尾はどうなっておる」
 般若介を出迎えたのは、森寺籐左衛門。秀勝の嫡男で恒興と兄弟のように育ち、行儀見習いとして仕えている。
「はあ、義兄上は、水にでも当たったのか連日、腹を下しております」
「なんだと、池田殿は動けぬのか!」
「はい、医者の見立てでは義兄上は、あと一週間は動けぬ物とのことであります」
「それでは、殿の正徳寺の対面に間に合わぬではないか!」
「はい、そのことでしたら役目は義兄に替わって、御家老の佐久間様が務められるようにございます」
「ええい、小者のお主では埒が明かぬ、とにかく、池田殿に会わせろ!」
 と、般若介は、恒興の部屋まで強引に上がり込んだ。
 障子を開くと、頬が瘦せこけた恒興が、青い顔して床に臥せっていた。
 間違いなく病人のそれだ。
 この様子では、恒興は、正徳寺の対面には間に合わない。
「くそっ! 信長に裏をかかれた。役目はあの場に居なかった佐久間か‼」
 恒興の代わりに、物資運搬を担当した佐久間信盛の仕事は鮮やかであった。
 熱田湊を出た弓、鉄砲を積んだ船は、木曽川を上って富田まで乗り付けた。重ねて、上流からはいかだに乗せた長柄を運んだ。
 河尻秀隆、毛利良勝が調練した足軽を富田へ走らせ、物資と合流させ組み立てる。
 突如、富田・正徳寺付近に現れた信長の兵は、道三の予想を上回るものであった。
 信長軍総勢は、お供衆八百、柄三間半(およそ六・四メートル)の朱槍五百本、弓・鉄砲五百挺と若く元気な足軽衆が現れた。
 信長の行列を、富田の町の一軒家から、馬鹿にしてやろうと思っていた斎藤道三は青い顔をした。
 信長隊の、その速さに、最新の武具に――。
 見るからに閑散期の農兵ではない。
「婿殿の兵は、農民ではない。あれは皆、武士だ」
 道三は、側近の堀田道空に驚きにも似た声を上げた。
「殿、どういうことにございますか?」
「婿殿は、一年を通して好きなときに戦える兵をもっておるということだ。それに……」
「あの槍を見よ。ワシの槍も長かったが、婿殿の槍はワシよりも一間(およそ一・八メートル)は長い。長柄槍の発明は、槍を突くものから頭を叩き割るものへと発想を変えた発明だった。婿殿は、長柄どころではない。近づくこともできぬわ!」
「しかし、武勇に優れた者を差し向ければ、切り崩せるではありませぬか」
 道三は、悔しそうに首を振って、
「それがならん。婿殿には、ワシを十倍する弓と鉄砲を備えて居る。あの数をどうやって揃えたかはわからぬが、あれの前では、いかに武辺者を差し向けようと、近づく前に、弓か鉄砲の餌食にされてしまうだろうよ。まったく恐ろしい男だ」
 道三が、信長軍の陣容にあんぐりと口を開けていると、堀田道空が呆れたように言った。
「しかし、当の大将がアレなのでは?」
 目の前を馬上でかた胡坐あぐらをかく信長が横切った。茶筅髷を萌黄もえぎ色の紐で巻き立てて、帷子かたびらを袖脱ぎにし、金銀飾りの大刀・脇差、二本とも長柄の藁縄で巻き、太い麻縄を腕輪にし、腰の周りには、猿回しのような火打ち袋、瓢箪ひょうたん八つほどをぶら下げている。虎皮と豹皮を四分に染め分けた半袴と、どこからどう見ても尾張で評判の「大うつけ」登場である。
 これには、道三もがっかりしたように肩を落として、
「なんだ。あれが婿殿か、あの様子ではこの陣容を整えたのは誰か他の者であろう。ワシに冷や汗をかかせおって、一体誰の知恵だ。
 織田家中の林秀貞、林美作の兄弟は、頭が古い。柴田勝家は、武勇には優れるが、このような新しい武具開発を閃くような男ではない。それでは、新たに信長付きとなった佐久間信盛か……」
 道三は、知恵の出所を思案した。
 スイッ!
 信長の光る眼が、真っすぐ道三のいる小屋に向けられた。
 いきなり、信長は、かじっていた梨を道三の隠れる小屋へ向かって投げつけた。
「見つかった!」
 道三は、思わず屈んで身を伏せた。
「殿、ここは物陰にございます。ほら、あのように信長は、阿呆のように笑っております。梨は気まぐれにこちらへ向かって投げつけたのでございましょう」
「いや、婿殿は、真っすぐワシと目が合った」
「あの様をご覧ください。婿殿には、そのような慧眼はありませぬ。ご安心下され」
「かもしれぬ。婿殿に入れ知恵する者を特定せねば危うい。用心致さねばなるまいのう」
「考えすぎにございましょう」
 道空は、慎重な道三とは対照的に楽観的だ。
「よし、道空。もう一つ遊びだ。正徳寺へ戻ってワシも「うつけ」た出迎えをしてやろう」
 道三は、道空と共に小屋を抜け出し、先に正徳寺に戻り、信長の鼻を明かす準備をして待つことにした。
 道三は、うつけた。白麻の小袖を腰に荒縄で縛り袴はなし。手拭いを肩に引っ掛けている。これでは百姓だ。
「殿、いくらなんでもその装いは、やり過ぎではございませんか?」
 堀田道空が心配して尋ねた。
「いや、婿殿が真の大うつけであるかないか見極めるには、こちらも、これぐらいうつけてやらぬと釣り合いがとれぬ」
「織田上総介信長様、ご到着にございます」
 使い番が報告に上がった。
「よし、来たか! 道空、後はワシの考えた手筈通りに進めるのだ」
「はっ!」
 
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