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十 織田家混乱
九
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斯波氏の守護邸は、清州城内の曲輪内にある。二の丸に当たるのがそれだ。
幸いにも、清洲兵は、信長と交戦中である。武器庫の火の手で残りの兵も出払った。
「今しかない!」
恒興と弥右衛門は、一気に守護邸の屛へ登った。
恒興と弥右衛門が屛から中へ飛び下りた。
ピュン!
二人の目の前を、弓矢のように鷹が掠めた。
恒興はたじろぎ尻もちをついた。
「どこの賊かはわからぬが、動くと命の保証は出来かねるぞ」
ひらり。鷹が、鷹狩り装束の青年の肩にとまった。こちらへは、いつでも射るよう弓をつがえている。
青年は、あきらかに下級の武士ではない。頭には綾蘭笠、水引弓籠手を肩にかけ、弓懸け、空穂に行腹。見るからに卑しい身分の身形ではない。
弥右衛門は、青年の制止を振り切って、庭の植え込みへ身を隠そうと試みた。
ヒュン!
腕がいい。弥右衛門の足元に矢が突き刺さった。
「動くなと申しておる」
これには弥右衛門も不用意に動けない。動けば命が無いと悟った。
「どなたか存じ上げませんが、拝見するとかなりの御身分。高貴なお方とお見受けします。よろしければ、姓名をお聞かせ願えませんでしょうか?」
弥右衛門は、手のひらを返して。馬鹿丁寧な物言いで交渉を始めた。
「私か、私の名は、斯波義統が御子、斯波義銀だ」
これは困った。弥右衛門が恒興と顔を見合わせた。
「私は、勝三郎で、こっちは弥右衛門にございます」
恒興は、とっさに幼名を名乗っていた。足軽姿をしているし、違和感はないだろう。
「隠さずともよい。勝三郎、お主の目の光を見ればわかる。おそらく、弾正忠家の手の者であろう」
鋭い。義銀には、お見通しのようだ。
恒興は、片膝ついて礼をとり、
「ハッ! 義銀様。私は織田信長が家臣で、池田恒興と申します」
「うむ、池田とやら、何用でここへ参ったのだ。その身形を見ると、大っぴらには語れぬ事情があるようだが」
「私は、好いた女を救い出しに参りました」
恒興は正直だ。なに一つ隠す気がない。
「手柄にもならん好いた女のために、命を賭けるのか⁈ では、熱田加藤家の娘だな?」
「左様にございます」
義銀は、裏切りばかりの乱世にあって「女のため」と正直な恒興に好感を持った。
「わかった。会わせてやる、ついて参れ」
縁側伝いに建屋を巡ると、離れ座敷がある。四方一間ほどの広さで、義銀が引き開いた障子の向こうは、格子の座敷牢になっていた。
「おおこれは守護様の御子義銀様。戦は終わりましたかな?」
と、松葉城の織田信氏が格子に張り付いて話しかけてきた。
「おお、義銀様。早く我らをここから出してくだされ」
深田城の織田達順が我先に信氏を押しのけて格子に手をかける。
「信氏、達順。用があるのはお主たちではない。熱田の加藤家の娘はどこにおる?」
義銀が尋ねた。
「ああ、あの娘なら隣の部屋に居るようですが、先程から、ウンウン唸ってどこかへ連れていかれました」
「なんだって!」
恒興が、興奮して格子に組み付いた。
「月は、どこへ連れて行かれたのです!」
信氏は、冷たい目をして、
「あの女は、もう長くはもたないぞ。ここへ来てすぐに風邪をこじらせている。その日以来、一口も飯を食べて居らん」
達順が、信氏を押しのけて、
「おい、お前。あの女の居場所が知りたいのか? だったら俺が教えてやるから、ここから出してくれ」
「どうする、池田とやら?」
義銀が恒興の顔を見た。
「お願いします義銀様。達順を出して下さい」
「よし!」と義銀は、格子の鍵を開けて達順を牢から出した。
「すまぬな、信氏。俺が先に自由の身だ」
達順が、残った信氏に捨て台詞を吐いた。
「私が、お前たちにしてやれるのはここまでだ。後の事は、私は知らぬ好きに致せ」
義銀が、恒興を送り出した。
「義銀様、この御恩は一生忘れません」
恒興は、義銀に熱い目で確約した。
幸いにも、清洲兵は、信長と交戦中である。武器庫の火の手で残りの兵も出払った。
「今しかない!」
恒興と弥右衛門は、一気に守護邸の屛へ登った。
恒興と弥右衛門が屛から中へ飛び下りた。
ピュン!
二人の目の前を、弓矢のように鷹が掠めた。
恒興はたじろぎ尻もちをついた。
「どこの賊かはわからぬが、動くと命の保証は出来かねるぞ」
ひらり。鷹が、鷹狩り装束の青年の肩にとまった。こちらへは、いつでも射るよう弓をつがえている。
青年は、あきらかに下級の武士ではない。頭には綾蘭笠、水引弓籠手を肩にかけ、弓懸け、空穂に行腹。見るからに卑しい身分の身形ではない。
弥右衛門は、青年の制止を振り切って、庭の植え込みへ身を隠そうと試みた。
ヒュン!
腕がいい。弥右衛門の足元に矢が突き刺さった。
「動くなと申しておる」
これには弥右衛門も不用意に動けない。動けば命が無いと悟った。
「どなたか存じ上げませんが、拝見するとかなりの御身分。高貴なお方とお見受けします。よろしければ、姓名をお聞かせ願えませんでしょうか?」
弥右衛門は、手のひらを返して。馬鹿丁寧な物言いで交渉を始めた。
「私か、私の名は、斯波義統が御子、斯波義銀だ」
これは困った。弥右衛門が恒興と顔を見合わせた。
「私は、勝三郎で、こっちは弥右衛門にございます」
恒興は、とっさに幼名を名乗っていた。足軽姿をしているし、違和感はないだろう。
「隠さずともよい。勝三郎、お主の目の光を見ればわかる。おそらく、弾正忠家の手の者であろう」
鋭い。義銀には、お見通しのようだ。
恒興は、片膝ついて礼をとり、
「ハッ! 義銀様。私は織田信長が家臣で、池田恒興と申します」
「うむ、池田とやら、何用でここへ参ったのだ。その身形を見ると、大っぴらには語れぬ事情があるようだが」
「私は、好いた女を救い出しに参りました」
恒興は正直だ。なに一つ隠す気がない。
「手柄にもならん好いた女のために、命を賭けるのか⁈ では、熱田加藤家の娘だな?」
「左様にございます」
義銀は、裏切りばかりの乱世にあって「女のため」と正直な恒興に好感を持った。
「わかった。会わせてやる、ついて参れ」
縁側伝いに建屋を巡ると、離れ座敷がある。四方一間ほどの広さで、義銀が引き開いた障子の向こうは、格子の座敷牢になっていた。
「おおこれは守護様の御子義銀様。戦は終わりましたかな?」
と、松葉城の織田信氏が格子に張り付いて話しかけてきた。
「おお、義銀様。早く我らをここから出してくだされ」
深田城の織田達順が我先に信氏を押しのけて格子に手をかける。
「信氏、達順。用があるのはお主たちではない。熱田の加藤家の娘はどこにおる?」
義銀が尋ねた。
「ああ、あの娘なら隣の部屋に居るようですが、先程から、ウンウン唸ってどこかへ連れていかれました」
「なんだって!」
恒興が、興奮して格子に組み付いた。
「月は、どこへ連れて行かれたのです!」
信氏は、冷たい目をして、
「あの女は、もう長くはもたないぞ。ここへ来てすぐに風邪をこじらせている。その日以来、一口も飯を食べて居らん」
達順が、信氏を押しのけて、
「おい、お前。あの女の居場所が知りたいのか? だったら俺が教えてやるから、ここから出してくれ」
「どうする、池田とやら?」
義銀が恒興の顔を見た。
「お願いします義銀様。達順を出して下さい」
「よし!」と義銀は、格子の鍵を開けて達順を牢から出した。
「すまぬな、信氏。俺が先に自由の身だ」
達順が、残った信氏に捨て台詞を吐いた。
「私が、お前たちにしてやれるのはここまでだ。後の事は、私は知らぬ好きに致せ」
義銀が、恒興を送り出した。
「義銀様、この御恩は一生忘れません」
恒興は、義銀に熱い目で確約した。
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